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  11. 石童丸

石童丸

ジャパンナレッジで閲覧できる『石童丸』の日本架空伝承人名事典・世界大百科事典のサンプルページ

新版 日本架空伝承人名事典

石童丸
いしどうまる
 説経節『苅萱かるかや』に出てくる幼い主人公の名。『苅萱』のもとになる話は、中世の高野山の蓮華谷や往生院谷あたりの「萱堂かやんどう」に住むひじりの間に生まれたもので、それが後に謡曲の『苅萱』と説経に分かれて展開したものである。説経『苅萱』の世界は、筑紫六ヵ国の所領と家族を捨てて、東山黒谷から高野山へのがれた苅萱を追って、御台所みだいどころと石童丸が還俗を迫る話である。御台所と姉の千代鶴姫は死に、石童丸は父と対面しながらも、真実の父とは知らずに別れ、高野と善光寺で別々に往生するところで終わっている。石童丸については、石童の名が、石堂、石御堂、石塔といって全国に地名の多いところから考えると、石堂(辻堂)を拠点とする聖に関係する名で、塚と死者の埋葬を営む聖との深い交渉の中から生じたものであろう。なお説経『苅萱』の伝承を今日まで残し、苅萱道心と石童丸の親子地蔵をまつる寺が善光寺周辺に二つある。苅萱山寂照院西光寺と苅萱堂往生寺という。西光寺の所在が妻科村石堂(現、長野市北石堂町)西光寺となっているのは、石堂に拠る聖と幼い主人公の因縁がしのばれる一つの証しである。高野山の萱堂聖や、善光寺周辺の石堂の聖の間で語られた話を統合したものに時宗化した高野聖の存在が考えられるが、彼らは高野山と善光寺を往還しながら説経『苅萱』の成立に深く関与したことはまちがいない。父が苅萱であることを生涯知らずに終わり、母や姉の死を見とどけて荼毘だびにするなど、『苅萱』の主題である家族の解体と死に最後まで立ち会ったのが石童丸であった。
苅萱
[岩崎 武夫]
石童丸を苅萱は、憐み給ひ手を取りて、おのが住家に連れ帰り、国は何処名は何と、問はせ給へば涙ぐみ、国は筑前松浦の、加藤左衛門重氏が、わすれがたみの石童と、聞ひて苅萱胸迫り、せき来る涙とめあへず、石童それと覚りしか、若し父上にてましまさば、あかしてたべと前に寄り、後に廻り苅萱の顔覗き込み懇ろに、請はるゝさまの石童を、あらなつかしの我子よと、言はんとせしが名乗りかね、其苅萱は去年の秋、空しくなりぬとのたまへば、石童又も泣きしづみ、せめて墓場を教へてと、請はれて苅萱是非もなく、墓場に連れ行き指さして、これこそ父の墓なりと、教へ給へば石童は、力なく〓〓ひざまづき、涙にぬれし袖たもと、絞りもあへず香をたき、雪より白き掌を合せ、南無阿弥陀仏と伏拝む、姿を見つる苅萱は、胸も張り裂くばかりなり
薩摩琵琶歌石童丸


世界大百科事典

石童丸
いしどうまる

説経《苅萱(かるかや)》に出てくる幼い主人公の名。《苅萱》のもとになる話は,中世の高野山の〓華谷や往生院谷あたりの〈萱堂(かやんどう)〉に住む聖(ひじり)の間に生まれたもので,それが後に謡曲の《苅萱》と説経に分かれて展開したものである。説経《苅萱》の世界は,筑紫6ヵ国の所領と家族を捨てて,東山黒谷から高野山へのがれた苅萱を追って,御台所(みだいどころ)と石童丸が還俗を迫る話である。御台所と姉の千代鶴姫は死に,石童丸は父と対面しながらも,真実の父とは知らずに別れ,高野と善光寺で別々に往生するところで終わっている。石童丸については,石童の名が,石堂,石御堂,石塔といって全国に地名の多いところから考えると,石堂(辻堂)を拠点とする聖に関係する名で,塚と死者の埋葬を営む聖との深い交渉の中から生じたものであろう。なお説経《苅萱》の伝承を今日まで残し,苅萱道心と石童丸の親子地蔵をまつる寺が善光寺周辺に二つある。苅萱山寂照院西光寺と苅萱堂往生寺という。西光寺の所在が妻科村石堂(現,長野市北石堂町)西光寺となっているのは,石堂に拠る聖と幼い主人公の因縁がしのばれる一つの証しである。高野山の萱堂聖や,善光寺周辺の石堂の聖の間で語られた話を統合したものに時宗化した高野聖の存在が考えられるが,彼らは高野山と善光寺を往還しながら説経《苅萱》の成立に深く関与したことはまちがいない。父が苅萱であることを生涯知らずに終わり,母や姉の死を見とどけて荼毘(だび)にするなど,《苅萱》の主題である家族の解体と死に最後まで立ち会ったのが石童丸であった。
→苅萱堂
[岩崎 武夫]

[索引語]
苅萱 萱堂 石堂 苅萱道心 往生寺 西光寺(長野) 高野聖
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検索ヒット数 109
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検索コンテンツ
1. 石童丸
日本大百科全書
出家していた父の苅萱道心どうしんを高野山こうやさんに訪ねたが、父はわが子と知りながら名のらずに別れる。のちに石童丸は母や姉と死別してから高野山に登り、苅萱の弟子
2. 石童丸
世界大百科事典
いどころ)と石童丸が還俗を迫る話である。御台所と姉の千代鶴姫は死に,石童丸は父と対面しながらも,真実の父とは知らずに別れ,高野と善光寺で別々に往生するところで終
3. いしどうまる[いしダウまる]【石童丸】
日本国語大辞典
〔一〕和歌山県高野山の苅萱(かるかや)堂や、長野市安楽山の往生寺の縁起などに伝わる人物。「苅萱堂縁起」によると一二世紀後半の人で、筑前(福岡県)苅萱の武士加藤繁
4. いしどうまる【石童丸】
国史大辞典
なす萱堂聖の萱堂からでたものである。高野山密厳院の苅萱堂では、いまも石童丸の物語を絵解して、唱導を行なっている。『北条九代記』では苅萱道心と石童丸は、一遍上人と
5. いしどうまる【石童丸】
日本人名大辞典
父(苅萱道心)を高野山にたずねる。父はわが子と知りつつ親と名のらず,石童丸は母と姉に死別したのち父の弟子となる。のち石童丸は高野山で,父は信濃(しなの)善光寺で
6. いしどうまる【石童丸】
日本架空伝承人名事典
御台所(みだいどころ)と石童丸が還俗を迫る話である。御台所と姉の千代鶴姫は死に、石童丸は父と対面しながらも、真実の父とは知らずに別れ、高野と善光寺で別々に往生す
7. 石童丸(著作ID:1079272)
新日本古典籍データベース
いしどうまる 江戸説経さいもん/石どう丸 説経 
8. 石童丸(著作ID:4358245)
新日本古典籍データベース
いしどうまる 浄瑠璃 説経 
9. いしどうまる‐ようかん[いしダウまるヤウカン]【石童丸羊羹】
日本国語大辞典
〔名〕和歌山県高野山の名物の羊羹。苅萱、石童丸父子対面の伝説にちなんだもの。イシドーマルヨーカン〓[ヨ]
10. 石童丸親子一代記(著作ID:90528)
新日本古典籍データベース
いしどうまるおやこいちだいき 実録 
11. 石童丸刈萱道心(著作ID:90539)
新日本古典籍データベース
いしどうまるかるかやどうしん 説経 
12. 石童丸苅萱道心行違段(著作ID:1079283)
新日本古典籍データベース
いしどうまるかるかやどうしんゆきちがいのだん 江戸説経さいもん/石童丸苅萱道心行違段 説経 
13. 石童丸苅萱札書ノ段(著作ID:1079294)
新日本古典籍データベース
いしどうまるかるかやふだかきのだん 江戸説経高野山/苅萱石堂丸札書ノ段 説経 
14. 石童丸実録(著作ID:4358246)
新日本古典籍データベース
いしどうまるじつろく 
15. 石堂丸苅萱物語(著作ID:90540)
新日本古典籍データベース
いしどうまるかるかやものがたり 石童丸苅萱物語 苅萱後伝玉櫛笥 曲亭馬琴(きょくていばきん) 作 葛飾北斎一世(かつしかほくさい1せい) 画 読本 文化三刊
16. 苅萱石童丸札書の段(著作ID:4370721)
新日本古典籍データベース
かるかやいしどうまるふだがきのだん 村井弦斎(むらいげんさい) 作 若松若太夫一世(わかまつわかたゆう1せい) 浄瑠璃 説経 昭和一〇
17. あらかわむら【荒川村】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区
日本歴史地名大系
四を使用、大谷川に沿って堤六五五間がある。白髭神社の祭礼に奉納される松阪踊は豊年踊の一種で、石童丸・池田七郷・忠臣蔵など語り歌に合せて輪になって踊る。輪踊の中で
18. いちのみやむら【一宮村】高知県:安芸市
日本歴史地名大系
組となって演じる。男は四つ竹(カチという)、女は小型陣太鼓を鳴らすが、江戸万歳・エベス大黒・石童丸などの曲がある。
19. 往生寺
日本大百科全書
感じ、妻子財宝を捨て修行の旅に出る。子の石童丸いしどうまるは母と後を追って高野山こうやさんにきて、父の弟子となり往生坊道念と称した。しかし道心は石童丸と別れ、善
20. 伽婢子 1 35ページ
東洋文庫
よろづにつけてあぢきなく、行末とても頼みなしと、うかれ果たる心より思ひ立て、譜代の侍与三兵衛重景・石童丸といふわらは、武里といふ舎人は舟に心得たるものなれば、此
21. 伽婢子 1 36ページ
東洋文庫
 石童丸涙ををさへて、  たまぼこの道ゆきかねてのる舟に         こ玉ろはいと父あこがれにけり それより紀伊国和寄・吹上の浦をうち過て、由良の湊よりふね
22. 伽婢子 1 37ページ
東洋文庫
秋としり、月のいづるをかぞへっくして、月なき時を晦とあかしくらす身となり侍べり。貞能・重景・石童丸が子孫ひろごりて、家居をならべて往ける也。さだめて頼朝世をとり
23. 伽婢子 2 244ページ
東洋文庫
未詳。石津の某(六ノ5) 未詳。美濃国海津郡に石津郷 があり、あるいはこの地名からくる架称か。石童丸(ニノー)詳細未詳。『平家物語』巻一〇 「横笛」の平維盛八島
24. 伽婢子 2 245ページ
東洋文庫
 野山及び高野聖と深くかかわる『苅萱道心物語』 の石童丸と関係あるかといわれている(筑土鈴寛 氏「平家物語についての覚書」『筑土鈴寛著作集』 一)。伊勢の国司↓
25. おやこ‐じぞう[‥ヂザウ]【親子地蔵】
日本国語大辞典
その由来を説明する伝説。各地にあるが、特に著名なのは長野市往生寺山麓のもので、苅萱(かるかや)と石童丸の故事に結びつけたもの。オヤコジゾー
26. かたのごう【片野郷】福岡県:北九州市(旧豊前域)/小倉北区/片野村
日本歴史地名大系
四〇町三反余・藤松一〇町・末松二町九反余・行安五町・得益五反・金剛丸二町五反余・末永三反余・石童丸四反余・重富五町五反余・三郎丸七町・近見七町・乙丸五町六反余・
27. かみとばむら【上鳥羽村】京都市:南区地図
日本歴史地名大系
苅萱堂の名で知られ、建暦年間(一二一一―一三)に苅萱道心の創建とされる。この寺が苅萱堂と通称されるのは、石童丸の父苅萱道心が高野山参詣の際に、しばしばこの地に足
28. 学文路
日本大百科全書
また高野山参詣こうやさんさんけい路の不動坂道の上り口にあたり、説教、浄瑠璃じょうるりで知られる石童丸いしどうまるにちなむ苅萱堂かるかやどうや、謡曲『高野物狂もの
29. かむろむら【学文路村】和歌山県:橋本市
日本歴史地名大系
玉屋与次兵衛といふ臥房繁昌す。苅萱道心の因縁ある家なりとぞ」とみえる玉屋は、説経「かるかや」の主人公石童丸が高野登山の際に泊った所と伝え、参詣の客で賑った。紀ノ
30. かりかやじょうあと【刈萱城跡】長崎県:松浦市/岳崎村
日本歴史地名大系
本貫の御厨庄に出向いてみずから城山に築城、その年代は建久二年という(西陽記録・肥前記)。なお石童丸の哀話は当城を舞台とするという所伝があるが、当城に関する由来も
31. 苅萱
日本大百科全書
石童丸
32. 苅萱
世界大百科事典
ので,のちに旅を生活の場とする説経師の手に渡り,今日に伝わる形に成長した。主人公苅萱とその子石童丸の別れ,妻や姉娘千代鶴の死など,家族の崩壊と離散を語る内容は,
33. かるかや【刈萱】
国史大辞典
苅萱道心と名づけられ、妻子をさけて高野山に登る。御台所と子の石童丸が尋ねてくるが、子に会っても父と名のらない。ついで御台所が死に、国もとの娘も死ぬ。石童丸は高野
34. かるかや【苅萱】
日本人名大辞典
藤左衛門は,家族をすてて出家し,高野山にはいり苅萱道心となる。妻と子の石童丸があとをおってきたが,妻は山麓で病死。石童丸に父と名のらずつきはなし,信濃(しなの)
35. かるかや【苅萱】
日本架空伝承人名事典
苅萱とその子石童丸は、親子地蔵として、現在でも、善光寺の近くにある西光寺や来迎寺に祭られており、生前果たせなかった親子再会の願いがかなえられたかのように仲むつま
36. 苅萱堂
世界大百科事典
和歌山県の高野山往生院谷にあり,密厳院に属する。いまも苅萱道心と石童丸の唱導をするので知られ,その旧跡とされている。密厳院は新義真言宗の開祖,覚鑁(かくばん)(
37. かるかや‐どう[‥ダウ]【苅萱堂】
日本国語大辞典
長野市南長野北石堂町、西光寺にある堂。苅萱道心の修行の跡を石童丸が訪ねきて、彼もそこで修行をつんだという。同市の往生寺にも同じ伝えがある。カルカヤドー
38. かるかやどう【苅萱堂】和歌山県:伊都郡/高野町/高野山/往生院谷
日本歴史地名大系
苅萱道心と名乗る繁氏を、後妻の千里とその一子石童丸が高野山に尋ねる物語は広く流布し、説経節や浄瑠璃・歌舞伎となって知られる。女人禁制のために山に登れぬ千里が、麓
39. かるかや‐どうしん[‥ダウシン]【苅萱道心】
日本国語大辞典
〔一〕石童丸伝説中の人物。石童丸の父。俗名加藤左衛門繁氏(しげうじ)。筑前国苅萱の武士だったが、無常を感じて出家し、高野山にはいる。かるかや。〔二〕(苅萱桑門)
40. 苅萱桑門筑紫〓
日本大百科全書
で、見ごたえのある場面。五段目の「高野山」は、苅萱道心となった繁氏が、はるばる尋ねてきた若君石童丸いしどうまるに会いながら、父と名のらずに帰す話で、沢村宗十郎の
41. かるかやどうしんつくしのいえづと[かるかやダウシンつくしのいへづと]【苅萱桑門筑紫〓
日本国語大辞典
歌舞伎などの影響を受けて成立した。筑前の大名加藤繁氏が発心して高野山に入り苅萱と名のる。御台と石童丸が父を訪ねて高野へ向かう悲劇を脚色。三段目の玉取り(守宮酒=
42. かわかみむら【河上村】佐賀県:武雄市
日本歴史地名大系
〓課本上下覆勘之時依難儀以石童丸分被昇進者也石童丸 中下課」とある。この村には箱式石棺を内部主体とした丸山古墳と羨道部が破壊された横穴
43. くるまにんぎょう【車人形】
国史大辞典
素人人形座としての三座を残すのみになった。現在上演される作品は『日向島景清』『佐倉宗吾』『小栗判官』『石童丸』『安珍清姫』『葛の葉』など。第二次世界大戦後、三代
44. 高野詣
世界大百科事典
り)である。しかし一方高野山は山岳霊場として女人禁制であり,高野七口には女人堂があったため,石童丸説話のような哀話を生むことになった。高野聖の唱導では,高野山を
45. こころ‐・える【心得・意得】
日本国語大辞典
物に心得たる雑色を一人付て、さまをやつして」*平家物語〔13C前〕一〇・横笛「与三兵衛重景、石童丸といふ童、舟に心えたればとて〈略〉召し具して」*徒然草〔133
46. こばやし-はる【小林ハル】
日本人名大辞典
,5歳のとき瞽女のもとに弟子入り。9歳で門付けをはじめ,73歳まで現役をつづけた。持ち歌は「石童丸」「小栗判官照手姫」など700曲をこえる。昭和53年選択無形文
47. 瞽女
世界大百科事典
悲しい物語を七五調の曲節に乗せて語り継ぐクドキ(口説)が多く,《葛の葉子別れ》《山椒太夫》《石童丸》などの曲目がよくうたわれた。女性であり,かつ身体障害の苦を負
48. 猿芝居
世界大百科事典
てそれらしい所作を演じた。《三番叟》《お軽勘平道行》《山崎街道》《一の谷の組討》《道成寺》《石童丸》などの演目があった。犬との共演も多く〈犬芝居〉ということもあ
49. 白石踊
日本大百科全書
古くは新盆の家の庭先でも踊った。音頭の歌には「山田の露」「和唐内」「賽さいの河原」「七回忌」「石童丸」「那須なすの与市」「お夏清十郎」など、おもに浄瑠璃じょうる
50. じょうちいん【上池院】和歌山県:伊都郡/高野町/高野山/往生院谷
日本歴史地名大系
痘瘡で死んだ子のために祈ったところ、生返ったため当院に納めたという。子は当院で薙髪して宗円と称した。境内に石童丸親子得度の井戸、院名の起りともなった覚鑁池がある
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うつほ物語(宇津保物語)(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の物語。題名は首巻の「俊蔭」の巻で、主人公の仲忠が母と杉の洞穴で生活したことによる。従来「宇津保」と書かれていたが、変体仮名の原漢字を用いたもので、題意からは「うつほ(ウツオ)」がよい。成立時代は円融朝(969~984)~
落窪物語(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
〔一〕今は昔のこと、中納言である人で、姫君を大勢持っていらっしゃった方がおられた。長女や次女の君には婿を迎えて、それぞれ西の対、東の対に派手に住まわせ申しあげなさって、「三女、四女の君には裳着の式をして差し上げよう」と、大事にお世話なさる
唐物語(国史大辞典・世界大百科事典)
中国説話二十七篇を歌物語風に翻訳した物語。一冊。前田綱紀の手記『桑華書志』所収の『古蹟歌書目録』は『漢物語』として作者を藤原成範と伝える。これが『唐物語』を指す蓋然性は高く、院政期の成立と見てよい。各話は王朝物語にもしばしば引用される著名な人物が配される。
とりかへばや物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代末期の物語。運命のいたずらで女装、男装を余儀なくされた異腹の兄妹の物語。作者未詳。三巻三冊または四巻四冊。『とりかへばや』には古本と今本とがあり、古本は散佚、古本を改作した「今とりかへばや」が『とりかへばや』『とりかへばや物語』の名で現存する。
今鏡(世界大百科事典)
平安末期の歴史物語。10巻。《小鏡》《続世継》とも呼ばれる。1170年(嘉応2)成立。著者には中山忠親,源通親などが擬せられるが,未詳。《大鏡》の後を継ぐ書として,《大鏡》の記事が終わる後一条天皇の万寿2年(1025)から高倉天皇の嘉応2年までの13
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豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
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