NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 日本史
  8. >
  9. 戦国史
  10. >
  11. モンゴル帝国史

モンゴル帝国史

ジャパンナレッジで閲覧できる『モンゴル帝国史』の東洋文庫のサンプルページ

東洋文庫
モンゴル帝国史 1
もんごるていこくし 1
東洋文庫110
ドーソン 佐口透訳注
"全ユーラシア大陸を馬蹄の響きととも席巻した空前絶後の大帝国の征服の記録。かつて『蒙古史』の名で読書人を魅了した名著が,詳細な訳注を付した初の口語全訳として再登場。各巻に解説, 文献案内, 年表, 索引を付す。第1巻は,第1●第8章まで。"
1968年03月刊

【閲覧画面サンプル】
モンゴル帝国史 1

【上記の拡大画像】
モンゴル帝国史 1 拡大

【目次】
表紙
(扉)
はしがき
序論[史料解題]
モンゴル族の歴史 第一篇
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
補注 一-七
解説
文献案内
トランスオクシアナ要図
系図
あとがき
裏表紙
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


モンゴル帝国史の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 103
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. モンゴル帝国史 1
東洋文庫
"全ユーラシア大陸を馬蹄の響きととも席巻した空前絶後の大帝国の征服の記録。かつて『蒙古史』の名で読書人を魅了した名著が,詳細な訳注を付した初の口語全訳として再登
2. モンゴル帝国史 2
東洋文庫
全ユーラシア大陸を馬蹄の響きととも席巻した空前絶後の大帝国の征服の記録。かつて『蒙古史』の名で読書人を魅了した名著が,詳細な訳注を付した初の口語全訳として再登場
3. モンゴル帝国史 3
東洋文庫
全ユーラシア大陸を馬蹄の響きととも席巻した空前絶後の大帝国の征服の記録。かつて『蒙古史』の名で読書人を魅了した名著が,詳細な訳注を付した初の口語全訳として再登場
4. モンゴル帝国史 4
東洋文庫
全ユーラシア大陸を馬蹄の響きととも席巻した空前絶後の大帝国の征服の記録。かつて『蒙古史』の名で読書人を魅了した名著が,詳細な訳注を付した初の口語全訳として再登場
5. モンゴル帝国史 5
東洋文庫
全ユーラシア大陸を馬蹄の響きととも席巻した空前絶後の大帝国の征服の記録。かつて『蒙古史』の名で読書人を魅了した名著が,詳細な訳注を付した初の口語全訳として再登場
6. モンゴル帝国史 6
東洋文庫
全ユーラシア大陸を馬蹄の響きととも席巻した空前絶後の大帝国の征服の記録。かつて『蒙古史』の名で読書人を魅了した名著が,詳細な訳注を付した初の口語全訳として再登場
7. アラビアン・ナイト 2 8ページ
東洋文庫
92鹿洲公案    く清朝地方裁判官の記録V㎜伽㎜㎜㎜繍モンゴル帝国史    -~6 全六巻伽ラッフルズ伝   〈東南アジアの帝国建設者〉㎜朝鮮幽囚記 せいがく
8. アルタン・トプチ
日本大百科全書
1765年の作品。以上の『アルタン・トプチ』その他の文献に基づいて、インド史、チベット史、モンゴル帝国史、それ以後の王侯の系譜などを述べたもの。チンギス・ハンの
9. アルファフリー 1 イスラームの君主論と諸王朝史 3ページ
東洋文庫
ガ(在位一二六五-八二)の宰相で、『ターリーフ・ジハーン・クシャーイ(世界征服者の歴史=モンゴル帝国史)』の著者でもあるアター・マリク・アルジュワイニーの讒訴に
10. アルファフリー 1 イスラームの君主論と諸王朝史 354ページ
東洋文庫
『Tarīkh -i Djihānkushāy(世界征服者の歴史=モンゴル帝国史)』の著者。イブン・アッティクタカーによると、彼はハールーン・アッラシードの宰相
11. ガーザーン・ハーン(Ghāzān Khān)
世界大百科事典
ル史〉の形で伝えられている。モンゴル帝国盛時のモンゴルの帝王を事実上の作者とするこの書はモンゴル帝国史研究上,屈指の貴重史料となっている。志茂 碩敏 Ghāzā
12. 義経記 1 8ページ
東洋文庫
92鹿洲公案    〈清朝地方裁判官の記録〉㎜伽欄獅㎜鋤モンゴル帝国史    1~6 全六巻伽ラッフルズ伝   〈東南アジアの帝国建設者〉麗朝鮮幽囚記 せいがく
13. 今昔物語集 2 本朝部 8ページ
東洋文庫
㎜伽㎜錨㎜獅モンゴル帝国史  螂ゴソ卸訳潴    1~6 全六巻伽ラッフルズ伝      信夫清三郎著   く東南アジアの帝国建設者V麗朝鮮幽囚記       
14. さぐち-とおる【佐口透】
日本人名大辞典
著作に「18-19世紀東トルキスタン社会史研究」「ロシアとアジア草原」,訳書にドーソン「モンゴル帝国史」など。
15. しも-ひろとし【志茂碩敏】
日本人名大辞典
制覇したモンゴル帝国の政権構造を研究。平成27年「モンゴル帝国史研究」で学士院賞。福岡県出身。東大卒。著作に「モンゴル帝国史研究序説 イル汗国の中核部族」「モン
16. 小シーボルト蝦夷見聞記 174ページ
東洋文庫
この時に強力なハンという意味で、可汗(カンガン〈囚ご亭  閃き〉)を称したともいう(ドーソン著『モンゴル帝国史』1、佐口透訳注、平凡社東洋文庫、  一九六八年)
17. シーボルト先生 2 その生涯及び功業 8ページ
東洋文庫
㎜伽糊獅㎜獅モンゴル帝国史    1~6 全六巻伽ラッフルズ伝   〈東南アジアの帝国建設者〉㍑朝鮮幽囚記 せいがくとうぜんき  ようこう櫛西学東漸記〈容闊自伝
18. ジュワイニー(Juwaynī)
世界大百科事典
251-53),同時代史の執筆を勧められ,〈ホラズム帝国史〉〈イスマーイール派教団史〉〈モンゴル帝国史〉の3部からなる《世界征服者の歴史Ta’rīkh-e Ja
19. ジンギスカン 167ページ
文庫クセジュ
La Haye-Amsterdam, 1834-1835.邦訳:ドーソン著・佐口透訳注『モンゴル帝国史』全6巻(東洋文庫),平凡社,1969―(現在第4巻まで刊
20. 菅江真澄遊覧記 3 8ページ
東洋文庫
㎜伽㎜㎜㎜繍モンゴル帝国史  齢〓,迎訳瀦    1~6 全六巻伽ラッフルズ伝     信夫清三郎著   〈東南アジアの帝国建設者〉㎜朝鮮幽囚記       齪
21. 聖武親征録
世界大百科事典
《元史》の太祖本紀やラシード・アッディーンの《集史》のチンギス・ハーン紀と多く一致する。モンゴル帝国史に関する重要文献の一つ。吉田 順一 Shèng wǔ qī
22. 太平天国 1 李秀成の幕下にありて 8ページ
東洋文庫
m拠鵬踊㎜獅モンゴル帝国史    1~6 全六巻23ラッフルズ伝   〈東南アジアの帝国建設者〉佐ドゴ。ン 著透訳注信夫清三郎 著麗朝鮮幽囚記 せいがくとうぜん
23. 大旅行記 3 455ページ
東洋文庫
ル帝国と西洋』(東西文明の交流4)平凡社、一九七〇年。ドーソン・ドーソン著、佐口透訳注『モンゴル帝国史』全六巻、平凡社東洋文庫、一九六八-七九年。日野舜也"日野
24. 大旅行記 4 475ページ
東洋文庫
省泉州海外交通史博物館編、福建人民出版社、一九八四年。ドーソン"ドーソン著、佐口透訳注『モンゴル帝国史』一一六巻、平凡社東洋文庫、一九六八-七九年。『バーブル・
25. 大旅行記 5 163ページ
東洋文庫
スルタン位に即いたが、僅か一年  足らずでシャイフ・ハサンとの戦闘に敗れて、殺害された。ドーソン『モンゴル帝国史』によると、ムー  サ!・ハーンはトガ・ティムー
26. 中国の印刷術 2 その発明と西伝 99ページ
東洋文庫
本のことである。(五) この中国人将軍の名は郭侃(モンゴル語ではクカ・イルカ〔ドーソγ『モンゴル帝国史』ではココ・イルゲイ〕)であった。彼はバグダード進撃にあた
27. 中国の印刷術 2 その発明と西伝 100ページ
東洋文庫
交流の諸相』四七九~八一ページ。またタブリーズにおける紙幣発行の詳しい状況は、ドーソン『モンゴル帝国史(五)』第六篇第三章(佐口透訳注 東洋文庫 平凡社 一九七
28. 中国の印刷術 2 その発明と西伝 102ページ
東洋文庫
はじめてイスラムに改宗したのは第八代オルジェイトゥである。ドーソン『モンゴル帝国史』第四巻のうち第六-七篇はイルハソ国を扱っている(佐口透訳注『モンゴル帝国史5
29. 中国の印刷術 2 その発明と西伝 258ページ
東洋文庫
屈萬里,昌彼得.図書板本学要略.中華文化出版事業社(台北).1974.佐口透訳注.東洋文庫本rモンゴル帝国史」.平凡社.史梅答.中国印刷発展史.台湾商務印書館(
30. 東方への私の旅 リフの山々から中国へ 8ページ
東洋文庫
92鹿洲公案    く清朝地方裁判官の記録V…搦柵獅㎜鋤モンゴル帝国史    1~6 全六巻宮藍 鼎崎  市佐ド 1ロ ソ元  著定  訳ソ 著透訳注   〈東
31. ドーソン(Abraham Constantin Mouradgea D'Ohsson)
世界大百科事典
加えて駆使し,平易で程度の高い通史である《モンゴル帝国史》(1834-35)4巻を著した。吉田 順一 D'Ohsson,A.C.M. モンゴル帝国史
32. ほんだ-みのぶ【本田実信】
日本人名大辞典
ケンブリッジ大日本語講師,北大教授をへて,昭和50-61年京大教授。のち名古屋商大教授。モンゴル帝国史,イラン中世史を研究。平成11年1月6日死去。75歳。愛知
33. ミリンダ王の問い 3 インドとギリシアの対決 8ページ
東洋文庫
鹿洲公案   〈清朝地方裁判官の記録〉儲獅㎜獅モンゴル帝国史   1~6 全六巻ラッフルズ伝  〈東南アジアの帝国建設者〉朝鮮幽囚記西学東漸記く容閾自伝vマッテ
34. むらかみ-まさつぐ【村上正二】
日本人名大辞典
日本モンゴル学会会長。平成11年7月10日死去。85歳。宮城県出身。東京帝大卒。著作に「モンゴル帝国史研究」,訳書に「モンゴル秘史」など。
35. 蒙古史
日本大百科全書
モンゴル帝国史についての古典的著書。正式には『チンギス・ハンからティムール・ベイに至るモンゴルの歴史』Histoire des Mongols, depuis
36. モンゴル帝国史 1 0ページ
東洋文庫
東洋文庫110 平凡社 モンゴル帝国史1ドーソン著 佐口透訳注
37. モンゴル帝国史 1 337ページ
東洋文庫
ちタメルランに至るモンゴル族の歴史』と題する著述で、この訳書ではその内容に即して簡略に『モンゴル帝国史』という書名をつけたが、この著述はモンゴル帝国の歴史を描い
38. モンゴル帝国史 1 338ページ
東洋文庫
必携の文献となり、在来、この両書を参照して、モンゴル帝国史上の幾多の重要問題が研究され、論ぜられてきたことは周知の事実である。 ド盲ソンの『モンゴル帝国史』は、
39. モンゴル帝国史 1 339ページ
東洋文庫
一八五一年十二月二十五日、ベルリンで他界した。父子ともに外交官で、歴史家であった。ドーソンの『モンゴル帝国史』第一巻の扉には《『切碧8ρU、○訂ω8り蜜。ヨぼ。
40. モンゴル帝国史 1 340ページ
東洋文庫
ドーソンの『モンゴル帝国史』の刊本には旧版と新版とがあり、一八二四年にはじめて刊行されたものが旧版であって、一八三四-三五年にその増訂版が刊行されてから、ドーソ
41. モンゴル帝国史 1 341ページ
東洋文庫
目ヨoξ占昌8炉ヨ。昔日〉は旧版では 《→ぎo自由琴》となっているわずかの相異がある。『モンゴル帝国史』の新版(この訳書の原典)は四巻よりなり、第一、二、三の各
42. モンゴル帝国史 1 342ページ
東洋文庫
っているが、私は利用の便宜上、天津版(第一版の影印本)によって本書を訳した。 ドーソン『モンゴル帝国史』は四巻より成る。第一巻では、序論に続いて、モンゴル族の起
43. モンゴル帝国史 1 343ページ
東洋文庫
第一巻は巻頭の序論のほかに、十章に分かれ、巻末に補注がある。序論(原典では。巻8三8という)では『モンゴル帝国史』全巻の執筆に使用された史料の解題を行なっている
44. モンゴル帝国史 1 346ページ
東洋文庫
が認められ、ドーソンが『元朝秘史』を利用しなかったとしても、ラシードを活用した以上は、『モンゴル帝国史』の叙述に致命的欠陥を持?}は言えない。しかし、もしドーソ
45. モンゴル帝国史 1 349ページ
東洋文庫
いる重要な課題である(この訳書では第九、十の二章を次巻へまわした)。四 以上、ドーソン『モンゴル帝国史』の構成と内容について解説したが、かれの著述は学問的にどの
46. モンゴル帝国史 1 350ページ
東洋文庫
三の編纂書の利用で満足したに すぎなかった。 モンゴル帝国史に関するイスラム諸国の根本史料をはじめて精密に研究したのはドーソン男爵であっ て、その著、『モンゴル
47. モンゴル帝国史 1 352ページ
東洋文庫
ジュワイニーの『世界征服者の歴史』の英語訳注を公刊したJ・A・ボイル氏は「ドーソンの『モンゴル帝国史』はモンゴル帝国史の概説としてはやはり今でも、最もすぐれた、
48. モンゴル帝国史 1 353ページ
東洋文庫
種類のものである。ドーソンはその時代に知られていたイスラム史料を巧みに駆使した。その著『モンゴル帝国史』には、ごく最近の学者が知らないような、あるいは孫引きされ
49. モンゴル帝国史 1 355ページ
東洋文庫
評肇&言色邑。幕軍o出●Z●囚oN、昌髭●岸ざ富F這零)。山ノ、 次にドーソン『モンゴル帝国史』、第一巻について私見を述べてみたい。すでに述べたように、ドーソン
50. モンゴル帝国史 1 357ページ
東洋文庫
モンゴル人の社会文化史上の役割について高度の考察を行なうことができなかった。ドーソンが『モンゴル帝国史』を執筆した動機やその歴史観は本書の序論の冒頭に述べられて
「モンゴル帝国史」の情報だけではなく、「モンゴル帝国史」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

モンゴル帝国史と同じ戦国史カテゴリの記事
山崎の戦い(日本大百科全書(ニッポニカ))
1582年(天正10)6月、本能寺の変のあと、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が山城国山崎(京都府乙訓郡大山崎町)で明智光秀を討った戦い。本能寺の変の起こったとき秀吉は、毛利輝元の部将清水宗治の備中高松城を水攻めにしていた。信長の死を知った秀吉は、それを秘して毛利氏と講和を結び、2日後には姫路城に戻って軍備を整え
本能寺の変(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天正十年(一五八二)六月二日、明智光秀が京都四条西洞院の本能寺に織田信長を急襲して自刃させた反逆事件。備中高松城を囲んでいた豊臣秀吉からの戦況報告で織田・毛利両軍の全面的対決を決意した信長は五月十七日、徳川家康の供応にあたっていた光秀にも出陣を命じた。すぐに光秀は本拠近江坂本城に帰り
応仁の乱(日本大百科全書(ニッポニカ))
1467年(応仁1)~1477年(文明9)の11年間にわたり、細川勝元と山名持豊(山名宗全)とをそれぞれの大将として、諸国の大・小名が東西両軍に分属し、京都を主戦場として戦った大乱。応仁・文明の乱ともいう。乱の原因 室町幕府は基本的には、守護領国制を基盤とする有力守護大名の連合政権的性格
川中島の戦い(日本大百科全書(ニッポニカ))
戦国時代に甲斐の武田信玄と越後の長尾景虎(後の上杉謙信)とが、信州川中島で北信濃の領有をめぐり数度対戦した合戦の総称。合戦は1553年(天文22)から1564年(永禄7)の長期にわたって行われ、おもな対戦だけでも1553年、1555年(弘治1)、1557年、1561年(永禄4)、1564年の5回
文禄・慶長の役(国史大辞典)
文禄元年(一五九二)から慶長三年(一五九八)にかけ、豊臣秀吉が明征服をめざして朝鮮に侵略した戦争。この戦争の呼称について、朝鮮では当時の干支をとって「壬辰・丁酉の倭乱」と呼び、明では日本が侵入した明の辺寨(朝鮮)をおさえるという意味で、「万暦朝鮮の役」と呼ぶ
戦国史と同じカテゴリの記事をもっと見る


「モンゴル帝国史」は歴史に関連のある記事です。
その他の歴史に関連する記事
満州国(日本大百科全書・世界大百科事典)
日本が満州事変によってつくりあげた傀儡(かいらい)国家。1932年(昭和7)から1945年まで、中国東北地方と内モンゴルをおもな領域として存立した。[君島和彦]▲前史満州とは現在の中国東北3省(遼寧(りょうねい)、吉林(きつりん)、黒竜江
モンゴル帝国史(東洋文庫)
東洋文庫110 ドーソン 佐口透訳注 "全ユーラシア大陸を馬蹄の響きととも席巻した空前絶後の大帝国の征服の記録。かつて『蒙古史』の名で読書人を魅了した名著が,詳細な訳注を付した初の口語全訳として再登場。各巻に解説, 文献案内, 年表, 索引を付す
青銅器(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
前三千年紀に西アジアで人類が発明した銅と錫の合金製の文明の利器。利器・武器から儀器・宝器・美術工芸品など時代の移り変りとともに広く多用され現在に至る。中国では前千六百年紀の夏時代にさかのぼり、殷・周・漢の三代に著しく発達
大津事件(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
明治二十四年(一八九一)滋賀県大津で護衛巡査が来日中のロシア皇太子を負傷させた事件。湖南事件ともいう。シベリア鉄道起工式に参列する途中来日したロシア皇太子ニコラス=アレクサンドロビッチ(のちの皇帝ニコライ二世)は長崎・鹿児島を経て五月九日京都に入った
平城京(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
8世紀、約70年間にわたって奈良に営まれた都城。710年(和銅3)に藤原京から遷都してきて以来784年(延暦3)長岡京に遷るまでの間であるが、藤原広嗣の乱(740)後の5年間ほどは難波を都としたため空白期間がある。奈良盆地の北端に位置しており、山背国(京都府)へ抜けると木津・淀川
歴史に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶