二十四節気 (せっき)の清明の節に行う墓参りの行事。元来、中国の行事で、朝鮮でも節の入りの日の翌日を寒食 (ハンシク)とよび、墓祭を行う習慣がある。日本に伝わったのは新しいが、沖縄県の首里・那覇を中心にした沖縄群島では習俗として定着している。中国からの来住者の子孫が住む久米 (くめ)村(那覇市)で、早くから行われた習慣で、久米村の蔡 (さい)家の礼式を記した『四本堂家礼 (しほんどうかれい)』(1736)にすでに詳しくみえている。首里王府が久米村の作法に習って毎年清明祭を行うことを定めたのは1768年(明和5)のことで、一般に普及したのはそれ以後であろう。方言ではウシーミー(お清明)とよび、墓に属している一族とその縁者が集まって参る。酒や茶のほか重詰め料理を持参して墓に供え、そのお下がりを墓前の庭で参会者一同がいただくのがしきたりになっている。重詰めは、餅 (もち)と、魚のてんぷら、昆布、かまぼこ、豚肉、揚げ豆腐などの料理で、かまぼこは紅で染めた祝儀用を使う。死者があって3年間は清明祭を行わないというのは、不祝儀の期間だからであろう。
これとは別に、本家・分家からなる同族組織の門中で、一族の遠い先祖の墓に参る風習もある。カミウシーミー(神お清明)といい、門中の祭祀 (さいし)をあずかる女性の神役 (かみやく)と各戸の代表者が参加する。もとは清明の節の入りの日に行った所が多い。墓ごとの清明祭は、そのあと清明の節の間に行う。長崎市の唐寺 (とうでら)でも、中国人の子孫の檀徒 (だんと)が清明 (チンミン)節を行ってきた。
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