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  11. 森蘭丸

森蘭丸

ジャパンナレッジで閲覧できる『森蘭丸』の日本大百科全書のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)
森蘭丸
もりらんまる
[1565―1582]

安土(あづち)桃山時代の武士。実名は成利(なりとし)。一説に長定(ながさだ)。美濃(みの)国(岐阜県)可児(かに)郡金山(かねやま)城主森可成(よしなり)の三男。15歳で織田信長に仕え小姓(こしょう)となり、奏者(そうじゃ)や奉行(ぶぎょう)を勤めた。才気あり言語動作がりっぱだったので信長に寵愛(ちょうあい)された。1582年(天正10)3月武田氏滅亡ののち恵那(えな)郡岩村(いわむら)城を与えられたが、同年6月2日本能寺(ほんのうじ)の変で弟坊丸(ぼうまる)・力丸(りきまる)とともに信長に殉じた。18歳。墓は京都阿弥陀(あみだ)寺にある。信長の切った爪(つめ)が一指分足りないと捜した話など、奉公ぶりを称賛された逸話が多い。兄長可(ながよし)は84年長久手(ながくて)の戦いで戦死(27歳)、末弟忠政(ただまさ)はのち美作(みまさか)(岡山県)津山(つやま)藩祖となった。

[渡辺江美子]

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検索コンテンツ
1. 森蘭丸
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の武士。実名は成利(なりとし)。一説に長定(ながさだ)。美濃(みの)国(岐阜県)可児(かに)郡金山(かねやま)城主森可成(よしなり)の三男
2. 森蘭丸
世界大百科事典
1565-82(永禄8-天正10) 織田信長の近臣。名は成利,系譜では長定。乱法師と称する。森可成の三男。幼年から信長に仕え,その才幹を愛されてつねに側近にあり
3. もり‐らんまる【森蘭丸】
日本国語大辞典
安土桃山時代の武将。美濃国(岐阜県)の人。名は長定。成利とも。織田信長に小姓として仕え、その才能を愛されて美濃岩村五万石を与えられた。本能寺の変で戦死。永祿八~
4. もりらんまる【森蘭丸】
国史大辞典
一五六五―八二 織田信長の近習。可成の子で長可の弟。永禄八年(一五六五)生まれる。生国美濃。実名については『寛政重修諸家譜』などによって長定とする説があるが、
5. もり-らんまる【森蘭丸】
日本人名大辞典
1565−1582 織豊時代の武将。永禄(えいろく)8年生まれ。森可成(よしなり)の3男。美濃(みの)(岐阜県)金山出身。織田信長につかえ,小姓として近侍。武田
6. Mori Rammaru 【森蘭丸】
Encyclopedia of Japan
1565?−1582 Also known as Mori Naritoshi. A page of the presence (kosho) at the c
7. 森蘭丸明敏 (見出し語:森蘭丸)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 1261ページ
8. 森蘭丸正直 (見出し語:森蘭丸)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 9ページ
9. 森蘭丸細心 (見出し語:森蘭丸)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 1230ページ
10. あかはまむら【赤浜村】埼玉県:大里郡/寄居町地図
日本歴史地名大系
母伝通院(於大の方)の姉にあたる覚法院の墓、若狭小浜城(現福井県小浜市)城主木下勝俊へ嫁した森蘭丸の姉の墓をはじめ、長勝の子孫の墓がある。寺の東には水野長勝の陣
11. 明智光秀
世界大百科事典
この作品は歌舞伎では翌1800年に上演されている。ここでは,光秀の春永への諫言,それに対する報復として森蘭丸に鉄扇で光秀の額を傷つけさせる場面,光秀の四天王が謀
12. あけちみつひで【明智光秀】
日本架空伝承人名事典
この作品は歌舞伎では翌一八〇〇年に上演されている。ここでは、光秀の春永への諫言、それに対する報復として森蘭丸に鉄扇で光秀の額を傷つけさせる場面、四王天但馬守が謀
13. あぶしなじんじゃ【阿夫志奈神社】岐阜県:加茂郡/川辺町/上川辺村
日本歴史地名大系
二)本願主山城守藤原行政による「阿夫志奈大菩薩御社堂改造」の棟札、永禄七年(一五六四)本願主森蘭丸源長定による「御幕一張寄進」の棟札、天文元年(一五三二)「阿夫
14. いわむらじょうあと【岩村城跡】岐阜県:恵那郡/岩村町/岩村城下
日本歴史地名大系
兵衛秀隆(鎮吉)が居城し、この間に大修築を行い、近世城郭へと変貌したと思われる。河尻氏の後は森蘭丸が城主となり、各務兵庫が城代を勤めた。本能寺の変で蘭丸が死んだ
15. うねめしんでん【采女新田】埼玉県:三郷市地図
日本歴史地名大系
元禄郷帳では高一二二石余。村名は開発した彦糸村の森采女の名を取ったという。采女は織田信長の臣森蘭丸の子孫という伝承をもち、采女新田の開発後は家を子に譲り、彦音村
16. 恵那[市]
世界大百科事典
鎌倉~室町時代には遠山荘地頭遠山氏が岩村に城を築いて支配したが,同氏は1575年(天正3)織田信長に滅ぼされ,森蘭丸が城主となる。江戸時代は松平氏,丹羽氏と城主
17. えなし【恵那市】岐阜県
日本歴史地名大系
同三年織田信長は岐阜から兵を進め、岩村城を攻め武田勢を駆逐した。信長は岩村城に河尻鎮吉を置き、のち森蘭丸が入った。本能寺の変ののち金山城(現可児郡兼山町)城主森
18. 絵本太功記
世界大百科事典
武智光秀は,蘇鉄を安土城に移植した尾田春長をいさめるが,逆に怒りにふれる。(2)六月一日の段 光秀は,春長と森蘭丸になお侮辱される。春長は,真柴久吉の応援のため
19. えほんたいこうき【絵本太功記】
歌舞伎事典
蘇鉄を安土城に移植した尾田春長をいさめるが、逆に怒りにふれる。【六月一日の段】光秀は、春長と森蘭丸になお侮辱される。春長は、真柴久吉の応援のため、光秀に西国出兵
20. おののおつう【小野お通】
日本架空伝承人名事典
日):18‐32刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)第一句、「蘭丸」は森蘭丸で織田信長の小姓。「尻を抓る」は、江戸期において求愛を示す動作
21. かわらさきごんじゅうろう【河原崎権十郎】[付録]
歌舞伎事典
いたが、近ごろは舞台に専念。立役だが、《石切梶原》の奴菊平、《熊谷陣屋》の堤軍次、《馬盥》の森蘭丸、《対面》の八幡三郎、《権三と助十》の助八、《魚屋宗五郎》の三
22. きざみ‐ざや【刻鞘】
日本国語大辞典
づかの太刀、きざみざやの大わきざし」*俳諧・本朝文選〔1706〕四・解類・長雪隠解〈許六〉「森蘭丸がきざみ鞘かぞへたるは、信長公も芸者と見えたり」*尋常小学読本
23. さんげんいん【三玄院】京都市:北区/大宮郷/大徳寺地図
日本歴史地名大系
森長定・森忠政の三人をあげている。総見の南にあり、大宝円鑑国師春屋和尚塔所、浅野紀伊守幸長、森蘭丸長定、森長門守忠政等為〓檀越ト
24. 聖衆来迎寺画像
日本大百科全書
1570年(元亀1)坂本の合戦において浅井・朝倉方であったが、織田(おだ)方の森可成(よしなり)(森蘭丸(らんまる)の父)を葬ったため、織田信長の比叡山焼打ちを
25. 瀬戸康史[主演映画「ランウェイ☆ビート」が封切り]
イミダス 2018
5人組ユニット“D☆DATE”の一員としてCDデビュー。11年にはNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」に森蘭丸役で出演している。イミダス編2011.04
26. 時桔梗出世請状
日本大百科全書
「馬盥(ばだらい)の光秀」の通称で知られる。武智光秀は勅使饗応(きょうおう)の作法を小田春永にとがめられ、森蘭丸(らんまる)に鉄扇で額を割られる(序幕・饗応)。
27. なかつがわし【中津川市】岐阜県
日本歴史地名大系
この両村は元亀三年(一五七二)に信玄から新知として与えられたものである。武田氏滅亡後は河尻鎮吉、森蘭丸、森長可の支配となり、遠山氏の所領は東濃から消えた。関ヶ原
28. 男色大鑑(井原西鶴集) 408ページ
日本古典文学全集
なほいや増しに憧れ、日を重ね行くに、それより拝顔もせ  没後、元禄十年(一六九七)に改易となった。忠政は森蘭丸の弟。桐紋は秀吉より下賜。江戸市中の武家屋敷の辻々
29. 人情本 586ページ
日本古典文学全集
戦国時代の武将は戦陣に女性を伴えぬために、容色ある少年を小姓として侍らせた。たとえば織田信長と森蘭丸の関係のごときがそれである。また、男色で結ばれた友情は、しば
30. ひこおとむら【彦音村】埼玉県:三郷市地図
日本歴史地名大系
先祖森采女は彦糸村に居住し、采女新田を開発したのち子に家を譲り、当村に移住してきたという。また織田信長の臣森蘭丸の子孫とも伝える。新義真言宗真蔵寺があった。鎮守
31. 武道伝来記(井原西鶴集) 24ページ
日本古典文学全集
安土城は、善美を尽した造りで竣工した後、間もなく焼失している。また眼夢と若衆との関係は、信長と森蘭丸ら小姓との関係と対比される。「江ハ能ク舟ヲ渡し、又舟ヲクツガ
32. ほんのうじのへん【本能寺の変】
国史大辞典
の者の喧嘩と思っていたところ鉄砲の音ではじめて光秀の襲撃を知り、信長みずから弓をとり槍をもち森蘭丸ら近臣と防戦のすえ火中で自刃した。五月二十一日に上洛していた信
33. 麿(〓)
字通
のようにしるす。古い時代に男子をよぶ称。また自称。のち男子の幼名に多く用いたが、森蘭丸のように丸を用いる。まろの転化した語である。 まろ。
34. もり-よしなり【森可成】
日本人名大辞典
大永(たいえい)3年生まれ。織田信長の家臣で,美濃(みの)(岐阜県)金山城主。子に森長可(ながよし),森蘭丸ら。元亀(げんき)元年信長の越前(えちぜん)攻めのと
35. りきまるむら【力丸村】滋賀県:東浅井郡/浅井町
日本歴史地名大系
[現]浅井町力丸 野田村の北に位置。田川の支流田根川が北川に発する。地名は森蘭丸の末弟力丸が当地に草庵を結んだことにちなむと伝える。寛永石高帳に村名がみえ、高八
36. 1582年〈天正10 壬午〉
日本史年表
4・3 快川紹喜(臨済宗僧侶)。 6・2 織田信長(49,武将)。 織田信忠(26,武将)。 森蘭丸(18,織田信長近習)。 穴山梅雪(42,武将)。 村井貞
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