NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 風魔小太郎

風魔小太郎

ジャパンナレッジで閲覧できる『風魔小太郎』の日本架空伝承人名事典・日本人名大辞典のサンプルページ

新版 日本架空伝承人名事典
風魔小太郎
ふうまこたろう
 戦国末期に活躍したとされる相州乱波らっぱの首領。『北条五代記』によれば、乱波とは「他家へ忍び入り、山賊、夜討、強盗して物盗ること上手なり。才智ありて、計略めぐらすこと、凡慮におよばず」といい、小太郎はこうした関東乱波のうち、小田原北条氏(後北条氏)に属した風魔一族の頭領であったという。元来は「風間」一族であったともいう。北条早雲に始まり、約一〇〇年間関東に君臨した小田原北条氏を陰で支えたのが乱波集団の風魔一族で、合戦に際してはあらかじめ敵の領国に忍び入り、城地を混乱させたり、得意の夜討で敵陣を攪乱したりしたという。
 『北条五代記』は、風魔小太郎について次のように記す。身長七尺二寸(約二・二メートル)の大男で、筋骨隆々、眼はさかさまに裂け、口も両方に大きく裂けて四つの牙が出ていた。頭は福禄寿のように高く、鼻も高く、声を出せば五〇町(約五・五キロ)先まで聞こえ、低く乾いた幽かな声も出した。まさに「見まがふ事ハなきぞ……」と評された怪物であるが、これが小太郎の風貌を記した唯一のものである。こうした記述が、逆に小太郎の実像を誰も知らなかったということを物語っている。『北条五代記』には、次のような話も載る。風魔一党の中に甲州透破すっぱ、すなわち武田氏の忍びの者たちが潜入した。それを察した小太郎は、夜の河原で車座になって談合中、突然松明たいまつを振って叫んだ。すると風魔一党はいっせいに立ち上がった。ところが甲州透破たちは意味が分からず、うろうろしているうちに正体を見破られ、捕えられて斬られた。「居すぐり」「立すぐり」という、紛れ込んだ敵を見破るための手段であった。その風魔一党も小田原北条氏が滅ぶと、闇の中に消えた。一説には、江戸に出て盗賊団になったという。なお「小太郎」の名は、代々風魔一党の頭目の通し名であったともいう。
[高橋 千劔破]


日本人名大辞典
風魔小太郎
ふうま-こたろう
?−?
戦国-江戸時代前期の乱波(らっぱ)の首領。
もと野武士で忍びの術を得意とした。相模(さがみ)(神奈川県)足柄下郡にすみ,北条氏につかえて武田勝頼の軍などとたたかった。北条氏没落後は江戸で盗賊として活動。慶長8年(1603)捕らえられて処刑されたという。風間ともかく。
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


風魔小太郎の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 2
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. ふうま-こたろう【風魔小太郎】
日本人名大辞典
?−? 戦国-江戸時代前期の乱波(らっぱ)の首領。もと野武士で忍びの術を得意とした。相模(さがみ)(神奈川県)足柄下郡にすみ,北条氏につかえて武田勝頼の軍などと
2. ふうまこたろう【風魔小太郎】
日本架空伝承人名事典
忍び入り、城地を混乱させたり、得意の夜討で敵陣を攪乱したりしたという。 『北条五代記』は、風魔小太郎について次のように記す。身長七尺二寸(約二・二メートル)の大
「風魔小太郎」の情報だけではなく、「風魔小太郎」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

風魔小太郎と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
徳川家康(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府初代将軍(在職1603~1605)。三河(愛知県東部)の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国駿河(静岡県)の大名今川氏の人質となって苦労したが、桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して駿河・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河3か国に所領を拡大した
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「風魔小太郎」は人物に関連のある記事です。
その他の人物に関連する記事
ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
エジソン(世界大百科事典)
アメリカの発明家,電気技術者。二重電信機,スズ箔蓄音機,カーボンマイクロホン,白熱電球,映画,アルカリ蓄電池,謄写印刷機などを発明,または改良したことで非常に著名である。貧しい材木商兼穀物商の家に生まれ,小学校には数ヵ月しかいかずに母親から教育を受け
ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的
山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝え
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
人物に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶