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義経千本桜

ジャパンナレッジで閲覧できる『義経千本桜』の歌舞伎事典・日本大百科事典・世界大百科事典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典

義経千本桜
よしつねせんぼんざくら
 人形浄瑠璃。二世竹田出雲・三好松洛・並木千柳作。延享四(1747)年一一月大坂・竹本座初演。五段。内題の角書に「大物だいもつ船矢倉/吉野花矢倉」とある。《菅原伝授手習鑑》《仮名手本忠臣蔵》と並ぶ人形浄瑠璃全盛期の名作であるとともに、九郎判官源義経に関する稗史・伝説などに取材したいわゆる〈判官物〉のうち、最も著名な作品の一つである。しかし、構想の中心は義経にはなく、「親兄の礼を重んずる者が平家の首の内新中納言知盛。三位中将惟(維)盛。能登守教経。此三人の首は贋者。なぜ偽つて渡 したぞ」(初段)という川越太郎の言葉に示唆されているとおり、焦点は滅びゆく平家の三人の武将の運命に合わされており、それに、いがみの権太と狐忠信の挿話が絡む。なお、初演の際、狐忠信の人形に耳の動く仕掛が考案され、また、その衣裳の模様には、四段目の狐場を語った二世竹本政太夫の源氏車の紋が利用されたと伝えられている(《浄瑠璃譜》)。
【初段】
 (大序=大内)義経は、八島の合戦の恩賞として、後白河法皇より、千年の劫を経た牝狐・牡狐の皮で作った初音の鼓を賜る。左大臣藤原朝方は、院宣と偽り、鼓に事寄せて、頼朝を討てと命じるが、義経は肯んじない。(中=北嵯峨庵室)所縁ある尼僧の庵にかくまわれている維盛の御台若葉の内侍と嫡子六代君のもとに、笠売りに身をやつした忠臣小金吾武里が訪れ、維盛は高野に入山したとの噂を伝え、二人を荷底に隠して旅立つ。(切=堀川館)頼朝の名代川越太郎は、義経に、平時忠の娘卿の君をめとった真意をただし、逆に、義経に、川越太郎こそ卿の君の実父、その事実を主張せぬのは卑怯だとなじられる。恥じて切腹しようとする川越の刀を取って卿の君は自害。押し寄せる討手を避けて義経は館を立ち退く。【二段目】(口=伏見稲荷)静御前が義経の後を追ってきて、供を願うが許されず、初音の鼓を授かって別れることとなる。討手が静を襲う。佐藤忠信が現れて静を助け、その功によって、源九郎義経の名と鎧を与えられる。(中=渡海屋)平知盛は西海で入水したと見せかけ、安徳帝と典侍の局を伴い、銀平と改名、大物の浦で船商売を営んでいる。日和待ちのために逗留していた義経を討ち取ろうと、銀平は難風の夜に船を出し、義経主従を沖へ誘う。(切=大物浦)知盛は敗れ、知らせを受けた局が帝を抱いて入水しようとするのを、計略の裏をかいた義経が助ける。深傷ふかでを負って立ち返る知盛は、出家を勧められるが断り、碇を担いで海に飛び込む。局も、帝の行末を義経に頼んで自害する。
【三段目】
 (口=椎の木)内侍・六代を連れた小金吾は、吉野下市村の茶店に憩い、鮓屋弥左衛門の伜で〈いがみ〉と異名を取る、小悪党権太郎に金を騙られる。内侍に心を寄せる朝方の追手が襲う。小金吾は敵を討ち、自身も深傷に絶命する。内侍たちが落ちのびた後に弥左衛門が通りかかり、小金吾の首を落として持ち帰る。(切=鮓屋)内侍・六代は弥左衛門の家に宿を求め、そこにかくまわれている弥助こと維盛に再会する。梶原景時が詮議にくるとの知らせに三人は脱出。だが、権太が維盛の首を取り、内侍・六代を捕らえて梶原に差し出し、褒美に陣羽織をもらう。怒った弥左衛門が権太を刺す。権太は、改心して三人を助けたことを告げ、首は小金吾の首、内侍・六代とは自分の妻子だと語る。陣羽織の中から袈裟・衣・数珠が現れ、維盛は、頼朝の心を察して出家する。
【四段目】
 (道行)静・忠信の、吉野への道行。(奥=蔵王堂)義経が吉野山に入ってきた場合、かくまうべきか否か。一山の検校職河連法眼を中心に、横川の覚範をはじめ衆徒たちが評議する。(口=河連館)義経は、すでに法眼の館にかくまわれている。故郷に帰っていた佐藤忠信が馳せ参じる。そこへ、静を連れた忠信がやってくる。(中=同)静とともに現れた忠信は、実は狐。初音の鼓に使われた牝狐・牡狐の子で、親を慕い、忠信に化けて、鼓を持つ静に付き従っていたのである。義経は、その志を愛でて鼓を与える。狐は、衆徒たちの夜討の企てを告げ、通力でおびき寄せて滅ぼすと誓う。(切=同)攻め入った衆徒たちは次々に討たれる。最後に現れたのが覚範。実は、八島において、忠信の兄次(継)信を一矢で射殺し、入水と見せて生き延びた教経である。義経に、吉野の花矢倉で忠信と戦えといわれ、勝負の期を延ばす。
【五段目】
 (吉野山)教経との一騎討に、忠信が危うく見えたとき、狐が出てきて助ける。そこへ川越太郎が、悪行の露見した朝方をいましめてやってくる。平家追討の院宣も朝方の仕業であった。教経はその首を討ち、忠信に討たれる。
 「古今の大当り」(《浄瑠璃譜》)をとった本作は、ただちに歌舞伎に移され、延享五(1748)年五月江戸・中村座で上演された。その後、二・三・四段目を中心に上演が重ねられて、今日に至っている。鑑賞の要点は、〈鳥居前〉の忠信の狐六方、品格と大きさ、悲壮感を求められる知盛の役づくり、典侍の局の世話女房から局への変化、権太を江戸っ子として扱う菊五郎系演出と、大和のごろつきとして演じる団蔵系の演出との差異、狐忠信の狐言葉や、超能力を表す特殊演出などにあり、また知盛・権太・忠信を一人で演じ分けるのが名優の条件とされている。なお江戸歌舞伎では道行を豊後節系浄瑠璃に改めて上演する場合が多く、中でも、文化五(1808)年中村座所演の《幾菊蝶初音道行いつもきくちょうはつねのみちゆき》(通称《忠信》)が名高い。
[今尾 哲也]


日本大百科全書(ニッポニカ)

義経千本桜
よしつねせんぼんざくら

浄瑠璃義太夫 (じょうるりぎだゆう)節。時代物。5段。2世竹田出雲 (いずも)、三好松洛 (みよししょうらく)、並木千柳 (せんりゅう)合作。1747年(延享4)11月、大坂・竹本座初演。通称「千本桜」。源義経失脚のとき、平家の武将新中納言知盛 (しんちゅうなごんとももり)、三位中将維盛 (さんみのちゅうじょうこれもり)、能登守教経 (のとのかみのりつね)の3人が実は生きていて再挙を図る話に、吉野地方の伝説を結び付けて脚色。『菅原伝授手習鑑 (すがわらでんじゅてならいかがみ)』『仮名手本忠臣蔵 (かなでほんちゅうしんぐら)』とともに浄瑠璃の三大傑作とされ、初演の翌年には歌舞伎 (かぶき)に移され、人形浄瑠璃と歌舞伎の両方で代表的な人気演目になった。

[松井俊諭]

初段―大内・北嵯峨庵室・堀河御所(川越上使)

平家滅亡後、義経は、左大臣藤原朝方 (ともかた)から勅諚 (ちょくじょう)の名で、兄頼朝 (よりとも)を討てとの謎 (なぞ)を込めた初音 (はつね)の鼓を授かり、一方頼朝からは、知盛・維盛・教経の3人を討てなかったことと、平時忠 (ときただ)の娘卿 (きょう)の君 (きみ)を妻としていることについて疑いをかけられる。頼朝の上使川越太郎へは、卿の君の自害により申し開きがたつが、家臣弁慶が鎌倉勢と衝突したため、やむなく都を落ちる。一方、維盛の御台若葉内侍 (みだいわかばのないじ)と子の六代君 (ろくだいぎみ)は北嵯峨に身を潜めていたが、大和 (やまと)にいるという噂 (うわさ)の維盛を尋ね、忠臣主馬小金吾 (しゅめのこきんご)を供に旅立つ。

[松井俊諭]

二段―伏見稲荷鳥居前・渡海屋・大物浦

義経は伏見で、駆けつけた佐藤忠信 (ただのぶ)に愛妾 (あいしょう)静御前 (しずかごぜん)と初音の鼓を預け、九州路へ向かう。一行は大物浦で渡海屋銀平に船を調達させるが、この銀平こそ実は幼い安徳 (あんとく)帝を典侍局 (すけのつぼね)とともに守護していた知盛だった。知盛は好機到来と船幽霊の姿で義経を襲うが、敗れて深傷 (ふかで)を負い、幼帝を義経に託し、碇 (いかり)を背負って入水 (じゅすい)する。

[松井俊諭]

三段―椎の木茶屋(木の実)・小金吾討死・鮓屋

内侍一行は大和路の下市村で「いがみ」と異名をとる無頼漢の権太に金をゆすり取られ、そのあと追手のため小金吾は討ち死にする。権太の父、釣瓶 (つるべ)鮓屋の弥左衛門は維盛を下男弥助としてかくまっていたが、梶原景時 (かじわらかげとき)から維盛引き渡しを命ぜられ、たまたま手に入れた小金吾の首を身替りにたてようとする。権太の妹お里は弥助を恋していたが、内侍母子の来訪によって素性を知り、恋をあきらめる。権太は維盛の首と御台、若君を梶原に引き渡し、怒った弥左衛門に刺されるが、実はすでに改心していて、小金吾の首と自分の妻子を身替りにしたと打ち明けて死ぬ。

[松井俊諭]

四段―道行初音旅・川連館

その後、義経は吉野の川連法眼 (ほうげん)のもとに寓居 (ぐうきょ)、これを知った静御前は忠信を供に吉野へ急ぐ。しかし、2人が川連館へ着くと、もう一人の忠信が先にきている。静が供をしてきた忠信を詮議 (せんぎ)すると、初音の鼓の皮に使われた親狐 (ぎつね)を慕う子狐の化身だった。義経はその孝心を哀れみ、狐に源九郎の名と鼓を与え、感謝した源九郎狐は、夜討の悪僧どもを通力で翻弄 (ほんろう)し、悪僧の頭目横川 (よかわ)の覚範 (かくはん)の正体を能登守教経と見あらわす。

[松井俊諭]

五段―吉野山

教経は諸悪の根元朝方を斬 (き)り、忠信に討たれる。

 落ちゆく者、滅びる者の哀れさに狐の化身の骨肉愛も絡ませ、前記三大傑作のなかでももっとも詩情に富んだ作品。二段目「渡海屋」から「大物浦」にかけては「碇知盛」ともよばれ、謡曲『船弁慶』の伝説を裏返し、生きていた知盛の重厚壮大な悲劇。三段目「椎の木」から「鮓屋」は、いがみの権太の犠牲行為を、写実味の濃い世話場の演出で描く。全編の主人公ともいえるのが狐忠信の役で、とくに歌舞伎では「鳥居前」の荒事 (あらごと)、「道行」(今日では清元 (きよもと)地のものが多い)の舞踊、「川連館」の幻想味豊かな義太夫劇スタイルなど、変化に富んだ演出が楽しめる。

[松井俊諭]



世界大百科事典

義経千本桜
よしつねせんぼんざくら

人形浄瑠璃。時代物。5段。2世竹田出雲,三好松洛,並木千柳(並木宗輔)作。1747年(延享4)11月大坂竹本座初演。内題の角書に〈大物船矢倉(だいもつのふなやぐら)吉野花矢倉(よしののはなやぐら)〉とある。《菅原伝授手習鑑》《仮名手本忠臣蔵》と並ぶ人形浄瑠璃全盛期の名作であるとともに,九郎判官源義経に関する稗史,伝説などに取材したいわゆる〈判官(ほうがん)物〉のうち,最も著名な作品の一つである。しかし,構想の中心は義経にはなく,〈親兄の礼を重んずる者が平家の首の内,新中納言知盛,三位中将惟(維)盛,能登守教経,此三人の首は贋者。なぜ偽つて渡したぞ〉(初段)という川越太郎の言葉に示唆されているとおり,焦点は滅びゆく平家の3人の武将の運命に合わされており,それに,いがみの権太と狐忠信の挿話が絡む。なお,初演の際,狐忠信の人形に耳の動く仕掛けが考案され,また,その衣装の模様には,四段目の狐場を語った2世竹本政太夫の源氏車の紋が利用されたと伝えられている(《浄瑠璃譜》)。

 (1)初段 (大序=大内)義経は,八島の合戦の恩賞として,後白河法皇より,千年の劫を経た牝狐・牡狐の皮で作った初音の鼓を賜る。左大臣藤原朝方は,院宣と偽り,鼓に事寄せて,頼朝を討てと命じるが,義経は肯んじない。(中=北嵯峨庵室)所縁ある尼僧の庵にかくまわれている維盛の御台若葉の内侍と嫡子六代君のもとに,笠売りに身をやつした忠臣小金吾武里が訪れ,維盛は高野に入山したとの噂を伝え,2人を荷底に隠して旅立つ。(切=堀川館)頼朝の名代川越太郎は,義経に,平時忠の娘卿の君(きようのきみ)をめとった真意をただし,逆に,義経に,川越太郎こそ卿の君の実父,その事実を主張せぬのは卑怯だとなじられる。恥じて切腹しようとする川越の刀を取って卿の君は自害。押し寄せる討手を避けて義経は館を立ち退く。(2)二段目 (口=伏見稲荷)静御前が義経の後を追ってきて供を願うが許されず,初音の鼓を授かって別れることとなる。討手が静を襲う。佐藤忠信が現れて静を助け,その功によって源九郎義経の名と鎧を与えられる。(中=渡海屋)平知盛は西海で入水したと見せかけ,安徳帝と典侍の局(すけのつぼね)を伴い,銀平と改名,大物の浦で船商売を営んでいる。日和待ちのために逗留していた義経を討ち取ろうと,銀平は難風の夜に船を出し義経主従を沖へ誘う。(切=大物浦)知盛は敗れ,知らせを受けた局が帝を抱いて入水しようとするのを,計略の裏をかいた義経が助ける。深傷(ふかで)を負って立ち返る知盛は出家を勧められるが断り,碇(いかり)を担いで海に飛び込む。局も帝の行末を義経に頼んで自害する。(3)三段目 (口=椎の木)内侍と六代を連れた小金吾は,吉野下市村の茶店に憩い,鮓屋(すしや)弥左衛門の伜で〈いがみ〉と異名を取る小悪党権太郎に金を騙られる。内侍に心を寄せる朝方の追手が襲う。小金吾は敵を討ち,自身も深手に絶命する。内侍たちが落ちのびた後に弥左衛門が通りかかり,小金吾の首を落として持ち帰る。(切=鮓屋)内侍と六代は弥左衛門の家に宿を求め,そこにかくまわれている弥助こと維盛に再会する。梶原景時が詮議にくるとの知らせに3人は脱出。だが,権太が維盛の首を取り,内侍と六代を捕らえて梶原に差し出し,褒美に陣羽織をもらう。怒った弥左衛門が権太を刺す。権太は改心して3人を助けたことを告げ,首は小金吾の首,差し出した内侍・六代とは自分の妻子だと語る。陣羽織の中から袈裟,衣,数珠が現れ,維盛は頼朝の心を察して出家する。(4)四段目 (道行=道行初音の旅)静・忠信の,吉野への道行。(奥=蔵王堂)義経が吉野山に入ってきた場合,かくまうべきか否か。一山の検校職河連法眼を中心に,横川の覚範をはじめ衆徒たちが評議する。(口=河連館)義経は,すでに法眼の館にかくまわれている。故郷に帰っていた佐藤忠信がはせ参じる。そこへ,静を連れた忠信がやってくる。(中=同)静とともに現れた忠信は,実は狐。初音の鼓に使われた牝狐,牡狐の子で,親を慕い,忠信に化けて,鼓を持つ静に付き従っていたのである。義経はその志を愛でて鼓を与える。狐は衆徒たちの夜討の企てを告げ,通力でおびき寄せて滅ぼすと誓う。(切=同)攻め入った衆徒たちは次々に討たれる。最後に現れたのが覚範。実は,八島において忠信の兄次(継)信を一矢で射殺し,入水と見せて生き延びた教経である。義経に吉野の花矢倉で忠信と戦えといわれ,勝負の期を延ばす。(5)五段目 (吉野山)教経との一騎討に,忠信が危うく見えたとき,狐が出てきて助ける。そこへ川越太郎が,悪行の露見した朝方をいましめてやってくる。平家追討の院宣も朝方の仕業であった。教経はその首を討ち,忠信に討たれる。

 〈古今の大当り〉(《浄瑠璃譜》)をとった本作は,ただちに歌舞伎に移され,1748年(寛延1)5月江戸中村座で上演された。その後,二,三,四段目を中心に上演が重ねられて,今日に至っている。鑑賞の要点は,〈鳥居前〉の忠信の狐六方,品格と大きさ,悲壮感を求められる知盛の役づくり,典侍の局の世話女房から局への変化,権太を江戸っ子として扱う菊五郎系演出と,大和のごろつきとして演じる団蔵系の演出との差異,狐忠信の狐言葉や,超能力を表す特殊演出などにあり,また知盛,権太,忠信を一人で演じ分けるのが名優の条件とされている。なお,江戸歌舞伎では道行を豊後系浄瑠璃に改めて上演する場合が多く,なかでも1808年(文化5)中村座所演の《幾菊蝶初音道行(いつもきくちようはつねのみちゆき)》(通称《忠信》)が名高い。
[今尾 哲也]

[索引語]
竹田出雲(2世) 三好松洛 並木宗輔 判官(ほうがん)物 いがみの権太 狐忠信 佐藤忠信 道行初音の旅 幾菊蝶初音道行(いつもきくちようはつねのみちゆき) 忠信
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1. 『義経千本桜』
日本史年表
1747年〈延享4 丁卯〉 11・16 竹田出雲 『義経千本桜』 初演(浄瑠璃譜)。
2. 義経千本桜
日本大百科全書
浄瑠璃義太夫じょうるりぎだゆう節。時代物。5段。2世竹田出雲いずも、三好松洛みよししょうらく、並木千柳せんりゅう合作。1747年(延享4)11月、大坂・竹本座初
3. 義経千本桜
世界大百科事典
人形浄瑠璃。時代物。5段。2世竹田出雲,三好松洛,並木千柳(並木宗輔)作。1747年(延享4)11月大坂竹本座初演。内題の角書に〈大物船矢倉(だいもつのふなやぐ
4. よしつねせんぼんざくら【義経千本桜】
日本国語大辞典
浄瑠璃。時代物。五段。二世竹田出雲・三好松洛・並木千柳(並木宗輔)合作。延享四年(一七四七)大坂竹本座初演。義経伝説中、堀川夜討・大物浦(だいもつのうら)・吉野
5. よしつねせんぼんざくら【義経千本桜】
全文全訳古語辞典
[作品名]江戸時代の浄瑠璃。五段。竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。一七四七年(延享四)大坂竹本座初演。平家滅亡後の義経の逃避行(堀川夜討・大物浦・吉野落ち)
6. よしつねせんぼんざくら【義経千本桜】
国史大辞典
浄瑠璃義太夫節。五段。延享四年(一七四七)十一月、大坂竹本座初演。竹田出雲・三好松洛・並木宗輔(千柳)の合作。義経伝説と、滅亡後の平家の武将らの後日談を中心に
7. よしつねせんぼんざくら【義経千本桜】
歌舞伎事典
 人形浄瑠璃。二世竹田出雲・三好松洛・並木千柳作。延享四(1747)年一一月大坂・竹本座初演。五段。内題の角書に「大物(だいもつ)船矢倉/吉野花矢倉」とある。《
8. 義経千本桜(著作ID:527071)
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よしつねせんぼんざくら 竹田出雲二世(たけだいずも2せい) 三好松洛(みよししょうらく) 並木宗輔(なみきそうすけ) 浄瑠璃/義太夫 延享四初演
9. 義経千本桜(著作ID:527106)
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10. 義経千本桜(著作ID:527117)
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11. 義経千本桜(著作ID:527139)
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13. 義経千本桜(著作ID:527151)
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15. 義経千本桜(著作ID:4368337)
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17. アートな時間 舞台 吉例顔見世大歌舞伎 義経千本桜 川連法眼館=小玉祥子
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19. 絵本義経千本桜(著作ID:718467)
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えほんよしつねせんぼんざくら 十返舎一九一世(じっぺんしゃいっく1せい) 文政元
20. あい‐そ【愛想・愛相】
日本国語大辞典
虎明本狂言・首引〔室町末~近世初〕「おのれがやうに、あひそもなくするやつはなひ」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕三「此内は鮓商売、宿屋ではござらぬと、あいそのな
21. あい に 愛(あい)持(も)つ
日本国語大辞典
いり遊ばせ』と、いふもしとやか『アイアイ』と、愛(アイ)に愛持つ女同士(どし)」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕三「娘お里が肩綿襷(かただすき)裾に、前垂ほやほ
22. 愛(あい)に愛(あい)持(も)つ
故事俗信ことわざ大辞典
はいり遊ばせ』と、いふもしとやか『アイアイ』と、愛(アイ)に愛持つ女同士(どし)」浄瑠璃・義経千本桜(1747)三「娘お里が肩綿襷(かただすき)裾に、前垂ほやほ
23. あい‐びき[あひ‥]【相引・合引】画像
日本国語大辞典
あとは鬨(とき)の声絶えて」*玉塵抄〔1563〕九「交綏は両方あいびきにしたことぞ」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕一「射かへす矢先に敵味方、互に不便の武士(も
24. あい‐もん[あひ‥]【合紋・合文】
日本国語大辞典
、札のあゐもん〓」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕三「其羽織は頼朝公のお召しがへ、何(なん)時でも鎌倉へ持ち来らば金銀と釣がへ、属
25. あかたれ【赤垂】[方言]
日本方言大辞典
情を抱く男を卑しめて言う語〔上方語源辞典=前田勇〕ともいう。動詞「あかたれる」の例。浄瑠璃義経千本桜一「年寄尼めが赤たれたはき物はきはせまい」
26. あか‐た・れる【赤垂】
日本国語大辞典
〔自ラ下一〕なまめかしい様子をする。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕一「年寄尼めが赤(アカ)たれたはき物はきはせまい」
27. あか の 水(みず)
日本国語大辞典
〕二「朝な朝なあかの水くみ樒(しきみ)つみ苔のたもとは岩にふれつつ〈藤原光俊〉」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕一「阿伽(アカ)の水も備へん為、手づから水を汲ま
28. あき‐おけ[‥をけ]【空桶】
日本国語大辞典
〔名〕からの桶。物のはいっていない桶。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕三「仕込の桶が足るまいと、明(あキ)桶取りにいかれました」
29. あくねん‐ほっき【悪念発起】
日本国語大辞典
〔名〕悪念を捨てて、善の心をおこすこと。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕二「我もけさより船手に廻り、計略の裏をかいたれば、最早悪念発起(ホッキ)せよと」
30. あげ‐まき【総角・揚巻】画像
日本国語大辞典
「快実軈(やが)て海東が上巻(アゲマキ)に乗懸り、鬢(びん)の髪を掴んで引懸て」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕五「我もと覚範つづいて飛。あはや高紐総角(アゲマ
31. あだし‐ごころ【徒心】
日本国語大辞典
3~04〕「Adaxicocoro (アダシココロ)。すなわち、アダナ ココロ」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕二「源氏は平家のあた敵と、後々迄も此お乳(ち)が
32. あだ な 枕(まくら)
日本国語大辞典
「あだ(徒)の枕」に同じ。*歌舞伎・義経千本桜〔1748〕三「女は嫉妬に大事も洩すと、彌左衛門にも口留めして、我身の上を明かさず、仇(アダ)な枕も親共へ義理に是
33. あつ‐びん【厚鬢】
日本国語大辞典
*随筆・独寝〔1724頃〕下「手代の十九、廿ばかりの厚鬢めに初太刀をうたるる事」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕三「娘が好た厚鬢(アツビン)に冠着ても憎からず」
34. あと‐じょり【後─】
日本国語大辞典
いはんした言(こと)の葉はうそかいな、ヲヲしんき、跡じょりさんすは、はや秋風か」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕一「さりとては片意路な坊(ぼん)様、〈略〉跡ぢょ
35. あび‐きょうかん[‥ケウクヮン]【阿鼻叫喚】
日本国語大辞典
〔名〕(1)阿鼻地獄と叫喚地獄。両者とも八大地獄の一つ。また、とくに阿鼻地獄のことを指すこともある。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕二「多くの官女が泣さけぶは、
36. あび‐きょうかん【阿鼻叫喚】
仏教語大辞典
阿鼻地獄の極苦による叫び声をいう。苦しみにたえかねた叫び。 義経千本桜 二段目 「多くの官女が泣きさけぶは、あびけうくん」
37. あぶら‐や【油屋】
日本国語大辞典
の人形の動作の型。老人の人形によく用いられ、相手をからかう気持を表わす軽妙な動作をいう。「義経千本桜」のすし屋で彌左衛門、「菅原伝授手習鑑」の佐太村で白太夫が演
38. あま‐じょう[‥ジャウ]【尼上】
日本国語大辞典
「上臈(じょうろう)」の下略で、女性を表わす語に付ける接尾語)尼を敬っていう語。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕一「二位の尼上(アマジャウ)御供し」
39. あま‐で【尼出】
日本国語大辞典
〔名〕尼の姿をよそおうこと。また、その姿をした売春婦。尼比丘尼。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕一「御所出尼出囲(かこひ)者、大海小海と名を付け」*随筆・癇癖談
40. あみ の 物(もの)
日本国語大辞典
網でとった魚類。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕二「宿かり客の料理拵(ごしらへ)、所がら迚網(アミ)の物塩がらな塩梅も」
41. あも‐つき【餠搗】
日本国語大辞典
〔1724〕二「今宵(こよひ)はお寝間(ねま)でしっぽりと、おふたりのあもつき」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕三「粋(すい)なととさんはなれ座敷は隣しらず、餠
42. あら‐なみだ【荒涙】
日本国語大辞典
〔名〕大粒の涙。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕四「絶(たへ)て久しき主君の顔、見るも無念のあら涙、指うつむいて詞なし」*桐一葉〔1894~95〕〈坪内逍遙〉三
43. あわ・せる[あはせる]【合・会・逢・遭】
日本国語大辞典
694〕上「御頭へ菊もらはるるめいわくさ〈野坡〉 娘を堅う人にあはせぬ〈芭蕉〉」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕四「再び広き世となして御母君にも逢せません」*浮
44. あわ‐や[あは‥]
日本国語大辞典
ち驚く、顔色(けしき)を暁得(さと)られじと」【二】〔副〕あぶなく。もう少しで。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕五「我もと覚範つづいて飛。あはや高紐総角(あげま
45. いかりとももり【碇知盛】
日本国語大辞典
浄瑠璃「義経千本桜」の二段目「渡海屋の段」の通称。平知盛が、壇の浦の戦いの恨みをはらそうと義経主従と海上で戦うが、再び敗れて碇と共に海底に沈むという筋。
46. いがみ‐おとこ[‥をとこ]【歪男】
日本国語大辞典
〔名〕心のねじけた男。邪悪な男。*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕三「兼て工(たくみ)のいがみ男、腕まくりして」
47. いがみ‐の‐ごんた【いがみの権太】
日本国語大辞典
浄瑠璃「義経千本桜」三段目に出てくる無頼漢。鮨(すし)屋の彌左衛門の子。悔悟して平維盛(これもり)を助ける。イ
48. いがむ【歪】[方言]
日本方言大辞典
よこしまになる。 徳島県「この子はいがんどる」811阿波言葉の辞典(金沢治)1960浄瑠璃義経千本桜三「いがんだおれが直すぐな子を持たは何の因果じゃと思ふては泣
49. いが・む【歪】
日本国語大辞典
こう)も六悔(りっくい)有。ましてや愚蒙の我らなど、くゆる事やめがたしといがむ」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕三「いがんだおれが直(すぐ)な子を、持ったは何(
50. いさめ【勇・慰】
日本国語大辞典
1715〕道行「栴檀女(せんだんにょ)小むつがいさめ力にて、大明国へと思ひ立つ」*浄瑠璃・義経千本桜〔1747〕三「いさめの詞に引き立られ」(2)なぐさめ。*浄
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じょう‐るり[ジャウ‥]【浄瑠璃】(日本国語大辞典)
(1)仏語。清浄、透明な瑠璃。また 清浄なもののたとえ。(2)平曲・謡曲などを源流とする音曲語り物の一つ。室町時代の末に、広く民衆に迎えられた琵琶や扇拍子を用いた新音曲の中、牛若丸と浄瑠璃姫との恋物語を内容とする「浄瑠璃物語(十二段草子)」が流行したところから
古浄瑠璃(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
竹本義太夫と近松門左衛門の提携による新しい浄瑠璃に対して、それ以前の浄瑠璃をいう。従来、貞享二年(一六八五)竹本座二の替り興行の『出世景清』(近松作)を新浄瑠璃のはじめとする説(『外題年鑑』など)が多く行われた。浄瑠璃史の上ではそのころから完成期に入り
竹本義太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
義太夫節の開祖で、竹本座の創設者。大坂・天王寺村の農家に生まれ、幼名を五郎兵衛という。早くから井上播磨掾の浄瑠璃にあこがれ、播磨の門弟清水理兵衛が『上東門院』を興行した際、そのワキを勤めた。1677年(延宝5)京都四条河原の宇治座『西行物語』に出演して嘉太夫
太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫
仮名手本忠臣蔵(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
第一 鶴岡の饗応(兜改め) 〔一〕御馳走があっても食べてみないとそのうまさが味わえないということは、国が平和に治っている時は立派な武士の忠義も武勇も隠れているのに例えられ、それは星が昼には見えないで夜はきらめいて現れるようなものである。その例をここに
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連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
青砥稿花紅彩画(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の世話狂言。二代目河竹新七(黙阿弥)作、五幕。文久二年(一八六二)三月、江戸市村座で十三代目市村羽左衛門(のちの五代目尾上菊五郎)らにより初演。「弁天小僧」「白浪五人男」などの通称で知られる。日本駄右衛門・弁天小僧菊之助・赤星十三郎・忠信利平
(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の荒事劇の一つ。元来独立の狂言ではなく、江戸歌舞伎の狂言中に設定された類型的な一場の通称。危機的な場面に「しばらく、しばらく」と声をかけて主人公が登場することから『暫』と呼ばれた。初代市川団十郎の創始と伝えられ、内容を確認できる最古のものは
大塔宮曦鎧(新版 歌舞伎事典)
(1)人形浄瑠璃。時代物。五段。角書「太平記/綱目」。別名題《太平記曦鎧》。竹田出雲・松田和吉作。近松門左衛門添削。享保八(1723)年二月大坂・竹本座初演。《太平記》に題材を仰いだ作品で、北条氏討伐を図って挙兵した大塔宮が苦難の後に六波羅を攻略する
伊賀越道中双六(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
(1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。安永五(1776)年一二月大坂・嵐座上演の奈河亀輔作
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