

説経浄瑠璃(じょうるり)の曲名。作者、初演は不詳。正徳(しょうとく)(1711~16)末か享保(きょうほう)(1716~36)初めごろに出た佐渡七太夫豊孝の正本には『をくりの判官』とある。京都・三条高倉の大納言(だいなごん)兼家の嫡子小栗判官は、洛北(らくほく)菩薩(みぞろ)池の大蛇の化身と契ったが、罪を得て常陸(ひたち)(茨城県)に流される。やがて美女の照手姫(てるてひめ)と結婚するが、姫の一族に毒殺されてしまう。死んだ小栗は閻魔(えんま)大王の命令で、善人のゆえに娑婆(しゃば)へ帰され、餓鬼阿弥(がきあみ)と名づけられた。藤沢の上人の配慮で餓鬼阿弥は車に引かれて熊野本宮へ行き、そこで三七日の御湯に浸され、めでたく元の体に戻る。一方、照手姫は海に沈められるところを救われ、人買いの手に渡されて各地を転々とし、重労働に苦しめられるが、知らずに餓鬼阿弥の車を運び、のち小栗と再会して都へ行くという筋。
この作は『山荘太夫(さんしょうだゆう)』と似た部分があり、人買い説話に霊験談を加えて巧みな宗教劇としている。後世への影響は大きく、浄瑠璃義太夫節(ぎだゆうぶし)では近松門左衛門の『当流小栗判官』を経て、文耕堂らの『小栗判官車街道(くるまかいどう)』(1738・竹本座初演)に書き替えられた。歌舞伎(かぶき)では『二人照手姫』(1687・市村座初演)ののち、1703年(元禄16)正月に市村座で『小栗鹿目石(かなめいし)』が、同7月には森田座で『小栗十二段』が上演された。小説では仮名草子『おぐり物語』、黒本『小栗判官』、読本(よみほん)『小栗外伝』があり、幕末期には説教源氏節にも入った。また、神奈川県藤沢市の時宗(じしゅう)本山遊行寺(ゆぎょうじ)(清浄光寺(しょうじょうこうじ))には、1429年(永享1)に照姫(照手姫)が建てたというお堂と、小栗・照手姫ゆかりの品と称するものがあり、説教や絵解きで親しまれた。
説経節の曲名。正本としては,古い説経から詞章を得ているといわれる御物(おもの)絵巻《をくり》と,奈良絵本《おくり》が注目される。奔放な振舞いが災いして都から常陸へ流された小栗が,相模の豪族横山の一人姫照手(てるて)と強引に契るに及んで怨みを買い,横山によって毒殺されるまでを前半とする。後半は横山の館を追放された照手が水仕(みずし)(奴隷)にまで落ちながら小栗への愛を忘れず,冥界からよみがえった餓鬼身(がきしん)の小栗を乗せる土車の先導役となり,物狂いの姿で熊野へと送りこむ。〈湯の峯〉の湯を浴びて復活した小栗は照手と結ばれ,後に美濃国安八郡(あんはちのこおり)に荒人神(あらひとがみ)として現れ,照手も結神(むすぶのかみ)に祭られる。荒馬鬼鹿毛(おにかげ)の曲乗りなどに小栗の英雄としての片鱗を見るが,その小栗を生と死の二つの世界にわたって見守り続けた照手に,この作の力点が置かれている。近松門左衛門の《当流小栗判官》,折口信夫の《餓鬼阿弥蘇生譚》《小栗判官論の計画》がある。
小栗判官は悪の魅力をそなえた人物として形象され,その本質は力の表現としての〈荒(あれ)〉の系譜につながる。近世の歌舞伎の世界の雷神,牛頭(ごず)天王,四天王,竜神,鍾馗(しようき)など荒神(こうじん)とか荒人神とかいったものの前身であり,〈荒事(あらごと)的〉な悪の始源に位置するものである。説経の作中で閻魔大王が〈あの小栗と申するは,娑婆にありしそのときは善と申せば遠うなり,悪と申せば近うなる,大悪人の者なれば〉というが,それは倫理的な悪ではなく,自由で気ままな行動力が生んだ悪というほどの意味である。小栗を表現するのに〈小栗不調(ふぢよう)の者なれば〉という言葉もある。〈不調〉とは常軌を逸している,ほしいままにふるまう,またみだらでだらしないという注釈がある。鞍馬の毘沙門の申し子として二条大納言兼家の嫡子と生まれた小栗は72人の妻嫌いをして定まる御台所がない。あるとき御菩薩池(みぞろがいけ)の大蛇と契り,帝の怒りにふれて常陸へ流罪となる。これは物語の発端の部分の展開であるが,不調の者の面目はすでに躍如としている。また,常陸の大守でありながら相模の横山の一人姫照手と強引に契りを結んでしまうのも,血縁的地縁的な共同体によって結束している在地豪族にとって,外者(よそもの)小栗の重大な侵犯である。しかし,不調の者としての放胆な行動力だけでなく,一転して罪穢を担った醜悪な餓鬼の姿という相反する契機が共存するところに中世的な悪の英雄としての特徴があるといえよう。
取由談合す。乍
去徤なる家人どもあり。いかゞせんといふ。一人の盗賊申は。酒に毒を入呑せころせといふ。尤と同じ宿々の遊女どもを集め。今様などうたはせをどりたはぶれかの小栗を馳走の躰にもてなし酒をすゝめける。其夜酌にたちけるてる姫といふ遊女。此間小栗にあひなれ此有さまをすこししりけるにや。みづからもこの酒を不
呑して有けるが。小栗をあはれみ此よしをささやきける間。小栗も呑やうにもてなし酒をさらにのまざりけり。家人共は是をしらず。何も酔伏てけり。小栗はかりそめに出るやうにて林の有間へ出てみければ。林の内に鹿毛なる馬をつなぎて置けり。此馬は盗人ども海道中へ出大名往来の馬を盗来けれども。第一のあら馬にて人をも馬くひふみければ。盗ども不
叶して林の内につなぎ置けり。小栗是を見てひそかに立帰り。財宝少々取持て彼馬に乗。鞭を進め落行ける。小栗は無双の馬乗にて片時の間藤沢の道場へ馳行上人を頼ければ。上人あはれみ時衆二人付て三州へ被
送。かの毒酒を呑ける家人并遊女少々酔伏けるを河水へながし沈め財宝を尋取。小栗をも尋けれどもなかりけり。盗人どもは其夜分散す。酌にたちける遊女は酔たる躰にもてなし伏けれどももとより酒をのまざりければ水にながれ行。川下よりはひ上りたすかりけり。其後永享の比小栗三州より来て彼遊女をたづね出し。種々のたからを与へ。盗どもを尋。みな誅伐しけり。其孫は代々三州に居住すといへり。
と見物す。斯て兼氏主従は。厩の体を見給ふに。八角の楠四方にゑり込み。四寸四角の
。乗た姿の。やれさてしほらしや。少時歩ませ声をかけ。弓手に控へ馬手に押へてしつとゝ打つ。双の鐙の強弱や。馬と人との息遣ひ。しやんとしめたる諸手綱。肩から腰から手の内に。一つの秘伝有明の。空行く月に鞭を揚げ。じせんりせつなの駿馬の曲。是を


。ゑりくりゑん所の馬場の堤。乗上げ乗下げ乗下す跳上れば


。松吹く風は


乗たり


と。上下思はず声を揚げ。どつとどよめく其音は。暫く鳴りも沈まらず。馬は馬頭観音の。神通威力あるゆゑに。小栗の判官兼氏の。自然仏智に感諾し。四足を折て礼拝し。三度




と。元の厩に立帰る。
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