1. しみず‐の‐じろちょう[しみづのジロチャウ]【清水次郎長】
日本国語大辞典
幕末から明治初期の侠客。駿河(静岡県)の人。本名山本長五郎。米商から博徒となり、東海地方を縄張りとした。明治元年(一八六八)東海道総督判事伏谷又左衛門によって名
2. 清水次郎長画像
日本大百科全書
江戸後期の博徒。本名は山本長五郎。駿河国するがのくに有渡うど郡清水港美濃輪しみずみなとみのわ(現、静岡市清水区美濃輪町)の船持船頭高木三寿郎の子として生まれる。
3. 清水次郎長
世界大百科事典
にとって英雄の存在にまで高められた。《清水次郎長伝》の原典とされている伯山の講談は,主として天田愚庵の《東海遊俠伝》によっている。天田愚庵は,清水次郎長一家に寄
4. しみずのじろちょう【清水次郎長】
国史大辞典
[参考文献]村松梢風『正伝清水の次郎長』、戸羽山瀚『清水次郎長正伝』、天田愚庵『東海遊侠伝』(『愚庵全集』)、田村栄太郎『一揆・雲助・博徒』、小笠原長生『大豪清
5. しみずの-じろちょう【清水次郎長】画像
日本人名大辞典
1820−1893 幕末-明治時代の侠客(きょうかく)。文政3年1月1日生まれ。駿河(するが)(静岡県)清水の船頭雲不見(くもみず)三右衛門の3男。母方の叔父の
6. しみずのじろちょう【清水次郎長】
日本架空伝承人名事典
にとって英雄的存在にまで高められた。『清水次郎長伝』の原典とされている伯山の講談は、主として天田愚庵の『東海遊侠伝』によっている。天田愚庵は、清水次郎長一家に寄
7. 清水次郎長[文献目録]
日本人物文献目録
一名次郎長物語』天田鉄眼『俠骨次郎長』清風楼主人『大豪清水次郎長』小笠原長生『実説次郎長物語』河原井喜久雄『次郎長巷談』村本喜代作『清水次郎長』戸羽山瀚(編)『
8. 清水次郎長[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー
9. あいづのこてつ【会津小鉄】
国史大辞典
ふるった。明治十八年(一八八五)三月十九日、洛外白川村にて没す。四十一歳。江戸の新門辰五郎、東海の清水次郎長、関西の小鉄を世に三侠客と並び称している。 [参考文
10. あいづの-こてつ【会津小鉄】
日本人名大辞典
県)藩主松平容保(かたもり)の下で,会津方軍夫を指揮。維新後は京都,大阪に大勢力をきずき,清水次郎長(しみずの-じろちょう)らとならび称された。明治18年3月1
11. あまだぐあん【天田愚庵】
国史大辞典
得た。最初政治活動にふけり、次に写真師となり、また明治十五年(一八八二)から約三年山本長五郎(清水次郎長)の養子ともなった。同二十年大阪内外新報社幹事から転じて
12. あまだ-ぐあん【天田愚庵】
日本人名大辞典
戊辰(ぼしん)戦争で行方不明となった両親と妹をさがしもとめて各地を放浪。山岡鉄舟の紹介で一時,清水次郎長の養子になり,「東海遊侠伝」をまとめる。明治20年由利滴
13. 天田愚庵(あまだぐあん)
日本大百科全書
母と妹の所在を求めて諸国を流浪し、その間写真屋をしたり、山岡鉄舟の門に入ったりした。一時、清水次郎長しみずのじろちょうの養子になって山本五郎といったが、復姓して
14. あんどう-ぶんきち【安東文吉】
日本人名大辞典
1808−1871 江戸時代後期の侠客(きょうかく)。文化5年生まれ。駿河(するが)安東村(静岡市)の人。清水次郎長を支援し,「博徒は素人(しろうと)衆に道をゆ
15. 大木実[善人から悪役まで幅広く演じた元二枚目俳優、死去]
イミダス 2018
オオキ・ミノル。本名、池田実。俳優。 2009年3月30日、映画「黒蜥蜴」の明智小五郎役やドラマ「清水次郎長」の大政役など、映画、テレビで活躍した俳優の大木実さ
16. おおまさ【大政】
日本人名大辞典
)。天保(てんぽう)3年生まれ。尾張(おわり)(愛知県)常滑(とこなめ)の廻船問屋の長男。清水次郎長の一の子分となり,山本政五郎と名のる。慶応2年(1866)荒
17. おとこだて【男達】画像
国史大辞典
一歩も引かないという侠的精神を発揮した。これが世評を高めるにいたった。関西における会津小鉄、東海の清水次郎長、上州の大前田英五郎、江戸の新門辰五郎らがその代表的
18. おもな講談の演目
日本大百科全書
赤穂あこう義士を読んだ講談で、「本伝」「銘々伝」「外伝」よりなる大長編。清水次郎長伝しみずのじろちょうでん 三尺物。街道一の大親分清水次郎長こと山本長五郎(18
19. おもな浪花節の演目
日本大百科全書
題材に「木っ葉売り三次」を、戦後は東家浦太郎が得意とした。森の石松もりのいしまつ もとは講談『清水次郎長伝』の外伝の部分で、子分森の石松が、親分次郎長のかわりに
20. かしおむら【柏尾村】静岡県:清水市/旧庵原郡地区
日本歴史地名大系
同年間から明治初年まで寺子屋を開き、明治一一年(一八七八)には河東報徳社の設立に加わっている。清水次郎長の富士山麓開墾は宜和が次郎長に茶園開墾を説いたためとされ
21. 神田伯山
世界大百科事典
博し,〈八丁荒し〉の異名を取った。とくに天田愚庵(あまだぐあん)の《東海遊俠伝》に取材した《清水次郎長》が評判となり,のちにこれは広沢虎造の浪花節に伝わり一世を
22. かんだ‐はくざん【神田伯山】
日本国語大辞典
一九二〇)〔三〕三代。本名岸田福松。前名、松山(しょうざん)・小伯山。二代の門にはいり、「清水次郎長伝」などの侠客物に評判を得た。明治五~昭和七年(一八七二~一
23. かんだはくざん【神田伯山】
国史大辞典
七十九歳。 (三)三代目 一八七二―一九三二 東京の生まれ。二代目の門人。本名岸田福松。「清水次郎長伝」で売り出した。昭和七年(一九三二)一月没。六十一歳。墓
24. かんだ-はくざん【神田伯山(3代)】画像
日本人名大辞典
明治5年7月20日生まれ。2代神田伯山(初代神田松鯉)に入門し,小伯山をへて明治37年3代伯山を襲名。「清水次郎長伝」を得意とした。高座にあがると他席ががらあき
25. きらのにきち【吉良の仁吉】
日本架空伝承人名事典
いで、安濃徳のやとった土地の猟人の鉄砲で撃たれたところを、角井門之助に斬られて命を落とす。清水次郎長一家の加勢とともに二九人で四三〇人を相手に戦った男気と神戸の
26. きらの-にきち【吉良仁吉】
日本人名大辞典
に勢力をはる。荒神山の喧嘩(けんか)のとき,義兄弟の神戸長吉(かんべの-ながきち)に加勢。清水次郎長一家の応援をえて穴太徳(あのうとく)勢になぐりこんだが傷つき
27. くろこま‐の‐かつぞう[‥かつザウ]【黒駒勝蔵】
日本国語大辞典
江戸末期の侠客。甲斐国黒駒(山梨県御坂町)の人。駿河の清水次郎長と抗争を繰り返した。
28. くろこまのかつぞう【黒駒の勝蔵】
日本架空伝承人名事典
て頭角を現す。甲斐ばかりでなく、信濃、駿府などにも顔をきかせたが、縄ばり争いから、一方の雄清水次郎長と対立するところとなり、荒神山事件の後は急速にその勢力を失っ
29. くろこまの-かつぞう【黒駒勝蔵】
日本人名大辞典
生家は甲斐(かい)(山梨県)上黒駒村の名主。安政3年博徒となる。甲斐を代表する親分となったが,清水次郎長との縄張り争いにやぶれる。慶応4年赤報隊に池田勝馬の変名
30. 黒駒勝蔵(くろこまのかつぞう)
日本大百科全書
子分は90人余に及んだという。1861年(文久1)以降他派と確執・闘争を繰り返したが、駿河するが(静岡県)の清水次郎長しみずのじろちょうとの抗争は有名。賭博とば
31. 講談画像
日本大百科全書
講釈種の浪花節はもてはやされたものの、講談自体は映画やレビューなどに圧倒され続けた。とはいえ、『清水次郎長伝』を売り物にした3代神田伯山、ことに世話物を得意とし
32. こうだん【講談】画像
国史大辞典
しかし明治三十年代より衰勢を示し、関東大震災で釈場の大半を失い、ますます衰微した。とはいえ、「清水次郎長伝」の三代目神田伯山、世話物の三代目錦城斎典山、軽い読み
33. 小金井蘆洲
世界大百科事典
返上し,小金井桜洲(おうしゆう)を名乗った。6代(本名岩間虎雄。1926-2003)は,さびのある声で《清水次郎長》《国定忠治》《天保水滸伝》などの俠客ものを得
34. こがねい-ろしゅう【小金井芦洲(6代)】
日本人名大辞典
昭和17年4代小金井芦洲に入門。靖洲,若洲をへて真打となり,5代西尾麟慶を名のる。40年6代を襲名。「清水次郎長」「国定忠治」などの仁侠物や世話物で知られ,立川
35. こまさ【小政】
日本人名大辞典
きょうかく)。天保(てんぽう)12年生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)浜松の魚屋の次男。清水次郎長の子分となり,居合術を修業する。大政とおなじ山本政五郎を名の
36. こまつむら-おその【小松村おその】
日本人名大辞典
幕末-明治時代の女性。文政6年生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)横須賀(よこすか)の博徒小松村七五郎の妻。清水次郎長(じろちょう)の子分,森の石松をかくまった
37. さんだいめ【三代目】 : 神田伯山/(三)
国史大辞典
(三)三代目 一八七二―一九三二 東京の生まれ。二代目の門人。本名岸田福松。「清水次郎長伝」で売り出した。昭和七年(一九三二)一月没。六十一歳。墓は港区三田
38. 静岡[市]
世界大百科事典
地区のイチゴなど。古墳時代中期の三池平古墳,日本武尊伝説を伝える草薙(くさなぎ)神社,俠客清水次郎長の墓がある梅蔭寺,山岡鉄舟が再興した鉄舟寺,清見寺(庭園は名
39. 清水(静岡市)
日本大百科全書
物館・同自然史博物館がある。また海水浴、キャンプも楽しめる。そのほか、名刹めいさつも多く、清水次郎長の墓のある梅蔭寺ばいいんじ、国指定名勝の庭園をもつ清見寺せい
40. しみずちょううけしんでん【清水町受新田】静岡県:清水市/旧有渡郡地区
日本歴史地名大系
双方より大砲打掛、死人凡四、五拾人、手負数しらす」とみえる。放置され、海面に漂ったままであった死体を清水次郎長(山本長五郎)が密かに引上げ向島の一画に埋葬、墓を
41. しもしみずむら【下清水村】静岡県:清水市/旧有渡郡地区
日本歴史地名大系
門のみが残されたという(烈祖殿址之碑)。跡地は現在清水教会の敷地で、碑は下清水八幡社境内に建つ。梅蔭禅寺には清水次郎長の墓がある。
42. しんもんたつごろう【新門辰五郎】
国史大辞典
さらに慶喜が水戸に退き、あるいは駿府に移されるに際しても身辺護衛の任を果たした。世に江戸の新門辰五郎、東海の清水次郎長、関西の会津小鉄を三侠客と呼んでいる。明治
43. 時代劇映画
世界大百科事典
生み出すことになる。 まず,松竹が1922年,伊藤大輔脚本,野村芳亭監督,勝見庸太郎主演《清水次郎長》を〈純映画化されたる旧劇〉と宣伝して公開し,翌23年,同じ
44. たけいのどもやす【竹居の吃安】
日本架空伝承人名事典
俗にいう「大利根河原の決闘」の遠因とされる一八四二年(天保一三)の「十一屋の花会」に、国定忠治や清水次郎長などと参加していたといわれるが、この花会の存在自体が疑
45. 伝統と革新【2020】[【巻頭インタビュー】講談師 神田松之丞【2020】]画像
現代用語の基礎知識
われわれは目撃することになる。 「歴代の伯山が得意とした読み物、『徳川天一坊』であったり『清水次郎長伝』に敬意を表しつつ、自分なりの伯山像をつくり上げていきたい
46. 浪花節
世界大百科事典
佐渡情話》の寿々木米若(すずきよねわか),《天保水滸伝(すいこでん)》の2代玉川勝太郎,《清水次郎長伝》の2代広沢虎造,《紀伊国屋(きのくにや)文左衛門》の梅中
47. のむら-ほうてい【野村芳亭】
日本人名大辞典
明治13年11月13日生まれ。大正9年松竹キネマにはいる。蒲田(かまた)撮影所初代所長兼監督となり,「清水次郎長」「女と海賊」「女殺油地獄」などの娯楽作品を発表
48. 馬鹿(ばか)は死(し)ななきゃ治(なお)らない
故事俗信ことわざ大辞典
馬鹿は死ななきゃなおらない」二代広沢虎造の浪曲「清水次郎長外伝・石松三十石船」によって、広く知られるようになった。ラジオ放送の影響もあって、昭和一二年
49. 博徒
世界大百科事典
織され,なわばり(寺銭を徴収できる勢力範囲)の拡大に努めた。博徒の親分としては,国定忠次,清水次郎長らが有名であるが,芝居や講談によって,実像とは著しく異なる博
50. 広沢虎造
世界大百科事典
関西の2代広沢虎吉門下。23歳で真打になって帰京し,題材に3代神田伯山(はくざん)の講談《清水次郎長》《夕立勘五郎》などを選び,節(ふし)は2代鼈甲斎虎丸(べつ