NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 与謝野晶子

与謝野晶子

ジャパンナレッジで閲覧できる『与謝野晶子』の国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典のサンプルページ

国史大辞典
与謝野晶子
よさのあきこ
一八七八 - 一九四二
明治から昭和時代にかけての歌人・詩人。本名しよう。明治十一年(一八七八)十二月八日、堺県甲斐町(大阪府堺市甲斐町)に生まれる。生家は菓子商駿河屋。父鳳(ほう)宗七・母つねの三女。堺女学校補修科卒。はやくから古典に親しみ、新時代の文学雑誌『しがらみ草紙』『文学界』などを読む。三十二年河井酔茗らの関西青年文学会に参加、『よしあし草』に詩歌を発表、翌年与謝野鉄幹の東京新詩社に参加、『明星』第二号から短歌を掲載、たちまちその中心的存在となる。三十四年六月、鉄幹との恋愛が進み、家を出奔上京、秋には妻子と別れた鉄幹と結婚。八月、第一歌集『みだれ髪』を出し、情熱的な恋愛感情、華麗奔放な空想的歌風は自我意識の解放とナルシシズムを基底とし、近代短歌の開幕を告げるものであった。以後、歌集『小扇』、『毒草』(鉄幹との合著)、『恋衣』(山川登美子・茅野雅子との合著)、『舞姫』と王朝的幻想性、多彩な色彩感覚を加え、近代日本の浪漫主義短歌を代表する歌人となる。日露戦争に従軍した弟を題材にした「君死にたまふことなかれ」は、大町桂月に「危険思想」と論難されたが、非戦詩として名高い。『明星』は明治四十一年十一月廃刊になるが、その前後も歌集は『常夏』『佐保姫』『春泥集』と続き、内面的心情の相剋を加える。自然主義の思潮の中で歌壇の主流からは外れるが、評論・小説・童話、『源氏物語』の口語訳(『新訳源氏物語』)など短歌とともに多彩な活動が開始され、平塚らいてうらの青鞜社創立には賛助員となる。明治四十五年(大正元)五月から十月まで渡欧。帰国後は『雑記帳』『人及び女として』『我等何を求むるか』以下つぎつぎに評論集を刊行、婦人問題・教育問題を論じて、婦人評論家として目覚しい活躍をする。「母性保護」をめぐる平塚らいてうらとの論争では女性の自立は女性が経済力をみずから獲得することによって果たされるとし、保護に頼るべきではないとする立場を貫く。口語自由詩、長編小説『明るみへ』、『短歌三百講』などの歌論書、多くの古典口語訳、大正期の晶子のバイタリティーは驚嘆に価する。その間の歌集中では『夏より秋へ』(大正三年(一九一四))が渡欧を題材にし、解放的心情とかつての華麗な感覚に通じる抒情が注目される。大正十年、教育制度にとらわれぬ文化学院創立に参画、自身も学監となり古典文学を講じ、自由な教育を通して女性文化の向上に寄与する。昭和期にも大正期ほどではないが歌集・短歌入門書、評論集を刊行、『新新訳源氏物語』は晶子源氏と呼ばれる。歌風には展開はないが、没後の『白桜集』(昭和十七年(一九四二))は寛への挽歌など、沈静な艶(えん)と悲傷を湛え、自在な作を残す。晶子は実に十一人の子を生み、歌業のみならず駭くべき尨大多彩なその業績は近代女性史の中でも特筆されるべき存在である。昭和十七年五月二十九日六十五歳にて死去、多磨墓地(東京都府中市)に埋葬された。法名、白桜院鳳翅耀大姉。『与謝野晶子全集』全十三巻(昭和九年、追補一巻を加えて四十七年再版)、『定本与謝野晶子全集』全二十巻(昭和五十六年)がある。
[参考文献]
木俣修『定本与謝野晶子全集』解説、入江春行『与謝野晶子書誌』、佐藤春夫『みだれ髪を読む』、深尾須磨子『与謝野晶子―才華不滅―』、塩田良平・佐藤和夫『与謝野晶子全歌集総索引』、矢野峰人『鉄幹・晶子とその時代』、逸見久美『評伝与謝野鉄幹晶子』、同『みだれ髪全釈』、馬場あき子『鑑賞与謝野晶子の秀歌』
(武川 忠一)


日本大百科全書(ニッポニカ)
与謝野晶子
よさのあきこ
[1878―1942]

歌人。明治11年12月7日、大阪府堺(さかい)市に菓子の老舗(しにせ)駿河屋(するがや)の三女として生まれる。旧姓は鳳(ほう)、本名志(し)よう。10代の初めから、店を手伝いながら古典、歴史書に親しみ、堺女学校卒業後、関西青年文学会の機関誌『よしあし草』などに詩や短歌を投稿。1900年(明治33)与謝野寛(ひろし)(与謝野鉄幹)によって前年に創立された新詩社の社友となり、『明星』に短歌を発表。同年8月大阪で講演した寛に会い大いに創作意欲を刺激されたが、翌年東京の寛のもとに出奔、処女歌集『みだれ髪』を刊行して文壇の注目を浴びた。「やは肌のあつき血汐(ちしほ)にふれも見でさびしからずや道を説く君」など、近代の恋愛の情熱を大胆な官能とともに歌い上げ、日本的な艶(えん)の美学と、西欧の近代詩に近い方法を包摂した浪漫(ろうまん)的一世界を開顕して、その華麗な作風は上田敏(うえだびん)に「詩壇革新の先駆」と評価された。

 寛と結婚後は『明星』の中心となって、小説、詩、評論、古典研究など多方面に活動をもつようになる。歌集はその後、『小扇(こおうぎ)』(1904)、『恋衣』(共著。1905)、『佐保姫(さおひめ)』(1909)、『青海波(せいがいは)』(1912)、『火の鳥』(1919)、『流星の道』(1924)、『心の遠景』(1928)と変化をたどりつつ、没後に編まれた『白桜集』(1942)まで二十数冊を数える。この間、その作風は初期の浪漫的美質を失わなかったが、しだいに内面的な翳(かげ)りや屈折を加え、沈静な自己観照や思索的な叙情を内包しつつ、しだいに人生的な詠嘆をもつようになる。晩年の作風は、「梟(ふくろふ)よ尾花の谷の月明に鳴きし昔を皆とりかへせ」(『白桜集』)にみられるように、寛の死を見送ってのちの哀傷感が深いが、そのなかにも一点、艶をたたえた叙情の表出に独自の境を開いている。

 評論活動も積極的で、『一隅より』(1911)、『激動の中を行く』(1919)、『人間礼拝』(1921)など十数冊に上り、その関心は広い社会的視野にたって婦人問題に注がれていた。女性に絶えず考える姿勢を求めつつ、その地位の向上への方途を説いたが、なかでも「母体の国家保護」をめぐる問題では平塚らいてうら婦人活動家と対立し、子供は一個の人格体としてとらえるべきだと主張するなど、自覚された母性の自恃(じじ)に基づいた確固たる女性思想を示していた。

 晶子の創作の原点には、少女時代から親しんだ古典の世界があったといえるが、新詩社の例会では『源氏物語』の講義を続け、2回にわたって現代語訳に意欲をみせているほか、『栄花物語(えいがものがたり)』『和泉式部日記(いずみしきぶにっき)』などの現代語訳や研究を残している。

 また、日露戦争従軍中の弟を思う長詩「君死にたまふことなかれ」(1904)は、その思想的主題をめぐる論争を巻き起こして反響をよんだが、晶子の詩作品は口語詩を含め『晶子詩篇全集(しへんぜんしゅう)』(1929)にまとめられた。なお、1921年(大正10)文化学院創立にあたっては初代学監に就任するなど、教育活動にも熱心で、文学を通して幅広い活動の軌跡を残している。昭和17年5月29日没。多磨霊園に葬られる。

[馬場あき子]



与謝野晶子[百科マルチメディア]
与謝野晶子[百科マルチメディア]

 ©小学館ライブラリー


日本人名大辞典
与謝野晶子
よさの-あきこ
1878−1942
明治-昭和時代前期の歌人。
明治11年12月7日生まれ。鳳(ほう)秀太郎の妹。与謝野鉄幹主宰の東京新詩社社友となり,「明星」に短歌を発表。明治34年第1歌集「みだれ髪」に奔放な愛の情熱をうたって反響をよぶ。同年鉄幹と結婚し,ともに浪漫主義詩歌運動を推進するかたわら,社会問題の評論,文化学院の創立など多方面に活躍した。長詩「君死にたまふことなかれ」は反戦詩として知られる。昭和17年5月29日死去。65歳。大阪出身。堺(さかい)女学校卒。旧姓は鳳。本名はしょう。現代語訳に「新新訳源氏物語」。
【格言など】なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜(ゆふづくよ)かな(「みだれ髪」)
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


与謝野晶子の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 391
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 与謝野晶子画像
日本大百科全書
歌人。明治11年12月7日、大阪府堺(さかい)市に菓子の老舗(しにせ)駿河屋(するがや)の三女として生まれる。旧姓は鳳(ほう)、本名志(し)よう。10代の初めか
2. 与謝野晶子
世界大百科事典
1878-1942(明治11-昭和17) 歌人,詩人。大阪府堺市生れ。本名しょう。旧姓鳳(ほう)。堺女学校補習科卒業後,家業の菓子商を手伝いながら古典を独習した
3. よさの‐あきこ【与謝野晶子】
日本国語大辞典
歌人。堺の出身。本名志よう。旧姓鳳。鉄幹の妻。新詩社に加わり「明星」に詩歌を発表。大胆な官能の解放を歌い、その奔放で情熱的な作風は浪漫主義運動に一時代を画し、ま
4. よさのあきこ【与謝野晶子】画像
国史大辞典
白桜院鳳翅耀大姉。『与謝野晶子全集』全十三巻(昭和九年、追補一巻を加えて四十七年再版)、『定本与謝野晶子全集』全二十巻(昭和五十六年)がある。 [参考文献]木俣
5. よさの-あきこ【与謝野晶子】画像
日本人名大辞典
1878−1942 明治-昭和時代前期の歌人。明治11年12月7日生まれ。鳳(ほう)秀太郎の妹。与謝野鉄幹主宰の東京新詩社社友となり,「明星」に短歌を発表。明治
6. 与謝野晶子[文献目録]
日本人物文献目録
華ひらく合理主義 与謝野晶子 1‐2』島本久恵『与謝野晶子』岩野喜久代『与謝野晶子』奥野信太郎『与謝野晶子』兼常清佐『与謝野晶子』長谷川泉『与謝野晶子』山崎敏夫
7. 与謝野晶子[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー
8. 与謝野晶子蔵書印[図版]画像
国史大辞典
晶子 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
9. あい‐ぼ【哀慕】
日本国語大辞典
哀慕之至〓」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「わが哀慕(アイボ)雨とふる日に
10. あえ‐か
日本国語大辞典
はし給はず」(3)自然の景物や夢、希望などのはかなげで美しいさま。*晶子新集〔1917〕〈与謝野晶子〉「冬枯の木立あえかになまめかし後(うしろ)に朝の歩み寄る時
11. あお‐あし[あを‥]【青葦・青蘆】
日本国語大辞典
〔名〕四、五月ごろ、若葉が伸びて青々としているアシ。《季・夏》*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「夕ぐれのさびしき池をわかやかに青葦(アヲアシ)ふきぬ初夏の風」*
12. あおがい‐ずり[あをがひ‥]【青貝摺】
日本国語大辞典
〔名〕「あおがいぬり(青貝塗)」に同じ。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉はたち妻「柳ぬれし今朝門(かど)すぐる文づかひ青貝(アヲガヒ)ずりのその箱ほそき」
13. あお・む[あをむ]【青】
日本国語大辞典
da (アヲム)〈訳〉草や木が緑色である」*春泥集〔1911〕〈与謝野晶子〉「蜂蜜の青(アヲ)める玻璃のうつはより初秋きたりきりぎりす鳴く」(2)顔色が青ざめる
14. あから‐おぶね[‥をぶね]【赤小舟】
日本国語大辞典
「なこがれよみすりもすまにかき積みてあからを舟の灘通る日ぞ〈源俊頼〉」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「燭さして赤良小船(アカラヲブネ)の九つに散り葉のもみぢ積
15. あき‐ひめ【秋姫】
日本国語大辞典
、〈略〉次に夏高津日神、亦の名は夏之売神、次に秋毘売(あきビメ)の神」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「清滝(きよたき)の水ゆく里は水晶の舟に棹して秋姫の来る」
16. あけ【赤・朱・緋】
日本国語大辞典
ソム」*浮世草子・色里三所世帯〔1688〕中・三「姫百合(ひめゆり)のあけに咲し」*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「精好の紅(アケ)としら茶の金襴のはりまぜ
17. あけ の 涙(なみだ)
日本国語大辞典
血の涙。涙が出尽くした後に出る血の涙。特に女性の流す涙にいう。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉臙脂紫「さて責むな高きにのぼり君みずや紅(アケ)の涙の永劫(え
18. あげ‐ど【揚戸】
日本国語大辞典
〔名〕(1)縦みぞに沿って上下に開閉する戸。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「春の月椽の揚戸(アゲド)の重からば逢はで帰らむ歌うたへ君」(2)上部が蝶番(ちょう
19. あげは‐ちょう[‥テフ]【揚羽蝶・鳳蝶】
日本国語大辞典
のあるものが多い。学名は Papilionidae 《季・春‐夏》*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉舞姫「さしかざす小傘に紅き揚羽蝶(アゲハテフ)小褄とる手に
20. あさぎ‐じ[‥ヂ]【浅葱地・浅黄地】
日本国語大辞典
かきぢ)の小釣(こづる)、浅黄地(アサキヂ)の花兎(はなうさぎ)」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉舞姫「浅黄地に扇ながしの都染九尺のしごき袖よりも長き」
21. あさざくら‐みち【朝桜路】
日本国語大辞典
〔名〕桜の咲いている朝の路。*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「くれなゐの蒲団(ふとん)かさねし山駕籠(やまかご)に母と相乗る朝ざくら路」
22. あさふね‐びと【朝船人】
日本国語大辞典
〔名〕朝、船に乗っている人。朝、船を漕いでいる人。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「うすものや六根きよめまつらむとしら蓮風す朝船人(アサフネビト)に」
23. あさ‐みずいろ[‥みづいろ]【浅水色】
日本国語大辞典
〔名〕薄い水色。薄い青色。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉臙脂紫「額(ぬか)ごしに暁(あけ)の月みる加茂川の浅水色(アサミヅイロ)のみだれ藻染(もぞめ)よ」
24. あさ・む【浅】
日本国語大辞典
、『いつはり事也』と云あさみて、説法すれど、聞人やうやう少く成ぬ」*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「こころ懲りぬ御兄なつかしあざみては博士得ませと別れし人も
25. あずま‐や[あづま‥]【四阿・東屋・阿舎】
日本国語大辞典
亭(ちん)の遠眼鏡を取持(とりもち)て、かの女を偸間(あからさま)に見やりて」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉蓮の花船「あづまやに水のおときく藤の夕はづしま
26. あそさん【阿蘇山】熊本県:総論
日本歴史地名大系
三好達治「草千里浜」、草野心平「阿蘇山」があり、短歌では川田順・斎藤瀏・釈迢空・与謝野鉄幹・与謝野晶子・吉井勇・若山牧水・土屋文明らがあげられる。美術では岡田三
27. あつ・い【熱・暑】
日本国語大辞典
するさま。情熱のはげしいさま。感動や感激などの度合がはげしいさま。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉臙脂紫「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説
28. あめの 子(こ)
日本国語大辞典
羽をつけ、天上を舞うという子供の天人。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「朝ぼらけ羽ごろも白の天(アメ)の子が乱舞するなり八重桜ちる」
29. あめ‐の‐さい【天才】
日本国語大辞典
生まれつき持っているすぐれた才能。また、それに恵まれた人。てんさい。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉春思「天(アメ)の才(サイ)ここににほひの美しき春をゆふ
30. あやめ【菖蒲】画像
日本国語大辞典
ハナアヤメ 渓〓」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「日は暮れぬ海の上にはむらさきの菖蒲(アヤメ)に似たる夕雲のして」(2)サトイモ科のショウブの古名
31. いいざかおんせん【飯坂温泉】福島県:福島市/旧飯坂町地区/上飯坂村
日本歴史地名大系
利用した木賃宿が内湯旅館になっていった。同二六年七月正岡子規が芭蕉の跡をたどって宿泊した。与謝野晶子が十綱橋を詠み、宮本百合子は当地に宿をとって小説「禰宜様宮田
32. 生田長江
世界大百科事典
1906年,同誌に発表した〈小栗風葉論〉で論壇の注目をあつめた。その後,孤蝶,森田草平らと与謝野晶子をいただく閨秀文学会をおこして《青鞜》発刊のきっかけをつくり
33. い‐こぞ・る[ゐ‥]【居挙】
日本国語大辞典
離山住南都事「興福寺の方には人おほく居こぞりて、いみじうにぎやかなり」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「おん舟に居こぞる人の袴より赤き紅葉の島さして来ぬ」
34. 石川啄木[文献目録]
日本人物文献目録
新編石川啄木全集 10巻10冊』吉田孤羊(編)『新編石川啄木全集月報・啄木研究 1‐10』与謝野晶子等『啄木鑑賞読本』大井光夫(編)『啄木短歌評釈』矢代東村,
35. いし の 獅子(しし)
日本国語大辞典
石造の獅子。神社の両脇に立っているこま犬など。*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「頬(ほ)よすれば香る息はく石の獅子ふたつ栖むなる夏木立かな」
36. 伊豆山[温泉]
世界大百科事典
れな横穴式源泉を再現している。相模灘に面したながめのよい閑静な温泉で,多くの文人に愛され,与謝野晶子は《明星》同人とともにここで歌を残し,谷崎潤一郎はここを舞台
37. いそ‐くさ【磯草】
日本国語大辞典
*俳諧・発句題叢〔1820~23〕冬中「磯草のかげも恃みて霜の庵〈葛三〉」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「磯草にこほろぎ啼くや夕月の干潟あゆみぬ人五六人」(2
38. うす・い【薄】
日本国語大辞典
我扇八景〔1711頃〕紋尽し「こよひ見へぬはうんのうすいお人やと」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉はたち妻「二十(はた)とせの我世の幸はうすかりきせめて今見
39. うすいろ‐ぞめ【薄色染】
日本国語大辞典
〔名〕薄紫色に染めた布や衣装。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「灯(ひ)に遠きうすいろぞめのあえかさの落花に似るを怨女(ゑんにょ)と云ふや」
40. うす‐づき【薄月】
日本国語大辞典
「木の間を洩れる薄月(ウスヅキ)に、顔すかし見て莞爾(にっこり)笑ひ」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「君が家(や)につづく河原のなでしこにうす月さして夕(ゆふ
41. うす‐どうしん[‥ダウシン]【薄道心】
日本国語大辞典
〔名〕信仰心や道徳観念などがあまり強くないこと。仏道に帰依する心が不十分なこと。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「夕にはちるべき花と見て過ぎぬ親もたぬ子の薄道心
42. うすら‐あかじ[‥あかヂ]【薄赤地】
日本国語大辞典
〔名〕織物などの地色が、淡い赤色であること。薄くれないの地色。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「水を出でて白蓮(しらはす)さきぬ曙のうすら赤地の世界の中に」
43. うわ‐ぎ[うは‥]【上着】
日本国語大辞典
垣魯文〉三・上「上着おなじくごまからじまに、まがひさらさの下タ着」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉春思「湯あがりを御風(みかぜ)めすなのわが上衣(ウハギ)ゑ
44. うわ‐じろ・む[うは‥]【上白】
日本国語大辞典
〔自マ五(四)〕「うわじらむ(上白)」に同じ。*春泥集〔1911〕〈与謝野晶子〉「楽(たのしみ)はつねに変ると云ふ如く桃いろの衣上(ウハ)じろみつつ」*芋粥〔1
45. 栄花物語 358ページ
日本古典文学全集
事実はともかく、こういう噂が立つということだけで、東宮後宮での争いの激しさが知られる。なお、与謝野晶子『新訳栄華物語』は、原子が娍子を呪ったため、ばちが当って死
46. え‐がや[ヱ‥]【絵蚊帳】
日本国語大辞典
〔名〕絵のかいてある蚊帳。*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「この恋びとをしへられては日記(にき)も書きぬ百合にさめぬと画蚊〓
47. え‐だくみ[ヱ‥]【画工】
日本国語大辞典
済の国〈略〉画工(ヱタクミ)白加を献る」(2)絵かき。絵師。画家。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉春思「恋と云はじそのまぼろしのあまき夢詩人もありき画だくみ
48. えど-さいこ【江戸さい子】
日本人名大辞典
に師事。大日本歌道奨励会石川支部長,金沢第一高女歌道講師となる。昭和5年新詩社同人となり,与謝野晶子(よさの-あきこ)と親交をむすぶ。14年彩雲会主宰。昭和36
49. えに‐し【縁】
日本国語大辞典
「明暮れ心うの花と眺めおりしに、えにしとて、都へ貰はれゆきぬるか」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉はたち妻「恋の神にむくいまつりし今日の歌ゑにしの神はいつ受
50. え‐ひがさ[ヱ‥]【絵日傘】画像
日本国語大辞典
〔名〕絵模様のある日傘。《季・夏》*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉臙脂紫「絵日傘をかなたの岸の草になげわたる小川よ春の水ぬるき」*それから〔1909〕〈夏目
「与謝野晶子」の情報だけではなく、「与謝野晶子」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

与謝野晶子と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
徳川家康(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府初代将軍(在職1603~1605)。三河(愛知県東部)の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国駿河(静岡県)の大名今川氏の人質となって苦労したが、桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して駿河・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河3か国に所領を拡大した
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「与謝野晶子」は人物に関連のある記事です。
その他の人物に関連する記事
ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
エジソン(世界大百科事典)
アメリカの発明家,電気技術者。二重電信機,スズ箔蓄音機,カーボンマイクロホン,白熱電球,映画,アルカリ蓄電池,謄写印刷機などを発明,または改良したことで非常に著名である。貧しい材木商兼穀物商の家に生まれ,小学校には数ヵ月しかいかずに母親から教育を受け
ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的
山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝え
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
人物に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶