1. 川路聖謨
日本大百科全書
江戸末期の政治家。幕府の徒士かち内藤吉兵衛きちべえの子として豊後ぶんご国(大分県)日田に生まれ、小普請こぶしん組川路三左衛門光房さんざえもんみつふさの養子となる
2. 川路聖謨
世界大百科事典
聞いてピストルで自殺する。文筆をよくし,露使と応接した《長崎日記》《下田日記》をはじめ,多くの遺著があり,《川路聖謨文書》8巻に収める。松浦 玲 仙石騒動 日露
3. かわじ‐としあきら【川路聖謨】
日本国語大辞典
幕末の勘定奉行。豊後の人。号、敬斎。江戸小普請組川路光房の養子となり、のち幕府の勘定吟味役、佐渡奉行、普請奉行、大坂町奉行、勘定奉行、外国奉行などを歴任、名声を
4. かわじとしあきら【川路聖謨】画像
国史大辞典
記は『川路聖謨文書』全八巻(『日本史籍協会叢書』)に収められる。ちなみに下田奉行・外国奉行などを歴任、外交の第一線で活躍した井上清直は聖謨の実弟である。 [参考
5. 川路聖謨(かわじとしあきら)
古事類苑
外交部 洋巻 第1巻 1578ページ
6. かわじ-としあきら【川路聖謨】
日本人名大辞典
1801−1868 江戸時代後期の武士。享和元年4月25日生まれ。幕臣。勘定奉行兼海防掛となり,安政元年伊豆(いず)下田で日露和親条約に調印。5年日米修好通商条
7. 川路聖謨[文献目録]
日本人物文献目録
弘蔵『川路聖謨 名家逸事』-『川路聖謨 特にその外国思想について』山本四郎『川路聖謨及び江戸人口に就て』岸上安敬『川路聖謨氏(左衛門尉)来歴』伊藤介夫『川路聖謨
8. 川路聖謨蔵書印[図版]画像
国史大辞典
川路氏印 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.
9. 川路聖謨一代明細書(著作ID:4401748)
新日本古典籍データベース
かわじとしあきらいちだいめいさいしょ 川路聖謨(かわじとしあきら) 書簡
10. 川路聖謨詠草(著作ID:826197)
新日本古典籍データベース
かわじとしあきらえいそう 川路聖謨(かわじとしあきら) 和歌
11. 川路聖謨歌稿(著作ID:826200)
新日本古典籍データベース
かわじとしあきらかこう 川路聖謨(かわじとしあきら) 和歌
12. 川路聖謨詩歌稿日次(著作ID:826211)
新日本古典籍データベース
かわじとしあきらしいかこうひなみ 川路聖謨(かわじとしあきら) 和歌 漢詩
13. 川路聖謨詩稿(著作ID:826222)
新日本古典籍データベース
かわじとしあきらしこう 川路聖謨(かわじとしあきら) 漢詩
14. 川路聖謨之生涯(著作ID:4398914)
新日本古典籍データベース
かわじとしあきらのしょうがい
15. 川路聖謨臨終之述懐(著作ID:4400791)
新日本古典籍データベース
かわじとしあきらりんじゅうのじゅっかい 川路聖謨(かわじとしあきら) 慶応四
16. 川路聖謨魯使応接日記(著作ID:996612)
新日本古典籍データベース
かわじとしあきらろしおうせつにっき 川路聖謨(かわじとしあきら) 外交
17. 羽倉用九与川路聖謨書(著作ID:411314)
新日本古典籍データベース
はくらもちなかかわじとしあきらにあたうるしょ 羽倉用九与川路聖謨書 羽倉簡堂(はくらかんどう) 書簡
18. 阿部正弘画像
日本大百科全書
松平慶永よしなが(越前えちぜん)、山内豊信やまうちとよしげ(土佐)ら有力諸大名との協調を図り、また川路聖謨かわじとしあきら、永井尚志なおゆき(「なおむね」とも読
19. あんせいのかいかく【安政の改革】
国史大辞典
わが国文化の発達に貢献した。正弘の幕政改革に与ったのは、正弘によって抜擢された多くの人材であった。川路聖謨・井上清直・岩瀬忠震・永井尚志・筒井政憲らの多くの人材
20. 安政の大獄画像
日本大百科全書
慶永に隠居、急度慎を命じ、幕吏中の俊秀大目付土岐頼旨ときよりむね、勘定奉行かんじょうぶぎょう川路聖謨かわじとしあきら、目付鵜殿長鋭うどのながとし、京都町奉行浅野
21. 安政の大獄
世界大百科事典
島藩主伊達宗城,土佐藩主山内豊信ら雄藩の大名と,幕府の海防掛であった大目付土岐頼旨,勘定奉行川路聖謨,目付永井尚志,同岩瀬忠震,同鵜殿長鋭,田安家家老水野忠徳ら
22. あんせいのたいごく【安政の大獄】
国史大辞典
ほか、作事奉行岩瀬忠震・軍艦奉行永井尚志は職禄を奪われたうえ差控、大番頭土岐頼旨・西丸留守居川路聖謨・駿府町奉行鵜殿長鋭は免職・隠居・差控、前側衆石河政平は減禄
23. いけのはたしちけんちよう【池之端七軒町】東京都:台東区/旧下谷区地区地図
日本歴史地名大系
建て大正庵と称し、寛永八年に大正寺と改め京都妙覚寺(現京都市上京区)の末頭になった(寺社備考)。川路聖謨の墓がある。同宗妙顕寺の境内は除地。浄土真宗忠綱寺(現真
24. いずのくに【伊豆国】静岡県
日本歴史地名大系
行い、宿泊は大仁村・湯ヶ島村、梨本村(現河津町)などが利用された。とくに幕末下田が開港されると川路聖謨など幕府役人の往来が頻繁となり、出府するハリスもこの道を使
25. いなとりむら【稲取村】静岡県:賀茂郡/東伊豆町
日本歴史地名大系
天保二年(一八三一)の家数六〇〇(天保一四年「歎願書」東伊豆町役場蔵)。安政二年に当村に止宿した川路聖謨は「三百石の村なれど人別三千人有り」と記す(下田日記)。
26. いのう-いちうん【伊能一雲】
日本人名大辞典
淵藩の槍術指南となり,江戸藩邸で藩主林忠英(ただふさ)につかえる。門弟に藤田東湖(とうこ),川路聖謨(かわじ-としあきら)。また神谷潤亭にならった一節切(ひとよ
27. 井上清直
日本大百科全書
三男。与力よりき井上新左衛門の養子。松吉、新右衛門しんえもんと称し、のち信濃守しなののかみ。川路聖謨かわじとしあきらの実弟。幕府評定所ひょうじょうしょ書物方、勘
28. 井上清直
世界大百科事典
1809-67(文化6-慶応3) 幕末の政治家。信濃守。日田代官属吏内藤家の三男で,川路聖謨(としあきら)の実弟。与力井上家の養子。1855年(安政2)阿部正弘
29. いのうえ‐きよなお【井上清直】
日本国語大辞典
江戸末期の幕臣。川路聖謨(としあきら)の弟。下田奉行、外国奉行、勘定奉行、関東郡代などを歴任。文化六~慶応三年(一八〇九~六七)
30. いのうえきよなお【井上清直】
国史大辞典
代官所属吏で幕府徒士組に転じた内藤吉兵衛の次男に生まれ、のち与力井上新左衛門の養子となった。川路聖謨の弟。弘化四年(一八四七)十二月勘定組頭格となり、安政二年(
31. いのうえ-きよなお【井上清直】
日本人名大辞典
1809−1868* 江戸時代後期の武士。文化6年生まれ。川路聖謨(としあきら)の弟。幕臣。安政2年(1855)下田奉行となる。ハリスと折衝し,4年下田条約に,
32. いわせただなり【岩瀬忠震】画像
国史大辞典
同三年七月米国総領事ハリスが着任すると、下田に特派され、下田奉行とともに応接にあたり、九月には幕命により川路聖謨・水野忠徳と水戸老侯徳川斉昭に外交事情を報告、通
33. いわみぎんざんあと【石見銀山跡】島根県:大田市/佐摩村
日本歴史地名大系
ことを述べている。もう一つ問題なのが坑内労働者特有の鉱山病であった。天保の頃佐渡奉行であった川路聖謨は「彼山大工に成て七年の寿を保つものなしと、いづれも同病にて
34. うえだ-ちかぜ【上田千風】
日本人名大辞典
に生まれ,上田家をつぐ。江戸城本丸材木用達(ようたし)方,十一か村取締をつとめる。佐藤一斎,川路聖謨(としあきら)に漢学を,橘守部(たちばな-もりべ)らに国学を
35. 鵜飼幸吉
日本史年表
徳川斉昭に国許永蟄居、徳川慶喜に隠居・謹慎、水戸藩主徳川慶篤に差控を命じ、また岩瀬忠震・永井尚志・川路聖謨ら一橋派を処罰.水戸藩士安島帯刀を切腹、 茅根伊予之介
36. うしづほんまち【牛津本町】佐賀県:小城郡/牛津町
日本歴史地名大系
天保九年(一八三八)六月一七日に巡見上使(宿泊・上使屋、大庄屋宅、正満寺)、嘉永七年一月二一日に川路聖謨(昼休)などがある。ジーボルトは、「江戸参府紀行」で、わ
37. うとうじんじゃ【善知鳥神社】新潟県:佐渡郡/相川町/下戸村
日本歴史地名大系
下相川村とのつながりの深さを伝える。祭礼は九月一九日(現在は一〇月一九日)。祭礼について佐渡奉行川路聖謨の「島根のすさみ」天保一一年(一八四〇)九月二〇日条に「
38. うねびやまのうしとらのすみのみささぎ【畝傍山東北陵】 : 神武天皇
国史大辞典
山(一名、御殿山)を擬してからは、この説に従うものも多かったが、嘉永二年(一八四九)奈良奉行川路聖謨がその著『神武御陵考』において前記の神武田の小丘が真陵である
39. えがわたろうざえもん【江川太郎左衛門】
国史大辞典
西洋砲の借用を許した。そしてその翌年九月には英竜に西洋砲術の教授を許可した。そのため入門するものは、幕臣川路聖謨・松代藩士佐久間象山はじめ、約一ヵ月の間に百名近
40. 江川英龍画像
日本大百科全書
鋭音号令(気ヲ付ケ、前ヘナラエ、捧ささゲ銃つつ)の考案、パンの製作などがある。門人には、佐久間象山しょうざん、川路聖謨としあきら、阿部正弘まさひろなどがいる。仲
41. おおくらだにしゅく【大蔵谷宿】兵庫県:明石市/大蔵谷村
日本歴史地名大系
住野家文書)。住野家文書によれば、伊能忠敬、医師シーボルト、幕末の幕臣で外交に手腕をふるった川路聖謨のほか、島津讃岐守、島津信濃守、松平下野守などの一行も、参勤
42. 大田垣蓮月[文献目録]
日本人物文献目録
田辰『お茶から見た蓮月尼』桑山太市『歌人蓮月尼』小林賤緒『「上方女性鑑」の諸相』藤田徳太郎『川路聖謨と蓮月尼』高梨光司『特集・蓮月尼』-『南洲翁と蓮月尼』村上素
43. おおままち【大間町】新潟県:佐渡郡/相川町/相川町
日本歴史地名大系
を運び上げるためである。宝暦八年の番所廃止後も港の機能は失われず、天保一一年(一八四〇)奉行川路聖謨の在勤日記「島根のすさみ」には、奉行の島内巡視の折、まず大間
44. おおやまづみじんじゃ【大山祇神社】新潟県:佐渡郡/相川町/相川町
日本歴史地名大系
ニテ登リ、舗毎ニ祈祷ノ板札ヲ納ム」とあって、神官が鉱山の繁栄と坑内安全の祈祷に登山していた。川路聖謨の「島根のすさみ」天保一二年(一八四一)正月六日条に「元朝、
45. おかもとかてい【岡本花亭】
国史大辞典
父荘蔵政苗は勘定奉行の属吏、母は鈴木平兵衛の女で渡辺与惣兵衛尚の養女。花亭も父の跡を継ぎ、矢部定謙・川路聖謨・羽倉用九(簡堂)らと親交があった。文政元年(一八一
46. 小栗忠順[文献目録]
日本人物文献目録
田における小栗さん 仁義併存碑ものがたり』大坪元治『小栗上野介研究資料落穂ひろい』大坪元治『川路聖謨と小栗上野介』小西四郎『江戸幕府その実力者たち 』北島正元『
47. かのうら【鹿野浦】新潟県:佐渡郡/相川町/北片辺村
日本歴史地名大系
鹿野浦川・中ノ川・京塚川の三本の川の流砂によって開けた地。南側の戸中から続く旧道の坂道は、四十二曲りといい、川路聖謨の「島根のすさみ」にも記される海府道最大の難
48. かみよしだむら【上吉田村】埼玉県:秩父郡/吉田町地図
日本歴史地名大系
高札場が各組一ヵ所、女形・明ヶ平・女部田にあった。しかし嘉永六年下郷の千萱・久形・女部田が旗本川路聖謨の知行地となったため、下郷も二組に分れた(前掲万写帳など)
49. かわじ-たかこ【川路高子】
日本人名大辞典
1804−1884 江戸後期-明治時代,川路聖謨(としあきら)の妻。文化元年生まれ。慶応4年新政府軍の江戸城入城がせまり,夫が自殺した際,おちついてその始末にあ
50. 川路柳虹
日本大百科全書
詩人、美術評論家。東京・芝に生まれる。本名誠。祖父は川路聖謨としあきら。東京美術学校卒業。河井酔茗すいめいの『文庫』『詩人』に寄稿して詩人として出発。1907年