1. 竹中半兵衛
日本大百科全書
戦国時代の武将。名は重治しげはる(重虎しげとらとも)。半兵衛は通称。美濃みの(岐阜県)不破ふわ郡岩手菩提いわてぼだい山城主。美濃三人衆の1人安東守就あんどうもり
2. 竹中半兵衛
世界大百科事典
?-1579(天正7) 戦国時代の武将。岐阜市敬念寺文書によれば半兵衛尉重虎と称した。美濃の斎藤竜興に仕えて知謀の将といわれたが,1564年(永禄7)竜興の稲葉
3. たけなか‐はんべえ【竹中半兵衛】
日本国語大辞典
戦国時代の武将。名は重治、半兵衛は通称。美濃国(岐阜県)の人。織田信長の家臣となり、秀吉の中国攻めなどに功をたてたが、三木の陣中で病死。天正七年(一五七九)没。
4. たけなか-はんべえ【竹中半兵衛】
日本人名大辞典
⇒竹中重治(たけなか-しげはる)
5. あんぱちぐん【安八郡】岐阜県
日本歴史地名大系
同三人衆の一人稲葉一鉄が築城した曾根城(現大垣市)、飯沼長就が築城したという池尻城(現同上)、竹中半兵衛の従弟竹中重利が初代城主となった長松城(現同上)、不破光
6. いなばやまじょう【稲葉山城】
国史大辞典
って没した。義竜のあとは子の竜興がついだが、永禄七年(一五六四)二月には、不破郡菩提山城主竹中半兵衛重治に、城が一時奪われるということがあり、同十年八月、織田信
7. いわでむら【岩手村】岐阜県:不破郡/垂井町
日本歴史地名大系
上ると岩手峠がある。石手・磐手とも書く。古代の定額寺菩提寺の法灯を継ぐ菩提寺があり、戦国の知将とうたわれた竹中半兵衛重治の居城菩提山城がある。嘉元四年(一三〇六
8. かい‐でん[クヮイ‥]【魁殿】
日本国語大辞典
〔名〕軍陣の先駆けやしんがり。*太閤記〔1625〕一八・竹中半兵衛尉「此人魁殿に在し時は、軍中何となう心を安んじけり」
9. ぎょう‐さつ[ゲウ‥]【暁察】
日本国語大辞典
〔名〕推察しさとること。明白に察すること。*太閤記〔1625〕一八・
竹中半兵衛尉「竹中も其心の程を能暁察し」*孔子家語‐三恕「又嘗聞
君子之言
10. くごうむら【公郷村】岐阜県:揖斐郡/大野町
日本歴史地名大系
ら知られる。地内の公卿八ノ坪に土塁・堀跡を残す平城跡は大御堂城とよばれ、知将として知られる竹中半兵衛重治の父重元が居城していたという。慶長郷帳に久郷村とみえ、高
11. 小梅日記 2 幕末・明治を紀州に生きる 214ページ
東洋文庫
土は御所御守衛役、其勢は容易成事に無之候。凡五六万之人々、外に伏勢多分有之候由。十一日之夜、竹中半兵衛御奮発御進め申候へども、将軍様御用ひ無之候に付、切腹致候事
12. しせきしゅうらん【史籍集覧】
国史大辞典
長野輝伯之事・勢州赤堀城攻之事・勢州細野家之事・本多太郎左衛門事・会津盛高之事・老士雑談・竹中半兵衛事・奥州浅川乱民記事 塵塚(全二冊) 老人雑話(江村専斎)
13. 竹中重治[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:4件 『武将言行録』山鹿高祐(編)『落城私考織田信長岐阜城攻略の時期』郷浩『竹中半兵衛重治 薄命な天才軍略家』郷浩『半兵衛と信長』郷浩『半兵衛の
14. たけなかじんやあと【竹中陣屋跡】岐阜県:不破郡/垂井町/岩手村
日本歴史地名大系
校などと竹中家の敷地になっているが、櫓門(正門)の柱・門扉が創建期のものとして貴重なもの。竹中半兵衛重治の子重門は、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の戦の功により米
15. たるい【垂井】
国史大辞典
画にあり県指定史跡。岩手の菩提山城は戦国時代の代表的な山城で、豊臣秀吉の軍師として知られた竹中半兵衛重治の居城。麓には旗本竹中氏の陣屋跡があり、城門・石垣・壕な
16. たるいちょう【垂井町】岐阜県:不破郡
日本歴史地名大系
には一五ヵ村あり、支配領主は旗本竹中氏のほか幕府領・尾張藩領の村が多くみられる。竹中氏の祖竹中半兵衛重治は戦国期の武将として高名。同氏旗本時代の陣屋を含め寺社の
17. とうせいかぶと【当世冑】画像
国史大辞典
好みに任せては華麗に孔雀の引尾などを用いた。『武蔭叢話』には、戦国時代末期の武将の冑の名物を列挙して、竹中半兵衛重治の一の谷の冑、明智左馬介秀俊の二の谷、柴田伊
18. 東洋金鴻 英国留学生への通信 126ページ
東洋文庫
七郷は佐州よりもみゆ。海上へ突出せる地勢なり。繁昌の由に聞けり。十六日 晴、八十九度日本外史をよみ、竹中半兵衛を大〔太〕閤の謀主とせられし年齢をみるに、廿四才な
19. 豊臣秀吉[文献目録]
日本人物文献目録
大東亜建設の先駆』姫島彦伍『太閤記 2巻2冊』小瀬甫庵(著), 桑田忠親(校訂)『太閤記外伝 竹中半兵衛』-『太閤書信』桑田忠親『太閤秀吉』中野正剛『信長・秀吉
20. ながまつじょうあと【長松城跡】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区/長松村
日本歴史地名大系
)竹中源助(のち伊勢守)は長松に城を築いて在城し、五千石(三千石ともいう)を領した。源助は竹中半兵衛重治の従兄とされ、豊臣秀吉にも仕えている。「豊鑑」によると、
21. ひらいやまじょうあと【平井山城跡】兵庫県:三木市/平井村
日本歴史地名大系
一八日別所氏との小競合いの後、二六日には六ヵ所に砦を築いている(「信長公記」巻一二)。六月一三日竹中半兵衛重治は平井陣中で病死した(「豊鑑」など)。九月一〇日毛
22. ふくはらじょうあと【福原城跡】兵庫県:佐用郡/佐用町/佐用村
日本歴史地名大系
五日の羽柴秀吉書状(下村文書)に福原城とみえ、城主福原助就が毛利方であったため羽柴秀吉方の竹中半兵衛・小寺官兵衛孝高らに攻められ、同年一一月二七日城下で一戦に及
23. ふわぐん【不破郡】岐阜県
日本歴史地名大系
尾張の織田氏などの周辺戦国大名の侵攻にさらされるが、信長の美濃入国後は豊臣秀吉の下に配された竹中半兵衛重治が支配することになる。中世においても中央公権力、とくに
24. ぼだいやまじょうあと【菩提山城跡】岐阜県:不破郡/垂井町/岩手村
日本歴史地名大系
る。とすれば最初の築城者は竹中氏で、岩手氏滅亡後の築城であろう。重元は永禄三年病没し、跡を竹中半兵衛重治が継いだ。半兵衛は当城に拠り、永禄七年わずか一六人の兵を
25. もりもとむら【森本村】滋賀県:伊香郡/高月町
日本歴史地名大系
惣を基盤に成長した当地の土豪岩坪氏は、豊臣秀吉に仕えた黒田官兵衛尉孝高の子を秀吉の人質として竹中半兵衛を通して預かっている(岩坪文書)。室町時代より幸若舞系と思
26. 爛柯堂棋話 1 昔の碁打ちの物語 141ページ
東洋文庫
竹中半兵衛、軍旅碁の譬え 天正十年、羽柴筑前守秀吉、信長の命を受けて中国を征伐、備中高松城を水攻めにして、これを落とし、勢い破竹の如し。時に安国寺
27. 爛柯堂棋話 2 昔の碁打ちの物語 301ページ
東洋文庫
(名人の格)を与えたものである。本巻の項目は少なく、六節より成る。 巻之五は、小早川秀秋や竹中半兵衛など、秀吉周辺の人物の逸話に始まり、平安朝に遡って、寛蓮が作