1. 佐々木巌流[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『佐々木小次郎の墓』谷口吉郎
2. 佐々木小次郎
日本大百科全書
近世初期の剣客。その伝は明らかではないが、越前えちぜん朝倉氏の本拠一乗谷いちじょうだにに近い浄教寺じょうきょうじ村の出身と伝え、幼少より剣を好み、中条ちゅうじょ
3. 佐々木小次郎
世界大百科事典
り,武蔵が父の敵として小次郎を討つ物語となっていたが,吉川英治の《宮本武蔵》や村上元三の《佐々木小次郎》以来,長剣〈物干ざお〉を背負い,〈燕返し〉の秘剣を使う,
4. ささき‐こじろう【佐々木小次郎】
日本国語大辞典
江戸前期の剣客、兵法者。巖流(岸柳=がんりゅう)と号した。越前国足羽郡浄教寺村(福井市浄教寺町)の小太刀の名人、中条流宗家富田勢源(とだせいげん)の家人といわれ
5. ささき-こじろう【佐々木小次郎】
日本人名大辞典
?−1612 織豊-江戸時代前期の剣術家。越前(えちぜん)(福井県)の人という。鐘捲(かねまき)自斎に富田流をまなび,武者修行で燕(つばめ)返しの剣法をあみだす
6. ささきこじろう【佐々木小次郎】
日本架空伝承人名事典
う説も出されている。 一九四九年(昭和二四)に『朝日新聞』夕刊で連載が始まった村上元三の『佐々木小次郎』は、戦後初めて新聞に連載された時代小説であった。そこで村
7. あかさかむら【赤坂村】福岡県:北九州市(旧豊前域)/小倉北区
日本歴史地名大系
宮本山ともいう。山頂に承応三年(一六五四)伊織が建立した宮本武蔵の碑がある。慶長一七年(一六一二)佐々木小次郎と決闘を行った巌流島(現山口県下関市)に向け建てた
8. 稲垣浩
日本大百科全書
949)俺は用心棒(1950)群盗南蛮船(1950)佐々木小次郎(1950)続佐々木小次郎(1951)海賊船(1951)完結 佐々木小次郎 巌流島決闘(1951
9. 巌流島
世界大百科事典
。東端に灯台がある。《西遊雑記》や《有方録》によると,1612年(慶長17)宮本武蔵と巌流佐々木小次郎が決闘した島といわれ,講談,小説,芝居などで広く知られてい
10. 巌流島決闘十番勝負[新語流行語]
イミダス 2018
江戸時代初期の剣豪、宮本武蔵 と佐々木小次郎の決闘400周年を記念して、山口県下関市の巌流島で2012年4~11月にかけて開催されたイベント。山口県、下関市、
11. きのした-じかい【木下二介】
日本人名大辞典
河井寛次郎に陶芸を,矢野橋村に日本画をまなぶ。昭和10年代から挿絵を手がけ,戦後村上元三「佐々木小次郎」,山岡荘八「徳川家康」,五味康祐「柳生武芸帳」などの時代
13. ささき-がんりゅう【佐々木巌流】
日本人名大辞典
⇒佐々木小次郎(ささき-こじろう)
14. さすが【流石・遉・有繋】
日本国語大辞典
さすがにわ上臈は、常磐腹に三男、毘沙門の沙の字をかたどり、おん名をも沙那王殿と付け申す」*佐々木小次郎〔1949~50〕〈村上元三〉秋霜剣「またたく間に四人を倒
15. 時代劇映画
世界大百科事典
呼び,大曾根辰夫監督,阪東妻三郎主演《影法師》二部作(1950)や稲垣浩監督,大谷友右衛門主演《佐々木小次郎》三部作(1950-51)がチャンバラの魅力を見せた
16. 大衆文学
日本大百科全書
たが、その一方で風俗小説が迎えられ、中間小説が人気の焦点となる。しかし村上元三げんぞうの『佐々木小次郎』を皮切りとして、夕刊紙の時代小説も復活し、吉川英治『新・
17. 大衆文学
世界大百科事典
泰次郎らもふくめて風俗小説の黄金時代をつくる。占領当初は抑圧されていた時代小説も村上元三《佐々木小次郎》(1950-51)あたりから隆盛に向かう。吉川英治《新平
18. 中村雀右衛門[人間国宝の歌舞伎役者の女形、死去]
イミダス 2018
離れ、戦後は女形に転向。48年七代目大谷友右衛門を襲名した。50年にデビュー作の初主演映画「佐々木小次郎」が大ヒットし、映画俳優として活躍。55年に歌舞伎界に復
19. なかむら-じゃくえもん【中村雀右衛門(4代)】
日本人名大辞典
6代大谷友右衛門の養子。昭和2年初舞台。戦後女方に転向し,23年7代大谷友右衛門を襲名。「佐々木小次郎」などの映画にも出演。一時関西で活躍したのち,39年歌舞伎
20. 彦島
世界大百科事典
関門トンネル(鉄道)の入口が江ノ浦にある。なお,島の東端弟子待(でしまつ)は,東にある巌流島での決闘のとき,佐々木小次郎の弟子が待機していたところという伝えがあ
21. 船島
日本大百科全書
には23人の住民がいたが現在は無人島。1612年(慶長17)宮本武蔵むさしと巌流がんりゅう佐々木小次郎決闘の島と伝えられ、巌流島ともよばれる。近年、市が巌流島憩
22. 宮本武蔵
世界大百科事典
の試合に一度も負けなかったといわれる。最後の試合は1612年(慶長17)武蔵29歳のとき,佐々木小次郎との巌流島の決闘であったらしい。30歳以後は,ひたすら剣理
23. 宮本武蔵
世界大百科事典
体験するところから始まり,沢庵を導師として人間的に開眼,剣禅一如の境地を求めて歩みつづけ,佐々木小次郎との船島(巌流島)での運命的な対決にいたる。お通との純愛,
24. みやもと‐むさし【宮本武蔵】
日本国語大辞典
う。若年から諸国を修行し、生涯六〇余回の勝負に一度も敗れたことがなかったといわれ、巖流島で佐々木小次郎を倒したことは名高い。二刀による剣法を工夫し、「二天一流」
25. みやもとむさし【宮本武蔵】
日本国語大辞典
昭和一〇~一四年(一九三五~三九)発表。故郷をあとにした一七歳の武蔵が、周防国(山口県)船島で佐々木小次郎と対決するまでの波瀾に満ちた半生を描く。剣禅一如を理想
26. みやもとむさし【宮本武蔵】
国史大辞典
失わなかった、と記している。史実としては明らかでないが、後世に喧伝される吉岡清十郎との仕合とか、佐々木小次郎との仕合などは、皆この期間(慶長期)の話となっている
27. みやもと-むさし【宮本武蔵】
日本人名大辞典
人で,父は一説に新免無二斎。二天一流をひらく。生涯六十余度の試合に不敗をほこり,吉岡一門,佐々木小次郎との決闘が名だかい。晩年は肥後熊本藩の客分となった。水墨画
28. みやもとむさし【宮本武蔵】
日本架空伝承人名事典
の試合に一度も負けなかったといわれる。最後の試合は一六一二年(慶長一七)武蔵二九歳のとき、佐々木小次郎との巌流島の決闘であったらしい。三〇歳以後は、ひたすら剣理
29. 宮本武蔵(剣術家)
日本大百科全書
無敗であったという。なかでも京都における吉岡よしおか一門との争いや、小倉こくら沖の舟島における巌流がんりゅう佐々木小次郎ささきこじろうとの試合は、伝説化された武
30. 宮本武蔵(小説)
日本大百科全書
後、剣の求道者を志して旅に出る。お通と朱実あけみ、又八と武蔵むさしの対比、また吉岡清十郎や佐々木小次郎との対決など興味ある事件をあしらいながら、従来の剣豪として
31. みやもとむさしたくあと【宮本武蔵宅跡】岡山県:英田郡/大原町/宮本村
日本歴史地名大系
て以来、二八、九歳までの六〇余度の試合に一度も敗れなかったという。最後の試合は慶長一七年の佐々木小次郎との決闘であったらしい。寛永一七年(一六四〇)熊本藩主細川
32. 村上元三
日本大百科全書
12回直木賞受賞。戦後派的なエピキュリアンの色彩をもって、小次郎の屈折した青春を造型した『佐々木小次郎』全3巻(1950~51)で、文壇の位置を不動にした。『加
33. むらかみ‐げんぞう【村上元三】
日本国語大辞典
青山学院中等部卒。長谷川伸に師事。昭和一六年(一九四一)「上総風土記」で直木賞受賞。新聞連載小説「佐々木小次郎」で戦後の時代小説界における地位を確立。ほかに「加
34. 村上元三[「佐々木小次郎」「水戸黄門」などで知られる時代小説の大家、死去]
イミダス 2018
ムラカミ・ゲンゾウ。作家。 4月3日、「佐々木小次郎」をはじめ、戦後の時代小説を支えた村上元三さんが、心不全のため死去。96歳。 1910年、旧朝鮮・元山(
35. むらかみ-げんぞう【村上元三】
日本人名大辞典
長谷川伸に師事。昭和16年「上総風土記(かずさふどき)」で直木賞。戦後の24-25年「朝日新聞」に「佐々木小次郎」を連載し,流行作家となる。テレビや舞台などの脚