ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 天皇
  10. >
  11. 持統天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『持統天皇』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典

国史大辞典
持統天皇
じとうてんのう
六四五 - 七〇二
六八六―九七在位。ただし正式即位は六九〇年。白鳳時代の女帝。もとの名は〓野讃良(うののさらら)皇女。諱は高天原広野姫、大倭根子天之広野日女ともいう。天智天皇の第二女、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智娘(おちのいらつめ)。大化元年(六四五)誕生。斉明天皇三年(六五七)十三歳で叔父の大海人皇子(天武天皇)と結婚。斉明天皇七年、斉明が中大兄皇子(天智)と計り、百済救援のため九州に赴くとき、持統は大海人とともに随行する。この年斉明は筑紫の朝倉宮で没し、その翌年の天智天皇元年(六六二)持統は娜ノ大津で草壁皇子を生む。百済救援軍は同二年に百済の白村江で大敗し、その前後に持統は夫・子とともに大和へ帰る。同六年、天智の近江遷都に従って近江大津宮に移る。大海人は天智の政治を助け、次期の天皇と目されたが、天智の晩年、天智が子の大友皇子(弘文天皇)に皇位を譲る意のあることを察し、同十年吉野山に隠れ、持統は草壁を連れてこれに従う。この年天智が没し、その翌年(六七二)大海人は持統らを従えて挙兵し、弘文を敗死させて皇位につく(天武天皇)。これが壬申の乱で、天武は都を飛鳥にかえし、天武天皇二年(六七三)浄御原宮で即位式を挙げ、持統を皇后とする。天武は律令制度をとりいれて中央集権の体制を推進するが、持統は天武を助けて功績が大きかったと『日本書紀』に伝えられている。朱鳥元年(六八六)の天武の死後は、皇太子の草壁とともに政治をとる。草壁が持統天皇三年(六八九)四月に病死したあと、同年六月に飛鳥浄御原令を施行、翌四年正月に即位して正式に天皇となり、官制の整備、百官の遷任、庚寅年籍の作成など律令制度の完成に力を尽くす。同八年には中国の様式にならって造営した藤原宮に遷都し、薬師寺の造営にも努めた。同十年、太政大臣高市皇子の死を機に、草壁の子の軽皇子(文武天皇)を皇太子とし、同十一年八月皇位を軽に譲り、太上天皇となって文武とともに政治を行う。大宝元年(七〇一)八月『大宝律令』が成り、翌年にかけて施行されるのを見とどけ、同二年十二月二十二日没する。五十八歳。遺体は火葬され、天武の檜隈大内陵に合葬された。→檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)
[参考文献]
直木孝次郎『持統天皇』(『人物叢書』四一)、北山茂夫「持統天皇論」(『日本古代政治史の研究』所収)
(直木 孝次郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
持統天皇
じとうてんのう
[645―702]

白鳳(はくほう)時代の天皇。第41代に数えられる(称制686~689、在位690~697)。鸕野讃良(うののさらら)皇女といい、諡(おくりな)は高天原広野姫(たかまのはらひろのひめ)または大倭根子天之広野日女(やまとねこあまのひろのひめ)という。父は天智(てんじ)天皇、母は蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)の女(むすめ)遠智娘(おちのいらつめ)。父の弟大海人(おおあま)皇子の妃となる。大海人は天智天皇の皇太子の地位についたが、天智の晩年に意思の疎通を欠き、671年(天智天皇10)朝廷を去って吉野山に入り、持統もこれに従った。天智の没後、持統の異母弟の大友皇子が天智の後を継いだが、大海人は672年壬申(じんしん)の乱を起こし、大友(弘文(こうぶん)天皇)を倒して皇位につき、天武(てんむ)天皇となり、飛鳥浄御原(あすかきよみはら)に都を定め持統を皇后とした。持統は天武の政治を補佐し、686年の天武の死後は皇太子草壁(くさかべ)皇子を助け、689年(持統天皇3)に草壁が没したのち、飛鳥浄御原令(りょう)を施行、ついで690年正式に即位し、諸制度を整備して、律令国家の確立に努め、藤原京を建設して694年に遷都した。697年に皇位を孫の文武(もんむ)天皇に譲るが、太上(だいじょう)天皇として文武の政治を助け、大宝律令の成った701年(大宝1)の翌年に没し、天武の檜隈大内(ひのくまのおおうち)陵(奈良県明日香(あすか)村に治定)に合葬された。『万葉集』に歌6首がある。
[直木孝次郎]



改訂新版 世界大百科事典
持統天皇
じとうてんのう
645-702(大化1-大宝2)

第41代にかぞえられる天皇。称制686-689年,在位690-697年。鸕(菟)野讃良(沙羅々)(うののさらら)皇女。諡(おくりな)は高天原広野姫(たかまのはらひろのひめ)または大倭根子天之広野日女(やまとねこあまのひろのひめ)という。天智天皇の皇女,母は蘇我石川麻呂の女遠智娘。大化改新の開始の年に生まれ,657年(斉明3)13歳で父の弟大海人(おおあま)皇子と結婚する。国内では父の中大兄皇子(のち天智天皇)を中心に律令体制の成立が急がれていたが,国外では強大な唐の勢力の圧迫により,朝鮮半島の情勢が緊迫していた。斉明天皇は661年,唐と新羅に攻められた百済を救うために九州に出征,持統も夫大海人とともに軍に従い,662年(天智1)九州の那津で草壁(くさかべ)皇子を出生。百済救援軍は翌年白村江で大敗する。667年,天智は都を近江(滋賀県)に移し,668年ここで正式に即位する。このころから天智と大海人との間が天智の後継者問題をめぐって不和となり,671年10月大海人は朝廷を去って吉野山に隠れ,持統もそれに従った。同年12月に天智は没し,大友皇子があとを継いだ(弘文天皇)が,翌672年(天武1)6月,大海人は反乱をおこして弘文の近江朝廷を滅ぼす。これが壬申の乱で,勝利した大海人は都を大和へかえし,673年飛鳥浄御原宮で即位し(天武天皇),持統を皇后とした。持統は《日本書紀》に〈天皇を佐けて天下を定め,(中略)言政事に及び,毗(たす)け補う所多し〉とあるように,夫天武を助けて政治をとった。天武の治世に律令体制の整備が進み,681年律令の制定に着手したが,その完成をまたず,天武は686年(朱鳥1)に没した。持統は皇后として政治をとり,草壁皇子を天皇に立てる予定だったが,草壁が689年(持統3)に没したため,持統は飛鳥浄御原令の発布,戸籍(庚寅(こういん)戸籍)の作成などを命じたのち,翌690年正式に即位する。持統は令と戸籍によって国家の諸制度を充実させるとともに,律令国家にふさわしい都として藤原京の建設に着手,694年に遷都する。697年薬師寺で仏像開眼会を行ったのを機会に皇位を孫の軽皇子(文武天皇)にゆずり,太上天皇となる。そののちも文武の政治を助けたが,大宝律令のなった701年(大宝1)の翌年に没した。律令国家の形成に多大の功績のある政治家である。《万葉集》に歌6首がある。
→女帝
[直木 孝次郎]

[索引語]
鸕(菟)野讃良(沙羅々)(うののさらら)皇女 草壁(くさかべ)皇子 天武天皇
ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。
持統天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 1157
検索コンテンツ
1. 〓野讃良皇女・持統天皇・持統太上天皇
日本史年表
野讃良皇女(持統天皇) 即位(紀)。 697年〈文武元 丁酉⑫〉 8・1 持統天皇 譲位、 軽皇子(文武天皇) 即位(紀・続紀)。 702年〈大宝2 ...
2. 持統天皇
日本大百科全書
持統は天武の政治を補佐し、686年の天武の死後は皇太子草壁(くさかべ)皇子を助け、689年(持統天皇3)に草壁が没したのち、飛鳥浄御原令(りょう)を施行、ついで ...
3. 持統天皇
世界大百科事典
645-702(大化1-大宝2) 第41代にかぞえられる天皇。称制686-689年,在位690-697年。鸕(菟)野讃良(沙羅々)(うののさらら)皇女。諡(おく ...
4. じとう‐てんのう【持統天皇】
デジタル大辞泉
[645〜702]第41代の天皇。在位686〜697。天智天皇の第2皇女。名は〓野讚良(うののさらら)。天武天皇の皇后となり ...
5. じとう‐てんのう[ヂトウテンワウ]【持統天皇】
日本国語大辞典
第四一代の天皇。天智天皇の第二皇女、天武天皇の皇后。名は〓野讚良皇女(うののさららのひめみこ)。天武天皇の死後政務を執り、皇太子草 ...
6. じとうてんのう【持統天皇】
国史大辞典
→檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ) [参考文献]直木孝次郎『持統天皇』(『人物叢書』四一)、北山茂夫「持統天皇論」(『日本古代政治史の研究』所収) ( ...
7. 持統天皇(じとうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 12ページ ...
8. じとうてんのう【持統天皇】
日本人名大辞典
645−703* 飛鳥(あすか)時代,第41代天皇。在位690-697。大化(たいか)元年生まれ。天智(てんじ)天皇の第2皇女。母は蘇我遠智娘(そがの-おちのい ...
9. 持統天皇[文献目録]
日本人物文献目録
について』生田小平次『持統天皇』-『持統天皇と呂太后』直木孝次郎『持統天皇と吉野行幸 詩と政治の二面性をめぐって』亀田昌子『持統天皇の御盛徳について』豊田八千代 ...
10. Jitō, Empress 【持統天皇】
Encyclopedia of Japan
645−703 The 41st sovereign (tenno) in the traditional count (which includes sev ...
11. 持統天皇山陵 (見出し語:持統天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 985ページ ...
12. 持統天皇薄葬 (見出し語:持統天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 242ページ ...
13. 持統天皇諡 (見出し語:持統天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 918ページ ...
14. 持統天皇遊覽御幸 (見出し語:持統天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 732ページ ...
15. 小倉百人一首(2) 歌人/持統天皇[百科マルチメディア]
日本大百科全書
ししろたへの ころもほすてふあまのかぐやま定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/はるす持統天皇(じとうてんのう)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉 ...
16. あらけもん【荒気者】[方言]
日本方言大辞典
乱暴者。 島根県出雲725島根県方言辞典(広戸惇・矢富熊一郎)1963浄瑠璃持統天皇歌軍法一「一途のあら気者」 ...
17. きっかり[方言]
日本方言大辞典
1898《きっしり》 大阪※116浪花聞書 1820頃 大阪府泉北郡646和泉郷荘村方言(南要)1935浄瑠璃持統天皇歌軍法一「母様ちっと鍬平で、十六文半ではき ...
18. こでっち【小丁稚】[方言]
日本方言大辞典
卑しめて言う。 島根県石見724島根県に於ける方言の分布(島根県女子師範学校)1932浄瑠璃持統天皇歌軍法五「ヤア小でっちめ推参」《こでち》 富山県砺波398砺 ...
19. ことい【特牛】[方言]
日本方言大辞典
向方言圏紀行(加藤諄)1952 鹿児島県種子島975採訪南島語彙稿(宮良当壮)1927浄瑠璃持統天皇歌軍法四「今宵は猪のししの七年物、特牛こっていうし程なをして ...
20. ごとみそ【五斗味噌】[方言]
日本方言大辞典
典(近石泰秋)1976 福岡県久留米市872福岡県内方言集(福岡県教育会本部)1899浄瑠璃持統天皇歌軍法五「毎晩五斗味噌肴さかなに天目酒」(2)しょうゆを取っ ...
21. しょー【生】[方言]
日本方言大辞典
ねしたらね(現金にしたらどう)」728出雲の方言(漢東種一郎)1961「しょう」の例。浄瑠璃持統天皇歌軍法五「一夜なれなれ帯かうてやろぞ、帯ぢゃ名が立、しゃうで ...
22. むいき【無意気】[方言]
日本方言大辞典
(1)厳しいさま。きつく。 三重県員弁郡592員弁郡郷土資料・員弁郡誌(員弁郡役所)1915浄瑠璃持統天皇歌軍法三「あまり無意気な御勘当、つらい親御の心や」(2 ...
23. あおきのさんりょうき【阿不幾乃山陵記】
国史大辞典
天武天皇と持統天皇を合葬した檜隈大内陵(青木山陵)が、嘉禎元年(一二三五)三月に盗掘された折の陵内実見記。『御陵日記』ともいう。筆者は盗掘後、陵内を見に集まっ ...
24. あお‐くも[あを:]【青雲】
日本国語大辞典
→青雲の。*万葉集〔8C後〕二・一六一「北山にたなびく雲の青雲(あをくも)の星離れゆき月を離れて〈持統天皇〉」*万葉集〔8C後〕一六・三八八三「いや彦おのれ神さ ...
25. あおのかりみやあと【阿保頓宮跡】三重県:名賀郡/青山町/阿保村
日本歴史地名大系
同二日条に「到伊勢国壱志郡河口頓宮」とあり、聖武天皇の東国行幸に際し阿保に頓宮が設けられた。持統天皇の伊勢行幸について「日本書紀」は直接阿保頓宮にふれていないが ...
26. 赤坂(愛知)
世界大百科事典
呈している。旧東海道の宿駅のなかでは,江戸時代のおもかげを最もよく残している。宿駅の近くには,持統天皇や源頼朝の宿泊跡と伝えられる宮路山がある。1894年町制, ...
27. あかひきのいと【赤引糸】
国史大辞典
引き出す意。すなわち明潔に作った生糸のこと。「あからひきのいと」ともいう。初見は『日本書紀』の持統天皇六年(六九二)閏五月丁未条の「然応 ...
28. あぐいごう【英比郷】愛知県:尾張国/智多郡
日本歴史地名大系
れるものである。これは国名が欠損しているが、阿具比里は当郷にあたるものと考えられる。甲午年は持統天皇八年で、飛鳥浄御原令制下であり、里名の表記となっている。国名 ...
29. あごぐん【英虞郡】
国史大辞典
西は度会郡に接していた。リアス式海岸がすぐ丘陵に接し、水田が少なく、古くから漁業が中心である。『日本書紀』持統天皇六年(六九二)五月の阿胡行宮が地名の初見で、『 ...
30. あごぐん【英虞郡】三重県:志摩国
日本歴史地名大系
「和名抄」東急本郡部に「阿呉」と訓を付す。「日本書紀」持統天皇六年五月六日条に「阿胡行宮」が記され、所在地は鳥羽・答志島付近との説もあり確定しないが、「あご」の ...
31. あさ‐はら【朝腹】
日本国語大辞典
は伊勢の白粉〔1683頃〕二「一牧が物は朝はらじゃと小四郎も極められたと」*浄瑠璃・持統天皇歌軍法〔1713〕五「からうすのさほつづかん程、ほんに五斗や一石は、 ...
32. あさひはちまんじんじゃ【朝日八幡神社】愛媛県:松山市/石手川下流域(旧温泉郡の大部分)/南江戸村
日本歴史地名大系
西山の麓、字朝日谷にある。おもな祭神は品陀別命・帯中津彦命・息長帯比売命。旧郷社。社伝によると、持統天皇の代に創建され、初め沼戸明神といったが、のちに山城国山崎 ...
33. 明日香(村)
日本大百科全書
地)と飛鳥である。村の西部を近畿日本鉄道吉野線と国道169号が通じる。飛鳥時代から694年(持統天皇8)藤原京遷都まで幾度となく皇居が置かれた地で、村内至る所に ...
34. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
鳥・阿須可・安須可などの用字がみられる。金石文では天智天皇七年の船首王後墓誌に「阿須迦宮」、持統天皇三年の采女氏塋域碑に「飛鳥浄御原大朝廷」とある。飛鳥の表記は ...
35. あすかいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】奈良県:高市郡/明日香村/岡村
日本歴史地名大系
(六三〇〜)、二期は皇極天皇の飛鳥板蓋宮(六四三〜)、三期は斉明天皇の後飛鳥岡本宮や、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(六七二〜六九四)の可能性が指摘されている。一 ...
36. あすかきよみはらのみや【飛鳥浄御原宮】奈良県:高市郡/明日香村/飛鳥村
日本歴史地名大系
都となしつと詠まれている。浄御原宮の位置については、「日本書紀」に「宮室を岡本宮の南に営る」、同書持統天皇元年八月条に、天武天皇の死に接して「京城の耆老男女、皆 ...
37. あすかきよみはら‐りつりょう【飛鳥浄御原律令】
デジタル大辞泉
天武天皇10年(681)編集を命じ、持統天皇3年(689)に施行した法令。令22巻は大宝律令の基礎となった。律は巻数・施行時期とも不明。浄御原令(きよみはらりょ ...
38. あすかきよみはら‐りつりょう[:リツリャウ]【飛鳥浄御原律令】
日本国語大辞典
天武天皇が天武一〇年(六八一)編集を命じ、持統天皇の三年(六八九)施行された法典。官職、班田収授、雑徭(ぞうよう)など多くの点で大宝律令の基礎になったといわれる ...
39. 飛鳥時代
日本大百科全書
大化改新がその究極の目標とした天皇を中心とする律令制中央集権国家はその輪郭を明らかにする。ついで持統天皇は孫の文武(もんむ)(在位697~700)に位を譲ったが ...
40. 飛鳥時代
世界大百科事典
その天武の死後には,大津皇子の謀反や皇太子草壁皇子の急死があったが,結局,皇后鸕野(うの)皇女が女帝(持統天皇)として即位し,飛鳥浄御原令の施行,藤原京への遷都 ...
41. あすか‐じだい【飛鳥時代】
日本国語大辞典
飛鳥の地に都があった時代。推古天皇即位の年(五九二)から元明天皇の平城京遷都の和銅三年(七一〇)まで、あるいは持統天皇の藤原京遷都(六九四)までとする。特に美術 ...
42. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
を施行。元嘉暦・儀鳳暦を用いる690(持統4)皇后即位(持統天皇)。庚寅年籍をつくる694(持統8)藤原京遷都697(文武1)持統天皇、文武天皇に譲位698(文 ...
43. あすかでら【飛鳥寺】
国史大辞典
先例や功績もあり特に官治の扱いとすると定めた。同十四年九月天皇病気のため大官大寺・川原寺・飛鳥寺で読経させ、持統天皇元年(六八七)八月には飛鳥寺に僧三百を集め、 ...
44. あすかのおうじょ【飛鳥皇女】
日本人名大辞典
−700 飛鳥時代,天智(てんじ)天皇の皇女。母は橘娘(たちばなのいらつめ)。「日本書紀」によれば,持統天皇6年(692)天皇は皇女の別荘にでかけ,2年後に皇女 ...
45. あすかのきよみはらのみや【飛鳥浄御原宮】
国史大辞典
持統天皇八年(六九四)、藤原宮に遷るまでの、天武・持統両天皇の時代の皇居。允恭天皇からとすると約二百年、推古天皇からは約百年にわたる飛鳥京址の中でも最も代表的 ...
46. あすかむら【明日香村】奈良県:高市郡
日本歴史地名大系
大字森)を経て紀伊国に至った。当村は六世紀末から七世紀末にかけての一〇〇余年間、推古天皇から持統天皇に至る宮都の地である。これ以前にも顕宗天皇・宣化天皇の宮が矢 ...
47. あずち【〓
国史大辞典
をあむつちとよめり、編土の義なるべし、持統天皇の時、射を習ふべき所を築かしむる事、日本紀に見えたり、埃嚢抄に堋をよめり」とみえ、『庭訓往来』には的山とある ...
48. あずみうじ【安曇氏】
国史大辞典
一)の「帝紀及上古諸事」の記定事業にも加わっている(阿曇連稲敷)。同十三年宿禰の姓を賜わり、持統天皇五年(六九一)十八氏に「墓記」の上進を命ぜられた時、阿曇氏も ...
49. 遊び
日本大百科全書
双六の2文字が明記された最古の文献は『日本書紀』で、同書に「禁断雙六(すごろくをきんだんす)」とある。当時(持統天皇3年=689年)すでに双六遊びの禁令が発せら ...
50. あに‐ご【兄御】
日本国語大辞典
あにごは何とかおはする」*狂言記・兄弟諍〔1700〕「『兄御(アニゴ)内にか内にか』『舎弟来たか』」*浄瑠璃・持統天皇歌軍法〔1713〕三「兄ごなら弟御なら、女 ...
「持統天皇」の情報だけではなく、「持統天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る

持統天皇と同じ天皇カテゴリの記事
舎人親王(日本大百科全書(ニッポニカ))
天武天皇の第三皇子。母は天智天皇の娘新田部皇女。知太政官事穂積親王の亡きあとは皇親の長老として重んぜられ、新田部親王とともに皇太子首親王(聖武天皇)を輔翼する責務を負った
天皇(改訂新版・世界大百科事典)
日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。天皇の歴史前近代の天皇オオキミとスメラミコト〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが
皇位継承(改訂新版・世界大百科事典)
7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で
摂政(国史大辞典)
天皇に代わって万機を摂り行う者、または摂り行うことをいう。関白に類する職として関白とともに摂関といい、関白と同じく、摂ろく・執柄・博陸などの唐名があり、その地位に因んで一の人・一の所などと称され、殿下ともいわれた
関白(国史大辞典)
万機に関与する重職で摂政に類似する。したがって摂政と合わせて摂関・摂ろく・一の人・一の所などと称し、執柄・博陸・殿下などの唐名がある。関白の語は『漢書』霍公伝に、宣帝が諸事まず霍光に関白してから奏上せしめたとみえているが
天皇と同じカテゴリの記事をもっと見る


「持統天皇」は天皇に関連のある記事です。
その他の天皇に関連する記事
赤色袍(国史大辞典)
束帯の袍の一種。(一)黄櫨(はじ)と茜(あかね)を染材とする赤白の橡(つるばみ)の袍をいう。位袍でないので、天皇・上皇以下、諸臣の参議以上が時宜によって着用した。天皇は内宴の際に、上皇は束帯を着用するときの尋常の料。諸臣は特殊の行幸啓の供奉に用いた
太上天皇(国史大辞典・日本国語大辞典)
譲位した天皇の称。「だいじょうてんのう」とも訓む。略して上皇あるいは太皇ともいい、また御在所を意味する院の称も用いられ、さらにその御在所を神仙の居所に擬して仙院・仙洞・藐姑射山(はこやのやま)・茨山(しざん)などとも称された。
上皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
譲位した天皇の尊称。正式には太上(だいじょう)天皇と称する。中国の太上皇(たいじょうこう)、太上皇帝の称に始まり、太上は最上または至上の意。日本では697年(文武天皇1)譲位した持統(じとう)天皇が初めて太上天皇と称し、大宝令(たいほうりょう)
昭和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一九〇一 - 八九 一九二六―八九在位。明治三十四年(一九〇一)四月二十九日午後十時十分、東宮御所に生誕。皇太子明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)と皇太子妃節子(のちの貞明皇后)の第一皇子。五月五日明治天皇より裕仁(ひろひと)と命名され
大正天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八七九 - 一九二六 一九一二―二六在位。明治十二年(一八七九)八月三十一日午前八時十二分、東京青山御所内御産所にて生誕。明治天皇第三皇子、生母権典侍柳原愛子。九月六日、嘉仁(よしひと)と命名、明宮(はるのみや)と称した
天皇に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る