1. ぶんろく・けいちょうのえき【文禄・慶長の役】
国史大辞典
、近代に至っても「朝鮮征伐」の呼称は続いたが、それとならんで「文禄・慶長の役」とも呼ばれるようになった。今日では「文禄・慶長の役」「朝鮮出兵」「朝鮮侵略」と呼ぶ ...
2. 文禄・慶長の役
日本大百科全書
秀吉の引き起こしたこの戦争を、辺寨(へんさい)を征する「役」をつけ、「朝鮮役」「文禄・慶長の役」とよぶようになった。今日では「文禄・慶長の役」とともに「秀吉の朝 ...
3. 文禄・慶長の役
世界大百科事典
豊臣秀吉が1592-98年(文禄1-慶長3)に2度にわたって企てた朝鮮に対する侵略戦争。朝鮮側では〈壬辰・丁酉倭乱〉または〈壬辰倭乱〉とよぶ。 日本側の状況 秀 ...
4. 姶良[市]
世界大百科事典
期待できる。特産の竜門司焼は薩摩焼の一種で,島津義弘が文禄・慶長の役で朝鮮から連れ帰った陶工が始めたものという。民俗・芸能として文禄・慶長の役出陣に由来すると伝 ...
5. 青木周蔵自伝 290ページ
東洋文庫
『日本書紀』によると、朝鮮を遠征したという〕並に豊臣氏、韓国を征し併せて明国と干戈を交へ〔文禄・慶長の役〕、以て我威武を海外に表示したるも、其の事業たる、広く世 ...
6. あおやちょう【青谷町】鳥取県:気高郡
日本歴史地名大系
気多郡は鹿野城(現鹿野町)城主亀井茲矩の所領となった。亀井氏は領内の殖産興業に力を注いだが、潮津村夏泊は文禄・慶長の役で茲矩の水先案内人を勤めた筑前国助右衛門が ...
7. あがのむら【上野村】福岡県:田川郡/赤池町
日本歴史地名大系
合併。〔上野焼〕 「赤池町史」によると、上野焼の陶祖である尊楷は朝鮮釜山の城主尊益の子で、文禄・慶長の役の頃に加藤清正およびその配下の毛利勝信に従って肥前唐津領 ...
8. あきたはんさいしゅうこもんじょ【秋田藩採集古文書】
国史大辞典
守護から戦国大名に成長し、豊臣政権に服属することによって、常陸全域を領知する五十四万石の大名となり、文禄・慶長の役や伏見城普請などの軍役・普請役の重さに耐えなが ...
9. あきづきたねなが【秋月種長】
国史大辞典
の諸城を攻め、同十五年豊臣秀吉と戦って敗れ、同年日向国高鍋三万石を受領して日向に移った。文禄・慶長の役、関ヶ原の戦に出陣、後者でははじめ西軍に属し、のち徳川氏の ...
10. あさのけもんじょ【浅野家文書】
国史大辞典
諸種の免許状のほか幕府老臣の書状が多く江戸時代末に至る。特に豊臣氏との深い関係で小田原征伐、奥羽経略、文禄・慶長の役などの重要文書が多い。『大日本古文書』家わけ ...
11. あさのながまさ【浅野長政】
国史大辞典
翌年の九戸政実の乱には羽柴秀次の軍奉行として従軍した。そして豊臣政権衰微の遠因ともなった文禄・慶長の役には、文禄元年(一五九二)石田三成・増田長盛とともに渡韓し ...
12. あたけぶね【安宅船】
国史大辞典
な鉄板装甲・大筒装備の大船が出現して泉州淡輪沖や木津川沖の海戦で毛利などの水軍を破った。文禄・慶長の役当時は質量とも最盛期を迎え、日本丸・三国丸をはじめ二千石積 ...
13. 安土桃山時代
世界大百科事典
は太閤となった91年から,関ヶ原の戦によって豊臣政権が崩壊した1600年まで。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を中心に展開される時期であるが,秀次を高野山に追いやって ...
14. あまくぼむら【天窪村】長崎県:西彼杵郡/西海町
日本歴史地名大系
る。地内の高地は馬牧の跡とされる。天崎城跡、天久保館跡がある。天久保氏の所領であったが、文禄・慶長の役に出陣しなかったとして大村吉右衛門の知行になったという(大 ...
15. あらしこ【荒子】
国史大辞典
令に、「奉公人・侍・中間・小者・あらし子」が新儀に町人・百姓になるのを禁じた箇条があり、文禄・慶長の役のときには、在陣中の侍・中間・小者・あらしこ・人夫の欠落を ...
16. ありうらむら【有浦村】佐賀県:東松浦郡/玄海町
日本歴史地名大系
盛の死後における後継者争いで親を有馬家から入れ、岸岳城主としての波多氏を守った。大和守は文禄・慶長の役においては馳走役として名護屋に残り、波多氏滅亡後も有浦郷を ...
17. ありこやまじょうあと【有子山城跡】兵庫県:出石郡/出石町/出石城下
日本歴史地名大系
在したと考えられる。しかし居館の左右を防御する幅一〇メートルの大規模な竪堀は一六世紀末、文禄・慶長の役頃の構築であろう。この大規模な竪堀は千畳敷背後の大規模な竪 ...
18. 有田[町]
世界大百科事典
人口1万2296(2005)。伊万里湾に注ぐ有田川上流の狭い山間に位置する。窯業の起源は文禄・慶長の役の際,藩祖鍋島直茂が多数の朝鮮陶工を伴って帰国し,その一人 ...
19. 有田焼
世界大百科事典
江戸時代初頭,有田における磁器の創始は,日本陶磁史上画期的な出来事であった。伝承では,佐賀藩主鍋島氏が文禄・慶長の役後に連れ帰った李参平らの朝鮮人陶工の手ではじ ...
20. ありまはるのぶ【有馬晴信】
国史大辞典
同十八年には遣欧使節が招来した活字印刷機により、加津佐において「日本イエズス会版」の刊行が開始された。文禄・慶長の役には、小西行長とともに朝鮮に出陣、軍功をたて ...
21. あわしま【粟島】香川県:三豊郡/詫間町
日本歴史地名大系
。島は阿島・尾元島。粟島大明神、梵音寺(現真言宗醍醐派)などがある。古くから加子が多く、文禄・慶長の役、大坂の陣に従軍したという。寛永一四年(一六三七)島原の乱 ...
22. あわのくに【阿波国】徳島県
日本歴史地名大系
づいており、家臣の知行割も天正一七年検地の結果を基に行われたと考えられる。この間に家政は文禄・慶長の役などに出陣し、慶長三年の豊臣秀吉の死後は、同五年嫡子蜂須賀 ...
23. 壱岐[市]
世界大百科事典
などの景勝地があり,湯本温泉は壱岐唯一の温泉である。神功皇后をまつる聖母神社や豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に急造させた武末城跡(城山公園)には訪れる人が多い。辰 ...
24. 壱岐島
世界大百科事典
佐伯 弘次 近世 1587年に秀吉は壱岐国を平戸松浦氏にあてがい,翌年勝本城が築造された。文禄・慶長の役には朝鮮への兵員や物資の中継地となり大きな影響を受けた。 ...
25. 石原道博[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:2件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:0件 『明末清初日本乞師の研究』石原道博『文禄・慶長の役』石原道博 ...
26. 石火矢
世界大百科事典
伝といわれる。織田信長,竜造寺隆信らに重視されたが,鉄砲ほどには進歩しなかった。このため文禄・慶長の役では日本軍は海戦において朝鮮水軍の大砲に悩まされ続けた。大 ...
27. いしむろむら【石室村】佐賀県:東松浦郡/鎮西町
日本歴史地名大系
を越天石室堺にとまる」とある。文禄・慶長の役の際、名護屋在陣の大名の陣所跡がこの村にもあり、赤松に真田源吾・結城秀康、石室に筑紫上野介 ...
28. いずみむら【泉村】長崎県:上県郡/上対馬町
日本歴史地名大系
待って二六日泉浦から出船、釜山浦に渡海した(「島津家久譜」旧記雑録)。泉村を公称したのは、文禄・慶長の役で当地に来て近海で漁を行い、諸将に魚を献じていた和泉国佐 ...
29. 伊勢水軍
世界大百科事典
の家臣団に編入されていった。九鬼嘉隆は,織豊政権の水軍組織の中核として,石山本願寺攻撃,文禄・慶長の役等に功をあげ,九鬼氏は大名に成長したが,江戸初期に移封。大 ...
30. いせぶね【伊勢船】
国史大辞典
箱型の戸立造りにするのが特徴で、これを吾妻表と称し、大型軍船の安宅船や大型荷船に重用された。文禄・慶長の役当時の日本丸はじめ、三国丸・大一丸などの大安宅、徳川光 ...
31. いていあんあと【以酊庵跡】長崎県:下県郡/厳原町/府中城下/日吉町
日本歴史地名大系
筑前博多聖福寺一〇世の玄蘇は天正八年宗義智の請により来島、当庵を足場に外交書契の主管にあたった。文禄・慶長の役でも従軍し、明使との交渉に活躍、明皇帝神宗から蜀紅 ...
32. いとうすけたか【伊東祐兵】
国史大辞典
翌年八月飫肥・清武・田野など千七百町余に改められ、旧領を復した。同十八年家臣中に結党の徒あるを鎮め、文禄・慶長の役に従軍。文禄検地により三万六千石を確定。関ヶ原 ...
33. いなぐん・いなごう【伊奈郡・伊奈郷】長崎県:対馬国
日本歴史地名大系
。なお朝鮮王朝側は大将を島主代官宗盛親とする(「朝鮮王朝実録」中宗五年四月乙未条など)。文禄・慶長の役に出陣した郡編成で最大の部隊は柳川党で、島主宗義智の側近と ...
34. いなどめりゅう【稲富流】
国史大辞典
以て熱心に技術を探求する者(入門者)に対しては、むしろ開放的に誰にでも極意を伝授したから文禄・慶長の役ごろまでには銃技の秘伝は一般化され、また他の新流派に対し大 ...
35. いのうえ-ゆきふさ【井上之房】
日本人名大辞典
黒田職隆(もとたか),孝高(よしたか)(如水),長政,忠之(ただゆき)の4代につかえ,小田原攻め,文禄・慶長の役などで活躍。筑前福岡藩主となった長政の命で慶長9 ...
36. いまりまち【伊万里町】佐賀県:伊万里市
日本歴史地名大系
地の城山である。天正四年(一五七六)竜造寺隆信に攻略されたがまもなく鍋島氏の支配となる。文禄・慶長の役には鍋島直茂と配下は「伊万里津」から出帆、乗艦国吉丸は伊万 ...
37. いまりやき【伊万里焼】
国史大辞典
形の不安定な皿や碗・壺・鉢などが多く、模様も簡単な柳・松・梅・菊などで李朝磁器に類似している。文禄・慶長の役に従軍した鍋島氏の連れ帰った朝鮮人陶工の手になるもの ...
38. いもうむら【芋生村】熊本県:鹿本郡/鹿北町
日本歴史地名大系
金福寺は慶長の検地帳の下ケ名に「金福寺ノ前」がある。氏神は字鳥越にある金凝神社。村内に「慶心の碑」が建ち、文禄・慶長の役で加藤清正が連れてきた紙漉の工人慶心が移 ...
39. いわくらじょうあと【岩倉城跡】鳥取県:倉吉市/岩倉村
日本歴史地名大系
ている(豊臣記)。同年七月には南条元続が没し、元清は跡を継いだ幼少の元忠の後見役を勤め、文禄・慶長の役では南条元忠の代理として元清は兵一千五〇〇を率いて参陣して ...
40. いんとくたいへいき【陰徳太平記】
国史大辞典
正徳二年(一七一二)に刊行された。正矩の曾祖父光景は毛利元就、祖父春継は吉川元春の部将として活躍、父家景も文禄・慶長の役で武功があったが、戦いが止み武事に力が尽 ...
41. うきた‐ひでいえ【宇喜多秀家】
デジタル大辞泉
[1573〜1655]安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に仕え、四国・九州・小田原征討で軍功をあげ、文禄・慶長の役に参戦、五大老の一人となった。関ヶ原の戦いに敗れ、八 ...
42. ウシウマ
世界大百科事典
からなり上毛を欠く。夏にはほとんど無毛となり,灰色の地肌を現すが個体差がある。島津義弘が文禄・慶長の役に際し朝鮮から持ち帰り,風雪をきらう性質が強いので温暖な種 ...
43. うちぼう・そとぼう【内房・外房】千葉県:総論地図
日本歴史地名大系
延宝二年当時の海高は船役金・鰯干場金や各種魚種の請負などを含んでいた。横渚村(現鴨川市)は漁業権の正当性を文禄・慶長の役や大坂の両陣や江戸城の石垣普請などの際水 ...
44. うら・はま【浦・浜】
国史大辞典
和泉の堺浦、若狭の小浜のように都市として確立してゆくものもあった。しかし近世初頭、特に豊臣秀吉の文禄・慶長の役を契機に漁民に対する課役として水主役が設定されると ...
45. うるさんまちがかり【蔚山町懸】熊本県:熊本市/熊本城下
日本歴史地名大系
この道筋を一・二・三丁目、あるいは上ノ丁・下ノ丁・八百屋町と三町に分ける場合もある。町名は文禄・慶長の役の後、朝鮮の蔚山から連れてきた人々を住まわせたことに由来 ...
46. えいせん【永川】
国史大辞典
韓国またこれによる。益陽・永陽・二水などの別号がある。古来、東莱・慶州より漢城に至る東路の一要地。文禄・慶長の役に、日本軍はエグテンと称した。宣祖二十五年(一五 ...
47. えいとくじあと【永徳寺跡】熊本県:玉名市/高瀬町
日本歴史地名大系
ごとく紛失したという。その後、加藤清正が入国後に熊本に移すことを命じて堂宇を解体したが、文禄・慶長の役の出陣のため放置され、材木は腐朽し寺地も蔵床となり、加藤忠 ...
48. えいまんじむら【永満寺村】福岡県:直方市
日本歴史地名大系
ある(続風土記附録)。宅間の南部には慶長期の高取焼の窯跡が残る。高取焼は遠州七窯の一で、文禄・慶長の役後に黒田長政に従って渡来した朝鮮人陶工八山(のち高取八蔵) ...
49. えどじょう【江戸城】
国史大辞典
もって城東の日比谷入江が埋め立てられて平地化し、同三年には西ノ丸殿舎の建築も行われた。その後文禄・慶長の役、秀吉の病死、関ヶ原の戦などが続いたので築城は休止状態 ...
50. 江戸幕府
世界大百科事典
済の能力を欠く身分におとしめられたのであった。 天下統一の完成後に秀吉が無謀な朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を行ったのは,このようにして戦争に国民を動員することが, ...