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  11. 与謝野晶子

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国史大辞典・日本大百科全書

国史大辞典
与謝野晶子
よさのあきこ
一八七八 - 一九四二
明治から昭和時代にかけての歌人・詩人。本名しよう。明治十一年(一八七八)十二月八日、堺県甲斐町(大阪府堺市甲斐町)に生まれる。生家は菓子商駿河屋。父鳳(ほう)宗七・母つねの三女。堺女学校補修科卒。はやくから古典に親しみ、新時代の文学雑誌『しがらみ草紙』『文学界』などを読む。三十二年河井酔茗らの関西青年文学会に参加、『よしあし草』に詩歌を発表、翌年与謝野鉄幹の東京新詩社に参加、『明星』第二号から短歌を掲載、たちまちその中心的存在となる。三十四年六月、鉄幹との恋愛が進み、家を出奔上京、秋には妻子と別れた鉄幹と結婚。八月、第一歌集『みだれ髪』を出し、情熱的な恋愛感情、華麗奔放な空想的歌風は自我意識の解放とナルシシズムを基底とし、近代短歌の開幕を告げるものであった。以後、歌集『小扇』、『毒草』(鉄幹との合著)、『恋衣』(山川登美子・茅野雅子との合著)、『舞姫』と王朝的幻想性、多彩な色彩感覚を加え、近代日本の浪漫主義短歌を代表する歌人となる。日露戦争に従軍した弟を題材にした「君死にたまふことなかれ」は、大町桂月に「危険思想」と論難されたが、非戦詩として名高い。『明星』は明治四十一年十一月廃刊になるが、その前後も歌集は『常夏』『佐保姫』『春泥集』と続き、内面的心情の相剋を加える。自然主義の思潮の中で歌壇の主流からは外れるが、評論・小説・童話、『源氏物語』の口語訳(『新訳源氏物語』)など短歌とともに多彩な活動が開始され、平塚らいてうらの青鞜社創立には賛助員となる。明治四十五年(大正元)五月から十月まで渡欧。帰国後は『雑記帳』『人及び女として』『我等何を求むるか』以下つぎつぎに評論集を刊行、婦人問題・教育問題を論じて、婦人評論家として目覚しい活躍をする。「母性保護」をめぐる平塚らいてうらとの論争では女性の自立は女性が経済力をみずから獲得することによって果たされるとし、保護に頼るべきではないとする立場を貫く。口語自由詩、長編小説『明るみへ』、『短歌三百講』などの歌論書、多くの古典口語訳、大正期の晶子のバイタリティーは驚嘆に価する。その間の歌集中では『夏より秋へ』(大正三年(一九一四))が渡欧を題材にし、解放的心情とかつての華麗な感覚に通じる抒情が注目される。大正十年、教育制度にとらわれぬ文化学院創立に参画、自身も学監となり古典文学を講じ、自由な教育を通して女性文化の向上に寄与する。昭和期にも大正期ほどではないが歌集・短歌入門書、評論集を刊行、『新新訳源氏物語』は晶子源氏と呼ばれる。歌風には展開はないが、没後の『白桜集』(昭和十七年(一九四二))は寛への挽歌など、沈静な艶(えん)と悲傷を湛え、自在な作を残す。晶子は実に十一人の子を生み、歌業のみならず駭くべき尨大多彩なその業績は近代女性史の中でも特筆されるべき存在である。昭和十七年五月二十九日六十五歳にて死去、多磨墓地(東京都府中市)に埋葬された。法名、白桜院鳳翅耀大姉。『与謝野晶子全集』全十三巻(昭和九年、追補一巻を加えて四十七年再版)、『定本与謝野晶子全集』全二十巻(昭和五十六年)がある。
[参考文献]
木俣修『定本与謝野晶子全集』解説、入江春行『与謝野晶子書誌』、佐藤春夫『みだれ髪を読む』、深尾須磨子『与謝野晶子―才華不滅―』、塩田良平・佐藤和夫『与謝野晶子全歌集総索引』、矢野峰人『鉄幹・晶子とその時代』、逸見久美『評伝与謝野鉄幹晶子』、同『みだれ髪全釈』、馬場あき子『鑑賞与謝野晶子の秀歌』
(武川 忠一)


日本大百科全書(ニッポニカ)
与謝野晶子
よさのあきこ
[1878―1942]

歌人。明治11年12月7日、大阪府堺(さかい)市に菓子の老舗(しにせ)駿河屋(するがや)の三女として生まれる。旧姓は鳳(ほう)、本名志(し)よう。10代の初めから、店を手伝いながら古典、歴史書に親しみ、堺女学校卒業後、関西青年文学会の機関誌『よしあし草』などに詩や短歌を投稿。1900年(明治33)与謝野寛(ひろし)(与謝野鉄幹)によって前年に創立された新詩社の社友となり、『明星』に短歌を発表。同年8月大阪で講演した寛に会い大いに創作意欲を刺激されたが、翌年東京の寛のもとに出奔、処女歌集『みだれ髪』を刊行して文壇の注目を浴びた。「やは肌のあつき血汐(ちしほ)にふれも見でさびしからずや道を説く君」など、近代の恋愛の情熱を大胆な官能とともに歌い上げ、日本的な艶(えん)の美学と、西欧の近代詩に近い方法を包摂した浪漫(ろうまん)的一世界を開顕して、その華麗な作風は上田敏(うえだびん)に「詩壇革新の先駆」と評価された。

 寛と結婚後は『明星』の中心となって、小説、詩、評論、古典研究など多方面に活動をもつようになる。歌集はその後、『小扇(こおうぎ)』(1904)、『恋衣』(共著。1905)、『佐保姫(さおひめ)』(1909)、『青海波(せいがいは)』(1912)、『火の鳥』(1919)、『流星の道』(1924)、『心の遠景』(1928)と変化をたどりつつ、没後に編まれた『白桜集』(1942)まで二十数冊を数える。この間、その作風は初期の浪漫的美質を失わなかったが、しだいに内面的な翳(かげ)りや屈折を加え、沈静な自己観照や思索的な叙情を内包しつつ、しだいに人生的な詠嘆をもつようになる。晩年の作風は、「梟(ふくろふ)よ尾花の谷の月明に鳴きし昔を皆とりかへせ」(『白桜集』)にみられるように、寛の死を見送ってのちの哀傷感が深いが、そのなかにも一点、艶をたたえた叙情の表出に独自の境を開いている。

 評論活動も積極的で、『一隅より』(1911)、『激動の中を行く』(1919)、『人間礼拝』(1921)など十数冊に上り、その関心は広い社会的視野にたって婦人問題に注がれていた。女性に絶えず考える姿勢を求めつつ、その地位の向上への方途を説いたが、なかでも「母体の国家保護」をめぐる問題では平塚らいてうら婦人活動家と対立し、子供は一個の人格体としてとらえるべきだと主張するなど、自覚された母性の自恃(じじ)に基づいた確固たる女性思想を示していた。

 晶子の創作の原点には、少女時代から親しんだ古典の世界があったといえるが、新詩社の例会では『源氏物語』の講義を続け、2回にわたって現代語訳に意欲をみせているほか、『栄花物語(えいがものがたり)』『和泉式部日記(いずみしきぶにっき)』などの現代語訳や研究を残している。

 また、日露戦争従軍中の弟を思う長詩「君死にたまふことなかれ」(1904)は、その思想的主題をめぐる論争を巻き起こして反響をよんだが、晶子の詩作品は口語詩を含め『晶子詩篇全集(しへんぜんしゅう)』(1929)にまとめられた。なお、1921年(大正10)文化学院創立にあたっては初代学監に就任するなど、教育活動にも熱心で、文学を通して幅広い活動の軌跡を残している。昭和17年5月29日没。多磨霊園に葬られる。

[馬場あき子]



与謝野晶子[百科マルチメディア]
与謝野晶子[百科マルチメディア]

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1. 与謝野晶子画像
日本大百科全書
歌人。明治11年12月7日、大阪府堺(さかい)市に菓子の老舗(しにせ)駿河屋(するがや)の三女として生まれる。旧姓は鳳(ほう)、本名志(し)よう。10代の初めか
2. 与謝野晶子
世界大百科事典
1878-1942(明治11-昭和17) 歌人,詩人。大阪府堺市生れ。本名しょう。旧姓鳳(ほう)。堺女学校補習科卒業後,家業の菓子商を手伝いながら古典を独習した
3. よさの‐あきこ【与謝野晶子】
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歌人。堺の出身。本名志よう。旧姓鳳。鉄幹の妻。新詩社に加わり「明星」に詩歌を発表。大胆な官能の解放を歌い、その奔放で情熱的な作風は浪漫主義運動に一時代を画し、ま
4. よさのあきこ【与謝野晶子】画像
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白桜院鳳翅耀大姉。『与謝野晶子全集』全十三巻(昭和九年、追補一巻を加えて四十七年再版)、『定本与謝野晶子全集』全二十巻(昭和五十六年)がある。 [参考文献]木俣
5. よさの-あきこ【与謝野晶子】画像
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1878−1942 明治-昭和時代前期の歌人。明治11年12月7日生まれ。鳳(ほう)秀太郎の妹。与謝野鉄幹主宰の東京新詩社社友となり,「明星」に短歌を発表。明治
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華ひらく合理主義 与謝野晶子 1‐2』島本久恵『与謝野晶子』岩野喜久代『与謝野晶子』奥野信太郎『与謝野晶子』兼常清佐『与謝野晶子』長谷川泉『与謝野晶子』山崎敏夫
7. 与謝野晶子[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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8. 与謝野晶子蔵書印[図版]画像
国史大辞典
晶子 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
9. あい‐ぼ【哀慕】
日本国語大辞典
哀慕之至〓」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「わが哀慕(アイボ)雨とふる日に
10. あえ‐か
日本国語大辞典
はし給はず」(3)自然の景物や夢、希望などのはかなげで美しいさま。*晶子新集〔1917〕〈与謝野晶子〉「冬枯の木立あえかになまめかし後(うしろ)に朝の歩み寄る時
11. あお‐あし[あを‥]【青葦・青蘆】
日本国語大辞典
〔名〕四、五月ごろ、若葉が伸びて青々としているアシ。《季・夏》*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「夕ぐれのさびしき池をわかやかに青葦(アヲアシ)ふきぬ初夏の風」*
12. あおがい‐ずり[あをがひ‥]【青貝摺】
日本国語大辞典
〔名〕「あおがいぬり(青貝塗)」に同じ。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉はたち妻「柳ぬれし今朝門(かど)すぐる文づかひ青貝(アヲガヒ)ずりのその箱ほそき」
13. あお・む[あをむ]【青】
日本国語大辞典
da (アヲム)〈訳〉草や木が緑色である」*春泥集〔1911〕〈与謝野晶子〉「蜂蜜の青(アヲ)める玻璃のうつはより初秋きたりきりぎりす鳴く」(2)顔色が青ざめる
14. あから‐おぶね[‥をぶね]【赤小舟】
日本国語大辞典
「なこがれよみすりもすまにかき積みてあからを舟の灘通る日ぞ〈源俊頼〉」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「燭さして赤良小船(アカラヲブネ)の九つに散り葉のもみぢ積
15. あき‐ひめ【秋姫】
日本国語大辞典
、〈略〉次に夏高津日神、亦の名は夏之売神、次に秋毘売(あきビメ)の神」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「清滝(きよたき)の水ゆく里は水晶の舟に棹して秋姫の来る」
16. あけ【赤・朱・緋】
日本国語大辞典
ソム」*浮世草子・色里三所世帯〔1688〕中・三「姫百合(ひめゆり)のあけに咲し」*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「精好の紅(アケ)としら茶の金襴のはりまぜ
17. あけ の 涙(なみだ)
日本国語大辞典
血の涙。涙が出尽くした後に出る血の涙。特に女性の流す涙にいう。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉臙脂紫「さて責むな高きにのぼり君みずや紅(アケ)の涙の永劫(え
18. あげ‐ど【揚戸】
日本国語大辞典
〔名〕(1)縦みぞに沿って上下に開閉する戸。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「春の月椽の揚戸(アゲド)の重からば逢はで帰らむ歌うたへ君」(2)上部が蝶番(ちょう
19. あげは‐ちょう[‥テフ]【揚羽蝶・鳳蝶】
日本国語大辞典
のあるものが多い。学名は Papilionidae 《季・春‐夏》*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉舞姫「さしかざす小傘に紅き揚羽蝶(アゲハテフ)小褄とる手に
20. あさぎ‐じ[‥ヂ]【浅葱地・浅黄地】
日本国語大辞典
かきぢ)の小釣(こづる)、浅黄地(アサキヂ)の花兎(はなうさぎ)」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉舞姫「浅黄地に扇ながしの都染九尺のしごき袖よりも長き」
21. あさざくら‐みち【朝桜路】
日本国語大辞典
〔名〕桜の咲いている朝の路。*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「くれなゐの蒲団(ふとん)かさねし山駕籠(やまかご)に母と相乗る朝ざくら路」
22. あさふね‐びと【朝船人】
日本国語大辞典
〔名〕朝、船に乗っている人。朝、船を漕いでいる人。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「うすものや六根きよめまつらむとしら蓮風す朝船人(アサフネビト)に」
23. あさ‐みずいろ[‥みづいろ]【浅水色】
日本国語大辞典
〔名〕薄い水色。薄い青色。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉臙脂紫「額(ぬか)ごしに暁(あけ)の月みる加茂川の浅水色(アサミヅイロ)のみだれ藻染(もぞめ)よ」
24. あさ・む【浅】
日本国語大辞典
、『いつはり事也』と云あさみて、説法すれど、聞人やうやう少く成ぬ」*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「こころ懲りぬ御兄なつかしあざみては博士得ませと別れし人も
25. あずま‐や[あづま‥]【四阿・東屋・阿舎】
日本国語大辞典
亭(ちん)の遠眼鏡を取持(とりもち)て、かの女を偸間(あからさま)に見やりて」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉蓮の花船「あづまやに水のおときく藤の夕はづしま
26. あそさん【阿蘇山】熊本県:総論
日本歴史地名大系
三好達治「草千里浜」、草野心平「阿蘇山」があり、短歌では川田順・斎藤瀏・釈迢空・与謝野鉄幹・与謝野晶子・吉井勇・若山牧水・土屋文明らがあげられる。美術では岡田三
27. あつ・い【熱・暑】
日本国語大辞典
するさま。情熱のはげしいさま。感動や感激などの度合がはげしいさま。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉臙脂紫「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説
28. あめの 子(こ)
日本国語大辞典
羽をつけ、天上を舞うという子供の天人。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「朝ぼらけ羽ごろも白の天(アメ)の子が乱舞するなり八重桜ちる」
29. あめ‐の‐さい【天才】
日本国語大辞典
生まれつき持っているすぐれた才能。また、それに恵まれた人。てんさい。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉春思「天(アメ)の才(サイ)ここににほひの美しき春をゆふ
30. あやめ【菖蒲】画像
日本国語大辞典
ハナアヤメ 渓〓」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「日は暮れぬ海の上にはむらさきの菖蒲(アヤメ)に似たる夕雲のして」(2)サトイモ科のショウブの古名
31. いいざかおんせん【飯坂温泉】福島県:福島市/旧飯坂町地区/上飯坂村
日本歴史地名大系
利用した木賃宿が内湯旅館になっていった。同二六年七月正岡子規が芭蕉の跡をたどって宿泊した。与謝野晶子が十綱橋を詠み、宮本百合子は当地に宿をとって小説「禰宜様宮田
32. 生田長江
世界大百科事典
1906年,同誌に発表した〈小栗風葉論〉で論壇の注目をあつめた。その後,孤蝶,森田草平らと与謝野晶子をいただく閨秀文学会をおこして《青鞜》発刊のきっかけをつくり
33. い‐こぞ・る[ゐ‥]【居挙】
日本国語大辞典
離山住南都事「興福寺の方には人おほく居こぞりて、いみじうにぎやかなり」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「おん舟に居こぞる人の袴より赤き紅葉の島さして来ぬ」
34. 石川啄木[文献目録]
日本人物文献目録
新編石川啄木全集 10巻10冊』吉田孤羊(編)『新編石川啄木全集月報・啄木研究 1‐10』与謝野晶子等『啄木鑑賞読本』大井光夫(編)『啄木短歌評釈』矢代東村,
35. いし の 獅子(しし)
日本国語大辞典
石造の獅子。神社の両脇に立っているこま犬など。*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「頬(ほ)よすれば香る息はく石の獅子ふたつ栖むなる夏木立かな」
36. 伊豆山[温泉]
世界大百科事典
れな横穴式源泉を再現している。相模灘に面したながめのよい閑静な温泉で,多くの文人に愛され,与謝野晶子は《明星》同人とともにここで歌を残し,谷崎潤一郎はここを舞台
37. いそ‐くさ【磯草】
日本国語大辞典
*俳諧・発句題叢〔1820~23〕冬中「磯草のかげも恃みて霜の庵〈葛三〉」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「磯草にこほろぎ啼くや夕月の干潟あゆみぬ人五六人」(2
38. うす・い【薄】
日本国語大辞典
我扇八景〔1711頃〕紋尽し「こよひ見へぬはうんのうすいお人やと」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉はたち妻「二十(はた)とせの我世の幸はうすかりきせめて今見
39. うすいろ‐ぞめ【薄色染】
日本国語大辞典
〔名〕薄紫色に染めた布や衣装。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「灯(ひ)に遠きうすいろぞめのあえかさの落花に似るを怨女(ゑんにょ)と云ふや」
40. うす‐づき【薄月】
日本国語大辞典
「木の間を洩れる薄月(ウスヅキ)に、顔すかし見て莞爾(にっこり)笑ひ」*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「君が家(や)につづく河原のなでしこにうす月さして夕(ゆふ
41. うす‐どうしん[‥ダウシン]【薄道心】
日本国語大辞典
〔名〕信仰心や道徳観念などがあまり強くないこと。仏道に帰依する心が不十分なこと。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「夕にはちるべき花と見て過ぎぬ親もたぬ子の薄道心
42. うすら‐あかじ[‥あかヂ]【薄赤地】
日本国語大辞典
〔名〕織物などの地色が、淡い赤色であること。薄くれないの地色。*舞姫〔1906〕〈与謝野晶子〉「水を出でて白蓮(しらはす)さきぬ曙のうすら赤地の世界の中に」
43. うわ‐ぎ[うは‥]【上着】
日本国語大辞典
垣魯文〉三・上「上着おなじくごまからじまに、まがひさらさの下タ着」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉春思「湯あがりを御風(みかぜ)めすなのわが上衣(ウハギ)ゑ
44. うわ‐じろ・む[うは‥]【上白】
日本国語大辞典
〔自マ五(四)〕「うわじらむ(上白)」に同じ。*春泥集〔1911〕〈与謝野晶子〉「楽(たのしみ)はつねに変ると云ふ如く桃いろの衣上(ウハ)じろみつつ」*芋粥〔1
45. 栄花物語 358ページ
日本古典文学全集
事実はともかく、こういう噂が立つということだけで、東宮後宮での争いの激しさが知られる。なお、与謝野晶子『新訳栄華物語』は、原子が娍子を呪ったため、ばちが当って死
46. え‐がや[ヱ‥]【絵蚊帳】
日本国語大辞典
〔名〕絵のかいてある蚊帳。*恋衣〔1905〕曙染〈与謝野晶子〉「この恋びとをしへられては日記(にき)も書きぬ百合にさめぬと画蚊〓
47. え‐だくみ[ヱ‥]【画工】
日本国語大辞典
済の国〈略〉画工(ヱタクミ)白加を献る」(2)絵かき。絵師。画家。*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉春思「恋と云はじそのまぼろしのあまき夢詩人もありき画だくみ
48. えど-さいこ【江戸さい子】
日本人名大辞典
に師事。大日本歌道奨励会石川支部長,金沢第一高女歌道講師となる。昭和5年新詩社同人となり,与謝野晶子(よさの-あきこ)と親交をむすぶ。14年彩雲会主宰。昭和36
49. えに‐し【縁】
日本国語大辞典
「明暮れ心うの花と眺めおりしに、えにしとて、都へ貰はれゆきぬるか」*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉はたち妻「恋の神にむくいまつりし今日の歌ゑにしの神はいつ受
50. え‐ひがさ[ヱ‥]【絵日傘】画像
日本国語大辞典
〔名〕絵模様のある日傘。《季・夏》*みだれ髪〔1901〕〈与謝野晶子〉臙脂紫「絵日傘をかなたの岸の草になげわたる小川よ春の水ぬるき」*それから〔1909〕〈夏目
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一八六八 - 一九五八 明治から昭和時代にかけての日本画家。明治元年(一八六八)九月十八日、水戸城下三ノ町(水戸市城東二丁目)に酒井捨彦の長男として生まれる。幼名秀蔵、秀磨。のち母方の横山家を継ぐ。明治二十二年新設の東京美術学校に入学
山県有朋(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八三八 - 一九二二 明治・大正時代の政治的、軍事的最高指導者の一人。号、含雪。天保九年(一八三八)閏四月二十二日長州萩城下川島村(山口県萩市川島)の下級武士の家に生まれる。父は有稔、母は松子。幼名は辰之助、小助、小輔。少年期から槍術に励んだ
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