1. いしかはぢゃうざん【石川丈山】
全文全訳古語辞典
[人名]江戸初期の漢詩人。書家。本名重之。徳川家康に仕え、大坂夏の陣に活躍。のちに藤原惺窩に儒学を学び、比叡山麓に詩仙堂を建て、文筆生活に専念。著に『詩仙詩』『
2. 石川丈山画像
日本大百科全書
江戸初期の漢詩人。名は凹おう。丈山は字あざな。六六山人、四明山人、凹凸窠おうとつかなどと号した。代々徳川氏に仕える三河武士の家に生まれたが、大坂夏の陣のとき軍律
3. 石川丈山
世界大百科事典
1583-1672(天正11-寛文12) 江戸初期の漢詩人。名は凹。通称は嘉右衛門。丈山は字であるが,号としても扱われる。三河の人。徳川家康の臣で,大坂夏の陣に
4. いしかわ‐じょうざん【石川丈山】
日本国語大辞典
江戸初期の漢詩人、書家。本名重之。号六六山人、四明山人、詩仙堂。徳川家の家臣であったが、大坂夏の陣で、軍規を犯したことから辞して剃髪。のち藤原惺窩(せいか)に儒
5. いしかわじょうざん【石川丈山】画像
国史大辞典
[参考文献]野間三竹「聘君石六六山人墓誌銘」(『事実文編』一七所収)、人見節「石川丈山先生年譜」(同)、村上忠順「石川丈山先生旧里碑」(『福釜の里』四)、三橋成
6. いしかわ-じょうざん【石川丈山】
日本人名大辞典
1583−1672 江戸時代前期の漢詩人。天正(てんしょう)11年10月生まれ。徳川家康の近習を辞し,藤原惺窩(せいか)に師事する。寛永12年(1635)から京
7. 石川丈山[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:12件 『石川丈山』石川丈山先生二五〇年祭(編)『詩仙堂記』石川瑞達『詩仙堂』三宅米吉『石川丈山先生の伝記』石川玄(編)『石川丈山』孤憤子『石川
8. 【石川丈山】いしかわ(かは)じょう(じゃう)ざん
新選漢和辞典Web版
人名。江戸初期の漢詩人。藤原惺窩(ふじわらせいか)の門人。(一五八三~一六七二)
9. 石川丈山凹凸窠壁書 (見出し語:石川丈山)
古事類苑
遊戲部 洋巻 第1巻 806ページ
10. 石川丈山善レ書 (見出し語:石川丈山)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 777ページ
11. 石川丈山善レ詩 (見出し語:石川丈山)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 580ページ
12. 石川丈山閑居 (見出し語:石川丈山)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 1022ページ
13. 祭二石川丈山一 (見出し語:石川丈山)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1351ページ
14. 賀二石川丈山九十算一文 (見出し語:石川丈山)
古事類苑
禮式部 洋巻 第1巻 1471ページ
15. 日本漢詩集
日本古典文学全集
4世紀ごろより中国から入ってきた漢籍を訓読によって日本語化し、さらには本家に倣って「漢詩」をつくるようになる。飛鳥時代の大友皇子や大津皇子にはじまり、平安期には
16. 石川丈山『継響』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
七言絶句。1627年(寛永4) 作品部24.5×43.5cm愛知県美術館(木村定三コレクション)
17. 石川丈山蔵書印[図版]画像
国史大辞典
詩仙堂 頑仙子 詩仙堂 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.
18. いしかわじょうざんやしきあと【石川丈山屋敷跡】愛知県:安城市/和泉村
日本歴史地名大系
[現]安城市和泉町 中本郷 和泉町の西、小高い丘にある。石川丈山は、徳川譜代の臣で、学者・書家でもあった。「創業録」に次のように記す。重之後年に老母を養はん為に
19. 祝寿編(著作ID:1228702)
新日本古典籍データベース
しゅくじゅへん 石川丈山祝寿編 石川丈山(いしかわじょうざん) 編 漢詩文 寛文一三刊
20. 朝鮮筆談集(著作ID:1429318)
新日本古典籍データベース
ちょうせんひつだんしゅう 石川丈山権菊軒筆談 菊軒権侙筆語 朝鮮筆談 筆談 石川丈山(いしかわじょうざん) 漢詩文 寛永一四
21. 石川丈山凹凸窠壁書 (見出し語:壁書)
古事類苑
遊戲部 洋巻 第1巻 806ページ
22. あきのくに【安芸国】広島県
日本歴史地名大系
当時の宗界覚醒に一石を投じたといえる。〔文教政策と文化の普及〕初代藩主浅野長晟が藤原惺窩の門人堀杏庵や石川丈山を招いてその学統を重用し、四代綱長が味木立軒・寺田
23. 遺愛石詩哥文(著作ID:4358162)
新日本古典籍データベース
いあいせきしいかぶん 林羅山(はやしらざん) 石川丈山(いしかわじょうざん) 等 漢詩 和歌
24. いちじょう‐じ【一乗寺】
日本国語大辞典
比叡山南西麓の地名。もと同名の寺院があったため呼ばれた。近江(滋賀県)に通ずる古路越、今路越の要所。石川丈山の詩仙堂(丈山寺)、芭蕉が住んだ金福(こんぷく)寺、
25. 一休和尚年譜 2 50ページ
東洋文庫
構えた前田利常が方丈・庫裏などを造営して寺観が整えられたという。 方丈には南、東、北に庭があり、北庭枯山水は石川丈山、松花堂昭乗、佐川田喜六の合作と伝える。本堂
26. いっきゅうじ【一休寺】京都府:綴喜郡/田辺町/薪村
日本歴史地名大系
虎丘庵・総門・中門は府指定文化財。方丈の庭園は南・東・北の三面からなり、北庭は枯山水の蓬莱庭園。方丈の庭園は石川丈山・松花堂昭乗・佐川田喜六の合作と伝え、江戸時
27. いわしみずはちまんぐう【石清水八幡宮】京都府:八幡市
日本歴史地名大系
った関係などから、公武の間にあってその仲介役を果したことなどが知られる。林羅山・木下長嘯子・石川丈山・佐川田昌俊・沢庵らとの交友も著名である。明治の神仏分離によ
28. 大河内文書 明治日中文化人の交遊 199ページ
東洋文庫
どうやら 石川丈山は大河内輝声の 先輩らしい。野火止 平林寺の 山門の額が石川丈山の筆であり大河内輝声の墓がその奥にあるのも おもしろい。さらに つぎの筆談をみ
29. 凹凸窠草藁(著作ID:728234)
新日本古典籍データベース
おうとつかそうこう 石川丈山(いしかわじょうざん) 文集
30. おおしま-はんいん【大島半隠】
日本人名大辞典
1635−1704 江戸時代前期の儒者。寛永12年生まれ。陸奥(むつ)仙台藩儒。京都で柴田良巌,石川丈山にまなび,藩主伊達綱村の侍講をつとめる。石州流の茶をよく
31. おおもり-ぜんさい【大森漸斎】
日本人名大辞典
1625−1706 江戸時代前期の儒者,茶人。寛永2年生まれ。大森杖信(じょうしん)の父。京都の人。石川丈山(じょうざん)に儒学,書を,小堀遠州に茶の湯をまなぶ
32. おかむら-じょうざん【岡村丈山】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の儒者。石川丈山の門人平井仙水にまなぶ。元禄17年(1704)石川丈山の詩集「覆醤(ふしょう)集」の注釈書で同名の「覆醤集」を刊行した。丹波
33. か‐げん[クヮ‥]【過言】
日本国語大辞典
04〕「Quaguen (クヮゲン)〈訳〉クヮゴンに同じ」*面白半分〔1917〕〈宮武外骨〉石川丈山は幕府の犬「ソレは、或時の事、商人が丈山の所へ往って過言(ク
34. 甲子夜話 4 31ページ
東洋文庫
竹内良恕親王御筆一、紺紙金泥法華経一部光明皇后御筆一、一遍首題鴫翻姻人筆一、清正公筆鮒蔽茶羅一、同断手判一、石川丈山筆一一一一一八一一一一一一一一一一一一一幅幅
35. 甲子夜話 5 205ページ
東洋文庫
四月廿三日詩文章録入一御覧一候。五月廿三日詩文近日差下可レ申候。此段宜御披露被二成下一候様奉レ願候。一、石川丈山翁、明年五月百五十年に付、詩仙堂修復勧進之義、是
36. 甲子夜話三篇 2 20ページ
東洋文庫
主は尼なり。過し文政十年の頃、かの奄、廃損に因て、主尼東武に下て募縁す。林子殊更に其媒をなす。蓋し開基石川丈山の勇武を賞して也。予も彼の忠良を慕ひ、黄百を出して
37. 甲子夜話三篇 6 259ページ
東洋文庫
銘〔碑文〕山口豆州牧碑銘 民部卿法印林道春 撰 参陽隠士石川丈山築額礼日。父母全而生レ之、子全而帰レ之、是孝也。又日。戦陣無
38. 甲子夜話三篇 6 260ページ
東洋文庫
高さ二丈許台石二段、亀朕前に向ふ。廻りに石鮭あり。筆額の上に、幡竜二尾を鏑す。碑銘は、羅山子。築額は、石川丈山なり。○其碑石の所レ竪、井樹林田路の図を、下に写出
39. 甲子夜話続篇 1 145ページ
東洋文庫
々米を駄送して、香火資に充、永く貧薦訊掃怠べからざるの約券を取かはしけると。〔吾 又辛巳歳は石川丈山百五十回忌なり連、前年庚辰の春、詩仙堂の主尼募縁に出府しける
40. 甲子夜話続篇 1 146ページ
東洋文庫
林子に乞ふ。因て嗣子又三郎〔名 就〕撰文す。これは世多く知らざる所なれば、碑銘 をこ、に挙ぐ。 石川丈山故居遺址碑記 丈山石川翁故居、在一一参之碧海郡泉村4
41. 甲子夜話続篇 5 58ページ
東洋文庫
石井三太夫と云がありて、先年一幅を齎来り、予が臣に就き、予に鑑定を謂ふ。且日。探幽斎の所レ画にして、石川丈山の像なりと。展てこれを観るに、庸筆に非ず。因て書を附
42. 甲子夜話続篇 5 61ページ
東洋文庫
乍一延引一御挨拶申進侯。一、用事申進候は、一幅掛御目一候。尤御先代御筆之義は愚眼にも致二亮然一候。尤先方よりは石川丈山之像と申来候処、服之処烏乱に付、林氏より書
43. 甲子夜話続篇 5 62ページ
東洋文庫
探幽筆之由、石川丈山翁肖像と申伝之御画幅拝見被二仰付→得と勘考仕候処、探幽筆に而は無一御坐→其上先祖之画風に而も無御座一候。生明と申印は御坐候得共、下に藤原と中
44. 甲子夜話続篇 6 100ページ
東洋文庫
かくしつ㌧とにもかくにもながらへて君がやちよにあふよしもがな。当路の人は如何思ひ給へる爾耶。旦〕 石川丈山は、隠棲の翁となりても雄武の姿はありしとなり。彼隠棲の
45. 甲子夜話続篇 7 44ページ
東洋文庫
老の姿のかげもはづかし(『覆醤集』鴨河をかぎり都のかたへいづまじきとてよみ侍りける、石川丈山。わたらじなせみの小河の浅くとも老の波そふかげもはづかし)し
46. 加藤周一
日本大百科全書
い視野、豊富な知識と教養、明晰めいせきで鋭利な論理によって、『二つの極の間で』(1960)、石川丈山じょうざん、一休、富永仲基なかもとをそれぞれとりあげた小説体
47. 加藤盤斎
世界大百科事典
北村季吟,和田以悦,僧元政と同門。初め叡山で天台を,後に卜部家に神道を,貞徳の父昌三に儒学を,石川丈山に詩文を学び,書道にも優れる。《清少納言枕草子抄》,《長明
48. かみわかえむら【上若江村】大阪府:東大阪市/旧河内市地区地図
日本歴史地名大系
重信は重成の槍で馬上よりつき落されて落命した(大阪府全志)。集落の南東に山口重信の墓があり、文は林道春、篆額は石川丈山。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳
49. かんえいぶんか【寛永文化】
国史大辞典
近衛信尋・中院通勝・烏丸光広・俵屋宗達・灰屋紹益・千宗旦もおれば、板倉重宗・藤原惺窩・林羅山・堀正意・石川丈山・狩野探幽などもおり、ここに公武・和漢の文化の綜合
50. 漢詩画像
日本大百科全書
にすぎず、漢詩には新鮮味がなく和臭(日本的な特殊な傾向)も甚だしい。詩人として名高かったのが石川丈山じょうざんと僧元政げんせいである。次の時代には俄然がぜん盛況