1. 荊楚歳時記
日本大百科全書
原名は『荊楚記』であったともいわれる。7世紀になって、隋ずいの杜公瞻とこうせんが注釈をつけ、『荊楚歳時記』という書名が確定するとともに、原書の内容が補足された。
2. けいそさいじき【
楚歳時記】
国史大辞典
[参考文献]坂本太郎「荊楚歳時記と日本」(『日本古代史の基礎的研究』上所収)、守屋美都雄「荊楚歳時記の資料的研究」(『大阪大学文学部紀要』三)、和田久徳「荊楚
3. 荊楚歳時記
東洋文庫
荊楚,つまり長江中流域の湖南・湖北地方の年中行事とその由来を記した民俗資料の古典。6世紀の梁の人宗懍の著に,隋の杜公瞻(とこうせん)が注を付けたもの。訳注者の初
4. 【荊楚歳時記】けいそさいじき
新選漢和辞典Web版
書名。梁(りょう)の宋懍(そうりん)の著。楚(そ)の国の一年間の年中行事・風俗などを書いたもの。
5. 荊楚歳時記(著作ID:4379226)
新日本古典籍データベース
けいそさいじき 宗懍(そうりん) 撰
6. そうりん【宗懍】(Zōng Lǐn)
世界人名大辞典
字:元懍〔†561-65[保定年間]〕 中国南北朝期の文人.《荊楚歳時記》の撰者.本籍は南陽涅陽,8代前の祖先の時に長江中流域の江陵(現,湖北荊州)に移った.
7. あく‐げつ【悪月】
日本国語大辞典
五月の異称。*史記抄〔1477〕一二・孟甞「五月をば悪月と云て、五月五日に生た子は忌ぞ」*
荊楚歳時記「五月俗称
悪月
8. あわせ[あはせ]【合・会】
日本国語大辞典
玉燭宝典云寒食之節城市尤多為闘鶏戯〈闘鶏世間云土利阿波世〉」*二十巻本和名類聚抄〔934頃〕四「闘草 荊楚歳時記云五月五日有闘百草之戯〈闘草此間云久佐阿波世〉」
9. い‐さく[ヰ‥]【葦索】
日本国語大辞典
、邪気払いにする。*俳諧・華実年浪草〔1783〕春・一「葦索(イサク〈注〉アシノナワ)」*
荊楚歳時記「有
掛
10. いっぴゃくご‐にち【一百五日】
日本国語大辞典
〔名〕冬至の翌日から一〇五日目に当たる日。寒食(かんしょく)の日をいう。*
荊楚歳時記「去
冬節
11. うん【瘟】
日本国語大辞典
を尚ひ三年に一たび行ふ是れ瘟(ウン)を送るの義に取ると云ふ附郭郷村皆然り」*
荊楚歳時記「以
五綵絲
12. 燕京歳時記 北京年中行事記 3ページ
東洋文庫
それによって運勢の順利をうらなう。家人でこれを食いあてた者は、すなわちその歳中が大吉なのである。 『荊楚歳時記』を見ると、
13. 燕京歳時記 北京年中行事記 5ページ
東洋文庫
馬食とは平たい形の食物のことで、隠元豆を扁豆というのもまたその形によって名づけた。九 『荊楚歳時記』 六朝の梁の宗懐の著。いまの湖南、湖北すなわち揚子江中流地
14. 燕京歳時記 北京年中行事記 6ページ
東洋文庫
古代中国の社会史や風俗史研究 のためには見逃がすことのできぬ参考書である。守屋美都雄博士の『校註荊楚歳時記』がすぐ れている。一〇『玉燭宝典』 驕の著作郎の
15. 燕京歳時記 北京年中行事記 11ページ
東洋文庫
の高承の『事物起原』巻一正朔暦数の部にみえる。六朝時代にはかかる俚語が盛んであったと みえ『荊楚歳時記』にも董助の『問礼俗』を引用して詳細に述べている。農
16. 燕京歳時記 北京年中行事記 18ページ
東洋文庫
であったようで、十二月に行 なわれた祭祀であるところがら十二月を臘月と呼ぶにいたった。『荊楚歳時記』には、臓鼓鳴 りて春草生ずとみえ、また『呂氏春秋』の季冬
17. 燕京歳時記 北京年中行事記 19ページ
東洋文庫
『詩経』山風に春日遅々とあるにもとづく。丙 果思 宮殿をかこむ城壁や堵垣をいう。蓋 屏繰 『荊楚歳時記』に、繰をきりて人をつくり、金箔をちりばめて人をつくり、
18. 燕京歳時記 北京年中行事記 24ページ
東洋文庫
●ρ男℃もふ)。しかし『荊楚歳時記』などには、いまだこの儀礼が盛大であ つたことを知らせる
19. 燕京歳時記 北京年中行事記 66ページ
東洋文庫
注 一 寒食 火気を用いず、冷たいものを食べる習俗。『荊楚歳時記』によると、昔は三日間行なつ たという。その由来は春秋のとき、晋の文公(前六三七-前六二八)
20. 燕京歳時記 北京年中行事記 71ページ
東洋文庫
注 一 桃の節句 『荊楚歳時記』にも、この日は江渚池沼のほとりで喫祓し、また曲水の宴を行なつ たことがみえる。喫祓は水がものを洗い清める力を持つところがら、
21. 燕京歳時記 北京年中行事記 103ページ
東洋文庫
蛟竜にぬ すまれないためである。 とある。これがすなわち綜子の起原である。 注 一 端陽 『荊楚歳時記』には五月を俗に悪月という、とみえる。『礼記』月令には
22. 燕京歳時記 北京年中行事記 108ページ
東洋文庫
門の傍に挿して不祥を醸う。これまた、いにしえの茨虎、蒲剣の造意である。 注 一 支虎蒲剣 支虎は『荊楚歳時記』に「五月五日、丈をもって虎形をつくり、あるいは採
23. 燕京歳時記 北京年中行事記 110ページ
東洋文庫
『太平御覧』に佚文がある。また『荊楚歳時記』にある文もおそらく原文から収録したもので あろう。 三 長命縷 績命縷、百索縷さらに辟兵繕、五色綜、
24. 燕京歳時記 北京年中行事記 122ページ
東洋文庫
みえる。 悪月(陰暦の五月) 京師の諺に「正月は善月、五月は悪月」という。 『荊楚歳時記』を見るに、 五月は俗に悪月と称する。禁忌のことが多く、寝
25. 燕京歳時記 北京年中行事記 143ページ
東洋文庫
すでに明代にも 行なわれていたことが知られる。なお古くはこの日を乞巧典と呼んだ。(『荊楚歳時記』)。 鵠填橋(鵠の橋架け) 七月七日のすがすがし
26. 燕京歳時記 北京年中行事記 164ページ
東洋文庫
九月九日にはじかみ(茱萸)を食い、菊花の酒を飲んだと見える。なお 菊と九とは北京音では相通ずる。『荊楚歳時記』にも九月九日、四民ならびに野に座を設けて
27. 燕京歳時記 北京年中行事記 195ページ
東洋文庫
人がおのおの遠くにけり、相手の玉に打ちあてて勝負を争うやりかたである。なお打球のこと は『荊楚歳時記』にもみえ、その注によると寒食節には蹴鞠を行なうのが習
28. 燕京歳時記 北京年中行事記 209ページ
東洋文庫
願って履を贈ったのである。さらに六朝時代には赤豆の粥をつくって疫病ばらいのまじないもした(『荊楚歳時記』)。赤は火と同じく夏の表徴で、陰極まり陽に転ずるところが
29. 燕京歳時記 北京年中行事記 219ページ
東洋文庫
の日ともな り、あるいは疫払いの日ともなり、さらに六朝時代には仏教思想も入り込み、『荊楚歳時記』 にもこの日には金剛力士を作って疫病を払うとある。降
30. 王船山詩文集 修羅の夢 64ページ
東洋文庫
端午の節句に不祥を払うために門傍に はさむ。また、「菖蒲を以て、或いは鍍み或いは屑とし以て酒に乏ぶ」(『荊楚歳時記』)。 ○合囲 四方からとり囲んで攻める。
31. 王船山詩文集 修羅の夢 186ページ
東洋文庫
正朔の冬。 ○繰勝 あやぎぬで作った婦人の髪飾り。一月七日にそれを贈る(『荊楚歳時記』)。 ○中背 真夜中。 七言律詩、「五十自定稿」に収める。 人日は一
32. 甲子夜話 5 213ページ
東洋文庫
ど、是らの義に本づける者ならん。韓鄙引所の俗説弥信ずべし。年少の者より飲み始むることは、『荊楚歳時記』に出づ。進二椒栢酒→飲二桃湯→進二屠蘇酒4飲レ酒次第従レ小
33. 漢字の世界 2 中国文化の原点 272ページ
東洋文庫
『漢書』「礼楽志」に「大灘の儀に、木面獣を以て灘をなす」とあるから、獣面に作るものもあったようである。『荊楚歳時記』に、十二月八日、胡頭を戴き、金剛力士と疫を逐
34. 看羊録 朝鮮儒者の日本抑留記 251ページ
東洋文庫
万暦二六年戊戌(一五九八、宣祖三一年)、歳はすでに改まった。爆竹を鳴らして鬼を駈い、燃燈守歳するのは、『荊楚歳時記』に〔書かれて〕あるのと大変よく似てはいるもの
35. 看羊録 朝鮮儒者の日本抑留記 252ページ
東洋文庫
喜涙河傾を作す 注 一 燃燈守歳 燈火をもやして、大みそかに終夜眠らないで団坐すること。 二 『荊楚歳時記』 中国梁の宗懐の撰になる。荊楚(今の湖北・湖南一帯の
36. がい‐じん【艾人】
日本国語大辞典
もろこしに、よもぎさうぶなどにて人をつくりて門戸の上にかけ侍るを艾人とも蒲人ともいへり」*
荊楚歳時記「楚人午日懸
蒲人・艾人於門
37. が‐けい[グヮ‥]【画鶏・画
】
日本国語大辞典
其うへに葦のなはをかけて、ふだをかたはらにさしはさめば、百鬼おそるる由、歳時記にあり、元日の事也」*
荊楚歳時記「正月一日、貼
画
38. きこう‐か[キカウクヮ]【乞巧瓜】
日本国語大辞典
願いごとがかなうしるしという。きっこううり。《季・秋》*俳諧・滑稽雑談〔1713〕七月「乞巧瓜
荊楚歳時記曰、七夕、婦人陳
瓜果
39. きこうでん【乞巧奠】画像
国史大辞典
、婦女子が裁縫が巧みになるのを乞いねがう意。奠は祭。陰暦七月七日の夜に行われた年中行事。『荊楚歳時記』にみえ、唐の玄宗皇帝のころには盛んに行われた(『開元天宝遺
40. きっこう‐しん[キッカウ‥]【乞巧針】
日本国語大辞典
月「乞巧針(キッカウシン) もろこしに婦人七孔の針にいろいろの糸をとをしてたむくる事なり。荊楚歳時記にあり」
41. 近世俳句集 22ページ
日本古典文学全集
一年に一度この夜に織女星と牽牛星とが逢瀬を遂げるという伝説がある。「七夕といひ、また星夕ともいふなり。荊楚歳時記に曰、七月七日織女牽牛聚会の夜なり」(日本歳時記
42. 近世俳句集 359ページ
日本古典文学全集
諸国の神々が出雲の大社に集まり、神々が留守になるので、こういう。また、この月は「十月和暖、春ノ如シ」(荊楚歳時記)とあるように、もっとも気候温和な時節であり、ぽ
43. きん‐ぱく【金箔・金薄】
日本国語大辞典
〕〈夏目漱石〉一〇「矢が二本出てゐる。鼠色の羽根と羽根の間が金箔(キンパク)で強く光る」*
荊楚歳時記「正月七日為
人日
44. 義経記 1 13ページ
東洋文庫
集 〈中国の口承文芸3〉矧北京の伝説 〈中国の口承文芸4〉川中国訪問使節日記謝荊楚歳時記謝謝熱河日記12全二巻加牧 小青藤田 川木千英 環正村 松飯
45. ぎ‐しゅん【宜春】
日本国語大辞典
〉「宜春漸闌 良夜将
暁」*
荊楚歳時記「立春日、悉翦
綵為
46. 魏書釈老志 185ページ
東洋文庫
行事化しつつあった釈迦誕生祝賀の行像である。南北朝を通じてこの行事が盛んであったことは、『荊楚歳時記』『法苑珠林』巻三一などにも見え、北魏における驚歎すべぎ盛況
47. くさあわせ【草合】
国史大辞典
その種類・形状・性質などにより優劣を争う遊戯。敗け方はそのしるしに衣服を脱いだりした。古代中国の『荊楚歳時記』杜公瞻の注に「五月五日(中略)闘百草の戯あるなり」
48. くさ‐あわせ[‥あはせ]【草合】画像
日本国語大辞典
菊合せ・女郎花合せなどという。草尽くし。草結び。《季・夏》*二十巻本和名類聚抄〔934頃〕四「闘草
荊楚歳時記云五月五日有
闘
49. 草餅画像
日本大百科全書
餅に搗き込んだことが『文徳実録もんとくじつろく』の850年(嘉祥3)に記されている。6世紀に著された中国の『荊楚歳時記けいそさいじき』には、3月3日にハハコグサ
50. くすりがり【薬猟】
国史大辞典
『万葉集』一六にも「平群(へぐり)の山に四月と五月との間(ま)に薬猟」(原万葉仮名)とみえる。『荊楚歳時記』に「五月五日(中略)是の日、競渡し、雑薬を採る」とあ