1. 徳川斉昭画像
日本大百科全書
幕末の水戸みと藩主。治紀はるとしの三男。寛政かんせい12年3月11日、小石川の江戸藩邸に生まれる。虎三郎、のち敬三郎と称す。初名紀教としのり。字あざなは子信。号
2. 徳川斉昭
世界大百科事典
1800-60(寛政12-万延1) 江戸後期の大名。水戸藩第7代藩主治紀(はるとし)の三男として江戸の水戸藩邸に生まれる。母は外山氏瑛想院。初名は敬三郎,字は子
3. とくがわ‐なりあき【徳川斉昭】
日本国語大辞典
幕末の水戸藩主。水戸藩主徳川治紀の三男。字(あざな)は子信、号は景山。諡号は烈公。文武を奨励し、藤田東湖などを登用して藩制改革を行なう。尊攘的行動が幕府に忌まれ
4. とくがわなりあき【徳川斉昭】
国史大辞典
一八〇〇―六〇 江戸時代末期の常陸国水戸藩主。第七代治紀(武公)の三男。母は烏丸資補の女。幼名敬三郎。はじめ紀教(のりたか)のちに斉昭。兄の第八代藩主斉脩(な
5. 徳川斉昭
日本史年表
1836年〈天保7 丙申〉 5・7 徳川斉昭 、常陸国助川に砲台を築く(12月完成)(水戸藩史料)。 1838年〈天保9 戊戌④〉 8・1 徳川斉昭 、内憂外
6. とくがわ-なりあき【徳川斉昭】
日本人名大辞典
1800−1860 江戸時代後期の大名。寛政12年3月11日生まれ。徳川治紀(はるとし)の3男。文政12年常陸(ひたち)水戸藩主徳川家9代となる。藤田東湖らの人
7. 徳川斉昭[文献目録]
日本人物文献目録
学教育と常陸大宮郷校富田玄東の業績』矢数道明『徳川斉昭』井野辺茂雄『徳川斉昭 国統を護るもの』松本純郎『徳川斉昭の京都手入』井野辺茂雄『徳川斉昭の攘夷論』朝森要
8. Tokugawa Nariaki 【徳川斉昭】
Encyclopedia of Japan
1800−1860 Daimyo of the Mito domain (now part of Ibaraki Prefecture) and father
9. 德川齊昭上書論二政要一 (見出し語:德川齊昭)
古事類苑
政治部 洋巻 第3巻 229ページ
10. 德川齊昭儒葬 (見出し語:德川齊昭)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 60ページ
11. 德川齊昭建二言光格天皇葬祭之儀於幕府一 (見出し語:德川齊昭)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 933ページ
12. 德川齊昭整二理寺社一 (見出し語:德川齊昭)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 648ページ
13. 德川齊昭鎔二梵鐘一鑄レ砲 (見出し語:德川齊昭)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 1117ページ
14. 德川齊昭被レ命二蟄居一 (見出し語:德川齊昭)
古事類苑
法律部 洋巻 第2巻 589ページ
15. 德川齊昭誡二家臣一 (見出し語:德川齊昭)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 161ページ
16. 祀二德川齊昭於常盤神社一 (見出し語:德川齊昭)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 1715ページ
17. 徳川斉昭詠草(著作ID:4359065)
新日本古典籍データベース
とくがわなりあきえいそう 徳川斉昭(とくがわなりあき) 詠 和歌
18. 徳川斉昭上書(著作ID:4334467)
新日本古典籍データベース
とくがわなりあきじょうしょ 記録
19. 会沢正志斎
日本大百科全書
こくに学び、彰考館しょうこうかん写字生となる。1807年(文化4)、当時5歳であった後の藩主徳川斉昭とくがわなりあきの侍読じどくを務め、1824年(文政7)イギ
20. あいざわせいしさい【会沢正志斎】
国史大辞典
て『大日本史』の編纂に従って以来、実力を認められて昇進し、文化元年(一八〇四)には二十三歳で徳川斉昭ら諸公子の侍読を命ぜられた。文政七年(一八二四)水戸領内大津
21. あいざわ-せいしさい【会沢正志斎】
日本人名大辞典
天明2年5月25日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。藤田幽谷にまなび,「大日本史」編修に従事。徳川斉昭(なりあき)を藩主に擁立して藩政改革につとめ,天保(てんぽう
22. あいざわ‐やすし【会沢安】
日本国語大辞典
江戸後期の水戸藩の学者。号、正志斎(せいしさい)。字は伯民、通称恒蔵。水戸に生まれ、藤田幽谷に学び、徳川斉昭(なりあき)の教育に従い、文政九年(一八二六)、彰考
23. 青地林宗
世界大百科事典
もとに,25年日本最初の物理学書とされる《気海観瀾》を執筆し,27年に出版。32年(天保3)水戸藩主徳川斉昭に招かれ,医官兼西学都講となったが,翌年病没,浅草曹
24. あおやぎむら【青柳村】茨城県:水戸市
日本歴史地名大系
祭神は武甕槌命・経津主命。大掾氏・佐竹氏に崇敬された。江戸時代には徳川光圀が社宝「鮑貝の杯」(現存)を奉献し、徳川斉昭は「青柳夜雨」の碑を境内に建てた。「青柳夜
25. 青山拙斎
日本大百科全書
先だち、その教授頭取(総教)となり、350石を給せられ、藤田幽谷ふじたゆうこくらとともに藩主徳川斉昭とくがわなりあきの藩政改革に尽力した。天保てんぽう14年在職
26. あおやま‐のぶみつ【青山延光】
日本国語大辞典
晩翠(ばんすい)。家学を承けて、詩文・史学に長じ、彰考館の編修、藩校弘道館の教授頭取となり、徳川斉昭の信任が厚く、「大日本史」の校刊と藩政に携わる。著「国史記事
27. あおやまのぶみつ【青山延光】
国史大辞典
再び彰考館に入り『大日本史』の校訂作業に尽力、嘉永二年(一八四九)の紀伝上木に際しては前藩主徳川斉昭の跋文を代作した。同五年小性頭兼教授頭取に戻り、役料二百石を
28. 青山佩弦斎
日本大百科全書
んの教授となる。1843年弘道館教授頭取(総教)となり、350石を給せられる。藩主を追われた徳川斉昭とくがわなりあきの雪冤せつえんに関係して一時罷免されたが、許
29. あかさわむら【赤沢村】茨城県:東茨城郡/桂村
日本歴史地名大系
。深山空谷尤多し」と記される。御前山の南麓には赤沢鉱山があり、天保年間(一八三〇―四四)藩主徳川斉昭が大砲用として砂鉄を製錬したという(桂村郷土誌)。大山村神官
30. あきなりしんでん【秋成新田】茨城県:東茨城郡/常澄村
日本歴史地名大系
郡秋成新田惣人別并馬改書上帳(大場家文書)には家数二四・人別一六七、馬一六とある。村名は藩主徳川斉昭の名にちなんで名付けられた。天保七年斉昭の命で創立した鹿島神
31. あさひまる【旭日丸】
国史大辞典
幕末に造られた西洋型木造軍艦。水戸藩主徳川斉昭は貧弱な海防の実状を憂え、天保九年(一八三八)西洋型軍艦を模倣した長さ二十間(三六・四メートル)、幅六間の大船日
32. あさみけいさい【浅見絅斎】
国史大辞典
論、楠木正成の顕彰である。幕末の志士たちに愛誦せられた長文の「楠公桜井駅訣別の歌」(和文)は徳川斉昭説もあるが、実は絅斎の作であるともいう。その他当時の儒者のシ
33. 安島帯刀
世界大百科事典
諱(いみな)は信立,通称は弥次郎,峨興と号した。1840年(天保11)勘定奉行,ついで小姓頭取。いったん藩主徳川斉昭の雪冤(せつえん)運動に加わり役禄を奪われた
34. あじま‐たてわき【安島帯刀】
日本国語大辞典
江戸末期の水戸藩の側用人(そばようにん)。名は信立。安政の大獄で藩主徳川斉昭の謹慎中、執政として活躍したが、幕府改革の密勅を得た責任を幕府から問われ、自刃。文化
35. あじまたてわき【安島帯刀】
国史大辞典
戸田蓬軒の弟にあたる。文政十二年(一八二九)藩主継嗣の紛議に際し、兄と江戸に出て運動し、ついに徳川斉昭を擁立した。天保年間(一八三〇―四四)、小十人組より郡奉行
36. あじま-たてわき【安島帯刀】
日本人名大辞典
1812−1859 江戸時代後期の武士。文化9年生まれ。戸田忠敞(ただたか)の弟。常陸(ひたち)水戸藩士。徳川斉昭(なりあき)の水戸藩主擁立につとめ,側(そば)
37. あだちせいふう【安達清風】
国史大辞典
した。文久年間(一八六一―六四)に入って藩主池田慶徳の側近となって行動したが、慶徳は水戸藩主徳川斉昭の子であるだけに、尊攘的意見を持っていた。しかし急進尊攘派で
38. アヘン戦争
日本大百科全書
中国を文化の源流であり、また世界の強大国とみなしていた。海防問題に鋭敏だった渡辺崋山かざんや徳川斉昭なりあきのような識者も、イギリスやロシアはまず日本を支配下に
39. 阿部正弘画像
日本大百科全書
開いた。翌1854年(安政1)日米、日英、日露の和親条約を余儀なく締結する一方、水戸みと藩主徳川斉昭なりあきの幕政への登用、島津斉彬なりあきら(薩摩さつま)、松
40. 阿部正弘
世界大百科事典
問して衆議制の端緒を開き,54年(安政1)日米和親条約(神奈川条約)を締結した。正弘は幕府と徳川斉昭,松平慶永,島津斉彬ら有力諸侯との協調路線をとり,従来の幕政
41. あべまさひろ【阿部正弘】
国史大辞典
導入するはじまりとなった。米艦の渡来後、正弘は有力な諸侯との協力に努力した。まず嘉永六年七月、徳川斉昭を海防参与にあげた。その背後には、当時斉昭が諸藩声望の中心
42. あべ-まさひろ【阿部正弘】
日本人名大辞典
。奏者番,寺社奉行をへて,弘化(こうか)2年老中首座にすすむ。ペリーの開国要求などの難局に,徳川斉昭(なりあき),島津斉彬(なりあきら)らと協調して対処。日米和
43. あまこ-ちょうざぶろう【尼子長三郎】
日本人名大辞典
1818−1863 江戸時代後期の武士。文政元年生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。天保(てんぽう)15年藩主徳川斉昭(なりあき)が幕府より隠居謹慎処分をうけると,
44. アメリカ彦蔵自伝 1 209ページ
東洋文庫
摂政が任命されても、水戸家はいつも摂政と力を合わせて働いていた。 ところが、この当時、水戸の大名〔前藩主の徳川斉昭〕は野望に燃える人で、何はさておき将軍になりた
45. アメリカ彦蔵自伝 2 61ページ
東洋文庫
役職についている者は、たいてい政府案支持であったが、在野の者はほとんど反対にまわった。反対の方の一人に水戸公〔徳川斉昭〕がいた。彼はすぐ京都に急行し、、・・カド
46. あらい-げんぱちろう【新井源八郎】
日本人名大辞典
1824−1865 幕末の武士。文政7年生まれ。住谷寅之介の弟。常陸(ひたち)水戸藩士。前藩主徳川斉昭(なりあき)が江戸藩邸に謹慎中,小姓頭としてつかえた。元治
47. ありすがわのみやひ-さだこ【有栖川宮妃貞子】
日本人名大辞典
1850−1872 幕末-明治時代,有栖川宮熾仁(たるひと)親王の妃。嘉永(かえい)3年10月27日生まれ。徳川斉昭(なりあき)の11女。慶応3年将軍徳川慶喜(
48. あわさんじょうじんじゃ【阿波山上神社】茨城県:東茨城郡/桂村/大山村
日本歴史地名大系
阿波山・粟・下阿野沢・上阿野沢四ヵ村の鎮守として祀られ、除地六石余を有したが、弘化元年(一八四四)徳川斉昭は特別に一五石に加増した(茨城県神社誌)。当社には嵯峨
49. あわむら【粟村】茨城県:東茨城郡/桂村
日本歴史地名大系
慶長七年(一六〇二)佐竹氏の秋田移封の際、兄稲川義忠が常陸に残り、弟義次は秋田に移ったという家伝がある。藩主徳川斉昭は天保九年(一八三八)粟野塗の職人を養成して
50. あんせいのかいかく【安政の改革】
国史大辞典
弘によって行われた幕政改革。米国使節ペリー来航後の嘉永六年(一八五三)七月、正弘は前水戸藩主徳川斉昭を推挙して幕政参与にしたが、幕閣内には松平乗全・松平忠固の反