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  11. 風と共に去りぬ

風と共に去りぬ

ジャパンナレッジで閲覧できる『風と共に去りぬ』の日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)
風と共に去りぬ
かぜとともにさりぬ
Gone with the Wind 

アメリカの女流作家マーガレット・ミッチェルの長編小説。1936年刊。南部のジョージア州アトランタ郊外の大農園タラに生まれ育った魅力的で勝ち気なスカーレット・オハラは、愛するアシュレーがいとこのメラニーと結婚することを知り、アシュレーへのつらあてに、彼の妹と結婚するはずのメラニーの兄チャールズと強引に結婚する。やがて南北戦争の勃発(ぼっぱつ)で、夫チャールズは出征し戦死、アシュレーも従軍する。スカーレットはアトランタに移って、メラニーとともに看護婦として働くが、そのころ、南軍に物資を供給する、以前アシュレーとメラニーの婚約が発表されたパーティーで出会った、レット・バトラーと再会する。北軍のアトランタ進攻が始まり、彼女は臨月のメラニーを連れて逃げるためレットの助けを借りる。農園タラは母の死と父の精神錯乱のために荒れ果て、スカーレット自ら汗にまみれて働かねばならなかった。ついに南軍は敗れ、苦しい再建時代を迎えることになる。スカーレットは農園維持のため妹の恋人を誘惑して再婚するが、この夫も死亡し、やがて、時勢にのって活躍するレットと結ばれる。レットは、2人の間に生まれた娘の死後、スカーレットから離れていく。メラニーの死後、かつての恋人アシュレーに退けられたスカーレットは、そのとき、自分が愛していたのはレットその人だったと初めて気づく。
虚栄心と愛と勝ち気な性格が織り成すヒロイン、スカーレットの人間像が、南北戦争という変動激しい時代を背景に生き生きと描かれ、世界中の読者を魅了した。発行部数は、アメリカでは1936年中に100万部を超えるベストセラーとなり、以来世界中で2000万部を超えるといわれる。
[松山信直]

映画

アメリカの独立プロデューサー、デビッド・O・セルズニックは、発刊後ただちに映画化権をとり、1938年秋から撮影開始、1939年12月にテクニカラーの上映時間3時間40分の大作として公開した。監督としてはビクター・フレミングの名があげられているが、実際はジョージ・キューカーら数名の監督が関与しており、これはプロデューサー、セルズニックの作品といえよう。スカーレットにビビアン・リー、レット・バトラーにクラーク・ゲーブルが扮(ふん)した。公開翌春のアカデミー賞では作品賞をはじめ計9個のオスカーを獲得し、大ヒットした。日本公開は戦争のため1952年(昭和27)9月。以来テレビ放映も含めて、今日まで繰り返し上映されている。
[畑 暉男]



改訂新版 世界大百科事典
風と共に去りぬ
かぜとともにさりぬ
Gone with the Wind

アメリカの女流作家マーガレット・ミッチェルMargaret Mitchell(1900-49)の長編小説。1936年刊。南北戦争と戦後の再建期を背景に,ジョージア州の大農場主の娘で勝気なスカーレット・オハラを中心とした愛欲関係と激動する社会を,南部人の立場から描き,出版後1年で150万部という空前のベストセラーになり,37年ピュリッツァー賞受賞。1930年代という不況の時代にあって,華やかにそしてたくましく生きるスカーレットの姿が,多くのアメリカ人の共感を呼び,また日本をはじめ各国で翻訳された。39年には,スカーレット役にビビアン・リー,その相手役の無頼漢レット・バトラー役にクラーク・ゲーブルを得て,D.O.セルズニックにより映画化された。作者ミッチェルはジョージア州アトランタの生れ。《アトランタ・ジャーナル》誌で働いたのち,執筆に10年をかけて唯一の作品となる《風と共に去りぬ》を完成した。49年交通事故死。
[常盤 新平]

[索引語]
Gone with the Wind ミッチェル,M. Mitchell,M.
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検索コンテンツ
1. 風と共に去りぬ
日本大百科全書
アメリカの女流作家マーガレット・ミッチェルの長編小説。1936年刊。南部のジョージア州アトランタ郊外の大農園タラに生まれ育った魅力的で勝ち気なスカーレット・オハ
2. 風と共に去りぬ
世界大百科事典
の生れ。《アトランタ・ジャーナル》誌で働いたのち,執筆に10年をかけて唯一の作品となる《風と共に去りぬ》を完成した。49年交通事故死。常盤 新平 Gone wi
3. かぜとともにさりぬ【風と共に去りぬ】
日本国語大辞典
(原題{英}Gone with the Wind )長編小説。マーガレット=ミッチェル作。一九二六~三六年成立。南部から見た南北戦争と、没落した大農場主の娘スカ
4. 二十世紀フランス小説 138ページ
文庫クセジュ
動かす人物に女性を据えながら、現代に近い時代が描かれることもある。たとえばレジーヌ・デフォルジュは、『風と共に去りぬ』を手本に、第二次世界大戦の時代をたくましく
5. アカデミー賞
日本大百科全書
『黒蘭の女』)第12回(1940年)〔作品賞〕『風と共に去りぬ』(監督:ビクター・フレミング)〔監督賞〕ビクター・フレミング(『風と共に去りぬ』)〔主演男優賞〕
6. あさみ-れい【麻実れい】
日本人名大辞典
。51年「ベルサイユのばら」のアンドレ役にえらばれ,55年雪組男役トップスターとなる。「風と共に去りぬ」のバトラー役などをつとめる。60年退団し,「マクベス」な
7. アトランタ
世界大百科事典
ックが開かれた。マーガレット・ミッチェルの小説《風と共に去りぬ》(1936)の舞台としても知られる。正井 泰夫 Atlanta 風と共に去りぬ(小説)
8. アトランタ
日本国語大辞典
(Atlanta )アメリカ合衆国、ジョージア州の州都。南北戦争の激戦地で、小説「風と共に去りぬ」の舞台。
9. アメリカ映画
日本大百科全書
。そして、この時期のアメリカ映画の集大成として、ハリウッド的大作主義の頂点ともいうべき『風と共に去りぬ』(1939)と、アメリカ映画の芸術性の精髄ともいうべき、
10. うえだ-しんじ【植田紳爾】
日本人名大辞典
「舞い込んだ神様」でデビュー。49年の「ベルサイユのばら」は「ベルばら」ブームをおこした。ほかに「風と共に去りぬ」などがある。平成8年宝塚歌劇団理事長。大阪出身
11. うま【馬】
歌舞伎事典
飼葉料(かいばりょう)と称する手当が特別に支給される。近年本物の馬を出した例は少ないが、《風と共に去りぬ》(帝国劇場)で使用した第二ジュラク号は、去勢し調教され
12. 映画
日本大百科全書
部にとどまった。のちイーストマン・コダック社が1本のカラー・ネガに撮影する技術を開発、『風と共に去りぬ』(1939)などテクニカラー方式にかわって急速に普及し、
13. 映画
世界大百科事典
あり,ハリウッドでは,ストーリー・デパートメントがあって,デビッド・O.セルズニック(《風と共に去りぬ》)からデビッド・ブラウン(《ジョーズ》)に至るまで,その
14. 映画美術
世界大百科事典
意図の実現を助けて独自の映画的空間を設計する場合という二つの映画美術の概念が存在する。《風と共に去りぬ》(1939)の画調の統一に貢献したW.C.メンジーズは前
15. MGM
世界大百科事典
を目ざした。とくに〈女性の撮影所〉と呼ばれたほど女性観客を重視し(その記念碑的代表作が《風と共に去りぬ》1939),また,《ブロードウェー・メロディ》に始まり《
16. おおくぼ-やすお【大久保康雄】
日本人名大辞典
昭和時代の英米文学者,翻訳家。明治38年5月1日生まれ。昭和11年に訳出したM.ミッチェル「風と共に去りぬ」がベストセラーとなる。以後ヘミングウェー「武器よさら
17. おおとり-らん【鳳蘭】
日本人名大辞典
37年宝塚音楽学校にはいり,39年「花のふるさと物語」でデビュー。45年星組トップとなり,「風と共に去りぬ」などで男役スターとして人気をえる。54年退団後「ファ
18. おのえくろえもん【尾上九朗右衛門】[付録]
歌舞伎事典
39帰国。昭和40・10ヨーロッパ公演、昭和42・3ハワイ公演に参加。昭和44帝国劇場《風と共に去りぬ》稽古中に倒れ、再起後歌舞伎座などに出演。アメリカのワシン
19. オハラ(O'Hara, Scarlett)
世界人名大辞典
M.ミッチェルの小説およびそれを原作とするV.フレミング監督の映画〈風と共に去りぬ〉のヒロイン.南北戦争時代のアメリカでたくましく生き抜く.映画では(Vivi
20. カラー映画
世界大百科事典
1936),《スタア誕生》(1937),イギリス映画《暁の翼》(1937)などを経て,《風と共に去りぬ》(1939)の成功によってカラー映画は一つの頂点に達し,
21. 菊田一夫
世界大百科事典
ット。《放浪記》(1961)を皮切りに東宝文芸路線を定着させ,《マイ・フェア・レディ》《風と共に去りぬ》などの和製ミュージカルに新風を送る。浮浪児の更生をテーマ
22. きくたかずお【菊田一夫】
国史大辞典
発表上演し、庶民の生活感情を謳う大衆演劇に、新しい境地を開いた。さらに「マイ=フェア=レディ」「風と共に去りぬ」で、ブロードウェイ=ミュージカルの制作に成功。ラ
23. 菊田一夫[演劇]
イミダス 2018
初の和製ミュージカル「モルガンお雪」の上演、八代目松本幸四郎一座の東宝入り、帝国劇場の新築再開場、「風と共に去りぬ」の舞台化など、様々な面で東宝演劇の発展に貢献
24. キューカー
日本大百科全書
ックが自分の会社を興すとMGMとかけ持ちで契約、ハリウッド一高給取りの監督になったが、『風と共に去りぬ』(1939)でセルズニックの不興を買い、撮影開始後わずか
25. キューカー(George Cukor)
世界大百科事典
キューカー初のテレビムービー《愛の旅路》(1975)まで9作に及ぶ名コンビだった。また《風と共に去りぬ》(1939)の監督に当たっていたキューカーが,クラーク・
26. ゲイブル(Gable, (William) Clark)
世界人名大辞典
Francisco, 1936.テスト・パイロット:Test pilot, 1938.風と共に去りぬ:Gone with the wind, 1939.自信売
27. ゲーブル
日本大百科全書
『或(あ)る夜の出来事』(1934。アカデミー主演男優賞受賞)、『南海征服』(1935)、『風と共に去りぬ』(1939)、『ブーム・タウン』(1940)などに出
28. ゲーブル(Clark Gable)
世界大百科事典
1901-60 アメリカの映画俳優。オレゴン州生れ(オハイオ州生れという説もある)。《風と共に去りぬ》(1939)のレット・バトラー役で有名なスターであり,この
29. 午前十時の映画祭[映画]
イミダス 2018
く、それぞれの劇場で独自スケジュールを組んでの興行)。11年の第2回は青の映画祭として「風と共に去りぬ」「E.T.」など50本が上映された。ちょっと変わった名称
30. 少女歌劇
世界大百科事典
ー形式の活動を続け,《華麗なる千拍子》(1960),《ベルサイユのばら》(1974),《風と共に去りぬ》(1977)などのヒット作を生み出している。なお月丘夢路
31. 女性の権利 126ページ
文庫クセジュ
ードやジーン・ハーロウの名を有名にした。 一九三六年には、マーガレット・ミッチェルが『風と共に去りぬ』で世界各地で成功を収めた。
32. スペクタクル映画
世界大百科事典
線》(1937),パール・バック原作《大地》(1937),マーガレット・ミッチェル原作《風と共に去りぬ》(1939),ルイス・ブロムフィールド原作《雨ぞ降る》(
33. セルズニック
日本大百科全書
宣伝などに至るまでを強力に統轄する独特の製作手法で多くの成功作を生み出す。その集大成ともいえる『風と共に去りぬ』(1939)、またイギリスから招聘(しょうへい)
34. セルズニック(David Oliver Selznick)
世界大百科事典
1902-65 《風と共に去りぬ》(1939)で知られるアメリカの映画製作者。ピッツバーグ生れ。アメリカ映画の草分けの一人であった父ルイス・セルズニック(187
35. セルズニック(Selznick, David O(liver))
世界人名大辞典
ン,セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズを設立[1935].画期的な大作〈風と共に去りぬ▼:Gone with the wind, 1939〉を製作し
36. たからだ-あきら【宝田明】
日本人名大辞典
二枚目スターとして活躍。のちミュージカルの舞台に転じ,39年「アニーよ銃をとれ」に主演して成功し,「風と共に去りぬ」「マイ・フェア・レディ」などに出演する。テレ
37. 宝塚歌劇団
日本大百科全書
示した。その間、『虞美人(ぐびじん)』(1951)、『ベルサイユのばら』(1974)、『風と共に去りぬ』(1977)などがヒット、越路吹雪(こしじふぶき)、淀(
38. だいち-まお【大地真央】
日本人名大辞典
ビュー。「アリウス」などで人気を得,57年月組男役のトップスターとなる。60年退団後は「風と共に去りぬ」「マイ・フェア・レディ」などでミュージカルスターとして活
39. 帝国劇場画像
日本大百科全書
った。客席は1~2階、客席数1917(ミュージカルなどの場合1844)。開場記念公演の『風と共に去りぬ』が6か月のロングランでヒットし、その後ミュージカルや大型
40. ハワード(Howard, Sidney Coe)
世界人名大辞典
ey knew what they wanted, 1924》でピュリッツァー賞,映画〈風と共に去りぬ〉の脚本でアカデミー賞を受賞する.リアリズムの手法に秀でる
41. フレミング(Fleming, Victor)
世界人名大辞典
wizard of Oz, 1939〉等を経て,複数の監督から応援演出を受けた超大作〈風と共に去りぬ▼:Gone with the wind, 1939〉でアカ
42. ブラック・シネマ
世界大百科事典
Mと長期契約を結び,またアメリカのラジオで歌った最初の黒人歌手ハッティ・マクダニエルが《風と共に去りぬ》(1938)で黒人俳優として初めてアカデミー助演女優賞を
43. ベストセラー
世界大百科事典
売れた。翻訳ものではパール・バック《大地》(1935,翻訳は36年刊)やM.ミッチェル《風と共に去りぬ》(1936,翻訳は38年刊)がミリオンセラーを記録してい
44. ほんやくしょうせつ【翻訳小説】
国史大辞典
サン=テクジュペリ『夜間飛行』(大学)、コールドウェル『タバコ・ロード』(北村小松)、ミッチェル『風と共に去りぬ』(大久保康雄)、スタインベック『怒りの葡萄』(
45. ミッチェル(Margaret Mitchell)
日本大百科全書
足を痛めたため辞め、1926年から10年がかりで南北戦争にまたがるロマンチックな歴史小説『風と共に去りぬ』を書き上げた(1936刊)。旧南部の視点から書かれたこ
46. ミッチェル
日本国語大辞典
Mitchell マーガレット─)アメリカの女流小説家。南北戦争を舞台に描いたスケールの大きい長編小説「風と共に去りぬ」で知られる。(一九〇〇~四九)
47. ミッチェル(Mitchell, Margaret)
世界人名大辞典
・社会規範に反することだった.南北戦争と戦後の復興を南部ジョージア州を舞台に描いた《風と共に去りぬ▼:Gone with the wind, 1936》は,大ベ
48. ミッチェル マーガレット
世界文学大事典
終生秘密にした。ジョンは彼女の文筆活動を励まし,原稿整理などを積極的に手伝った。このようにして,大作『風と共に去りぬ』Gone with the Windは書き
49. メロドラマ
日本大百科全書
サイレント時代の映画ではグリフィスの長編映画にメロドラマ性が濃厚であり、トーキー時代では『風と共に去りぬ』(1939)、『哀愁』(1940)、日本映画では『愛染
50. 森瑤子
日本大百科全書
いストーリーテラーぶりを発揮、読者を魅了する。翻訳にも熱意を燃やし、92年(平成4)、『風と共に去りぬ』の続編『スカーレット』(アレグザンドラ・リプリAlexa
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