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  11. 安倍晴明

ジャパンナレッジで閲覧できる『安倍晴明』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典

新版 日本架空伝承人名事典
安倍晴明
あべのせいめい
921‐1005(延喜21‐寛弘2)
 平安中期の陰陽家。系図類によれば、八世紀はじめの右大臣阿倍御主人あべのみうしの系譜を引き、益材の子とされる。九六〇年(天徳四)に天文得業生として歴史に姿をあらわし、以後、天文博士・主計権助などを歴任して、大膳大夫・左京権大夫となる。極位は従四位下。賀茂忠行・賀茂保憲父子を師として天文道・陰陽道を学び、名声きわめて高く、天文密奏(天文の変化をいちはやく察してその吉凶を占いこれを天皇に奏すること)をはじめ、天皇・貴族の陰陽道諸祭や占いに従事した。その占験の能力についての神秘的な伝説は、古くから数多く伝えられている。『今昔物語集』には、識神しきがみ(式神)(陰陽師が術を用いて駆使する神)を自在に駆使して老僧との術くらべに勝った話や、草の葉を投げて蛙を殺した話が載せられており、後世、日本第一の陰陽家としてあがめられた。一〇〇五年九月二六日没。系図類は年八五とする。著書に『占事略決』一巻があり、尊経閣文庫、京都大学に鎌倉時代書写の古写本が蔵せられている。別に、晴明撰と伝える『簠簋内伝ほきないでん』五巻(『続群書類従』所収)があるが、晴明の撰であるかどうかに疑わしいところがある。
[早川 庄八]
伝承と作品化
 安倍晴明は、神秘的な超能力の持主としてその死後における各種の伝承や文芸作品に登場、活躍した。『続古事談』(一二一九)には、彼が大舎人おおどねりであったころ、慈光という人相見が「一道の達者」となるべき人物だと占った話がみえ、若くして卜占の技に長じていたことを暗示する。その技の優秀さを物語る挿話にはこと欠かないが、ことに著名なのは花山天皇の譲位を天体の異常な現象からみごとに予告したという『大鏡』の記述である。ほかでは、『古事談』(一二一二‐一五)、『宇治拾遺物語』『今昔物語集』『源平盛衰記』『発心ほっしん集』(鴨長明作という)、『峯相記みねあいき』などに彼の事跡が伝えられている。その中では、かの藤原道長が法成寺ほうじょうじ建立の工事現場におもむいたとき、愛犬の白犬が道長の歩行を阻んだので、晴明に占わせたところ、道長を呪詛する者ありと断じ、犯人の「道摩法師どうまほうし」の居所を当てたという話が興味ぶかく、道長の政敵の一たる左大臣藤原顕光の依頼で道長を呪詛した「道摩」とは、同じ話を伝える『峯相記』では「道満どうまん」であり、陰陽師として晴明と張り合っていた法体ほったいの人物であった。この二人の、卜占をめぐる熾烈なる抗争は古浄瑠璃『信田妻しのだづま』(作者不明)や義太夫『蘆屋道満大内鑑あしやどうまんおおうちかがみ』(竹田出雲作、一七三四初演)などの名作として、既往の所伝や芸能をふまえつつ江戸時代前期に結実したが、そこでは晴明は摂津国の安倍野の武士である安倍保名あべのやすなが和泉国の信田(信太)森しのだのもりの狐(白狐)の化身である女と契って生まれた子だとしている。晴明にかかわる伝説の地は、陰陽師の拡散と定着につれて各地にひろがったが、ことに賤民層を多数含んだ下級陰陽師集団が生業たる卜占の技の権威づけのために晴明伝説を最大限に活用した面がつよかった。晴明神社をひかえた京都の一条戻橋もどりばしのあたりは、その中心地域で、晴明伝説の豊かな母体である。一説では彼の墓は京都東福寺門前の遣迎けんこう院の竹やぶの中にあるという。
蘆屋道満
[横井 清]
晴明若カリケル時、師ノ忠行ガ下渡ニ夜行ニ行ケル共ニ歩ニシテ車ノ後ニ行ケル、忠行、車ノ内ニシテ吉ク寝入ニケルニ、晴明見ケルニ、艶ズ怖キ鬼共車ノ前ニ向テ来ケリ。晴明、此ヲ見テ驚テ、車ノ後ニ走リ寄テ、忠行ヲ起シテ告ケレバ、其時ニゾ忠行驚テ覚テ、鬼ノ来ルヲ見テ、術法ヲ以テ忽ニ、我ガ身ヲモ恐レ无ク共ノ者ヲモ隠シ、平カニ過ニケル。其後、忠行、晴明ヲ難去ク思テ、此道ヲ教フル事瓶ノ水ヲ写スガ如シ。然レバ、終ニ晴明、此道ニ付テ、公・私ニ被仕テ糸止事无カリケリ。
今昔物語集巻二十四「安倍晴明随忠行習道語」
 浄蔵は三善清行が子なり。清行死す。蔵、之を一条橋に祈りて清行蘇生す。故に世人号して反橋もどりばしと曰ふ。
 安倍晴明天文を究め、十二神将を役使す。妻職神の形に畏る。因りて咒して以て十二神を一条橋下に置く。事ある時は喚びて之を使ふ。是より世人吉凶を橋辺に占ふ時は、則ち神必ず人に託して以て告ぐと云ふ。
本朝神社考反橋
泣キながら阿部のどうじは毛を拾イ
編者/評者:初世川柳(評)
出典:『川柳評万句合勝句刷』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):礼‐1
刊行/開き:1761(宝暦11年)(開き)
晴明が尻リを安名はさぐつて見
編者/評者:初世川柳(評)
出典:『川柳評万句合勝句刷』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):梅‐1
刊行/開き:1763(宝暦13年)(開き)
第一句、母親(白狐)が信田の森へ帰ったあと。第二句、息子にも尾があるかと。


改訂新版 世界大百科事典
安倍晴明
あべのせいめい
921-1005(延喜21-寛弘2)

平安中期の陰陽家。系図類によれば,8世紀はじめの右大臣阿倍御主人(あべのみうし)の系譜を引き,益材の子とされる。960年(天徳4)に天文得業生として歴史に姿をあらわし,以後,天文博士・主計権助などを歴任して,大膳大夫・左京権大夫となる。極位は従四位下。賀茂忠行・賀茂保憲父子を師として天文道・陰陽道を学び,名声きわめて高く,天文密奏(天文の変化をいちはやく察してその吉凶を占いこれを天皇に奏すること)をはじめ,天皇・貴族の陰陽道諸祭や占いに従事した。その占験の能力についての神秘的な伝説は,古くから数多く伝えられている。《今昔物語集》には,識神(式神)(しきがみ)(陰陽師が術を用いて駆使する神)を自在に駆使して老僧との術くらべに勝った話や,草の葉を投げて蛙を殺した話が載せられており,後世,日本第一の陰陽家としてあがめられた。1005年9月26日没。系図類は年85とする。著書に《占事略決》1巻があり,尊経閣文庫,京都大学に鎌倉時代書写の古写本が蔵せられている。別に,晴明撰と伝える《簠簋内伝(ほきないでん)》5巻(《続群書類従》所収)があるが,晴明の撰であるかどうかに疑わしいところがある。
[早川 庄八]

伝承と作品化

安倍晴明は,神秘的な超能力の持主としてその死後における各種の伝承や文芸作品に登場,活躍した。《続古事談》(1219)には,彼が大舎人(おおどねり)であったころ,慈光という人相見が〈一道の達者〉となるべき人物だと占った話がみえ,若くして卜占の技に長じていたことを暗示する。その技の優秀さを物語る挿話にはこと欠かないが,ことに著名なのは花山天皇の譲位を天体の異常な現象からみごとに予告したという《大鏡》の記述である。ほかでは,《古事談》(1212-15),《宇治拾遺物語》《今昔物語集》《源平盛衰記》《発心(ほつしん)集》(鴨長明作という),《峯相記(みねあいき)》などに彼の事跡が伝えられている。その中では,かの藤原道長が法成寺(ほうじようじ)建立の工事現場におもむいたとき,愛犬の白犬が道長の歩行を阻んだので,晴明に占わせたところ,道長を呪詛する者ありと断じ,犯人の〈道摩法師(どうまほうし)〉の居所を当てたという話が興味ぶかく,道長の政敵の一たる左大臣藤原顕光の依頼で道長を呪詛した〈道摩〉とは,同じ話を伝える《峯相記》では〈道満(どうまん)〉であり,陰陽師として晴明と張り合っていた法体(ほつたい)の人物であった。この2人の,卜占をめぐる熾烈なる抗争は古浄瑠璃《信田妻(しのだづま)》(作者不明)や義太夫《蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)》(竹田出雲作,1734初演)などの名作として,既往の所伝や芸能をふまえつつ江戸時代前期に結実したが,そこでは晴明は摂津国の安倍野の武士である安倍保名(あべのやすな)が和泉国の信田(信太)森(しのだのもり)の狐(白狐)の化身である女と契って生まれた子だとしている。晴明にかかわる伝説の地は,陰陽師の拡散と定着につれて各地にひろがったが,ことに賤民層を多数含んだ下級陰陽師集団が生業たる卜占の技の権威づけのために晴明伝説を最大限に活用した面がつよかった。晴明神社をひかえた京都の一条戻橋(もどりばし)のあたりは,その中心地域で,晴明伝説の豊かな母体である。一説では彼の墓は京都東福寺門前の遣迎(けんこう)院の竹やぶの中にあるという。
→蘆屋道満
[横井 清]

[索引語]
陰陽師 占事略決 簠簋内伝(ほきないでん) 道摩法師 道摩 道満 安倍保名 晴明伝説


国史大辞典
安倍晴明
あべのせいめい
九二一 - 一〇〇五
平安時代中期の有名な陰陽家。土御門家の祖。『尊卑分脈』『安倍系図』などによれば大膳大夫益材の子。讃岐国の人という後世の伝説もある。記録では天徳四年(九六〇)に天文得業生として節刀の形状を勘申したのを初見とし、以後、天文博士・主計権助などを歴任し、長保三年(一〇〇一)従四位下、同四年大膳大夫、寛弘元年(一〇〇四)左京権大夫とみえ、同二年三月を最後に活躍のあとがない。一説に同年九月二十六日没とし、安倍晴明社の例祭日となっている。年齢は系図類に八十五歳とする。晴明は賀茂忠行を師として天文道を伝え、天文密奏を奉仕し、天皇をはじめ諸家の陰陽道諸祭や占に従事し、名声がきわめて高かった。その技倆に関しては古くから神秘的な説話が数多く伝えられているが、すでに『大鏡』にも、天変を察して花山天皇の退位を知ったという話がみえている。また、『今昔物語集』に、よく識神(式神、しきがみ)を使い、老僧と術比べをして勝った話や、草の葉を投げて蛙を殺した話を載せるほか、『古事談』『古今著聞集』『宇治拾遺物語』『平家物語』『元亨釈書』以下にも藤原道長に対する呪詛をあらわしたこと、瓜の毒気を占いあてたことなど多くの説話があって、後世、わが国第一の陰陽家としてあがめられた。著書には『占事略決』一巻があり、尊経閣や京大に古写本を蔵する。他に『続群書類従』雑部に収める『〓〓内伝(ほきないでん)』五巻も晴明の著と伝えるが、これは疑わしい。子に吉平がある。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ五 寛弘二年三月八日条
(土田 直鎮)
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1. 安倍〓(あべせいめい)
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 22ページ
2. 安倍晴明
日本大百科全書
平安中期の陰陽おんみょう家で土御門家つちみかどけの祖。益材ますきの子。文武もんむ朝の右大臣阿倍御主人あべのみうし(635―703)の後裔こうえいといわれるが、讃
3. 安倍晴明
世界大百科事典
従》所収)があるが,晴明の撰であるかどうかに疑わしいところがある。早川 庄八 伝承と作品化 安倍晴明は,神秘的な超能力の持主としてその死後における各種の伝承や文
4. あべ‐の‐せいめい【安倍晴明】
日本国語大辞典
くけつ)」などの著者といわれる。伝説的な易占の名人。延喜二一~寛弘二年(九二一~一〇〇五)→安倍晴明
5. あべのせいめい【安倍晴明】
国史大辞典
寛弘元年(一〇〇四)左京権大夫とみえ、同二年三月を最後に活躍のあとがない。一説に同年九月二十六日没とし、安倍晴明社の例祭日となっている。年齢は系図類に八十五歳と
6. あべの-せいめい【安倍晴明】
日本人名大辞典
921−1005 平安時代中期の陰陽師(おんようじ)。延喜(えんぎ)21年生まれ。讃岐(さぬき)(香川県)の人という。天文道を賀茂忠行(かもの-ただゆき)・保憲
7. あべのせいめい【安倍晴明】
日本架空伝承人名事典
リ。今昔物語集巻二十四「安倍晴明随忠行習道語」 浄蔵は三善清行が子なり。清行死す。蔵、之を一条橋に祈りて清行蘇生す。故に世人号して反橋(もどりばし)と曰ふ。 安
8. 安倍〓明 (見出し語:安倍〓明)
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 60ページ
9. 安倍〓明 (見出し語:安倍〓明)
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 245ページ
10. 安倍〓明 (見出し語:安倍〓明)
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 541ページ
11. あべせいめいづかあと【安倍晴明塚跡】京都市:東山区/建仁寺門前/物吉村
日本歴史地名大系
[現]東山区宮川筋五町目 俗に晴明塚という。「山州名跡志」(正徳元年刊)に「晴明塚 伝ヘ云フ。是レ則チ安倍晴明ナリ。初メ宮河町ノ西、在リ〓鴨河ノ東ノ岸ニ
12. あべのせいめい‐はん【安倍晴明判】画像
日本国語大辞典
〔名〕陰陽道の呪符の称を採った紋様。平安時代の陰陽博士安倍晴明の名からつけられた。魔除として用いられる。ペンタグラマ。晴明鱗。晴明桔梗。晴明九字。
13. 安倍晴明天文日取巻(著作ID:1933524)
新日本古典籍データベース
あべのせいめいてんもんひとりのまき 暦 
14. 安倍晴明物語(著作ID:85187)
新日本古典籍データベース
あべのせいめいものがたり 晴明物語 安倍晴明記 浅井了意(あさいりょうい) 仮名草子 寛文頃刊
15. 安倍晴明倭言葉(著作ID:85198)
新日本古典籍データベース
あべのせいめいやまとことば 二歩堂(にぶどう) 近松半二(ちかまつはんじ) 北窓後一(きたまどごいち) 竹本三郎兵衛二世(たけもとさぶろべえ2せい) 三好松洛(
16. 紋章7[図版]画像
国史大辞典
三鱗(北条) 九目結(本庄) 一蛇目(加藤) 唐花輪違 九字(遠山) 震卦 源氏香図(佐竹) 安倍晴明判 折敷に鎌形三文字(一柳) 十文字(島津) 左万字 無文
17. 陰陽〓轄簠簋撰用(著作ID:2142758)
新日本古典籍データベース
いんようかんかつほきせんよう 安倍晴明朝臣三国相伝/陰陽.轄簠簋撰用 占卜 
18. あかさきうら【赤崎浦】鳥取県:東伯郡/赤碕町/赤崎村
日本歴史地名大系
現在の石碑は文政三年に再建されたもので、願主の佐桐金左衛門は赤崎宿番所の役人であった(藩史)。墓地の東端には安倍晴明の墓と言伝えられる高さ三・二五メートルの赤碕
19. 蘆屋道満
世界大百科事典
平安中期の法師陰陽師。道摩ともいう。安倍晴明と術くらべする人物として登場することが多い。《古事談》《宇治拾遺物語》《十訓抄》に,道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長
20. あしや‐どうまん【蘆屋道満】
日本国語大辞典
平安時代、一条天皇の頃の陰陽家。安倍晴明と陰陽の術を争ったが、藤原道長を呪詛(じゅそ)し晴明に破れたため播磨国(兵庫県)に放逐されたと伝えられる。のちに浄瑠璃「
21. あしや-どうまん【蘆屋道満】
日本人名大辞典
平安時代中期の伝説上の陰陽師(おんようじ)。藤原道長に呪いをかけて安倍晴明(せいめい)にみやぶられ追放されたといい,また晴明と術くらべをして敗れ弟子となり,のち
22. あしやどうまん【蘆屋道満】
日本架空伝承人名事典
平安中期の法師陰陽師。道摩ともいう。安倍晴明と術くらべする人物として登場することが多い。『古事談』『宇治拾遺物語』『十訓抄』に、道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長
23. 芦屋道満大内鑑
日本大百科全書
和泉いずみ国(大阪府)信太森しのだのもりの白狐びゃっこが安倍保名あべのやすなと契って陰陽師おんみょうじ安倍晴明あべのせいめいを生んだという「信太妻しのだづま」の
24. 蘆屋道満大内鑑
世界大百科事典
対立を主筋とし,保名に助けられた白狐が許婚葛の葉姫の姿を借りて契りを交わし一子を儲けるという安倍晴明の出生譚を絡めたもの。竹本大和掾の風を伝える四段目口の〈葛の
25. あしやどうまんおおうちかがみ【蘆屋道満大内鑑】
国史大辞典
義太夫節の曲名。時代物。五段。竹田出雲作。信太(しのだ)の森の白狐が安倍保名と契って、陰陽師安倍晴明が生まれたという伝説を集成、脚色したもの。通称「葛の葉」とい
26. あしやどうまんおおうちかがみ【蘆屋道満大内鑑】
歌舞伎事典
対立を主筋とし、保名に助けられた白狐が許嫁葛の葉姫の姿を借りて契りを交わし一子を儲けるという安倍晴明の出生譚を絡めたもの。竹本大和掾の風を伝える四段目口の〈葛の
27. あてらのななたき【阿寺の七滝】愛知県:南設楽郡/鳳来町/下吉田村
日本歴史地名大系
として信仰され、滝を使って材木を流せば、竜神の怒りに触れるともいわれている。平安中期の陰陽家安倍晴明が若い頃、七滝で修行したという伝説もある。晴明の宿になったと
28. あべうじ【安倍氏】画像
国史大辞典
板橋源「陸奥安倍氏考」(『岩手史学研究』二〇) (板橋 源) (二) 平安時代中期以降の陰陽家。天文博士安倍晴明の子孫で、多く天文博士・陰陽博士・漏刻博士や陰陽
29. あべうじ【安倍氏】 : 安倍氏/(二)
国史大辞典
(二) 平安時代中期以降の陰陽家。天文博士安倍晴明の子孫で、多く天文博士・陰陽博士・漏刻博士や陰陽頭・助・允などに任じたが、この中の天文博士と天文密奏の宣旨を
30. 阿倍氏
世界大百科事典
っており,このころは阿倍氏にとってよき時代であったと言えよう。なお平安時代中期の有名な陰陽家安倍晴明は御主人の系統に連なると言われる。阿倍氏にはまた大嘗祭に吉志
31. あべおうじじんじゃ【阿倍王子神社】大阪府:大阪市/阿倍野区/阿部野村地図
日本歴史地名大系
跡に指定され、境内の樟四本は同じく指定保存樹林。西隣の印山寺はかつての神宮寺。北方安倍晴明神社社地は安倍晴明誕生地と伝える。同社は社記によれば寛弘年間(一〇〇四
32. 阿倍野
日本大百科全書
沿道には伝説地や史跡が多い。なかでも松虫まつむし塚、小町こまち塚、播磨はりま塚や阿倍王子神社、安倍晴明神社あべのせいめいじんじゃ、北畠親房きたばたけちかふさ・顕
33. あべの【阿倍野】大阪府:大阪市/阿倍野区地図
日本歴史地名大系
があるが確証はない。阿倍氏は付近に阿倍寺を創建したといわれ、阿倍寺千軒の称が伝えられ、陰陽家安倍晴明の誕生地という所伝もある。また「万葉集」巻三、山部赤人の歌に
34. あべのく【阿倍野区】大阪府:大阪市地図
日本歴史地名大系
二王子である阿倍野王子(現阿倍王子神社)が設けられた。また奈良・平安期には阿倍寺が創建され、安倍晴明誕生地の所伝なども残る。なお当地は「和名抄」の東生郡余戸郷・
35. 安倍泰親
世界大百科事典
74歳とする。《安倍泰親朝臣記》(一名《天文変異記》。《改定史籍集覧》所収)がある。小田 雄三 祖先の安倍晴明に匹敵する卜占の天才とうたわれた泰親の伝承としては
36. あべの-やすちか【安倍泰親】
日本人名大辞典
1110−1183 平安時代後期の陰陽師(おんようじ)。天永元年生まれ。安倍晴明(せいめい)の子孫。藤原頼長や九条兼実に重用され,雅楽頭(うたのかみ),陰陽権博
37. あべのやすちか【安倍泰親】
日本架空伝承人名事典
『安倍泰親朝臣記』(一名『天文変異記』。『改定史籍集覧』所収)がある。[小田 雄三] 祖先の安倍晴明に匹敵する卜占の天才とうたわれた泰親の伝承としては、一一七九
38. あべのやすちかていあと【安倍泰親邸跡】京都市:下京区/有隣学区/西橋詰町地図
日本歴史地名大系
町辺りとなる。「坊目誌」は南側とする。泰親(生没年不詳)は、平安時代後期の陰陽家で、天文博士安倍晴明(九二一―一〇〇五)の五代の子孫。卜占の才能に秀で、左大臣藤
39. あべ‐の‐やすな【安倍保名】
日本国語大辞典
浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」中の人物。平安時代の天文学者安倍晴明の父として登場。狐との間にもうけた一子が、のちの晴明となる。
40. あべの-やすな【安倍保名】
日本人名大辞典
屋道満の弟石川悪右衛門におわれた狐(きつね)をたすける。狐の化身の女とむすばれ,生まれた子が安倍晴明とされる。この話は義太夫「芦屋道満大内鑑(かがみ)」や歌舞伎
41. あべのやすな【安倍保名】
日本架空伝承人名事典
陰陽師安倍晴明の父。史実とは別に、命を助けた信田森の狐と夫婦となり、その間にもうけた子が晴明であるとの説話が生じた。俊敏な人物、凡人に勝る技量を備えた者は、出生
42. あべのよしひら【安倍吉平】
国史大辞典
九五四―一〇二六 平安時代中期の陰陽家。安倍晴明の子。名は『栄花物語』に「よしひら」と記す。正暦二年(九九一)に陰陽博士とみえ、穀倉院別当・主計助を経て寛弘八
43. あべの-よしひら【安倍吉平】
日本人名大辞典
954−1027* 平安時代中期の陰陽師(おんようじ)。天暦(てんりゃく)8年生まれ。安倍晴明(せいめい)の子。陰陽得業生(とくぎょうしょう)から陰陽博士となり
44. あべの-よしまさ【安倍吉昌】
日本人名大辞典
?−1019 平安時代中期の陰陽師(おんようじ)。安倍晴明(せいめい)の子。安倍吉平の弟。天禄(てんろく)元年(970)天文得業生(とくぎょうしょう)となり,天
45. あんぎょうさん【安行山】京都府:亀岡市/安町村
日本歴史地名大系
鷺山・算木山ともいうとあるが、安倍家世系に安行の名はみえないと記している。山上には晴明神社があり、安倍晴明が祀ったという稲荷社があり、西山の稲荷とよばれる。
46. いいぬまむら【飯沼村】千葉県:銚子市地図
日本歴史地名大系
寛和二年(九八六)の創祀と伝え(海上郡誌)、古くは白紙明神などとも称した。四日市場の長者の娘延命姫の婿となった安倍晴明が姫の顔にあざがあり容貌が醜かったため履物
47. いはらむら【井原村】兵庫県:氷上郡/山南町
日本歴史地名大系
かつて朝寝の森にあった明徳神社は日吉神社に合祀された。日吉神社の南方には弁天社を祀る弁天池と、安倍晴明が封じたという塩坪とよばれる小池があり、不浄除けとして村民
48. いま‐せいめい【今晴明】
日本国語大辞典
〔名〕当代の安倍晴明ともいうべき占いの名人。→安倍晴明。*談義本・教訓雑長持〔1752〕五・鉢坊主身の上を懺悔せし事「貴様などが、此中間へ這入ふとは、今清明(セ
49. いるいこんいんたん【異類婚姻譚】
国史大辞典
たが、狐女房も、『日本霊異記』では狐直(きつねのあたい)の始祖伝説となり、中世には、陰陽師の安倍晴明が、狐女房の子であるという伝説があった。蛇女房も中世以来、坂
50. うえきだにむら【植木谷村】兵庫県:佐用郡/佐用町
日本歴史地名大系
同所に寛政九年(一七九七)再建の宝篋印塔がある。陰陽師蘆屋道満(道摩とも)は藤原道長を呪詛し、これを安倍晴明に見破られて播磨国に流されたと伝え(「峯相記」など)
「安倍晴明」の情報だけではなく、「安倍晴明」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
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武田耕雲斎(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一八〇四 - 六五 幕末尊攘派の水戸藩士。文化元年(一八〇四)同藩士跡部正続の嫡男として生まれる。正続の兄正房の養子となり本家を継いだが、のち跡部の旧姓武田に復す。名は正生。通称は彦太郎、彦九郎、のち修理。字は伯道。号は如雲、致仕後に耕雲斎。文化十四年
高島秋帆(世界大百科事典・国史大辞典)
幕末の長崎会所調役頭取で砲術家。名は茂敦,通称は四郎太夫,秋帆は号。長崎防備のため,はじめ荻野流砲術を学び,のち出島のオランダ人から西洋砲術を学んで,これを高島流砲術と名づけた。西洋近代砲術を最初に紹介したものといえる。アヘン戦争が起こった1840年
菅義偉(日本大百科全書)
政治家。秋田県の生まれ。秋田県立湯沢高等学校を卒業後、上京し就職するがほどなくして帰郷。二浪して法政大学法学部政治学科に進学する。空手道部に4年間在籍し空手道二段。1973年(昭和48)3月同大学卒業。1975年政治家を志し大学OBで自由民主党
石川丈山(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸初期の漢詩人。名は凹 (おう)。丈山は字 (あざな)。六六山人、四明山人、凹凸窠 (おうとつか)などと号した。代々徳川氏に仕える三河武士の家に生まれたが、大坂夏の陣のとき軍律を犯してとがめを受けたため武士を捨て、藤原惺窩 (せいか)に入門
清水次郎長(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・国史大辞典)
江戸後期・維新期の侠客。駿河国有渡郡清水湊の海運業三右衛門の三男として生まれ、のち母の弟である米屋山本次郎八の養子となる。山本長五郎が本名で次郎長は通称。幼年期より粗暴の性質であった。一八三五年(天保六)に養父が死去し、家業を相続した。四一年に博徒
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