NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 日本史
  8. >
  9. 奈良時代
  10. >
  11. 平城京

平城京

ジャパンナレッジで閲覧できる『平城京』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
平城京
へいぜいきょう
和銅三年(七一〇)から延暦三年(七八四)までの都城。日本最初の本格的な都城といわれる藤原京とは設計上密接な関係があるが、同時にまた律令国家の確立期にふさわしく、規模・立地において両者には格段の差がある。左右京おのおの九条四坊に区画され、南北四・八キロ、東西四・三キロの広さは藤原京の三倍の規模である。さらに左京東辺には二条―五条に十二坊分の外京がはりつく。街路の幅はさまざまあるが、最大の朱雀大路が両側溝心心間で約七二メートル、これにつぐ宮城南辺の二条大路が約三八メートルであるほかは、宮城門に通ずる街路を他の街路に比べて広くつくる設計になっている。このような設計は規模こそちがうが各都城に共通する。一坊は千八百尺(約五三三メートル)の大きさに割りつけられ、一坊はさらに縦横ともに四分割されて十六の坪に分かれるが、街路はその計画線を中心に設定されるから、路の広狭により坪の大きさに大小が生まれる。平安京が一坪を四百尺四方均一にしたのとは設計の手法がまったく異なっている。京の北中央部に宮城を置き、内裏・朝堂院のほか八省百官の曹司を配置した。宮城周辺には平安京の例から推して曹司の官衙町と称される仕丁などの住む町が置かれていたであろう。平城京内には寺院がかなりの数あり、厩坂寺や紀寺のように飛鳥古京から移建されたものや、西大寺や法華寺のごとく新しく建てられたものもある。東市・西市は左右京八条の地にそれぞれ四坪を占めて置かれた。市司に登録した市籍人だけが肆(いちくら、店舗)をもって売買することを許された。市の周りには諸国の調の運脚夫たちの宿処でもある調邸が置かれ、諸国は市において政府に納める調庸物を調整した。政府も財政操作の一つとして市を利用したし、京の住民もまた彼らの必要物資をここで買い整えた。京の行政は、一般の国制とは違う特別の行政区を設けて行われた。左右両京はそれぞれ左京職・右京職が管轄した。長官(大夫)の相当官位は、大国の長官(守)より二階級上の正五位上である。東西に並ぶ四坊ごとに坊令が、各坊には坊長が置かれ末端行政にあたった。京に本籍をもつものは京戸といわれる。天平五年(七三三)の『右京計帳』には、三条三坊と八条一坊に本籍をもつ十三戸の戸人の手実(しゅじつ)が収められている。一戸の平均戸口数は十六・四人である。京戸のなかには、五位以上の特権的な地位の貴族約百人、六位以下初位以上の官人約六百人、位階をもたない下級官人約六千人とその家族が含まれ、また中央官庁と直接関係をもたないものも多数いた。京戸の戸人はすべてが京に居住しているものではなかったといわれる。京に事実上居住していたものでは、京戸とは別に、僧尼や奴婢が相当数おり、仕丁や雇傭民・調庸運脚夫など全国から京に集まる短期滞在者もいた。これらを併せて平城京の人口は約十万人と計算されている。平城京の宅地班給規定は残っていないが、藤原京の例に照らして、官職・官位に応じて、四町を上限に、最小は十六分の一町ないしは三十二分の一町の規模であった。六位以下の中下級官人の生活は安定したものではなかったから、宅地を質物に借銭するものもいた(『正倉院文書』月借銭解)。一方において、遺跡が発見された右大臣長屋王邸は四町の規模をもち、その邸宅跡から出土した数万点にのぼる木簡は、奈良時代の皇親貴族の家政機関がどのように運用されたかを知る貴重な資料である。→奈良(なら)
(狩野 久)


世界大百科事典
平城京
へいじょうきょう

奈良時代の都城。710年(和銅3)藤原京から遷都し,この間一時恭仁(くに)京,難波京などへの遷都もあったが還都し,784年(延暦3)に長岡京へ遷都するにおよんで廃絶した。京は南北4.8km,東西4.3kmにおよぶ平面をもち,その中央北端に平城宮をおき,中央には南北に朱雀大路を通して,京を左右にわけ,また左右京はそれぞれ条坊に区画されていた。道路は条坊にそくして東西・南北に作られ,方格の地割を形成していた。その中はさらに16の坪にわかれていた(条坊制)。また左京の東辺は二条から五条にかけて東へ3坊分はり出していて外京と称しており,右京の北辺は2町分の北辺坊があったといわれている。

平城京にはおよそ15万人が住んでいたといわれている。このうち政治的特権をもつ貴族の階層はごくかぎられ,100人くらいの貴族とその一族とである。このほかは平城宮に出仕する6000人近い役人とその家族,平城京が設定される以前からこの地域に住んでいた農民,および地方から徴発されてきた役夫等が居住していたと思われる。このような人々の居住区とならんで,右京八条二坊に西市,左京八条三坊に東市がおかれ,毎月の前半と後半とにわけて交互に市が開かれ,絁(あしぎぬ),糸,米,針,土器,魚等が売られてにぎわったらしい。このほか,平城京内には薬師寺,大安寺,唐招提寺,西大寺,東大寺(京の東に接している)などの寺院がつくられ,偉容をほこっていた。

平城京はかなり広大な地をしめており,その設計の基準になったのは大和盆地を南北にはしる下ッ道と中ッ道であったといわれている。この二つの道は平城京に先行する藤原京の東西の西辺になっていた。平城京はそのうちの下ッ道を中軸線にして,西に藤原京の東西幅の分だけ,すなわち2倍にひろげて設計されたものとされている。したがって,平城京の都市計画は中国の都城のプランを直接そのまままねたものではなく,日本で独自に藤原京のスタイルを発展させたものであったことが明らかにされている。

平城京内についての詳細な生活を復元していくことは,近年の発掘成果の急速な発展にもかかわらず,まだまだわかっていないことの方が多い。今日までの発掘の結果得られた知識としては,つぎのような事例がおもだったものである。貴族の宅地としては左京一条三坊で見つかったものと,左京三条二坊で見つかったものとがある。前者は主殿の東西に殿舎を配置した主要部分を中心にして,東南すみに古墳の葺石をそのまま利用した園池をもっていた。出土した木簡には官奴婢の関係のものや参河国からの貢進物についた荷札などがあり,公的身分の高い人物,皇族等の宅地ではなかったかと推定されている。また後者はほぼ1坪分の宅地をもち,東西に大きく塀で区分され,西の方が主人の屋敷らしく前殿と主殿と後殿とからなる。東の方も同じ構成からなるが別の家族の建物らしい。ただし井戸は共有していた。中級貴族の宅地と考えられている。

庶民の宅地は左京八条三坊の東市に北接したところで見つかっている。宅地は奥行きが50mほどあり,間口は10mないし15mで小さい。これは中世の奈良の町屋でも継承された細長い宅地の形をなしており,平安京とも似ている。宅地が広いわりに建物は小さく,小規模の掘立柱建物2,3棟と井戸から構成されている。当時平城京の一般的な戸(こ)として編成されていた単位はほぼ15人前後であったから,人別の居住空間としてはかなりせまいものであったと考えられる。

このほか,平城京内での顕著な遺跡としては左京三条二坊で見つかった離宮跡がある。これは直径50mほどある蛇行する池を中心につくられた1坪以上の規模の離宮跡である。池は水深30cmほどで水のとり入れ口と排水口のところに大仕掛けの木樋があって,池内の水をたえず一定の量に調節することができるようになっていた。出土木簡に,長屋王に関連のある北宮と記したものがあり,北宮と称された離宮の可能性も一応推定されている。

平城京の中央をはしる主要な道路である朱雀大路も,発掘によって幅が確かめられた。東西の側溝の中心からの距離では約73.4mあり,平安京の71.7mよりやや広い。この北端には朱雀門,南端には羅城門があった。羅城門は平城京の南辺を20mひろげてはり出した部分に造営され,その南は三橋の小字名が今日残されているように三つの橋がかけられ,京外の下ッ道に通じていたと思われる。
[鬼頭 清明]

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


平城京の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 1176
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 平城京
日本大百科全書
の貢納に依拠していたのである。平城京内の東西市の交易はかかる貢納経済を補うものであって、それが平城京の経済の基礎であったわけではないのである。 このような平城京 ...
2. 平城京
世界大百科事典
られてにぎわったらしい。このほか,平城京内には薬師寺,大安寺,唐招提寺,西大寺,東大寺(京の東に接している)などの寺院がつくられ,偉容をほこっていた。 平城京は ...
3. へいじょう‐きょう【平城京】地図
デジタル大辞泉
《「へいぜいきょう」とも》元明天皇の和銅3年(710)藤原京から遷都し、桓武天皇の延暦3年(784)長岡京に遷都するまでの間の都。現在の奈良市市街から西南方にあ ...
4. へいじょう‐きょう[ヘイジャウキャウ]【平城京】
日本国語大辞典
(「へいぜいきょう」とも)元明天皇の和銅三年(七一〇)藤原京から移り、桓武天皇の延暦三年(七八四)長岡京に移るまでの間の都。この間天平一二年(七四〇)から同一七 ...
5. へいぜい‐きょう【平城京】
デジタル大辞泉
⇒へいじょうきょう(平城京)  ...
6. へいぜいきょう【平城京】
国史大辞典
仕丁や雇傭民・調庸運脚夫など全国から京に集まる短期滞在者もいた。これらを併せて平城京の人口は約十万人と計算されている。平城京の宅地班給規定は残っていないが、藤原 ...
7. へいじょうきょう【平城京】
国史大辞典
⇒へいぜいきょう  ...
8. へいぜい‐きょう[‥キャウ]【平城京】
日本国語大辞典
〓へいじょうきょう(平城京) ...
9. へいじょうきょうあと・へいじょうきゅうあと【平城京跡・平城宮跡】奈良県:奈良市
日本歴史地名大系
京の基礎単位である一坊の規模は、藤原京の一坊の四倍の広さである。この平城京の九条四坊制、一坊の大きさは、長岡・平安両京に受継がれた。さらにまた、平城京の都城構造 ...
10. 平城京と平城宮[百科マルチメディア]
日本大百科全書
〓Shogakukan ...
11. へいじようきようないいせき【平城京内遺跡】奈良県:奈良市/平城京跡・平城宮跡
日本歴史地名大系
「中務省」などの官人名の記載例からみると、離宮的な遺跡と考えるのが妥当ではないかと思われる。「平城京左京三条二坊宮跡庭園」として国の特別史跡に指定されている。〔 ...
12. へいぜいきょうさきょうさんじょうにぼうみやあとていえん【平城京左京三条二坊宮跡庭園】
国史大辞典
→長屋王邸宅跡(ながやおうていたくあと),→平城京(へいぜいきょう) [参考文献]奈良国立文化財研究所編『平城京左京三条二坊六坪発掘調査報告』、奈良市編『特別史 ...
13. 平城京条坊制復原図[図版]
国史大辞典
古代を考える奈良 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
14. 平城京復元図[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
15. あいかぐん【秋鹿郡】島根県:出雲国
日本歴史地名大系
大野津神社(大野津社、現松江市大野町の大野津神社に比定)である(括弧内の社名は風土記の表記)。平城京二条大路跡出土木簡に「出雲国秋鹿郡多太郷中男作物海藻陸斤籠重 ...
16. あえかごう【安平郷】兵庫県:淡路国/津名郡
日本歴史地名大系
」と訓ずる。高山寺本は「安平」、東急本は「平安」と記している。天平七年(七三五)頃と思われる平城京跡出土木簡に「(表)淡路国津名郡□餅郷人夫」「(裏)海部荒海調 ...
17. 赤米
世界大百科事典
は古くから赤色の米がつくられ,特別視されていた。奈良時代の木簡によると,尾張,播磨,但馬から平城京へ貢進されていた。また《兵庫北関入船納帳》によると,1445年 ...
18.&nnbsp;あかほしのさと【赤星里】静岡県:駿河国/益頭郡・益津郡
日本歴史地名大系
古代郷里制下の高楊郷の里。天平七年(七三五)から同一一年頃の平城京跡出土木簡(「平城宮木簡概報」二二―二二頁)に「高楊郷赤星里」とみえる。比定地未詳。 ...
19. あきごう【安吉郷】滋賀県:近江国/蒲生郡
日本歴史地名大系
一日の源昇家領近江国土田庄田地注文(東寺文書)にみえ、郷内に「土田庄」があったことがわかる。平城京長屋王家木簡には「蒲生郡□支里」、「今昔物語集」巻二七には「安 ...
20. あさいぐん【朝夷郡】千葉県:安房国
日本歴史地名大系
同六年の紀年銘のある平城宮跡出土木簡に安房国朝夷郡健田郷仲村里戸私部真鳥、天平五年(七三三)銘の平城京(二条大路大溝)跡出土木簡に安房国朝夷郡健田郷柏原里卜部神 ...
21. あさづまごう【朝妻郷】滋賀県:近江国/坂田郡
日本歴史地名大系
「和名抄」東急本は「安佐都末」(アサツマ)と訓ずる。平城京長屋王家木簡に「坂田郡旦女里穴大主寸□」とあり、また「興福寺官務牒疏」には「歓喜光寺、在坂田郡朝儒東宇 ...
22. あしもりごう【足守郷】岡山県:備中国/賀陽郡
日本歴史地名大系
、戸主建部千先の戸口建部気津売が一〇四束、建部智麻売が一〇四束の大税を借りて死亡したとある。平城京跡出土木簡の「(表)〓 ...
23. あしゅく‐じ【阿〓寺】
日本国語大辞典
天長年間(八二四〜八三四)に廃絶。〔二〕天応元年(七八一)、石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が平城京付近にあった私邸を寺にしたもの。寺内にわが国最初の図書館、芸 ...
24. 排蘆小船(近世随想集) 365ページ
日本古典文学全集
契沖の影響により、『古事記』歌謡に目を向けていたことが知られる。記紀歌謡のうち、神代の章段に所出のもの。平城京に遷都したのちの約五十年で、『万葉集』の歌風の第三 ...
25. あすか【明日香・飛鳥】
全文全訳古語辞典
[地名]現在の奈良県高市郡明日香村一帯。耳成山の南、畝傍山の東にあたり、飛鳥川がその中央を流れる。推古朝以後平城京へ遷るまでの百二十年間皇居が造営された。仏教も ...
26. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
承安二年一二月「藤原貞友田地売券」など)があり、式内飛鳥田神社(同区下鳥羽城ノ越町)が所在する。さらに平城京内の佐保川・率川合流地にも小字飛鳥田がみられるなど、 ...
27. 飛鳥時代
日本大百科全書
受けた文武の母元明天皇(げんめいてんのう)(在位707~715)が710年(和銅3)都を藤原京から平城京へ移すに及んで、飛鳥時代はその終わりを告げ、奈良時代が始 ...
28. 飛鳥時代
世界大百科事典
政権の所在地による日本史の時代区分法によって,推古天皇が豊浦宮で即位した592年から,710年(和銅3)の平城京遷都までの100余年間をいう。この間,孝徳朝に難 ...
29. あすか‐じだい【飛鳥時代】
日本国語大辞典
奈良盆地の南部、飛鳥の地に都があった時代。推古天皇即位の年(五九二)から元明天皇の平城京遷都の和銅三年(七一〇)まで、あるいは持統天皇の藤原京遷都(六九四)まで ...
30. あすかじだい【飛鳥時代】
国史大辞典
飛鳥時代の範囲には諸説がある。(一)推古天皇が飛鳥豊浦宮に即位した崇峻天皇五年(五九二)から元明天皇が平城京に遷都した和銅三年(七一〇)までの一世紀余り。この間 ...
31. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
遣唐使任命(翌年出発)707(慶雲4)阿閇皇女即位(元明天皇)708(和銅1)和銅開珎をつくる710(和銅3)平城京遷都 ...
32. 飛鳥寺
世界大百科事典
建てて住んでいる。藤原京の時代は四大寺の一つに数えられているが,平城京遷都にともない,718年(養老2)金堂・塔など一部の建物を残して平城京へ移転した。この奈良 ...
33. あすか‐でら【飛鳥寺】
デジタル大辞泉
呼ばれた寺。推古天皇4年(596)蘇我馬子(そがのうまこ)の建立と伝えられる。平城遷都に伴い平城京に元興寺建立後は本元興寺と呼ばれた。現在、安居院と飛鳥大仏が残 ...
34. あすかでら【飛鳥寺】
国史大辞典
奈良県高市郡明日香村飛鳥にあり、法興寺・大法興寺・元興寺と号し、平城京の元興寺に対して本元興寺と呼び、現在は新義真言宗で安居院(あんごいん)という。蘇我馬子が ...
35. あすかべぐん【安宿郡】大阪府:河内国
日本歴史地名大系
国吉年六十五、河内国安宿郡人」とあることで、安宿郡を本貫としたことがわかる。奈良時代、天皇が平城京と難波との往復の際にしばしば宿泊した大県郡の竹原井頓宮(現柏原 ...
36. あすかむら【明日香村】奈良県:高市郡
日本歴史地名大系
石造物が点在する。なお近年の発掘により、嶋宮伝承地などの遺跡も確認されている。都が藤原京から平城京へ移るに伴い、飛鳥寺(元興寺)・大官大寺(大安寺)など主要寺院 ...
37. あたみし【熱海市】静岡県
日本歴史地名大系
は九世紀代の緑釉陶器(美濃産)が発見され、この遺跡の経済力が注目される。古代は田方郡に属し、平城京跡出土木簡によると天平七年(七三五)に同郡「有雑郷多賀里」から ...
38. あだちぐん【足立郡】埼玉県:武蔵国
日本歴史地名大系
・桶川市・北本市と北足立郡吹上町・草加市・鴻巣市の大部分および東京都足立区にあたる。〔古代〕平城京の長屋王邸宅跡から出土した木簡に「武蔵国足立郡土毛蓮子一斗五升 ...
39. あだちぐん【足立郡】東京都:武蔵国
日本歴史地名大系
神社・調神社・多気比売神社の四社をあげるが、都内に比定される神社はない。〔古代〕郡名の初出は平城京左京三条二坊のいわゆる長屋王邸跡から出土した木簡で、「武蔵国足 ...
40. あなごう【阿那郷】滋賀県:近江国/坂田郡
日本歴史地名大系
「和名抄」は諸本とも訓を欠くが、用字から、また平城京長屋王家木簡に「尺太郡穴里大伴志伊俵」とあることからアナであろう。郷名の初出も同木簡で、郡里制をとっているこ ...
41. あなしごう【安志郷】兵庫県:播磨国/宍粟郡
日本歴史地名大系
堰止めて三形(御方)里の側に流してしまった。それでこの川の水が少なくなったとする伝承を記す。平城京跡出土木簡に「(表)播磨国宍禾郡山守里」「(裏)山部加之ツ支」 ...
42. あべぐん【安倍郡】静岡県:駿河国
日本歴史地名大系
「和名抄」には川辺・埴生・広伴・葛間・美和・川津・八祐・横太の八郷がみえる。ほかに天平七年(七三五)一〇月の平城京跡出土木簡(「平城宮木簡概報」二二―二二頁)に ...
43. 阿倍宿奈麻呂
世界大百科事典
4年(慶雲1)阿倍と改姓した。翌年従四位上で中納言に任ぜられ,708年(和銅1)正四位上で造平城京司長官となった。ついで718年正三位で大納言に任ぜられ,720 ...
44. あべのすくなまろ【阿倍宿奈麻呂】
国史大辞典
殿垣司、慶雲元年(七〇四)阿倍朝臣と改姓。同二年従四位上中納言、和銅元年(七〇八)正四位上造平城京司長官、同二年従三位、養老元年(七一七)正三位、翌年大納言、同 ...
45. あべの-すくなまろ【阿倍宿奈麻呂】
日本人名大辞典
慶雲(きょううん)4年文武天皇の葬儀の造御竈司をつとめた。慶雲2年参議をへずに中納言となり,造平城京司長官ののち,養老2年大納言にすすむ。ときに正三位。藤原仲麻 ...
46. あまぐん【海部郡】島根県:隠岐国
日本歴史地名大系
載せるが、藤原宮跡出土木簡に前里、平城宮跡出土木簡に佐吉郷・「□宅郷」、平城京二条大路跡出土木簡に御宅郷などとあり、藤原京・平城京時代は三ヵ郷以上が存在したと推 ...
47. あまごう【海部郷】島根県:隠岐国/海部郡
日本歴史地名大系
同書東急本は「安末」の訓を付す。藤原宮跡出土木簡に海評海里軍布など貢進海産物荷札が多くみえる。平城京二条大路跡出土木簡によれば天平七年(七三五)海部郡海部郷宇智 ...
48. 操り
世界大百科事典
意味するが,狭義には文楽人形を指す。〈あや〉は糸のことで,本来は糸操り(マリオネット)の意味と思われる。平城京跡から糸操りの人形が出土している事実を見ても古代か ...
49. 愛発関
世界大百科事典
後も806年3月桓武天皇が没した際には固守されている。しかし810年(弘仁1)9月平城上皇が平城京に移った薬子の変の際には愛発関にかわり近江国の関が固められてい ...
50. あわぐん【安房郡】千葉県
日本歴史地名大系
郡」と記された平城宮跡出土木簡がある。安房国成立後、神亀三年(七二六)采女貢進を停めて兵衛を平城京に上らせることとしている(「続日本紀」九月四日条)。また郡郷里 ...
「平城京」の情報だけではなく、「平城京」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

平城京と同じ奈良時代カテゴリの記事
奈良時代(世界大百科事典)
政権の所在地による日本史の時代区分法によって,710年(和銅3)に平城京へ遷都してから784年(延暦3)に長岡京に遷都するまで,元明,元正,聖武,孝謙,淳仁,称徳(孝謙重祚),光仁の7代の天皇の治世70余年間をいい,ほぼ8世紀の大半がこの時代に相当
養老律令(国史大辞典・世界大百科事典)
律令国家を規制した基本法典。律十巻・令十巻から成る。奈良時代の初め、政界の実力者になった右大臣藤原不比等は、さきにみずから実質上の編纂主任をつとめた『大宝律令』が、用字その他の点で若干の不備があることを考慮し、おそらく孫の首皇子(のちの聖武天皇、母は不比等の女宮子娘)
遣唐使(国史大辞典・世界大百科事典)
遣唐使けんとうし七世紀前半から九世紀にかけて、日本から唐に派遣された公式の使節。舒明天皇二年(六三〇)八月に犬上御田鍬らを派遣したのを最初とし、寛平六年(八九四)に菅原道真の建議によって停止されるまで、およそ二十回の任命があり、うち十六回が
大宝律令(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
律令時代盛期の基本法典。刑部親王らの撰。律六巻・令十一巻。施行期間は、令が大宝元年(七〇一)から、律が翌二年から、いずれも『養老律令』に代わった天平宝字元年(七五七)まで。『養老律令』に対して古律・古令という。かねてから夫の天武天皇とともに律令制定を命じていた
平城京(国史大辞典・世界大百科事典)
平城京へいぜいきょう和銅三年(七一〇)から延暦三年(七八四)までの都城。日本最初の本格的な都城といわれる藤原京とは設計上密接な関係があるが、同時にまた律令国家の確立期にふさわしく、規模・立地において両者には格段の差がある。左右京おのおの九条
奈良時代と同じカテゴリの記事をもっと見る


「平城京」は歴史に関連のある記事です。
その他の歴史に関連する記事
満州国(日本大百科全書・世界大百科事典)
日本が満州事変によってつくりあげた傀儡(かいらい)国家。1932年(昭和7)から1945年まで、中国東北地方と内モンゴルをおもな領域として存立した。[君島和彦]▲前史満州とは現在の中国東北3省(遼寧(りょうねい)、吉林(きつりん)、黒竜江
モンゴル帝国史(東洋文庫)
東洋文庫110 ドーソン 佐口透訳注 "全ユーラシア大陸を馬蹄の響きととも席巻した空前絶後の大帝国の征服の記録。かつて『蒙古史』の名で読書人を魅了した名著が,詳細な訳注を付した初の口語全訳として再登場。各巻に解説, 文献案内, 年表, 索引を付す
青銅器(国史大辞典・世界大百科事典)
前三千年紀に西アジアで人類が発明した銅と錫の合金製の文明の利器。利器・武器から儀器・宝器・美術工芸品など時代の移り変りとともに広く多用され現在に至る。中国では前千六百年紀の夏時代にさかのぼり、殷・周・漢の三代に著しく発達
大津事件(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
明治二十四年(一八九一)滋賀県大津で護衛巡査が来日中のロシア皇太子を負傷させた事件。湖南事件ともいう。シベリア鉄道起工式に参列する途中来日したロシア皇太子ニコラス=アレクサンドロビッチ(のちの皇帝ニコライ二世)は長崎・鹿児島を経て五月九日京都に入った
平城京(国史大辞典・世界大百科事典)
平城京へいぜいきょう和銅三年(七一〇)から延暦三年(七八四)までの都城。日本最初の本格的な都城といわれる藤原京とは設計上密接な関係があるが、同時にまた律令国家の確立期にふさわしく、規模・立地において両者には格段の差がある。左右京おのおの九条
歴史に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶