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  11. 役者評判記

役者評判記

ジャパンナレッジで閲覧できる『役者評判記』の歌舞伎事典・世界大百科事典・国史大辞典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典
役者評判記
やくしゃひょうばんき
 歌舞伎役者に対する芸評の書。広義には歌舞伎若衆の容色を品評する〈野郎評判記〉をも含めることもあるが、普通はこれと区別して、立役・敵役・若女方などすべての役柄の役者の技芸を批評する書物をいう。〈野郎評判記〉は明暦二(1656)年に始まると伝えられるが、〈役者評判記〉は貞享四(1687)年頃に始まる。すなわち《野良立役舞台大鏡やろうたちやくぶたいおおかがみ》《役者大鑑やくしゃおおかがみ》などによって、各種の役柄にわたって役者に上上吉・上・中などの位付くらいづけを付し、その技芸を賞賛しあるいは非難するという〈評判〉の姿勢が形成された。やがて元禄一二(1699)年八文字屋刊《役者口三味線》に始まる数年間の評判記によって定型が確立し、以後それが永く踏襲されることになる。その定型とは、黒表紙小型横本で京・江戸・大坂の役者評を各一巻とする三都三巻三冊の編成、冒頭に浮世草子風目録と役者目録、次に開口(序)として浮世草子風の短編小説を置き、本文では立役・敵役・若女方などの役柄別に、技芸の巧拙や人気の高下による序列に従って配列された役者の芸評を述べ、その間に各座の狂言の諸場面を一図に描きこんだ挿絵を挟むというもの。位付は上上吉・上上・上・中ノ上上・中ノ上・中とし、評判は合評形式で賞賛・非難とりまぜ、公平を期している。時代が下るにつれ、位付は上上〓〓のごとく文字の一部または全部を白抜きにして、その位にはわずかに不足があることを示すなど細分化され、また最高位に極上上吉を設け、その上に三ヶ津惣芸頭さんがのつそうげいがしら・無類の称を設けるようになった。享保(1716‐1736)以後には名古屋芝居の評判記も現れ、安永(1772‐1781)以降江戸評のみで一書をなすものが増加し、また役者が同一年度内に京・大坂の間を移動することの多い上方については、三巻中の二巻を〈京大坂之巻〉とするものなどが多くなり、三都三巻の形式にも変化を生じた。時には上方の中芝居ちゅうしばい・子供芝居の評判が載せられるようにもなった。実際の執筆者はほとんど不明であるが、元禄‐享保期には江島其磧えじまきせきの筆になるものが多い。刊行は原則として毎年正月で、主として前年一一月の顔見世狂言の評判を記し、またしばしば三月にも春の狂言の評判を出版した。版元は京都の八文字屋を第一とし、他に和泉屋・江島屋・正本屋・鶴屋・中山清七・本清・河内屋などがあった。時代とともに少しずつ形式・内容を変えながらも幕末まで毎年定期に刊行されたことは、出版史上も注目に値する。明治に入って東京を中心として《俳優やくしゃ評判記》などの名で明治二〇年代(1890年代)まで続いた。評判記は各役者の経歴・技芸・人気などを示すとともに、演技・演出の実態を探る資料となり、台本の伝存しない狂言の内容を知る有効な手がかりとなる。また近世文学・国語史・出版史の資料としても価値が高い。《歌舞伎評判記集成》全一一巻に享保末年までのものを収録。同集成第二期全一一巻に明和末年までのものを収録。
位付野郎評判記
[松崎 仁]


国史大辞典
役者評判記
やくしゃひょうばんき
歌舞伎役者の芸評を記した書で、歌舞伎研究の根本史料の一つ。近世文学・近世語・情報論の研究史料としての価値も認められる。広義には、男色の対象であった歌舞伎若衆の容姿や客扱いを評する『野郎虫』(万治三年(一六六〇)刊)などの野郎評判記を含めるが、狭義には、立役・敵役・女方を中心に、役者(演技者)の芸を論評する書をいう。狭義の役者評判記は、貞享四年(一六八七)刊の『野郎立役舞台大鏡』に始まり、元禄十二年(一六九九)の江島其磧作・八文字屋八左衛門板『役者口三味線』によって、黒表紙小型横本、一部三巻という定型が確立され、明治二十年(一八八七)代まで、ほぼ毎年刊行された。京・大坂・江戸三都の役者をそれぞれ役柄に分類、芸の巧拙に人気度を加味した位付けを付し、数人の評者が登場して合評する。顔見世評の出版を主とするが、春狂言の芸評を特集したものも出された。『歌舞伎評判記集成』(一期全十巻別巻一、二期刊行中)に収録されている。
[参考文献]
守随憲治・秋葉芳美編『歌舞伎図説』
(今尾 哲也)


改訂新版 世界大百科事典
役者評判記
やくしゃひょうばんき

歌舞伎役者に対する芸評の書。広義には歌舞伎若衆の容色を品評する〈野郎(やろう)評判記〉をも含めることもあるが,普通はこれと区別して,立役,敵役,若女方などすべての役柄の役者の技芸を批評する書物をいう。〈野郎評判記〉は1656年(明暦2)に始まると伝えられるが,〈役者評判記〉は1687年(貞享4)ころに始まる。すなわち《野良立役舞台大鏡(やろうたちやくぶたいおおかがみ)》《役者大鑑(やくしやおおかがみ)》などによって,各種の役柄にわたって役者に上上吉,上,中などの位付(くらいづけ)を付し,その技芸を賞賛し,あるいは非難するという〈評判〉の姿勢が形成された。やがて1699年(元禄12)八文字屋刊《役者口三味線》に始まる数年間の評判記によって定型が確立し,以後それが永く踏襲されることになる。その定型とは,黒表紙小型横本で京,江戸,大坂の役者評を各1巻とする3都3巻3冊の編成,冒頭に浮世草子風目録と役者目録,次に開口(序)として浮世草子風の短編小説を置き,本文では立役,敵役,若女方などの役柄別に,技芸の巧拙や人気の高下による序列に従って配列された役者の芸評を述べ,その間に各座の狂言の諸場面を1図に描きこんだ挿絵を挟むというもの。位付は上上吉,上上,上,中ノ上上,中ノ上,中とし,評判は合評形式で賞賛,非難とりまぜ,公平を期している。時代が下るにつれ,位付は〈吉〉〈上〉などの文字の一部または全部を白抜きにして,その位にはわずかに不足があることを示すなど細分化され,また最高位に極上上吉を設け,その上に三ヶ津惣芸頭(さんがのつそうげいがしら)や無類の称を設けるようになった。享保(1716-36)以後には名古屋芝居の評判記も現れ,安永(1772-81)以降江戸評のみで一書をなすものが増加し,また役者が同一年度内に京,大坂の間を移動することの多い上方については,3巻中の2巻を〈京大坂之巻〉とするものなどが多くなり,3都3巻の形式にも変化を生じた。ときには上方の中芝居(ちゆうしばい),子供芝居の評判が載せられるようにもなった。実際の執筆者はほとんど不明であるが,元禄~享保(1688-1736)期には江島其磧(きせき)の筆になるものが多い。刊行は原則として毎年正月で,主として前年11月の顔見世狂言の評判を記し,またしばしば3月にも春の狂言の評判を出版した。版元は京都の八文字屋を第一とし,ほかに和泉屋,江島屋,正本屋,鶴屋,中山清七,本清,河内屋などがあった。時代とともに少しずつ形式・内容を変えながらも幕末まで毎年定期に刊行されたことは,出版史上も注目に値する。明治に入っては東京を中心として《俳優評判記》などの名で明治20年代(1890年代)まで続いた。評判記は各役者の経歴,技芸,人気などを示すとともに,演技・演出の実態を探る資料となり,台本の伝存しない狂言の内容を知る有効な手がかりとなる。また近世文学,国語史,出版史の資料としても価値が高い。《歌舞伎評判記集成》全11巻に享保末年までのものを収録。
[松崎 仁]

[索引語]
位付 俳優評判記
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検索コンテンツ
1. 役者評判記
日本大百科全書
歌舞伎(かぶき)劇書。江戸時代初期から明治初頭まで、京・江戸・大坂(ときに名古屋を加える)の歌舞伎を対象に、毎年出版された役者の技芸批評の書物。現在残る最古の書
2. 役者評判記
世界大百科事典
の技芸を批評する書物をいう。〈野郎評判記〉は1656年(明暦2)に始まると伝えられるが,〈役者評判記〉は1687年(貞享4)ころに始まる。すなわち《野良立役舞台
3. やくしゃ‐ひょうばんき[‥ヒャウバンキ]【役者評判記】
日本国語大辞典
る。役者評判。*洒落本・辰巳之園〔1770〕「黒ひ 役者評判記より出たり。吉の事也」*随筆・半日閑話〔1823頃〕一二「十月、此節役者評判記を武鑑になぞらへて梓
4. やくしゃひょうばんき【役者評判記】
国史大辞典
含めるが、狭義には、立役・敵役・女方を中心に、役者(演技者)の芸を論評する書をいう。狭義の役者評判記は、貞享四年(一六八七)刊の『野郎立役舞台大鏡』に始まり、元
5. やくしゃひょうばんき【役者評判記】
歌舞伎事典
の技芸を批評する書物をいう。〈野郎評判記〉は明暦二(1656)年に始まると伝えられるが、〈役者評判記〉は貞享四(1687)年頃に始まる。すなわち《野良立役舞台大
6. 役者評判記(著作ID:68495)
新日本古典籍データベース
やくしゃひょうばんき 役者評判記 
7. 役者評判記(著作ID:518785)
新日本古典籍データベース
やくしゃひょうばんき 八文字其笑一世(はちもんじきしょう1せい) 八文字自笑二世(はちもんじじしょう2せい) 役者評判記 延享五刊
8. 役者評判記(著作ID:518810)
新日本古典籍データベース
やくしゃひょうばんき 江戸三座/役者評判記 七文舎鬼笑(しちもんしゃきしょう) 狂言房雅好(きょうげんぼうがこう) 役者評判記 天保七刊
9. 役者評判記(著作ID:518832)
新日本古典籍データベース
やくしゃひょうばんき さんざやくしやひようばんき 役者評判記 
10. 役者評判記(著作ID:4388417)
新日本古典籍データベース
やくしゃひょうばんき 役者評判記 
11. 役者評判記/御鬮本(著作ID:518854)
新日本古典籍データベース
やくしゃひょうばんき/みくじぼん 役者評判記 
12. 役者評判記古今題名通覧(著作ID:1767437)
新日本古典籍データベース
やくしゃひょうばんきここんだいめいつうらん 生川春明(なるかわはるあきら) 編 書目 
13. 役者評判記目録(著作ID:1767448)
新日本古典籍データベース
やくしゃひょうばんきもくろく 小寺玉晁(こでらぎょくちょう) 編 書目 
14. 商人見立役者評判記(著作ID:4388253)
新日本古典籍データベース
あきんどみたてやくしゃひょうばんき 番附 
15. 魚尽役者評判記(著作ID:4358571)
新日本古典籍データベース
うおづくしやくしゃひょうばんき 評判記 弘化四
16. 三都役者評判記草木見立(著作ID:4383119)
新日本古典籍データベース
さんがのつやくしゃひょうばんきそうもくみたて 番附 
17. 三芝居役者評判記(著作ID:292820)
新日本古典籍データベース
さんしばいやくしゃひょうばんき 役者評判記 
18. 天眼鏡戯房観通(著作ID:4388251)
新日本古典籍データベース
てんがんきょうがくやのみどおし 江戸名所擬役者評判記/天眼鏡戯房観通 番附 
19. 雨夜三盃機嫌(著作ID:85858)
新日本古典籍データベース
あまよのさんばいきげん 木笛庵瘦牛(ぼくてきあんそうぎゅう) 役者評判記 元禄六自序
20. 嵐百人鬘(著作ID:86668)
新日本古典籍データベース
あらしひゃくにんかずら 役者評判記 元禄一一刊
21. いちまつ‐ぞめ【市松染】
日本国語大辞典
暦・中「汁の実の市松染であたたまり」*俚言集覧〔1797頃〕「市松染、石畳を云 宝暦七年、役者評判記(笑上戸江戸巻若衆方部佐野川市松条) 石畳の模様は昔からあれ
22. 井原西鶴画像
日本大百科全書
発見してくるのである。この時期、西鶴は歌舞伎や浄瑠璃の演劇界へも深入りをみせる。83年(天和3)正月、役者評判記『難波(なにわ)の㒵(かお)は伊勢(いせ)の白粉
23. 井原西鶴(年譜)
日本大百科全書
10月浮世草子の処女作『好色一代男』刊行1683(天和3)  1月役者評判記『難波(なにわ)のかおは伊勢(いせ)の白粉(おしろい)』刊行。3月西山宗因(そういん
24. いろこ【色子】
歌舞伎事典
子役に次いで年齢が低く、まだ一人前の歌舞伎役者とは認められない若衆で、男色を売ることを兼ねた者の称。役者評判記には〈何座色子の分〉として座ごとにまとめて記され、
25. うきよぞうし【浮世草子】画像
国史大辞典
・翻案物に新生面を拓いたにすぎない。ところが元禄の末ごろから、それまでは浄瑠璃本・狂言本・役者評判記などの出版元であった京都の本屋八文字屋八左衛門(八文字屋自笑
26. 江島其磧画像
日本大百科全書
其磧は4代目。1699年(元禄12)に書肆(しょし)八文字八左衛門(自笑)の陰の作者として書いた役者評判記『役者口三味線(くちじゃみせん)』が好評を得、1701
27. 江島其磧
世界大百科事典
。京都の人。江戸時代初めより続く大仏餅屋の主人。1696年ころに浄瑠璃の作があるが,99年役者評判記《役者口三味線》を,1701年には浮世草子《けいせい色三味線
28. えじま‐きせき【江島其磧】
日本国語大辞典
江戸中期の浮世草子作者。京都生まれ。本名、村瀬権之丞。通称、庄左衛門。西鶴の作風をまねた役者評判記「役者口三味線」を書肆八文字屋より刊行した後、浮世草子を多数執
29. えじまきせき【江島其磧】
全文全訳古語辞典
[人名]江戸中期の浮世草子作者。京都の人。役者評判記や西鶴の作品を利用した浮世草子を京都八文字屋から刊行。のちに八文字屋の専属作者のようになる。西鶴以後の浮世草
30. えじまきせき【江島其磧】
国史大辞典
行させた。以後八文字屋の依頼で元禄十二年(一六九九)役者評判記『役者口三味線』、同十四年浮世草子『けいせい色三味線』をはじめとして役者評判記・浮世草子を執筆した
31. えじま-きせき【江島其磧】
日本人名大辞典
1666/67−1735/36 江戸時代前期-中期の浮世草子作者。寛文6/7年生まれ。京都の大仏餅屋。役者評判記「役者口三味線」,浮世草子「けいせい色三味線」を
32. 江戸小咄集 2 318ページ
東洋文庫
カマワヌの模様をつける。江戸中にはやる、古は丹前奴などの模様なりしを、鶴十郎応用せしなり。『紙屑籠』(役者評判記)によると団十郎、鶴十郎両人の工夫というわけであ
33. 江戸繁昌記 1 260ページ
東洋文庫
(天王)版の役者評判記『役者四季詠』は、けなげな団十郎を評して、「劇場の内の龍」、「江戸の花」と称揚している (三)稠人 多くの人々 (三)屈色無く 気おくれの
34. えど‐ひょう[‥ヒャウ]【江戸評】
日本国語大辞典
〔名〕毎年発行の役者評判記のうち、江戸の巻における批評。*洒落本・当世左様候〔1776〕「『ナント先生、今度の江戸評を御ろふじたか』『アイ見ましたが、あれは人人
35. えどむらさきこんげんそが【江戸紫根元曾我】
歌舞伎事典
物を取り込んだ綯交(ないま)ぜの代表的な狂言の一つ。台本はなく、その詳細は知れない。番付や役者評判記などをみると、一番目三建目に能の《隅田川》をやつした常磐津《
36. 垣下徒然草(著作ID:719302)
新日本古典籍データベース
えんかのとぜんぐさ 古今闕疑集垣下徒然草 役者評判記 寛政一一刊
37. 演技
世界大百科事典
論が成立していた。その後も,能,狂言,歌舞伎の芸論,芸談と,観客の側からのおびただしい量の役者評判記が残されている。この著しい相違は,西欧の演劇が劇詩,劇文学の
38. 演劇学
日本大百科全書
日本では逆に『風姿花伝(ふうしかでん)』ほかの世阿弥(ぜあみ)の能楽論や近松門左衛門の「虚実皮膜論」、「役者評判記」のような演技、演出すなわち芸論が主であって、
39. おやま【お山・女形】
日本国語大辞典
あるように、遊女の意味では上方でのみ用いられる。(3)歌舞伎では、貞享元年(一六八四)刊の役者評判記「野良三座詫」に、二代目伊藤小太夫が他の女形と区別して「おや
40. 顔見世画像
日本大百科全書
それぞれの役者の持ち味や芸を十分に発揮させることを目的にして制作されたものである。毎年正月に出版された役者評判記は、顔見世狂言でのそれぞれの持ち役を中心に評判し
41. 顔見世戯場の噂(著作ID:781248)
新日本古典籍データベース
かおみせしばいのうわさ 八文舎可笑(はちもんしゃかしょう) 文々亭有九(ぶんぶんていうきゅう) 役者評判記 安政元刊
42. 客者評判記
世界大百科事典
板がある。3巻3冊。角書は,〈花江戸三芝居〉。内容は,当時の芝居通である三馬が,八文字屋の役者評判記の体裁・構成にならって,劇場の観客の評判を記したもの。烏亭焉
43. かくしゃひょうばんき[カクシャヒャウバンキ]【客者評判記】
日本国語大辞典
本。三巻三冊。式亭三馬作・歌川国貞画。角書「花江戸三芝居」。文化八年(一八一一)刊。役者評判記の体裁・内容に擬して、贔屓(ひいき)の掛け合い、江戸と上方の芝居好
44. かくしゃひょうばんき【客者評判記】
歌舞伎事典
がある。三巻三冊。角書は、「花江戸/三芝居」。内容は、当時の芝居通である三馬が、八文字屋の役者評判記の体裁・構成にならって、劇場の観客の評判を記したもの。烏亭焉
45. 歌舞伎画像
世界大百科事典
野郎評判記が出版されるが,当初の容色本位の野郎賛仰からしだいにその技芸をも評判するようになり,役者評判記の性格を濃くしていく。野郎歌舞伎の時代は,初期歌舞伎にお
46. かぶき【歌舞伎】
国史大辞典
歌舞伎の宣伝には役割番付・顔見世番付・絵本番付・辻番付などが売り出された。また、劇評にあたるものは役者評判記で、明暦二年(一六五六)刊行の『役者の噂』をはじめ万
47. かぶきえ【歌舞伎絵】
国史大辞典
役者絵・似顔絵・楽屋図・俳優歩行図などに主題も細分化していった。また劇場の看板絵・絵番付・役者評判記・絵本などにも作られ、美人画・名所絵よりも多く浮世絵の過半数
48. 歌舞伎年表
日本大百科全書
1559年(永禄2)から1907年(明治40)までの江戸と京坂の歌舞伎の上演記録を中心とし、役者評判記などの抜粋や俳優の動向など、多くの関係資料を加えてまとめた
49. かぶきねんぴょう【歌舞伎年表】
国史大辞典
明治三十年ごろから病没する昭和十六年までのおよそ四十五年間にわたり、関根只誠の『戯場年表』を土台に、役者評判記を根本資料として執筆した四十三冊の稿本『歌舞伎年表
50. かぶきひょうばんきしゅうせい【歌舞伎評判記集成】
歌舞伎事典
享保二一(1736)年正月板行の《役者福若志(やくしゃふくわかし)》に至る、現存の野郎評判記・役者評判記を網羅して、新たに歌舞伎評判記と汎称(はんしょう)し、解
「役者評判記」の情報だけではなく、「役者評判記」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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歌舞伎(世界大百科事典)
歌舞伎は,舞楽,能,狂言,人形浄瑠璃などとともに日本の代表的な古典演劇であり,人形浄瑠璃と同じく江戸時代に庶民の芸能として誕生し,育てられて,現代もなお興行素材としての価値を持っている。明治以後,江戸時代に作られた作品は古典となり,演技・演出が
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い
江戸三座(新版 歌舞伎事典)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
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雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
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日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
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