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  11. 愛護若

愛護若

ジャパンナレッジで閲覧できる『愛護若』の日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典のサンプルページ

新版 日本架空伝承人名事典

愛護若
あいごのわか
 説経節『愛護若』の主人公。愛護は父二条蔵人清平の後妻、雲井の前の邪恋を拒んだため、二条の館を追放される。叔父の阿闍梨あじゃりのいる叡山を訪ねるが、そこでも天狗と誤られて乱暴され、失意と絶望から山中を放浪した果てに霧降滝きりうがたきで投身自殺してしまう。これが、この作の粗筋である。
 愛護は、数奇な出来事を通して、人の心の温かさと生きることの厳しさを体験する。追放された愛護を、マレビト(客人神)を饗応するように迎え入れてくれた四条河原の細工夫婦、志賀峠(近江国)で粟の飯を柏の葉に包んで飢えを救ってくれた田畑之介兄弟の情愛は、愛護にとって忘れがたいものであった。愛護とこれら賤民といわれた人々との交流や、そこに生まれたきずなは、通常の社会関係のなかでは得られない貴重な体験といえよう。
 しかし、現実社会の権力の象徴である叡山がつくりあげた差別の介入によって、このきずなが崩壊したとき、愛護の怒りと無力感は、急速に形をとって現れる。山の聖性を守るために叡山は、女人と三病者(癩)と細工人の登山を禁止する立札を立てたのであるが、聖性に名を借りたこうした差別意識を愛護は鋭く告発している。叡山の叔父の阿闍梨に天狗と間違えられた愛護は、やがて穴生里あのうのさとへ迷いこみ、ここでも不浄の者と扱われ、ついに滝に入って自殺する。一〇八人もの追従者をまき込んだ入水劇は、この作が、愛護を後に日吉ひえ山王権現として祭る縁起譚として描きながら、実は、中世的な説経の世界の崩壊と終焉を暗示したものであったともいえよう。
 印象深いのは、二条蔵人清平によって、後に処刑された継母の雲井の前が、霧降滝に一六丈の大蛇となって現れ、愛護への思いを遂げたことを告白するところで、その愛欲のすさまじさは、他の説経の作品にはない。近世の浄瑠璃『摂州合邦辻』の、俊徳丸と玉手御前の関係にその影響が認められるが、愛護の創造とその死は、近世的なものへの懸橋として、歴史的な意味を担っている。
[岩崎 武夫]
愛護若と山王
 説経『愛護若』は近江の民間伝承の流れとともに、山の霊童を主役とする叡山における児信仰と児物語の系譜をひいていよう。とりわけクライマックスの霧降滝での愛護入水というモティーフは、日吉社の神体山、八王子山に近接する叡山巡礼業のメッカ、神蔵寺付近の渓谷に生起した、修行者を担い手とする竜神伝承に由来している。
 また愛護を庇護する細工人の造形は、唐崎や粟津の職能民を原像としており、山王信仰の多彩な担い手層の一端を示すとともに、この物語が同地の河原巻物の原型となった信仰、伝承と類縁性があることを示してもいる。
[山本 ひろ子]
 奥手桜の今を盛りと見えけるが、若君は御覧じて、二条の御所の桜花、今を盛りであるらんと、ながめ入っておわします。時ならぬ嵐吹き来たり、蕾みし花が一房、若君の御袂に散りかかりける。「おう悟りたるこの花や。散りたる花は母上様、咲きたる花は父御様、蕾みし花は愛護なり。恨みのことが書きたやな」。料紙硯があらばこそ、左手の指を食い切り、岩の狭間に血を溜めて、柳を筆となされつつ、小袖を脱ぎ、恨みさまざま書きとめ、一首はこうぞ聞こえける。
神蔵や霧降が滝へ身を投ぐる語り伝えよ杉の叢立ち
と、かように詠じ給いつつ、西に向かい手を合わせ、「南無や西方弥陀如来、同じ蓮の蓮台に、助け給え」と伏し拝み、御年積もり十五歳と申せしに、霧降が滝に身を投げ、ついにむなしくなり給う。(中略)不思議や池の水揺り上げ揺り上げ、黒雲北へ下がり、十六丈の大蛇、愛護の死骸を被き、壇の上にぞ置きにける。「ああ恥ずかしや。かりそめに思いをかけ、ついには、一念とげてあり。阿闍梨の行力強くして、ただ今死骸を返すなり。わが跡問いてたび給え」と、言うかと思えば、水の底にぞ失せにけるは、身の毛もよだつばかりなり。いたわしや□□の御坊、清平殿、愛護の死骸に抱きつき、これはこれはとばかりにて、消え入るように泣き給う。御涙のひまよりも、「わが子返させ給えや」。「甥を返さい清平」と、消え入り給うぞあわれなり。御涙のひまよりも、「いつまでありてかいあらじ。われもともに行かん」とて、死骸を抱き清平殿、かの池に飛び入り給う。阿闍梨もともに飛び入り給う。御弟子たちも、われもわれもと身を投げける。桃惜しみの穴生の姥も身を投ぐる。田畑之介兄弟も霧降が滝に参り身を投ぐる。手白の猿も谷に入り、細工夫婦は「唐崎の松は若君の御形見なれば、いざやここにて身を投げん」。「もっとも」とて夫婦むなしくなりにける。阿闍梨をはじめ、上下百八人と聞こえける。南たいの大僧正は聞こしめし、前代未聞に例少なき次第なり、山王大権現と斎われける。
説経節愛護若
愛護若は、今の日吉の大宮、細工の小次郎は今の唐崎の宮、田畑は今は膳所田畑の社なりと云。あまつさへ伝に作り、書に筆して愚俗をまどはす。尤笑べし。あとかたもなき虚言、歯牙を労すべき事にはあらねども、其土俗の云ところに付て是を論ずるに、愛護若、もし日吉大宮の化現にもあらば、なんぞ桃を実なといひ、麻を苧になるなといはんや。己れに与へざるを恨、己が為に憤りあればとて、天地の造化にて実のれる木を実のらさず、麻を苧にせざるなど、一己の私にして、天下の公道にあらず。愛護若、もし神ならば、決して云べからざるの言、なすべからざるの行なり。愛護若の事は、『秋の夜長物語』といへる仮名草紙に、是に似たる事あり。それに作りかへていひ出せる成べし。嗚呼虚妄の人を迷はすこと、歎息あまりあり。
上坂本近江輿地志略
チゴノ岩  飯室登ル道端
俗説多シ。此ノ外神倉寺ノ滝、絹掛ケ岩等俗ニ愛護若ノ事ヲ伝フ。
山門名所旧跡記


世界大百科事典

愛護若
あいごのわか

説経節の曲名。六段構成で浄瑠璃の形式であるが古説経の印象がある。内容が複雑で前後二つの部分から成る。主人公愛護若が父二条蔵人清衡の後妻雲井の前の邪恋を拒んだため,激しい憎しみを買って館を追放されるまでの前半と,館を出た愛護若が,叔父の阿闍梨(あじやり)のいる叡山を訪ね,そこで天狗と間違えられて乱暴され,失意と絶望から山中を放浪した果てに霧降滝(きりうがたき)で投身自殺する後半とである。数奇な出来事を通して人の心の暖かさと生きることの厳しさを体験するところにこの作の主題がある。臼の上に戸板を敷きマレビト(来訪神)を饗応するように迎え入れてくれた四条河原の細工(さいく)夫婦や,志賀峠(近江国)で粟の飯を柏の葉に包んで飢えを救ってくれた田畑之介兄弟の情愛は愛護にとって忘れ難いものであった。愛護とこれら賤民といわれる人々との交流やそこに生まれた絆は,通常の社会関係の中では得られない貴重な体験といえよう。しかしこの絆が現実社会の権力の象徴である叡山が作りあげた差別の介入によって崩壊したとき,愛護の怒りと無力感は急速に形をとって現れる。山の聖性を守るために叡山は,女人と三病者(癩)と細工人の登山を禁制する立札を立てるが,聖性に名を借りたこうした差別意識を愛護は鋭く告発している。叡山の叔父の阿闍梨に天狗と間違えられて追放された愛護は,やがて穴生里(あのうのさと)へ迷いこみ,ここでも不浄の者と扱われ,ついに滝に入って自殺する。108人もの追従者をまき込んだ入水劇は,この作が,愛護を後に日吉(ひえ)山王権現として祭る縁起譚として描きながら,実は中世的な説経の世界の崩壊と終焉を暗示したものであったためといえよう。

 《近江国輿地(よち)志略》(寒川辰清編,1734成立)にのせる愛護若伝説によると,説経にはない部分として細工の小次郎が近江の唐崎の宮に,田畑之介が膳所(ぜぜ)田畑之社にまつられたとあって,この伝説が説経よりも古い姿をとどめていることがわかる。江戸時代の浄瑠璃に,竹本義太夫の正本《都富士》,紀海音(きのかいおん)の《愛護若塒箱(ねぐらのはこ)》がある。
[岩崎 武夫]



国史大辞典

愛護若
あいごのわか
貴公子受難物語の説経代表作。六段。愛護若は二条蔵人前左大臣清平の一子で、夫婦が長谷観音に祈請してもうけた申し子。嵯峨天皇の時代、若十三歳の時母が死に、継母の八条の姫が若を激しく恋慕し、日に七度の恋文を送った。亡母を慕って持仏堂に籠る若は、それをきびしく拒絶したため、姫は夫に讒訴し、若は縛られて桜樹に釣下げられる。亡母の霊がいたちになって来り、若を救い、伯父の比叡山の帥の阿闍梨を頼れと告げる。阿闍梨をたずねあてた若は、天狗のいたずらと誤解されて追い出される。若はその後も難儀にあい、世をはかなんで、「かみくらや霧生(きりゅう)が滝へ身を投ぐる語り伝へよ杉のむら立」の一首を残して自殺した。それを知った父は姫(若の継母)を死罪とした。のち父も阿闍梨も、若を助けた手白(てじろ)の猿も大勢の人々とともに投身し、若は山王大権現とまつられたという筋。日吉大社の縁起が素材になったのであろう。作品の中に「花は咲けども桃ならず、麻はまけども苧にならず」という、比叡山東麓の穴太(あのお)地方の民話が入っている。古い正本がなく、現存では万治四年(一六六一)正月の京都山本九兵衛版が最も古い。天満八太夫が語った宝永五年(一七〇八)正月の江戸鱗形屋版も残っている。愛護の若物として、のちの浄瑠璃・歌舞伎に及ぼした影響は大きい。『説経正本集』二、『新潮日本古典集成』説経集所収。
[参考文献]
折口信夫「愛護若」(『折口信夫全集』二所収)
(室木 弥太郎)
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1. 愛護若
日本大百科全書
紀海音きのかいおんの『愛護若塒箱ねぐらのはこ』、近松半二らの『愛護若名歌勝鬨めいかのかちどき』などが現れ、とくに菅専助すがせんすけらの『摂州合邦辻せっしゅうがっ
2. 愛護若
世界大百科事典
内容が複雑で前後二つの部分から成る。主人公愛護若が父二条蔵人清衡の後妻雲井の前の邪恋を拒んだため,激しい憎しみを買って館を追放されるまでの前半と,館を出た愛護若
3. あいごのわか【愛護若】
国史大辞典
貴公子受難物語の説経代表作。六段。愛護若は二条蔵人前左大臣清平の一子で、夫婦が長谷観音に祈請してもうけた申し子。嵯峨天皇の時代、若十三歳の時母が死に、継母の八
4. あいごのわか【愛護若】
日本人名大辞典
説経節「愛護若」の主人公。前左大臣二条清平の子。13歳で母に死別。継母の邪恋をこばんだため汚名をきせられ,さまざまな責め苦にあい,ついに自殺。のち疑いはれて日吉
5. あいごのわか【愛護若】
日本架空伝承人名事典
愛護の創造とその死は、近世的なものへの懸橋として、歴史的な意味を担っている。[岩崎 武夫]愛護若と山王 説経『愛護若』は近江の民間伝承の流れとともに、山の霊童を
6. 愛護若一代記(著作ID:594989)
新日本古典籍データベース
あいごのわかいちだいき 八文字自笑一世(はちもんじじしょう1せい) 江島其磧(えじまきせき) 浮世草子 天明八刊
7. 愛護若塒箱(著作ID:595006)
新日本古典籍データベース
あいごのわかねぐらのはこ 紀海音(きかいおん) 浄瑠璃/義太夫 正徳四初演
8. 愛護稚名歌勝鬨(著作ID:10071)
新日本古典籍データベース
あいごのわかめいかのかちどき 愛護若名歌勝鬨 竹田出雲二世(たけだいずも2せい) 吉田冠子一世(よしだかんし1せい) 中邑阿契(なかむらあけい) 近松半二(ちか
9. 女帝愛護若(著作ID:125348)
新日本古典籍データベース
おんなみかどあいごのわか 中村清五郎二世(なかむらせいごろう2せい) 狂言本 宝永四刊
10. あ‐が・く【足掻】
日本国語大辞典
がきふためけば身を失ぞ祿を求、財宝をほしがってあがけば、わざわい恥辱なことが来ぞ」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕二「去られた男の門内へ入らんとあがくは推参な
11. あさ=に なるとも[=を 蒔(ま)くとも]苧(お)になるな
日本国語大辞典
護の若が、麻が風でなびいたため悪人に見つけられ、それを恨んで書きつけたという文句。*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕四「我を打ったる其仇に、花は咲くとも桃なるな
12. 麻(あさ)=になるとも〔=を蒔(ま)くとも〕苧(お)になるな
故事俗信ことわざ大辞典
に見つけられ、それを恨んで書きつけたという文句。「苧」は、麻の繊維からつくった糸。 浄瑠璃・愛護若塒箱(1715頃)四「我を打ったる其仇に、花は咲くとも桃なるな
13. 穴蔵(あなぐら)で雷(かみなり)聞(き)く
故事俗信ことわざ大辞典
ばかばかしい程用心することのたとえ。 浄瑠璃・愛護若塒箱(1714)二「畳の上で舟を漕ぎ穴蔵(アナクラ)で雷聞く、用心深う養生も全うなさるる」
14. あひる‐とび【家鴨飛】
日本国語大辞典
〔名〕あひるのように、飛び立とうとして飛ぶことができず、尻を振って進む様子をあざけっていうことば。*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕三「杖にはぐれし座頭の坊、滅
15. いい‐ばれ[いひ‥]【言晴】
日本国語大辞典
*仮名草子・大仏物語〔1642〕下「是は我がひけをいひはれするといひ、世間の六借をのがるるといひ」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕三「日待に召されし芸者共、罷
16. い‐おん【医陰】
日本国語大辞典
陰両道、病人免〓之」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕一「医陰(イオン)の両道術尽きて諸仏の悲願空しきを、神明和光の力により、平復ならせ給ふ故」
17. いし に 立(た)つ矢(や)
日本国語大辞典
は〈略〉此題は生きたる虎の事なれば、虎ふす野べも、石にたつ矢など読みたるがよき也」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕一「恋のそめ羽の色に出て、思ひ込んだる一念の
18. 石(いし)に立(た)つ矢(や)
故事俗信ことわざ大辞典
ては〈略〉此題は生きたる虎の事なれば、虎ふす野べも、石にたつ矢など読みたるがよき也」浄瑠璃・愛護若塒箱(1715頃)一「恋のそめ羽の色に出て、思ひ込んだる一念の
19. いし を 打(う)つ
日本国語大辞典
紋尽し「町人民家の嫁どりにこそ石をうつ法はあれ、弓矢取の婚礼〈略〉今宵石打狼藉者」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕二「妻迎へ舟寿(ことぶき)に、一家一門上下を
20. 梅若丸画像
日本大百科全書
説経浄瑠璃では『梅若』または『隅田川すみだがわ』の題名で、『苅萱かるかや』『山荘太夫さんしょうだゆう』『愛護若あいごのわか』などとともに五説経のなかに加える者も
21. かめ の 浮木(うきき・うきぎ)
日本国語大辞典
〕釈教・二六三三「目しひたる亀の浮木にあふなれやたまたまえたる法のはし舟〈高弁〉」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕四「年月沈む恋の海、亀の浮木(ウキギ)は得た
22. 亀(かめ)の浮木(うきき)
故事俗信ことわざ大辞典
玉葉(1312)釈教・二六三三「目しひたる亀の浮木にあふなれやたまたまえたる法のはし舟〈高弁〉」浄瑠璃・愛護若塒箱(1715頃)四「年月沈む恋の海、亀の浮木(ウ
23. がく‐ち【学知・学智】
日本国語大辞典
学問。*ぎやどぺかどる〔1599〕上・二・三「学智といふは、是非を糺し明むる智恵也」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕一「六条の右大将有雄卿と聞えしは、させる学
24. 貴種流離譚
日本大百科全書
『義経記ぎけいき』の義経よしつねなどの古代・中世の物語や語物を経て、小栗判官おぐりはんがん、愛護若あいごのわか、俊徳丸などの説経節の悲しい主人公まで、その類型は
25. 近世説美少年録 29ページ
日本古典文学全集
そのなかでは近松門左衛門の浄瑠璃『双生隅田川』が有名。馬琴にも『墨田川梅柳新書』(文化四年刊)がある。愛護若。古浄瑠璃の主人公。
26. くらい‐だおし[くらゐだふし]【位倒】
日本国語大辞典
〔名〕「くらいだおれ(位倒)」に同じ。*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕一「直ぐな心の清平公、邪智貪慾(どんよく)は有雄卿(ありをきゃう)、位倒(クラヰダフ)し
27. くわ‐がまち[くは‥]【鍬框】
日本国語大辞典
〔名〕鍬の金具の部分。*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕二「在所喧嘩(けんくゎ)の手習ひに、小鍛冶(こかぢ)が打った鍬がまち、いざ参らうと振上ぐれば」
28. こい は 互(たが)い
日本国語大辞典
浮世草子・傾城色三味線〔1701〕江戸・一「恋は互(タガイ)なれば情をかけてやれ」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕一「ちょっとちょっとと手を引いて誘ひ給へば、
29. 恋(こい)は互(たが)い
故事俗信ことわざ大辞典
」浮世草子・傾城色三味線(1701)江戸・一「恋は互(タガイ)なれば情をかけてやれ」浄瑠璃・愛護若塒箱(1715頃)一「ちょっとちょっとと手を引いて誘ひ給へば、
30. 広益俗説弁 続編 108ページ
東洋文庫
同国阿拝郡一宮奥観音谷に在」と見へたり。此説、証とするにたらんか。 愛護若が説 俗説云、むかし二条蔵人といふ人の子に、愛護若といふ美少人あり。継母これを恋慕し文
31. 広益俗説弁 続編 109ページ
東洋文庫
遺骨を首にかけて諸国を修行し、亡跡ねんごろに弔ける」とあり〔以上『長物語』説〕。此聖護院の梅若を愛護若とし、三条京極に住せる花園左大臣を二条蔵人とし、叡山の教戒
32. 広益俗説弁 続編 396ページ
東洋文庫
『日本書紀』『神代直指抄』や『薛方山紀述』を引いて説明している。また、遺編巻二十七「愛護若が説」では、愛護若の俗説の原話が『秋夜長物語』に基づいて作られたと指摘
33. 幸若舞 1 百合若大臣(ゆりわかだいじん)他 100ページ
東洋文庫
『太平記』巻 一一をはじめ中世の諸書に散見する。また、「一念無量劫、繋念無量罪」となる場合(説経節「愛護若」、浄瑠璃「燦静胎内据」など)もある。「一念五百生、繋
34. こ‐じつこ・し
日本国語大辞典
〔形ク〕(「こ」は接頭語)いやにしつこい。*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕三「御器量勝れ給ふのが、其身ながらの身の敵、胴欲なげにこじつこう惚れ腐ったと、しゃく
35. こん‐せん【金仙】
日本国語大辞典
仏陀の別称。きんせん。*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕四「愛護並びに鳰照姫が蘇生の効験ならしめ給へ。帰命。頂礼金仙氏(コンセンし)」*釈氏稽古略‐四「二月詔。
36. ご‐せっきょう[‥セッキャウ]【五説経】
日本国語大辞典
説経節のうち、「三荘太夫」「苅萱(かるかや)」「信田妻(しのだづま)」「梅若(隅田川)」「愛護若」をいう。また、これらと「しんとく丸」「小栗判官」「梵天国」と入
37. しげれ‐まつやま【繁松山】
日本国語大辞典
*俳諧・犬子集〔1633〕三・雑夏「酒もりの座にて祝義の心を、さあうたへしげれ松山の千世の宿」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕二「繁れ松山御家の繁昌(はんじゃ
38. しじょう‐こう[シジャウクヮウ]【熾盛光】
日本国語大辞典
ウ)等の大曼陀羅を安置せり」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕四「七仏薬師熾盛光(シジャウクヮウ)、烏芻沙摩随求大仏頂」
39. しんぜん‐みょうう[‥メウウ]【真善妙有】
日本国語大辞典
ので同義か。*貞享版沙石集〔1283〕五・一「法界等流の音声、真善妙有の文字なり」*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕四「三諦即是目前に止観の胸を観念す。浸染妙有
40. 信徳丸
日本大百科全書
四天王寺と清水観音は古くからかかわりがあり、一連の俊徳丸ものは仏教信仰を背景にして生まれた。また、説経浄瑠璃『愛護若あいごのわか』との共通点も多い。『しんとく丸
41. すぎやま‐ごうやく[‥ガウヤク]【杉山膏薬】
日本国語大辞典
〔名〕江戸時代、杉山流の鍼医家で売った塗り薬か。*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕一「恋の矢疵の時花(はやり)医者、其許(そこもと)迄は手が廻らぬ、杉山膏薬(す
42. ずいぐ‐だいぶっちょう[‥ダイブッチャウ]【随求大仏頂】
日本国語大辞典
さす。仏頂尊を祈念すると、衆生の求めるところに随って施しを与えるところから随求という。*浄瑠璃・愛護若塒箱〔1715頃〕四「愛護並びに鳰照姫が、蘇生の効験ならし
43. 説経画像
日本大百科全書
が五説経とされたが、享保きょうほう(1716~1736)のころ「苅萱」「三荘太夫」のほかは「愛護若あいごのわか」「信田妻(信太妻)しのだづま」「梅若」が入れ替わ
44. 説経節
世界大百科事典
ろに見えるが,何をさしたか不明。後には《苅萱(かるかや)》《山荘太夫(さんしようだゆう)》《愛護若(あいごのわか)》《梅若》《信田妻》(《浄瑠璃通鑑綱目》)とも
45. 説経節 山椒太夫・小栗判官他
東洋文庫
中世末の民衆の間に育った芸能,説経節のなかから,とくに著名な「山椒太夫」「苅萱」「信徳丸」「愛護若」「小栗判官」を選んでその語り口をそのままに伝え,「信田妻」を
46. 説経節 山椒太夫・小栗判官他 1ページ
東洋文庫
横山重氏が『説経正本集』および『浄瑠璃正本集』に翻刻された本文をそのまま利用させていただいた。ただし「愛護若」については、横山氏から借覧した赤木文庫蔵の正本を底
47. 説経節 山椒太夫・小栗判官他 2ページ
東洋文庫
太夫未詳『せっきやうかるかや』 同『信徳丸』 天下無双佐渡七太夫正本『せつきやうしんとく丸』 同 『愛護若』 太夫未詳『あいこの若』 赤木文庫蔵 小栗判官』 御
48. 説経節 山椒太夫・小栗判官他 5ページ
東洋文庫
本文をそのまま利用させていただくことをお願いした。先生は快くご承諾くださっただけではなく、「愛護若」については『正本集』所収のものより良
49. 説経節 山椒太夫・小栗判官他 161ページ
東洋文庫
愛護若
50. 説経節 山椒太夫・小栗判官他 184ページ
東洋文庫
せんちよ聞きて、「御先祖1と問いかくる。若君聞こしめし、「今は何をかつつむべし。二条蔵人清平の総領愛護若」と、始め終わりを語らせ給い、消え入るように泣き給う。兄
「愛護若」の情報だけではなく、「愛護若」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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うつほ物語(宇津保物語)(日本古典文学全集・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の物語。題名は首巻の「俊蔭」の巻で、主人公の仲忠が母と杉の洞穴で生活したことによる。従来「宇津保」と書かれていたが、変体仮名の原漢字を用いたもので、題意からは「うつほ(ウツオ)」がよい。成立時代は円融朝(969~984)~
落窪物語(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
〔一〕今は昔のこと、中納言である人で、姫君を大勢持っていらっしゃった方がおられた。長女や次女の君には婿を迎えて、それぞれ西の対、東の対に派手に住まわせ申しあげなさって、「三女、四女の君には裳着の式をして差し上げよう」と、大事にお世話なさる
唐物語(国史大辞典・世界大百科事典)
中国説話二十七篇を歌物語風に翻訳した物語。一冊。前田綱紀の手記『桑華書志』所収の『古蹟歌書目録』は『漢物語』として作者を藤原成範と伝える。これが『唐物語』を指す蓋然性は高く、院政期の成立と見てよい。各話は王朝物語にもしばしば引用される著名な人物が配される。
とりかへばや物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代末期の物語。運命のいたずらで女装、男装を余儀なくされた異腹の兄妹の物語。作者未詳。三巻三冊または四巻四冊。『とりかへばや』には古本と今本とがあり、古本は散佚、古本を改作した「今とりかへばや」が『とりかへばや』『とりかへばや物語』の名で現存する。
今鏡(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安末期の歴史物語。1170年(嘉応2)成立説とそれ以後とする説とがあり、作者は藤原為経(寂超)説が有力。『大鏡』を受けて、1025年(万寿2)から1170年までの歴史を、座談形式を用い、紀伝体で叙述したもの。巻1~3は後一条天皇から高倉天皇までの帝紀、巻4~6は藤原氏
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豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
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近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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