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  11. 中村仲蔵

中村仲蔵

ジャパンナレッジで閲覧できる『中村仲蔵』の歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典
中村仲蔵
なかむらなかぞう
 歌舞伎役者。江戸系と大坂系の二派がある。江戸の初世・三世、大坂の初世・四世が名高い。
◎江戸系‐
【初世】1736‐1790 幼名万蔵。初名中村市十郎。前名中村中蔵。別名六世中山小十郎、八世志賀山万作。俳名秀鶴。屋号栄屋。浪人斎藤某の子とも、渡し守の甥ともいう。四歳のとき、五世中山小十郎・志賀山お俊夫婦の養子となり、七歳で踊りの稽古を始めるとともに、二世中村伝九郎(当時勝十郎)に入門、市十郎と称し、のち中蔵と改め、十歳で初舞台。以後、若衆方・立役へと進み、宝暦一一(1761)年冬、中の字を仲に変えた。明和三(1766)年色悪に転じ、九月市村座の《忠臣蔵・五段目》に定九郎を勤め、演技に工夫をこらして新しい人間像を創造、出世芸となった。このときの苦心談は講談・落語に脚色されている。以来、実悪の諸役に腕をふるい《千本桜》の権太、《曾我》の工藤(釣狐の工藤)、《荵売》の大日坊、《関の扉》の関兵衛など、仲蔵の型、仲蔵振りと呼ばれて後世に残る優れた表現を生んで、「地芸の上手、所作の妙手」とたたえられた。天明五(1785)年冬、中山小十郎と改名、同時に志賀山万作を名のり、翌年一〇月《寿世嗣三番叟》を復活して、志賀山の一流を世にあらわした。同冬、旧名に復して上坂。帰東後、《戻駕》に難波の次郎作を演じて好評を博したが、病を得、寛政二年に没した。《月雪花寝物語》《秀鶴日記》などの手記を残した。
【‐】1768‐1798 初名芳沢鶴松。前名二世芳沢吉十郎、中村万作。後名七世中山小十郎。四世芳沢あやめの子。初世の養子。天明五年一一月襲名。翌冬、万作名に復し、のち七世小十郎をついだ。役者をやめて振付に専心したため、代数に数えない。
【二世】1761‐1796 初名大谷永助。前名二世大谷春次、三世大谷鬼次。俳名十州。屋号政津屋。三世大谷広次門。寛政六(1794)年一一月襲名。初世の芸風を伝えた。
【三世】1809‐1886 幼名富太郎(亀吉とも)。前名初世中村鶴蔵。俳名雀枝、秀雀、舞鶴、秀鶴。屋号成雀屋、舞鶴屋、栄屋。五世中村伝九郎門。慶応一(1865)年一〇月襲名。《与話情浮名横櫛》の蝙蝠安が出世芸。著書に《手前味噌》がある。
【四世】1855‐1916 本名岩城米吉。初名中村銀之助。前名一二世中村勘五郎。俳名秀鶴。屋号舞鶴屋。一三世中村勘三郎、三世仲蔵門。大正四(1915)年四月襲名。
【五世】1835‐1992 本名中村正太郎。前名一三世中村勘五郎。屋号舞鶴屋。一七世中村勘三郎門。平成元(1989)年四月襲名。
◎大坂系‐
【初世】?‐1810 前名佐野川万吉。俳名素朝。屋号姫路屋。通称中橋、白万。二世中村十蔵の弟子中村岩蔵門。天明・寛政期(1781‐1801)の浜芝居の大立者。
【二世】初世の三男。前名中村柳蔵。俳名素朝。屋号姫路屋、井筒屋。初世の没後襲名。
【三世】二世の養子。前名尾上徳三郎。つんぼ市と仇名された宮芝居の役者。
【四世】1817‐1881 前名初世阪東寿三郎。嘉永一(1848)年一月襲名。のちの四世中村嘉七。幕末・明治の名優。
月雪花寝物語手前味噌
[今尾 哲也]


国史大辞典
中村仲蔵
なかむらなかぞう
歌舞伎俳優。江戸と大坂との二系統がある。

〔江戸系〕

(一)初代

一七三六 - 九〇
江戸時代中期の実悪・所作事の名優。幼名万蔵。初名中村市十郎。前名中村中蔵。別名六代目中山小十郎・八代目志賀山万作。俳名秀鶴。屋号栄屋。元文元年(一七三六)生まれる。宝暦十一年(一七六一)冬、中蔵を仲蔵と改める。創意に富む演出と、貴重な手記とを残した。寛政二年(一七九〇)四月二十三日没。五十五歳。なお、初代の養子中村万作が天明五年(一七八五)冬から一年間中村仲蔵を名乗ったが、代数に数えない。

(二)二代

一七六一 - 九六
初名大谷永助。前名二代目大谷春次・三代目大谷鬼次。俳名十州。屋号政津屋。宝暦十一年(一七六一)生まれる。寛政六年(一七九四)冬襲名。同八年十一月七日没。三十六歳。墓は東京都墨田区太平一丁目の法恩寺にある。

(三)三代

一八〇九 - 八六
幕末・明治期の名優。幼名富太郎(亀吉とも)。前名中村鶴蔵。俳名雀枝・秀雀・舞鶴・秀鶴。屋号成雀屋・舞鶴屋・栄屋。文化六年(一八〇九)生まれる。慶応元年(一八六五)十月襲名。明治十九年(一八八六)十二月二十四日没。七十八歳。墓は台東区の谷中墓地にある。

(四)四代

一八五五 - 一九一六
本名岩城米吉。初名中村銀之助。前名十二代目中村勘五郎。俳名秀鶴。屋号舞鶴屋。三代目の門弟。安政二年(一八五五)十月三日生まれる。大正四年(一九一五)四月襲名。同五年一月三十一日没。六十二歳。

〔大坂系〕

(一)初代

 - 一八一〇
江戸時代中期の浜芝居の大立者。前名佐野川万吉。俳名素朝。屋号姫路屋。通称中橋・白万。改名年月未詳。文化七年(一八一〇)没。

(二)二代

生没年不詳
前名中村柳蔵。俳名素朝。屋号姫路屋・井筒屋。初代の三男。襲名年月未詳。

(三)三代

生没年不詳
前名尾上徳三郎。異名つんぼ市。二代目の養子。宮芝居の役者。襲名年月未詳。

(四)四代

一八一七 - 八一
幕末・明治期の名優。本名秋田七賀助。前名初代坂東寿三郎。後名四代目中村嘉七。文化十四年(一八一七)生まれる。嘉永元年(一八四八)正月襲名。明治十四年(一八八一)二月十三日没。六十五歳。
[参考文献]
初代中村仲蔵『月雪花寝物語』(『演劇文庫』四)、三代目中村仲蔵『手前味噌』、俳優堂夢遊『俳優世々の接木』(『歌舞伎の文献』八)、伊原敏郎『近世日本演劇史』、同『明治演劇史』、今尾哲也「芸の伝承と創造―初世中村仲蔵試論―」(『文学』三八ノ一二)
(今尾 哲也)


改訂新版 世界大百科事典
中村仲蔵
なかむらなかぞう

歌舞伎役者。江戸系と大坂系の2派がある。江戸の初世,3世,大坂の初世,4世が名高い。

江戸系

(1)初世(1736-90・元文1-寛政2) 幼名万蔵。初名中村市十郎。前名中村中蔵。別名6世中山小十郎,8世志賀山万作。俳名秀鶴。屋号栄屋。浪人斎藤某の子とも,渡し守の甥ともいう。4歳のとき,5世中山小十郎・志賀山お俊夫婦の養子となり,7歳で踊りの稽古を始めるとともに,2世中村伝九郎(当時勝十郎)に入門,市十郎と称し,のち中蔵と改め,10歳で初舞台。以後,若衆方,立役へと進み,1761年(宝暦11)冬,中の字を仲に変えた。66年(明和3)色悪に転じ,9月市村座の《忠臣蔵》五段目に定九郎を勤め,演技に工夫をこらして新しい人間像を創造,出世芸となった。このときの苦心談は講談,落語に脚色されている。以来,実悪の諸役に腕をふるい《千本桜》の権太,《曾我》の工藤(釣狐の工藤),《荵売》の大日坊,《関の扉》の関兵衛など,仲蔵の型,仲蔵ぶりと呼ばれて後世に残る優れた表現を生んで,〈地芸の上手,所作の妙手〉とたたえられた。85年(天明5)冬,中山小十郎と改名,同時に志賀山万作を名のり,翌年10月《寿世嗣三番叟》を復活して,志賀山の一流を世にあらわした(志賀山流)。同冬,旧名に復して上坂。帰東後,《戻駕》に難波の次郎作を演じて好評を博したが,病を得,90年に没した。《月雪花寝物語》《秀鶴日記》などの手記を残した。なお,初世の養子中村万作(1768-98・明和5-寛政10)は,4世芳沢あやめの子で,初名芳沢鶴松,前名2世芳沢吉十郎。1785年(天明5)11月中村仲蔵を襲名したが,翌冬,万作名に復し,のち7世中山小十郎をつぎ役者をやめて振付に専心したため,代数に数えない。

(2)2世(1761-96・宝暦11-寛政8) 初名大谷永助。前名2世大谷春次,3世大谷鬼次。俳名十州。屋号政津屋。3世大谷広次門。1794年11月襲名。初世の芸風を伝えた。

(3)3世(1809-86・文化6-明治19) 幼名富太郎(亀吉とも)。前名初世中村鶴蔵。俳名雀枝,秀雀,舞鶴,秀鶴。屋号成雀屋,舞鶴屋,栄屋。5世中村伝九郎門。1865年(慶応1)10月襲名。《与話情浮名横櫛》の蝙蝠安(こうもりやす)が出世芸。著書に《手前味噌》がある。

(4)4世(1855-1916・安政2-大正5) 本名岩城米吉。初名中村銀之助,前名12世中村勘五郎。俳名秀鶴。屋号舞鶴屋。13世中村勘三郎,3世仲蔵門。1915年4月襲名。

(5)5世(1935-1992・昭和10-平成4) 本名中村正太郎。前名13世中村勘五郎。屋号舞鶴屋。1989年(平成1)4月襲名。

大坂系

(1)初世(?-1810(文化7)) 前名佐野川万吉。俳名素朝。屋号姫路屋。通称中橋,白万。2世中村十蔵の弟子中村岩蔵門。天明・寛政期(1781-1801)の浜芝居の大立者。(2)2世 初世の三男。前名中村柳蔵。俳名素朝。屋号姫路屋,井筒屋。初世の没後襲名。(3)3世 2世の養子。前名尾上徳三郎。つんぼ市と仇名された宮芝居の役者。(4)4世(1817-81・文化14-明治14) 前名初世坂東寿三郎。1848年(嘉永1)1月襲名。のちの4世中村嘉七。幕末・明治の名優。
[今尾 哲也]

[索引語]
中山小十郎 志賀山万作(8世) 仲蔵ぶり 大谷鬼次(3世) 坂東寿三郎 中村嘉七
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検索コンテンツ
1. 中村仲蔵画像
日本大百科全書
平成1)に5世仲蔵を襲名した。脇役わきやくとして活躍したが早世した。 なお、上方かみがたにも中村仲蔵を名のる俳優があり、その名跡は4世まで続いた。初世は浜芝居の
2. 中村仲蔵
世界大百科事典
10)は,4世芳沢あやめの子で,初名芳沢鶴松,前名2世芳沢吉十郎。1785年(天明5)11月中村仲蔵を襲名したが,翌冬,万作名に復し,のち7世中山小十郎をつぎ役
3. なかむら‐なかぞう【中村仲蔵】
日本国語大辞典
歌舞伎俳優。〔一〕初世。俳名秀鶴。屋号栄屋。江戸の人。立役・実悪にすぐれ、天明期(一七八一~八九)の実悪の名優。志賀山流の舞踊の名手で、「関の扉」「戻駕」などを
4. なかむらなかぞう【中村仲蔵】
国史大辞典
。明治十四年(一八八一)二月十三日没。六十五歳。 [参考文献]初代中村仲蔵『月雪花寝物語』(『演劇文庫』四)、三代目中村仲蔵『手前味噌』、俳優堂夢遊『俳優世々の
5. なかむらなかぞう【中村仲蔵】
歌舞伎事典
 歌舞伎役者。江戸系と大坂系の二派がある。江戸の初世・三世、大坂の初世・四世が名高い。◎江戸系‐【初世】1736‐1790 幼名万蔵。初名中村市十郎。前名中村中
6. なかむら-なかぞう【中村仲蔵(江戸系・初代)】
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1736−1790 江戸時代中期の歌舞伎役者。元文元年生まれ。2代中村伝九郎の門弟で,延享2年初舞台。宝暦11年中蔵を仲蔵とあらため,立役(たちやく)から実悪(
7. なかむら-なかぞう【中村仲蔵(上方系・初代)】
日本人名大辞典
−1810 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。前名は佐野川万吉。2代中村十蔵の高弟中村岩蔵に入門し中村仲蔵を名のる。天明から寛政のころ大坂の浜芝居の大立者で,実事
8. なかむら-なかぞう【中村仲蔵(江戸系・2代)】
日本人名大辞典
1759−1796 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。宝暦9年生まれ。3代大谷広次の門弟。明和7年江戸市村座で初舞台。安永7年若衆方から立役(たちやく)となる。2
9. なかむら-なかぞう【中村仲蔵(江戸系・3代)】
日本人名大辞典
1809−1886 江戸後期-明治時代の歌舞伎役者。文化6年生まれ。3代志賀山せいの子。5代中村伝九郎に入門し中村鶴蔵を名のり,文政元年江戸中村座で初舞台。慶応
10. なかむら-なかぞう【中村仲蔵(江戸系・4代)】
日本人名大辞典
。13代中村勘三郎の門弟となり中村銀之助を名のる。明治17年12代中村勘五郎を襲名。のち3代中村仲蔵に師事,大正4年4代を襲名。敵役(かたきやく)と老役(ふけや
11. なかむらなかぞう【中村仲蔵(初代)】
日本架空伝承人名事典
『東の花勝見』では王子稲荷へ新工夫の祈願をした際の帰り道で出会った浪人の姿であるといい、三代目中村仲蔵の手記『手前味噌』では柳島妙見の参詣帰りという。また『江戸
12. 中村仲蔵(諸世)[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『仲蔵の代々に就て』西田菫坡
13. 中村仲蔵(初世)[文献目録]
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14. 中村仲蔵(二世)[文献目録]
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【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『二代目仲蔵の事』伊原青々園
15. 中村仲蔵(三世)[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:0件 『手前味噌』中村仲蔵
16. 中村仲蔵(初世)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー
17. なかむら-なかぞう【中村仲蔵(上方系・4代)】
日本人名大辞典
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18. あか‐なか【赤仲】
日本国語大辞典
〔名〕(1)人に好かれない者、憎まれ者。江戸の俳優中村仲蔵が実悪の名人であったのにちなみ、赤面(あかづら)の仲蔵を略したことからいう。*洒落本・深川手習草紙〔1
19. 東の花勝見
世界大百科事典
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20. あずまのはながつみ【東の花勝見】
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21. あらまち【新町】群馬県:高崎市/高崎城下
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22. 市川団十郎画像
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24. いちかわだんじゅうろう【市川団十郎】
国史大辞典
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25. いちかわだんじゅうろう【市川団十郎】
歌舞伎事典
現代にまで伝えた。安永五(1776)年七月引退ののちは、深川木場の自宅に五世団十郎、四世幸四郎、初世中村仲蔵らを集め、〈修行講〉という演技研究会を開いた。親分肌
26. 江戸小咄集 2 112ページ
東洋文庫
指す (四)『忠臣蔵』五段目に出てくる人物。明和三年九月市村座で行なわれた『忠臣蔵』は、初代中村仲蔵の新演出によって、今までの定九郎の役柄が立役者のやる大役に転
27. 江戸繁昌記 2 58ページ
東洋文庫
「納涼一処築中洲数万行燈照費油岸上若飴連食店川端如鮮並楼舟」(『本朝文粋』)(宍)秀鶴初世中村鶴蔵(三世中村仲蔵、元文三年一寛政二年)の俳号。容姿、風格にすぐれ
28. えんせきじっしゅ【燕石十種】
国史大辞典
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29. 大津絵物
世界大百科事典
5世市村家橘,市川小団次,初世市川左団次,6世沢村訥升,6世坂東三津五郎,2世岩井紫若,3世中村仲蔵,4世中村芝翫(しかん)により初演。作詞河竹黙阿弥。清元東三
30. おおつえもの【大津絵物】
歌舞伎事典
行で五世市村家橘、市川小団次、初世左団次、六世沢村訥升、六世坂東三津五郎、二世岩井紫若、三世中村仲蔵、四世芝翫により初演。作詞河竹黙阿弥。清元東三郎、六世岸沢式
31. 鬼次拍子舞
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作詞・作曲不詳。2世西川扇蔵振付け。1793年(寛政5)9月江戸・河原崎座かわらさきざで大谷鬼次(後の2世中村仲蔵)の長田太郎、岩井喜代太郎の白拍子松の前により
32. おの-さだくろう【斧定九郎】
日本人名大辞典
お軽の父与市兵衛を殺害してうばう。のちにイノシシとまちがえられ勘平に撃たれる。明和3年(1766)初代中村仲蔵の色悪ぶりが評判となる。
33. おのさだくろう【斧定九郎】
日本架空伝承人名事典
わらじ)ばきという見苦しい山賊の姿で出るのが普通だった。ところが、一七六六年(明和三)に初代中村仲蔵がこの役を務めたとき、五分月代(さかやき)、黒羽二重の小袖、
34. 仮名手本忠臣蔵
世界大百科事典
れ,大入りを呼ぶ人気狂言の一つに数えられ,演技や演出にもさまざまな工夫がこらされてきた。初世中村仲蔵が五段目の定九郎に新演出を試みた話などエピソードも少なくない
35. かなでほんちゅうしんぐら【仮名手本忠臣蔵】
歌舞伎事典
れ、大入りを呼ぶ人気狂言の一つに数えられ、演技や演出にもさまざまな工夫がこらされてきた。初世中村仲蔵が五段目の定九郎に新演出を試みた話などエピソードも少なくない
36. 歌舞伎画像
世界大百科事典
伎の作劇,芸,演出が喜ばれ,いわゆる天明歌舞伎が開花する。作者では初世桜田治助,役者では初世中村仲蔵が天明歌舞伎を代表する。治助の作品は伝統的な江戸歌舞伎独特の
37. 歌舞伎(演劇)画像
日本大百科全書
完成した5世団十郎。写実を得意とした2世と3世の沢村宗十郎、下級役者の出ながら立役主体の舞踊の芸脈を開いた初世中村仲蔵、色立役や踊りの名手4世松本幸四郎、実悪の
38. かぶきどうえんきょう【歌舞伎堂艶鏡】
国史大辞典
描いたもので、「三代沢村宗十郎」、「三代市川八百蔵」(二種)、「中山富三郎」「市川男女蔵」「二代中村仲蔵」「二代中村野塩」である。写楽の作品と類似性が認められる
39. 歌舞伎俳優の屋号
日本大百科全書
京扇きょうせん屋(中村梅花)、京屋(中村雀右衛門じゃくえもん・芝雀しばじゃく)、栄屋さかいや(中村仲蔵)、高砂屋(中村梅玉)、滝野屋(市川門之助・新車)、立花屋
40. かぶきぶよう【歌舞伎舞踊】
国史大辞典
河東節や常磐津・富本・新内などが活躍して劇的な舞踊が創作され、立役俳優が他の役をも兼ねる五代目市川団十郎・初代中村仲蔵らが、代表的な踊り手となり、『関の扉』『戻
41. 歌舞伎模様画像
日本大百科全書
様。(3)仲蔵なかぞう染め 菱ひし形に松竹梅をあしらった染め模様。宝暦6年(1756)、初世中村仲蔵が『菅原すがわら』で大当りしたとき着ていた衣装の模様。(4)
42. かまひげ【鎌髭】
歌舞伎事典
荒岡源太=初世松本幸四郎、荒岡の分身=松本七蔵(後の四世市川団十郎)。四世団十郎九歳の初舞台で初演された。三世中村仲蔵の《手前味噌》の中にその演出の概略が記され
43. 河竹新七
日本大百科全書
座の座付作者として修業、一時頭取とうどりも勤めた。天明てんめい期(1781~89)の名優初世中村仲蔵について常磐津浄瑠璃ときわずじょうるり『垣衣恋写絵しのぶぐさ
44. 河竹新七
世界大百科事典
 本名竹三郎,俳号能進,別号能進斎。明和・安永・天明期(1764-89)に江戸で主として初世中村仲蔵のために世話物や浄瑠璃所作事を書いたが,経歴は明らかでない。
45. かわたけ-しんしち【河竹新七(初代)】
日本人名大辞典
1747−1795 江戸時代中期の歌舞伎作者。延享4年生まれ。江戸中村座の座付作者となり,安永4年初代中村仲蔵のために常磐津(ときわず)浄瑠璃「垣衣恋写絵(しの
46. かわたけしんしち【河竹新七】
歌舞伎事典
本名竹三郎。俳号能進。別号能進斎。明和・安永・天明期(1764‐1789)に江戸で主として初世中村仲蔵のために世話物や浄瑠璃所作事を書いたが、経歴は明らかでない
47. 黄表紙 145ページ
日本古典文学全集
さっきのように誘いの言葉をかけたのは。ざれごと。半沢六郎成清(重忠の臣)。本田次郎親経(同)。歌舞伎俳優初代中村仲蔵が工夫した「仮名手本忠臣蔵」の斧定九郎の扮装
48. 狂歌 562ページ
日本古典文学全集
掛け、「秋は(最)中」に当代の人気役者「中村(仲蔵)」を、「仲蔵」に「中空」を掛ける。誰もが中村仲蔵を千両役者と褒め称えるように、昼日中、中天高くまん丸な形を宿
49. 樟紀流花見幕張
世界大百科事典
常悦(由井正雪)・増田八右衛門を4世中村芝翫(しかん),弓師宗四郎(藤四郎)・九郎兵衛を3世中村仲蔵等。実録の《慶安太平記》を劇化したもので,左団次の出世狂言と
50. くすのきりゅうはなみのまくばり【樟紀流花見幕張】
歌舞伎事典
助)、宇治常悦(由井正雪)・増田八右衛門=四世中村芝翫、弓師宗四郎(藤四郎)・九郎兵衛=三世中村仲蔵など。実録の《慶安太平記》を劇化したもので、左団次の出世狂言
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歌舞伎は,舞楽,能,狂言,人形浄瑠璃などとともに日本の代表的な古典演劇であり,人形浄瑠璃と同じく江戸時代に庶民の芸能として誕生し,育てられて,現代もなお興行素材としての価値を持っている。明治以後,江戸時代に作られた作品は古典となり,演技・演出が
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い
江戸三座(新版 歌舞伎事典)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
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雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
七世市川団十郎が制定した一八の演目をいう。七世団十郎は、天保三(1832)年三月海老蔵に八世団十郎を襲名させ、自身は海老蔵と改名した時に配った刷り物で、「歌舞妓狂言組十八番」と題して一八種の名目を掲げた。その後、天保一一年《勧進帳》の初演に際し
日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
邦舞ともよび、西洋舞踊(洋舞)と大別される。広義には、舞楽(ぶがく)、能(のう)、歌舞伎(かぶき)舞踊(古典舞踊)、新舞踊、創作舞踊、民俗舞踊(郷土舞踊)などをいう。狭義には、これらのうち一般的によく知られている歌舞伎舞踊をいうことが多い。「舞踊」と
歌舞伎舞踊(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
寿狂言(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
江戸の劇場の中村座・市村座・森田座に伝承された祝言儀礼的狂言のこと。家狂言ともいう。江戸時代の歌舞伎の興行権は、幕府が座元(太夫元)個人に与えた特権であった。江戸三座の座元は世襲であったので、その権威も特に大きく、各座では、由緒正しい家を誇り格式を
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