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丹下左膳

ジャパンナレッジで閲覧できる『丹下左膳』の日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科事典のサンプルページ

新版 日本架空伝承人名事典

丹下左膳
たんげさぜん
 林不忘が一九二七年(昭和二)から翌年まで新聞に連載した長編小説『新版大岡政談‐鈴川源十郎の巻』に登場してくる、痩せさらばえた隻眼隻手の怪剣士。奥州中村藩六万石の藩主相馬大膳亮の家臣で、乾雲けんうん坤竜こんりゅうの名刀をめぐる争いに藩主の密命でかかわり、丹下流の流儀で愛刀濡れ燕に血を吸わせる。初登場した時は脇役で、主君に裏切られるニヒリスト剣士であったが、連載の回を重ねるにつれて人気が集まり、三三年の連載小説『丹下左膳‐こけ猿の壺』では、堂々と主役の座をさらってしまった。三四年の連載小説『新講談丹下左膳‐日光の巻』では、ニヒリストの印象はすっかり薄れて、明朗派ヒーローに転じた。しゃれこうべの紋を染め出した黒襟、白い着物の下から女ものの派手な長襦袢をちらつかせた左膳の姿は、連載時の挿絵の影響が強い。映画では大河内伝次郎が演じた左膳に凄味があった。原作のオリジナル・イメージよりも挿絵や映画でのイメージが広く定着したヒーローの代表でもある。
[清原 康正]

この時、玄関に当って人声がした。
「頼もう!」

 根岸あけぼのの里、小野塚鉄斎のおもて玄関に、枯木のような、恐しく痩せて背の高い浪人姿が立っている。
 赤茶けた髪を大髻に取り上げて、左眼はうつろに窪み、残りの、皮肉に笑っている細い右眼から口尻へ、右の頬に溝のような深い一線の刀痕が眼立つ。
 たそがれ刻は物の怪が立つという。
 その通り魔の一つではないか?――と思われる程、この侍の身辺にはもうろうと躍る不吉の影がある。
丹下左膳 乾雲坤竜の巻


世界大百科事典

丹下左膳
たんげさぜん

隻眼隻手の超人的怪剣士・丹下左膳が,スクリーン上に初めて登場したのは1928年5月のことである。原作は林不忘(ふぼう)の《大岡政談・鈴川源十郎の巻》で,この映画化が3社競作となったため,日活版の大河内伝次郎,東亜キネマ版の団徳麿,マキノ版の嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)と,同時に3人の丹下左膳が出現した。3本の映画はいずれも《新版大岡政談》という題名で,監督は日活版が伊藤大輔,東亜キネマ版が広瀬五郎,マキノ版が二川文太郎である。このうち,伊藤大輔,大河内伝次郎コンビによる日活版三部作がもっとも好評を博し,ひき続き伊藤監督のトーキー第1作である《丹下左膳》(1933),さらに《丹下左膳・剣戟の巻》(1934)が,同じコンビによってつくられて,大河内伝次郎の演ずる丹下左膳は,時代劇映画のヒーローとして不動の人気を得るに至った。次いで大河内伝次郎が丹下左膳を演じた山中貞雄監督《丹下左膳余話・百万両の壺》(1935)は,林不忘の原作とはかかわりのない別個のストーリーであるという意味の字幕が冒頭につき,市井の厭世家の浪人である丹下左膳を日常的なユーモラスなタッチで描いたいわゆる〈髷をつけた現代劇〉で,スティーブン・ロバーツ監督のアメリカ映画《歓呼の涯》(1932)からヒントを得て換骨奪胎し,大衆的ヒーローの偶像性を否定する自信と話術の才気を痛快に示している。大河内伝次郎はさらに54年まで,つまり四半世紀にわたって丹下左膳を演じ続けた。ほかに丹下左膳を演じた俳優としては,第2次世界大戦以前に月形龍之介,戦後に阪東妻三郎,水島道太郎,大友柳太朗,丹波哲郎,中村錦之助(のち萬屋錦之介)がいる。

 このように数多くの丹下左膳映画がつくられてきたのは,片目片腕の虚無的な主人公の怪人ぶりが波乱に富んだストーリーのなかで魅力的に発揮されることに時代劇ならではのおもしろさがあるためであるが,それにからまって,妖婦櫛巻お藤や少年チョビ安など周辺人物の多彩さ,またほとんどの場合に主役が丹下左膳とともに大岡越前守を一人二役で演じたこと(一人三役・四役の場合もあった),さらには丹下左膳が女ものの長襦袢を着ていることに見られる衣装の華やかさ等々,あらゆる要素が映画的な魅惑を放っていることも見落とすことはできない。また,丹下左膳の怪人ぶりが人気を得る背景には,明らかに異様なもの,グロテスクなものへの興味があって,その点をさらに際物的に強めたものとしていくつかの〈女左膳〉映画がつくられている。なお,テレビでも繰り返し映像化され,丹波哲郎,松山英太郎,中村竹弥,緒形拳,若山富三郎らが丹下左膳を演じている。
[柏倉 昌美+山根 貞男]

[索引語]
林不忘 大岡政談・鈴川源十郎の巻 大河内伝次郎 新版大岡政談 伊藤大輔 丹下左膳・剣戟の巻 時代劇映画 丹下左膳余話・百万両の壺 月形龍之介 阪東妻三郎 大友柳太朗 丹波哲郎 大岡越前守


日本大百科全書(ニッポニカ)

丹下左膳
たんげさぜん

林不忘 (ふぼう)が創造した片眼片腕のニヒル剣士。奥州の大名相馬大膳亮 (そうまだいぜんのすけ)の家臣。丹下左膳は、『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』(1927.10~1928.5、『東京日日新聞』連載)では、刀剣マニアの主君の密命を帯び、名刀乾雲 (けんうん)・坤竜 (こんりゅう)の争奪戦に活躍する脇役 (わきやく)的な登場人物であったが、その強烈な個性によって読者の圧倒的な人気を得た結果、続編『丹下左膳』(「こけ猿の巻」1933.6~11、『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』。「日光の巻」1934.1~9、『読売新聞』連載)において主人公に昇格し、埋蔵金のありかを秘めたこけ猿の茶壺 (ちゃつぼ)をめぐる争いの中心人物となる。丹下左膳は昭和前期を代表する虚構の英雄像として、映画各社によって映画化されたが、1933年(昭和8)の日活映画『丹下左膳・第一篇 (ぺん)』(伊藤大輔 (だいすけ)監督・大河内伝次郎 (おおこうちでんじろう)主演)は、丹下左膳映画の決定版として知られている。

[磯貝勝太郎]

映画

日本映画。1933年(昭和8)、林不忘の原作を伊藤大輔が脚色・監督した、日活の第1回オール・トーキー作品。埋蔵金のありかを秘めたこけ猿の壺をめぐる激しい争奪戦に、隻眼 (せきがん)隻手の丹下左膳(大河内伝次郎)が活躍する。丹下左膳は、1928年の三社競作映画『新版大岡政談』でスクリーンに登場し、東亜キネマの団徳麿 (だんとくまろ)(1902―1987)、マキノ映画の嵐寛寿郎、日活の大河内伝次郎がそれぞれ左膳を演じた。なかでも伊藤大輔監督、唐澤弘光 (からさわひろみつ)(1900―1980)カメラマン、大河内による日活版は、無声映画の映像表現の粋 (すい)を駆使した立回りと詠嘆調の字幕で絶大な評価を獲得し、丹下左膳の決定版となり、トーキーの本作では、映像と音の同期や比喩 (ひゆ)表現など、視聴覚の実験も試みた。以後、大河内の丹下左膳は「シェイは丹下、名はシャゼン」の台詞 (せりふ)とともに、山中貞雄 (やまなかさだお)の『丹下左膳余話 百万両の壺』(1935年、日活)をはじめ、日活、東宝、大映など、計16本つくられた。大河内以後は、大友柳太朗 (おおともりゅうたろう)(1912―1985)、丹波哲郎 (たんばてつろう)(1922―2006)らの丹下左膳がある。

[冨田美香]

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1. 丹下左膳
日本大百科全書
ゃつぼをめぐる争いの中心人物となる。丹下左膳は昭和前期を代表する虚構の英雄像として、映画各社によって映画化されたが、1933年(昭和8)の日活映画『丹下左膳・第
2. 丹下左膳
世界大百科事典
博し,ひき続き伊藤監督のトーキー第1作である《丹下左膳》(1933),さらに《丹下左膳・剣戟の巻》(1934)が,同じコンビによってつくられて,大河内伝次郎の演
3. たんげ‐さぜん【丹下左膳】
日本国語大辞典
昭和初期に活躍した大衆小説家、林不忘の小説「新版大岡政談」「丹下左膳」に登場する剣士。片眼片腕のニヒルな個性の持ち主として描かれ、映画化もされて人気を博した。
4. たんげ-さぜん【丹下左膳】
日本人名大辞典
れた「新版大岡政談・鈴川源十郎の巻」に脇役で登場した片目片腕のニヒルな剣士。好評のため続編「丹下左膳」では主人公となった。のち大河内(おおこうち)伝次郎主演の日
5. たんげさぜん【丹下左膳】
日本架空伝承人名事典
連載の回を重ねるにつれて人気が集まり、三三年の連載小説『丹下左膳‐こけ猿の壺』では、堂々と主役の座をさらってしまった。三四年の連載小説『新講談丹下左膳‐日光の巻
6. 開(あ)けて悔(くや)しき玉手箱(たまてばこ)
故事俗信ことわざ大辞典
1)「心細さに蓋(ふた)とれば、あけて悔(クヤ)しや玉手箱(タマテバコ)、中からぱっと白烟」丹下左膳(1934)〈林不忘〉日光の巻・玉手箱・四「『開けて口惜しき
7. 石(いし)に布団(ふとん)は着(き)せられず
故事俗信ことわざ大辞典
はならない。親孝行をしようと思っても、親が亡くなってからではどうにもならないというたとえ。 丹下左膳(1934)〈林不忘〉日光の巻「親を思ふ子の情は、親の無(ね
8. 伊藤大輔
日本大百科全書
東海篇(1932)堀田隼人(1933)月形半平太(1933)丹下左膳(1933)女人曼陀羅 第一篇(1933)女人曼陀羅 第二篇(1934)丹下左膳 剣戟けんげ
9. 嘘(うそ)は泥棒(どろぼう)の始(はじ)まり
故事俗信ことわざ大辞典
やがて他人のものに手を出すようになる。嘘つきは泥棒の始まり。 皇国俚諺叢(1901)「うそは泥棒の始まり」丹下左膳(1934)〈林不忘〉日光の巻「念を押すには及
10. 大河内伝次郎
日本大百科全書
どに主演、重厚な顔だちとまじめな演技で人気スターとなる。『新版大岡政談』(1928)で演じた丹下左膳たんげさぜんは彼の当り役となった。トーキー以後は訛なまりのあ
11. 大河内伝次郎
世界大百科事典
では,大岡越前守とともに片目片腕の虚無的な剣客丹下左膳を二役で演じたが,左膳役がとりわけ人気を呼んで,作品はシリーズ化され,トーキー作品《丹下左膳》(1933)
12. おおこうち‐でんじろう【大河内伝次郎】
日本国語大辞典
新国劇の俳優から映画へ移る。時代劇映画黄金時代の代表的俳優として活躍。代表作「忠治旅日記」「丹下左膳」。明治三一~昭和三七年(一八九八~一九六二)
13. おおこうち-でんじろう【大河内伝次郎】画像
日本人名大辞典
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14. おおとも-りゅうたろう【大友柳太朗】画像
日本人名大辞典
新国劇の俳優をへて昭和12年「青空浪士」で映画デビュー,時代劇の中堅スターとなる。戦後も東映の「丹下左膳」「右門捕物帖」「快傑黒頭巾」などのシリーズで人気をよん
15. 同(おな)じ穴(あな)の=狢(むじな)〔=狸(たぬき)〕
故事俗信ことわざ大辞典
日本俚諺大全(1906~08)「同(オナ)じ穴(アナ)の狸(タヌキ)」「同(オナ)じ穴(アナ)の貉(ムジナ)」丹下左膳(1934)〈林不忘〉日光の巻・鎧櫃・二「
16. 加藤泰
日本大百科全書
喧嘩けんか街道(1960)炎の城(1960)朝霧街道(1961)怪談お岩の亡霊(1961)瞼の母(1962)丹下左膳 乾雲坤竜けんうんこんりゅうの巻(1962)
17. きゅう‐えん[キウ‥]【休演】
日本国語大辞典
〔名〕興行や出演を休むこと。音楽、劇などの演奏、上演を休むこと。*閑散無双〔1934〕〈徳川夢声〉両手のある丹下左膳「所で、さらぬだにコワい忠臣蔵が、三日目の昼
18. くらまてんぐ【鞍馬天狗】
日本架空伝承人名事典
鞍馬天狗の映画化は、大仏次郎の原作の発表の翌年から行われたが、その後、数多くの映画が作られて、鞍馬天狗は丹下左膳などとともに、時代劇の大ヒーローとなった。鞍馬天
19. サンドイッチマン
世界大百科事典
大正期になると広く使われるようになり,昭和初期の不景気の時代にはこれを職業とする人が増え,チャップリンや丹下左膳,あるいはピエロなどの仮装でパントマイムを演じる
20. しむら-たつみ【志村立美】
日本人名大辞典
山川秀峰に日本画をまなぶ。挿絵の美人画では岩田専太郎とならび称され,昭和8年新聞連載の林不忘「丹下左膳」の挿絵が好評を博した。小島政二郎,角田喜久雄らとくんで,
21. 時代劇映画
世界大百科事典
批判して〈傾向映画〉の先駆となるとともに,大河内伝次郎主演《新版大岡政談》(1928)で型破りのヒーロー・丹下左膳を生み出した。一方,大スターが次々に独立してい
22. だい‐やく【代役】
日本国語大辞典
なったときに、かわって演ずること。また、その人。*閑散無双〔1934〕〈徳川夢声〉両手のある丹下左膳「司郎君の代役を仰せつかったのは、林葉三君である」*第2ブラ
23. 飛(と)んで火(ひ)に入(い)る夏(なつ)の虫(むし)
故事俗信ことわざ大辞典
夏のむし」古今俚諺類聚(1893)「飛(トン)で火(ヒ)に入(イ)る夏(ナツ)の虫(ムシ)」丹下左膳(1934)〈林不忘〉こけ猿の巻「やっ!手前(てめえ)はいつ
24. なかむらかろく【中村歌六】[付録]
歌舞伎事典
襲名して初舞台。昭和44・12国立劇場《元禄忠臣蔵》の井関紋左衛門で奨励賞。昭和48・6歌舞伎座《丹下左膳》の高大之進で名題昇進。昭和52・8‐9英米加公演に参
25. な・げる【投】
日本国語大辞典
「さつまとあのやしきはむつかしい、なけなんすな」*閑散無双〔1934〕〈徳川夢声〉両手のある丹下左膳「その代り多少上手くても、舞台を投げたりすると『ちっとも面白
26. 鳴滝組
世界大百科事典
体性をもつ〉新しい時代劇を生み出すことであった。山中貞雄監督の《足軽出世譚》(1934),《丹下左膳余話・百万両の壺》《街の入墨者》(ともに1935),《河内山
27. にごりかわまち【濁川町】新潟県:佐渡郡/相川町/相川町
日本歴史地名大系
等学校)の英語教師で、北一輝の恩師。のち函館新聞(現北海道新聞)主筆となる。林不忘の筆名で「丹下左膳」などを著した長谷川海太郎は清の長男で、二歳までここで育った
28. にっかつ【日活】
国史大辞典
大正末から昭和の初めにかけては、監督伊藤大輔・主演大河内伝次郎のコンビによる「忠次旅日記」「丹下左膳」などで時代劇の本流を形成する一方、現代劇も溝口健二・内田吐
29. 日光(にっこう)を見(み)ずして結構(けっこう)と言(い)うな
故事俗信ことわざ大辞典
』とは昔からのいひ伝(つたへ)である。人工の美と天然の美とを併せたところでは日光に及ぶものはない」丹下左膳(1934)〈林不忘〉日光の巻・人身柱・一「日光(ニッ
30. 日本映画
世界大百科事典
版ともいえる作品がいくつも出現した。稲垣浩《旅は青空》(1932),山中貞雄《街の入墨者》《丹下左膳余話・百万両の壺》(ともに1935),《河内山宗俊》(193
31. 「鼠小僧次郎吉 道中の巻」[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2018
山中貞雄の監督作品は26本あるが、ほとんどが散逸し、現在作品として鑑賞できるのは、トーキーの「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(1935年)、「河内山宗俊」(36年)
32. ねつ‐えん【熱演】
日本国語大辞典
〔名〕演芸などを熱意を込めて演ずること。また、その演技。*閑散無双〔1934〕〈徳川夢声〉両手のある丹下左膳「下手でも真剣になって熱演すれば、声援を惜まない」*
33. 林不忘
日本大百科全書
を連載、作家としての地歩を固めた。33年、その続編にあたる『丹下左膳たんげさぜん』を『毎日新聞』に連載、片眼片腕の怪剣士、丹下左膳という特異な主人公像を造形して
34. 林不忘
世界大百科事典
谷譲次の名で発表,さらに牧逸馬名で海外推理小説の翻訳や通俗小説を執筆,林不忘の名では《新版大岡政談》を書き,丹下左膳を創造して文壇の寵児となったが,35歳の若さ
35. はやし-ふぼう【林不忘】画像
日本人名大辞典
大正13年帰国し,谷譲次の名で「テキサス無宿」などの「めりけん・じゃっぷ」物を発表。さらに林不忘の名で「丹下左膳」などの時代物を,牧逸馬の名で推理小説や家庭小説
36. 反逆児
世界大百科事典
した発声法を身につけて,〈芸のともなった〉貫禄ある大スターに成長する決定的な転機をつくり,《丹下左膳》の大河内伝次郎,《王将》の阪東妻三郎とならんで,伊藤大輔が
37. バーレスク
日本国語大辞典
レビューやボードビルなどと同義に使われるようになった。*閑散無双〔1934〕〈徳川夢声〉両手のある丹下左膳「一応は型をつけて貰はないと、洒落にも、バレスクにもな
38. プロンプター
日本国語大辞典
俳優のせりふの穴のあくのを防ぐため台詞をつける人」*閑散無双〔1934〕〈徳川夢声〉両手のある丹下左膳「プロムプターが如何に台辞をつけても、〈略〉目玉をグリグリ
39. まき‐いつま【牧逸馬】
日本国語大辞典
牧逸馬の名で翻訳探偵小説、現代小説を、林不忘の名で時代小説を書く。著作「テキサス無宿」「新版大岡政談」「丹下左膳」「この太陽」など。明治三三~昭和一〇年(一九〇
40. マキノ雅広
日本大百科全書
)赤城の血祭(1955)人生とんぼ返り(1955)丹下左膳 乾雲の巻(1956)朝やけ血戦場(1956)丹下左膳 坤竜の巻(1956)丹下左膳 昇竜の巻(195
41. 松田定次[時代劇映画を代表する映画監督、死去]
イミダス 2018
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昭和時代後期の映画監督。大正10年3月2日生まれ。召集,シベリア抑留をへて昭和22年大映にはいる。29年「丹下左膳・こけ猿の壺(つぼ)」で監督デビュー。時代劇に
43. メーキャップ
日本国語大辞典
で『悪玉』にメーク・アップしたやうな党員の顔を」*閑散無双〔1934〕〈徳川夢声〉両手のある丹下左膳「片目のメーキアップは、大いに苦心した」*午前零時〔1952
44. もち
日本国語大辞典
今日はごいっしょなんですね?』『うちと…?』『モチ』」*閑散無双〔1934〕〈徳川夢声〉両手のある丹下左膳「私なぞ、人一倍無愛想な舞台であるが、浅草なりゃこそ『
45. やく‐どこ【役所】
日本国語大辞典
隠してゐます役(ヤク)どこが気に入らないだらうとは察しますが」*閑散無双〔1934〕〈徳川夢声〉両手のある丹下左膳「純二枚目なら御断りするが、大いにグロテスクで
46. 山中貞雄
日本大百科全書
流の成果でもあった。隻眼隻手の怪剣士、丹下左膳たんげさぜんのキャラクターを人の良い矢場の用心棒に転換し、観客席の笑いを誘ったフィルムが現存する『丹下左膳餘よ話 
47. 山中貞雄
世界大百科事典
男評)として,その〈話術〉を完成させる。トーキー時代に入ると,さらにこの〈話術〉を,例えば《丹下左膳余話・百万両の壺》(1935)で大河内伝次郎の左膳が絶対に行
48. やまなかさだお【山中貞雄】
国史大辞典
、同八年)、「風流活人剣」(同九年)などで世評を高める。トーキーに移ってからは「国定忠治」「丹下左膳余話・百万両の壺」「街の入墨者」(以上、同十年)、「河内山宗
49. 山本薩夫
日本大百科全書
(1937)母の曲 前後篇(1937)田園交響曲(1938)家庭日記 前後篇(1938)新篇丹下左膳 隻手そうしゅ篇(1939)美うるはしき出発(1939)街(
50. よしの-あさこ【吉野朝子】
日本人名大辞典
て活躍。吉野朝子と改名,日活太秦(うずまさ)にうつる。時代劇スター女優のひとりで,代表作に「丹下左膳」の櫛巻お藤。昭和14年7月11日死去。33歳。京都出身。京
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