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  11. 蝉丸

ジャパンナレッジで閲覧できる『蝉丸』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・国史大辞典

新版 日本架空伝承人名事典

蝉丸
せみまる
 虚構の人名。説話では、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子で、盲目のため逢坂山へ遺棄された琵琶の名手と伝える。『後撰集』(巻十五)に、「逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」の詞書のもとに、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」の和歌が収められ、作者は蝉丸となっている。この歌は『百人一首』にも選ばれ、人口に膾炙しているが、作者蝉丸についてはまったくわかっていない。信ずべき史料には、この名の人物の実在を証するに足るものは皆無といってよい。しかるに、蝉丸の名は平安時代末期以後の説話・芸能の中で、あるいは信仰のうえで、さまざまに語り伝えられていた。
 蝉丸について語る資料が、いずれもきわめて断片的であるのは特徴的なことである。『今昔物語集』(巻二十四)に、源博雅という管絃の名手が、逢坂山の関に庵を作って住んでいた盲目の蝉丸のもとへ三年の間通いつめ、ついに『流泉』『啄木』という琵琶の秘曲を習得したという。蝉丸の出自は、宇多法皇の皇子敦実あつみ親王の雑色ぞうしきであったとしている。これと同類の説話は『江談抄』(巻三)にも出ているが、これには「会坂目暗おうさかめくら」とのみあって、蝉丸の名は出てこない。また、博雅三位はくがのさんみが童のころ、木幡にいた卑しい盲目の法師のもとへ百夜通って琴の秘曲を授けられたという類話が『世継物語』に書き留められている。これら古い説話を見ると、近江国逢坂関の近辺にたむろして、音曲を奏して旅人を慰めていた放浪芸能民に関する伝承が原型であったと思われる。それが、いつのころか「蝉丸」という個人の名に仮託して語られるようになり、さらにこの蝉丸を「芸の始祖」「音曲の守護神」と奉じた盲目の琵琶法師たちによって神格化が行われたのであろう。そのとき、蝉丸は延喜帝の第四皇子という高貴な身分に擬され、貴と賤とを併せ担う虚構の人物となって立ち現れた(『平家物語』『無名抄』など)。その事情については、なお研究が必要であるが、一般には、仁明天皇の第四皇子である人康親王が逢坂山の麓に隠棲し、琵琶の名手として知られていたのを混同したのだろうと説明されている。たしかに、不遇の貴種という点で、この史実の反映は認められるが、とくに「延喜帝の」皇子になぞらえられたことの意味は、別に求められねばならない。
 中世の謡曲『蝉丸』は、この伝承を原拠としつつ、博雅三位を登場させることをせず、「聖天子」たる延喜帝の皇子ながら、盲目ゆえに捨てられた蝉丸と、髪が逆立つ奇形ゆえに放浪する姉宮逆髪との姉弟邂逅を描いた曲である。この謡曲が原拠となり、蝉丸は近松門左衛門作の浄瑠璃『蝉丸』(一六九三以前上演)および歌舞伎狂言『蝉丸二度の出世』(一六九八上演)をはじめ、近世の芸能に扱われるようになる。とくに歌舞伎では、『蝉丸養老滝』(一七二一)、『蝉丸女模様』(一七二五)、『蝉丸逢坂ノ緑』『相坂山鳴神不動』(ともに一七三一)、『若緑七種ノ寿』(一七四一)、『梅桜ににん蝉丸』(一七五二)など、数多くの「蝉丸物」を生み出した。これら近世の蝉丸像に共通の類型は、美男・薄幸の貴種で琵琶の名手、複数の女性から熱烈に慕われて、嫉妬をこうむるというものであった。
 さて、逢坂関には、王朝時代以前より坂神である道祖神が祭祀されていた。中世になって、これに蝉丸と逆髪という男女一対の神格を習合させたらしい。「関明神」と称するのがそれで、『寺門伝記補録』(巻五)によると、この社の祭神には、朱雀天皇の詔によって蝉丸の御霊を合祀したと記している。また、同書の補記に、蝉丸と逆髪の御霊を祀ったこと、一説に下社に蝉丸宮、上社に逆髪宮の霊を祀ったことを記す。これは、現在滋賀県大津市にある蝉丸神社につながる「蝉丸信仰」である。蝉丸が、平曲を語った放浪の盲僧たちの集団によって信仰されたのはいうまでもないが、やや時代が下っては、やはり放浪の芸能民である説経師によって祖神として信奉された。江戸時代には、説経節を語る説経師に限らず、琵琶法師、瞽女ごぜ、歌念仏、辻能狂言師、辻角力、人形操師、見世物、放下師ほうかし、祭文師、白拍子、三味線弾、傀儡くぐつ遊女など広く諸国をめぐる放浪の芸能民集団の多くは近松寺こんしょうじを通じて巻物を下付されて蝉丸宮の支配に属していた。『雍州府志』は蝉丸を「乞児之祖」とし、また『世諺問答』は「鉢叩きの先祖」ともする。蝉丸はまさに聖と俗の両義性を体現する壮大な虚構の名であり、社会的に賤視されていた放浪芸能民自身を象徴する偶像であったといってよかろう。
逆髪(さかがみ)
[服部 幸雄]
(ワキ)これは延喜第四の御子。蝉丸の宮にておはします。(三人)にや何事もむくい有りける浮世かな。前世の戒行いみじくて。今皇子とはなり給へども。襁褓のうちよりなどやらん。両眼盲ひまし〓〓て。蒼天に月日の光なく。闇夜に灯。暗うして。五更の雨も。止む事なし。(ワキ)明かし暮らさせ給ふ所に。帝如何なる叡慮やらん。(三人)密に具足し奉り。逢坂山に捨て置き申し。御髪をおろし奉れとの。綸言出でてかへらねば。御痛はしさは限なけれども。勅諚なれば力なく。足弱車忍路を雲井のよそに回らして。しのゝめの。空も名残の都路を。〓〓。今日出で初めて又いつか。帰らん事も片糸の。よるべなき身の行方。さなきだに世の中は。浮木の亀の年を経て。盲亀の闇路たどり行く。迷の雲も立ちのぼる逢坂山に。着きにけり逢坂山に着きにけり。(ツレ)いかに清貫。(ワキ)御前に候。(ツレ)さて我をば此山に捨て置くべきか。(ワキ)さん候宣旨にて候ふ程に。これまでは御供申して候へども。何くに捨て置き申すべきやらん。(中略)(ワキ)宣旨にて候ふ程に。御髪をおろし奉り候。(ツレ)これは何と云ひたる事ぞ。(ワキ)是は御出家とてめでたき御事にて渡らせ給ひ候。(ツレ)実にやかうくわんもとひを切り。半だんに枕すと。唐土の西施が申しけるも。かやうの姿にてありけるぞや。(ワキ)此御有様にては。中々盗人の恐も有るべければ、御衣を賜はつて簑と云ふ物を参らせ上げ候。(ツレ)これは雨による田簑の島とよみ置きつる。簑と云ふ物か。(ワキ)又雨露の御為なれば。同じく笠を参らする。(ツレ)これは御侍御笠と申せとよみ置きつる。笠と云ふ物よなう。
謡曲蝉丸

関明神事
会坂ニ関ノ明神ト申ハ昔ノ蝉丸也。カノワラヤノ跡ヲウシナハズシテ、ソコニ神トナリテスミ給ナルベシ。今モウチスグルタヨリニミレバ、フカ草ノ帝ノ御使ニテ和琴ナラヒニ良峯ノムネサダ、良少将トテカヨハレケムホドノ事マデオモカゲニウカビテ、イミジクコソ侍レ。
無名抄
くらき御目の。かなしさは月日の。影もみづとりの。かもの川ぎし波こへてつゐの夕べをまつ坂や。きへこそかへれあわた口。いつをたよりにたはつけん。わが黒かみのさねかづらあふ坂山にぞつき給ふ。清貫やがて立よりていだきおろし奉り。アヽ今までつゝみ申せしが。かやう〓〓のちよくぢやうにて是まで御供。仕ては候へ共。いづくにすて置申べき。さらに前後をわきまへずとなみだにくれてぞいたりける。宮は此よし聞し召。こはそも夢かとばかりにて御泪はせきあへず。やゝあつてのたまふやう。あゝらおろかのわが心や。前世のかいぎやうつたなくて。盲目となりしゆへ。はやくゐんぐわをはたさせて。後世をたすけん御はからひげに有がたき父みかどの御じひかなとなく〓〓も。御手を合させ給ふにぞ。二人はいよ〓〓なみだにくれ申上べきやうもなし。やゝあつてまれ世の卿。かやうの御すがたにては。盗賊のおそれあり。御衣を賜つて。みのをまゐらせ候べし。是は雨による。田みのゝ島と詠ぜしみのか「又雨露の御ためなれば。同じく笠を参らする「是はみさぶらひ。御笠とよみし物よなふ「又この杖は御道しるべ。御手にもたせ給ふべし「げに〓〓これもつくからに。千とせの坂もこへなんと。かのへんぜうがよみしつえか。それは千とせのさかゆくつえ。爰は所もあふ坂山。関のわらやの竹ばしらかゝるうきよにあふさかの。しるもしらぬも是見よや。延喜のわう子のなれる果。こはそもいかなるためしぞと声もおしまずなき給ふ
半太夫節正本集蝉丸道行
琵琶の曲行も帰るも立どまり
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):44‐12
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
「是や此の行くも帰るも別れては……」の蝉丸の歌の文句取り。


日本国語大辞典

せみまる 【蝉丸

解説・用例

【一】

〔一〕平安初期の歌人。伝説的人物で、宇多天皇の第八皇子敦実親王に仕えた雑色(ぞうしき)とも、醍醐天皇の第四皇子ともいう。盲目で琵琶に長じ、逢坂(おうさか)の関に庵を結び隠遁生活をしたと伝えられる。生没年不詳。

〔二〕謡曲。四番目物。各流。作者不詳。古名「逆髪(さかがみ)」。延喜帝の第四皇子蝉丸の宮は幼少から盲目だったので、帝は清貫(きよつら)に命じて逢坂山に捨てさせる。蝉丸は頭を剃り、琵琶をだいて泣き沈む。一方、髪がさか立つ病気を持つ姉の逆髪の宮は、狂乱の体でさまよい歩いて逢坂山に至り、蝉丸の琵琶の音にひかれて弟と再会する。二人は互いの身の不幸を嘆き、やがて名残りを惜しみながら別れる。

〔三〕浄瑠璃。時代物。五段。近松門左衛門作。元祿一四年(一七〇一)大坂竹本座での上演は、竹本義太夫が筑後掾(ちくごのじょう)を受領した祝儀として再演されたもので、初演は元祿六年二月以前と推定。謡曲「蝉丸」に題材をとる。琵琶の名手蝉丸の宮は直姫を恋し、北の方の怨念で盲目となり、逢坂山へ捨てられるが、姉宮逆髪の祈祷で開眼する。

〔四〕横笛の名器の名。

*続教訓鈔〔14C前か〕「蝉丸 或記云く、保延四年十一月廿四日夜半許、土御門内裏炎上のとき焼失、笙はきさきえ、太笛同く焼畢。件太笛は甘竹の横笛なり、干の穴の下の穴をふさがれたりける、高名の物なり」

【二】〔名〕

(1)(【一】〔一〕が琵琶に秀でていたところから)琵琶法師をいう。

*雑俳・柳多留‐二四〔1791〕「蝉丸に似た人をよぶ大法事」

(2)蝉のこと。

*御伽草子・貴船の本地(室町時代物語大成所収)〔室町末〕「晴天の蝉丸は声ども惜しまずぞ叫びける」

発音

〓[0]




国史大辞典

〓
せみまる
生没年不詳
平安時代の歌人、音楽家。古くは「せみまろ」とよむ。伝説的人物で諸伝がある。敦実親王の雑色(『今昔物語集』)、醍醐天皇第四皇子(『東関紀行』『平家物語』など)などといわれるが、仁明天皇の時の人(『無名抄』『和歌色葉』)ともいう。逢坂の関に庵室を構え、往来の人を見て、「これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬもあふさかの関」(『後撰和歌集』)と詠んだというのが、最も確実な伝承で、逢坂の関に住んだことは諸書で一致し、「関明神」として祀られる。逢坂の蝉丸のもとに源博雅が三年間通い続けて、ついに琵琶の秘曲「流泉」「啄木」を伝授されたという説話(『今昔物語集』など)は著名で、「盲琵琶」の祖とされるが、一方、良岑宗貞(遍昭)は和琴の伝授を受けた(『無名抄』)ともいう。盲者とはいわず、単に乞食とする伝承(『俊頼髄脳』など)もある。和歌は『後撰和歌集』一首のほか、『新古今和歌集』『続古今和歌集』に計三首を載せるが、いずれも説話とともに伝わった歌である。
[参考文献]
『大日本史料』一ノ一八 天元三年九月二十八日条、中山太郎『日本盲人史』、小沢正夫『古今集の世界』(『塙選書』一二)
(篠原 昭二)
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検索コンテンツ
1. せみまる【〓丸】[能曲名]
能・狂言事典
観世・宝生・金春・金剛・喜多 世阿弥か 四番目物・狂女物・大小物 シテ・逆髪・[唐織脱下女出立(紅入)]ツレ・〓丸・[
2. 蟬丸
世界大百科事典
また,同書の補記に,蟬丸と逆髪の御霊を祀ったこと,一説に下社に蟬丸宮,上社に逆髪宮の霊を祀ったことを記す。これは,現在滋賀県大津市にある蟬丸神社につながる〈蟬丸
3. 蟬丸
世界大百科事典
,琵琶に心を慰めている。いっぽう蟬丸の姉宮の逆髪は,髪が逆立つ病のうえ心も乱れ,諸方をさまよい歩いて逢坂山にやって来る(〈カケリ・段歌(道行)〉)。たまたま蟬丸
4. せみまる【蝉丸】
日本国語大辞典
謡曲「蝉丸」に題材をとる。琵琶の名手蝉丸の宮は直姫を恋し、北の方の怨念で盲目となり、逢坂山へ捨てられるが、姉宮逆髪の祈祷で開眼する。〔四〕横笛の名器の名。*続教
5. せみまる【〓丸】
国史大辞典
という筋で、蝉丸の遺棄、逆髪の狂乱、姉弟の再会と別離など悲哀の情が深い。『今昔物語集』など多くの説話集に蝉丸説話があるが逆髪はみえない。これは逢坂の坂神との関連
6. せみまる【〓丸】
国史大辞典
うのが、最も確実な伝承で、逢坂の関に住んだことは諸書で一致し、「関明神」として祀られる。逢坂の蝉丸のもとに源博雅が三年間通い続けて、ついに琵琶の秘曲「流泉」「啄
7. 蝉丸(せみまる)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 978ページ
8. せみまる【蝉丸】
日本人名大辞典
,醍醐(だいご)天皇の第4皇子ともいう。「今昔物語集」では琵琶(びわ)の名手とされる。謡曲に「蝉丸」がある。
9. せみまる【蝉丸】
日本架空伝承人名事典
また、同書の補記に、蝉丸と逆髪の御霊を祀ったこと、一説に下社に蝉丸宮、上社に逆髪宮の霊を祀ったことを記す。これは、現在滋賀県大津市にある蝉丸神社につながる「蝉丸
10. 蝉丸(せみまる)[横笛]
古事類苑
樂舞部 洋巻 第2巻 874ページ
11. 蝉丸(歌人)画像
日本大百科全書
その職業の起源を語る蝉丸の伝説は長く重んじられてきた。謡曲『蝉丸』は、盲目のため帝みかどから逢坂山に捨てられた蝉丸と、狂い出た姉の逆髪宮さかがみのみやの琵琶の音
12. 蝉丸(能)
日本大百科全書
古くは『逆髪さかがみ』ともよばれた。盲目に生まれついた皇子蝉丸(ツレ)は、父の帝みかどの命令で逢坂おうさか山に捨てられる。護送していく臣下の者(ワキ)は嘆き悲し
13. 蝉丸[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:6件 『説教と蝉丸』室木弥太郎『蝉丸が事』玉井幸助『蝉丸考』関谷銕太郎『蝉丸の事について』宮地思夫『博雅蝉丸琵琶
14. 蝉丸(著作ID:345277)
新日本古典籍データベース
せみまる 謡曲 能の本 
15. 蝉丸(著作ID:345288)
新日本古典籍データベース
せみまる せみ丸 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん) 浄瑠璃 
16. 蝉丸(著作ID:345302)
新日本古典籍データベース
せみまる 柴居(さいきょ) 編 俳諧 文化元序・跋
17. せみまる‐き【蝉丸忌】
日本国語大辞典
〔名〕「せみまるまつり(蝉丸祭)」に同じ。〓[ル]
18. せみまる‐まつり【蝉丸祭】
日本国語大辞典
〔名〕滋賀県大津市逢坂の関蝉丸神社の祭礼。平安初期の伝説的な歌人、蝉丸の忌日として、五月二四日に行なう。蝉丸忌。《季・夏》*俳諧・新季寄〔1802〕五月「蝉丸
19. 蝉丸児手柏(著作ID:345313)
新日本古典籍データベース
せみまるこのてがしわ 丈阿(じょうあ) 黒本 青本 明和元刊
20. 蝉丸二度之出世(著作ID:345324)
新日本古典籍データベース
せみまるにどのしゅっせ 狂言本 元禄一一
21. 蝉丸道行(著作ID:1344849)
新日本古典籍データベース
せみまるみちゆき 浄瑠璃/一中 
22. 小倉百人一首(10) 歌人/蝉丸[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
これやこのゆくもかへるもわかれては しるもしらぬもあふさかのせき定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/これ蝉丸せみまる菱川師宣ひしかわもろのぶ画[他]『小
23. せきせみまるじんじゃ【関蝉丸神社】滋賀県:大津市/大津町/関寺町・清水町
日本歴史地名大系
目)に鎮座する関蝉丸神社下社(旧称関清水大明神蝉丸宮)である。また逢坂峠筋の西側には万治三年(一六六〇)に関蝉丸社を勧請した蝉丸神社(現大津市大谷町)もあり、逢
24. 女蝉丸(著作ID:125008)
新日本古典籍データベース
おんなせみまる 西沢一風(にしざわいっぷう) 田中千柳(たなかせんりゅう) 浄瑠璃/義太夫 享保九初演
25. 琵琶湖蝉丸実記(著作ID:428626)
新日本古典籍データベース
びわのうみせみまるじっき 鳥居清満(とりいきよみつ) 等 画 黒本 青本 明和八刊
26. あきら・める【諦】
日本国語大辞典
あきら・む〔自マ下二〕仕方がないと思い切る。断念する。→「あきらめる(明)」の語誌。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕一「ぜひなき事とあきらめ給へ」*人情本・春色梅児
27. 総角(源氏物語) 307ページ
日本古典文学全集
世間不定論によった。「世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ」(新古今・雑下・題しらず蝉丸)による。山里住まいで、ほかに世間の夫婦を見たことがな
28. 排蘆小船(近世随想集) 264ページ
日本古典文学全集
伝受などと近代云ふは、多くはかやうのことなり。信ずるに足らず。大方この道も、東下野守、 〔一七〕  一首抄』に蝉丸の「これやこの行くもかへるも別れてはしるもしら
29. あた は 情(なさ)け
日本国語大辞典
あだと思ったことが、かえって情けとなる。悪いと思っていたことが、逆にいい結果となること。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕二「忠はかへって不忠と成、あたはなさけと成た
30. 仇(あだ)は情(なさ)け
故事俗信ことわざ大辞典
あだと思ったことがかえって情けとなる。悪いと思っていたことが、逆にいい結果となる。 浄瑠璃・蝉丸(1693頃)二「忠はかへって不忠と成、あたはなさけと成たりし」
31. あめ 降(ふ)らば降(ふ)れ風(かぜ)吹(ふ)かば吹(ふ)け
日本国語大辞典
・三「有漏路(うろぢ)より無漏路へかへる一休(ひとやすみ)雨ふらばふれ風ふかばふけ」*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕道行「雨ふらばふれ風吹かば吹け、山の奥こそ住みよ
32. 雨(あめ)降(ふ)らば降(ふ)れ風(かぜ)吹(ふ)かば吹(ふ)け
故事俗信ことわざ大辞典
一・三「有漏路(うろぢ)より無漏路へかへる一休(ひとやすみ)雨ふらばふれ風ふかばふけ」浄瑠璃・蝉丸(1693頃)道行「雨ふらばふれ風吹かば吹け、山の奥こそ住みよ
33. あめ‐まさり【雨勝】
日本国語大辞典
〔名〕雨が降るよりもはげしいこと。はげしく泣くようすをたとえていう。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕道行「涙のしづくあめまさり、あめにはあらでや、これの木々の木々の
34. あわ ぬ 縁(えん)
日本国語大辞典
夫婦が和合しないように前世から定められた縁。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕一「お主さまとみづからは、夫婦と成て二とせの、幾夜を重ね候へども、あはぬゑんかや但(ただ
35. いきかわり‐しにかわり[いきかはりしにかはり]【生替死替】
日本国語大辞典
〔連語〕なん度も生まれかわって。死んでは、また生きかえって。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕一「いきかはりしにかはり、世々生々に怨みをなさん」*怪談牡丹燈籠〔188
36. いちぶつ 異名同一体(いみょうどういったい)
日本国語大辞典
説くが、元来、仏は一体であって、ただ名称を異にして現われているにすぎないということ。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕五「釈迦と阿彌陀は、たとへば目といひ眼(まなこ)
37. いっ‐しゅん【一瞬】
日本国語大辞典
〕手越より蒲原「汝は知る哉、生涯浮める命、今いくほどと、我は知らず、幻中の一瞬の身」*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕五「一瞬刹那(せつな)が其間に、忽ち安養無垢世界
38. いっしょう 造悪不断煩悩塵(ぞうあくふだんぼんのうのちり)にまじわる
日本国語大辞典
生涯にわたって絶えず悪を犯し、煩悩にまみれた俗世間に交わる。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕五「今日の衆生一生ざうあくふだんぼんなふのちりにまじはり、あしたにいかり
39. いっそく‐せつだん【一息切断】
日本国語大辞典
10〕一・二一「一そくせつだんにをよんでは、こしかたもみなべちのやうにおぼえはじめ」*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕五「無上の栄華を極むるといへども、一そくせつだん
40. いっとく の 水(みず)
日本国語大辞典
の水」に同じ。*虎明本狂言・淡路〔室町末~近世初〕「一徳の水は天地の根源で知ぬ水ぞ」*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕懐胎十月由来「先づ初月は一気体中に孕まれ、其形あ
41. いつつ の 常(つね)の道(みち)
日本国語大辞典
*後水尾院御集〔1680頃〕祝「守るてふいつつの常の道しあれば六十あまりの国もうごかず」*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕一「御狩車のいつつをも、五つのつねのみちしば
42. い‐ねん【意念】
日本国語大辞典
意念 イネム」*鑑草〔1647〕五・二「奴なり他人なりとあなどりへだつる意念なくば」*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕懐胎十月由来「いねんある故、法界の悪魔・悪霊〈略
43. いや‐さ
日本国語大辞典
たもの)(1)相手のことばを押えて、自分の意志を強く述べようとする時に発することば。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕二「いやさ、てうてき(朝敵)にもせよ、とんてきに
44. いろ‐どこ【色床】
日本国語大辞典
〔名〕男女が契りをかわす床。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕一「一世一度のいろどこは、仏もお気の通らめと」
45. うかれ‐ごころ【浮心】
日本国語大辞典
〔名〕(不安、または喜びで)なんとなく落ち着かない心。*車屋本謡曲・蝉丸〔1430頃〕「鳴くや関路の夕がらす、うかれ心はむば玉の」*饅頭屋本節用集〔室町末〕「遊
46. 浮世物語(仮名草子集) 115ページ
日本古典文学全集
ここは「東雲の空も名残の都路を今日出で初めてまた何時か、帰らん事も片糸の寄るべなき身の行方」(謡曲・蝉丸)を用いた行文。糸―縒る―寄る。四条河原の歌舞伎芝居。東
47. うし の 玉鉾(たまぼこ)
日本国語大辞典
(「玉鉾の」は「道」の枕詞であるところから)牛の歩む道。また、牛の歩み。*浄瑠璃・蝉丸〔1693頃〕道行「急ぐとすれど、とけしなきうしのたまぼこ遅くとも、心の駒
48. うしのとき‐まいり[‥まゐり]【丑時参】画像
日本国語大辞典
釘の本数は四九本(目二、耳二、舌六、胸一八、腹六、足一五)がよく知られているが、四四本〔浄瑠璃・蝉丸〕や五四本〔浮世草子・好色万金丹〕などもある。
49. 宇治拾遺物語 172ページ
日本古典文学全集
近くにある諸羽神社の通称が四宮であることによるとも。『平家物語』巻十「海道下」には、延喜第四の皇子蝉丸が琵琶を弾きすました所と見える。品物の売買の際、売手と買手
50. うつつ‐な【現無】
日本国語大辞典
語幹)しっかりした分別や思慮をもっていないさま。正気でないこと。たわいないこと。*車屋本謡曲・蝉丸〔1430頃〕「実(げに)さか髪の影うつる。水をかがみとゆふ浪
「蝉丸」の情報だけではなく、「蝉丸」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
徳川家康(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府初代将軍(在職1603~1605)。三河(愛知県東部)の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国駿河(静岡県)の大名今川氏の人質となって苦労したが、桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して駿河・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河3か国に所領を拡大した
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
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三条実美(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
幕末・明治前期の公卿(くぎょう)、太政(だじょう)大臣、政治家。幼名福麿。天保(てんぽう)8年2月7日、三条実万(さねつむ)の第4子として生まれる。家格は五摂家(ごせっけ)に次ぐ九清華(きゅうせいが)の一家。1854年(安政1)従(じゅ)五位上に叙せ
江藤新平(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
幕末・維新期の政治家。佐賀の乱の首領。名は胤雄(たねお)、号は南白(なんぱく)。天保(てんぽう)5年2月9日、佐賀藩下級武士の家に生まれる。国学者枝吉神陽(えだよししんよう)に師事、しだいに尊攘(そんじょう)運動に参加し、1862年(文久2)脱藩して
松尾芭蕉(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸前期の俳人。日本近世文学の最盛期をなす元禄(げんろく)期(1688~1704)に活躍した井原西鶴(いはらさいかく)、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)、芭蕉は、それぞれ小説、浄瑠璃(じょうるり)、俳諧(はいかい)の分野を代表する三大文豪として
光明皇后(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
奈良前期の聖武天皇の皇后。諱(いみな)は安宿(あすかべ),出家して光明子という。藤原不比等の第三女,母は橘三千代。幼にして聡慧,早くから声誉高かったが,716年(霊亀2)16歳で皇太子首(おびと)皇子の妃となり,翌々年阿倍皇女(孝謙天皇)を生む
大伴金村(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
五世紀末から六世紀前半へかけての大和朝廷の有力者。武烈・継体・安閑・宣化朝の大連。大伴談(かたり)の子。磐・咋・狭手彦の父。仁賢天皇の死後、権勢強大な平群氏を滅ぼし、武烈天皇を即位させた。武烈の死後、あとをつぐ皇族がないため、金村は群臣とはかって
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