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  11. 渋沢喜作

ジャパンナレッジで閲覧できる『渋沢喜作』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

国史大辞典・日本人名大辞典

国史大辞典

渋沢喜作
しぶさわきさく
一八三八 - 一九一二
明治時代の実業家。渋沢栄一の従兄で、栄一より二歳年長。天保九年(一八三八)六月十日、武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市)に渋沢文平の子として生まれる。文久三年(一八六三)栄一らとともに攘夷を決行しようとしたが中止した。翌元治元年(一八六四)栄一とともに一橋家に仕官し、慶応二年(一八六六)幕臣となる。明治元年(一八六八)二月同志とともに彰義隊を組織したが、脱隊して振武軍をつくり、五月武蔵国飯能で官軍に抗戦。破れて函館に赴き五稜郭に立て籠ったが、ついに降伏し陸軍の檻倉に入牢となる。四年赦免され、栄一の推薦により大蔵省に入り、翌五年欧州に留学。帰国後野に下り一時小野組に入ったが、七年独立して渋沢商店を開き、東京深川で廻米問屋を、横浜で生糸売込問屋を営んだ。だが、十四年ごろに米相場、二十年には銀相場に手を出して大損失を招き、主に栄一が後始末をした。その責めを負い、隠居して店を長男作太郎に譲った。その後渋沢商店は発展したが、彼は大正元年(一九一二)八月三十日死去した。享年七十五。墓は東京都目黒区の祐天寺墓地にある。法名、秀徳院節誉崇義大居士。
[参考文献]
竜門社編『渋沢栄一伝記資料』一・一五
(山口 和雄)


日本人名大辞典

渋沢喜作
しぶさわ-きさく
1838−1912
明治時代の実業家。
天保(てんぽう)9年6月10日生まれ。従弟の渋沢栄一とともに一橋家につかえ,幕臣となる。戊辰(ぼしん)戦争では彰義隊を組織するが脱退,のち五稜郭(ごりょうかく)にこもる。維新後,大蔵省につとめたのち,明治7年渋沢商店をひらき,廻米(かいまい)問屋,生糸売込問屋をいとなむ。東京株式取引所理事長。大正元年8月30日死去。75歳。武蔵(むさし)榛沢(はんざわ)郡(埼玉県)出身。通称は成一郎。
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3. 渋沢喜作[文献目録]
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4. 天野八郎
日本大百科全書
養子となり、翌1866年幕臣天野氏を継いだ。1868年2月彰義隊を結成、一橋ひとつばし家の臣渋沢喜作(成一郎)を頭取とし、自らは副頭取となった。上野寛永寺を本拠
5. うえのせんそう【上野戦争】
国史大辞典
江戸上野で彰義隊と政府軍との間におこった戦争。彰義隊は前将軍徳川慶喜に一橋家時代からつかえた渋沢喜作・天野八郎ら旧幕臣が中心となって結成したもので、当初は浅草本
6. うえはら-とよきち【上原豊吉】
日本人名大辞典
1854−1923 明治-大正時代の経営者。安政元年生まれ。明治7年渋沢栄一の後援で渋沢喜作が設立した渋沢商店の支配人をつとめた。大正12年1月6日死去。70歳
7. おだかあつただ【尾高惇忠】
国史大辞典
母は同郡血洗島村渋沢宗助の娘。農耕と藍玉商売のかたわら剣術と学問に精出した。明治元年(一八六八)には、渋沢喜作らとともに彰義隊を創設したが、のち脱退し、振武軍を
8. 生糸荷預所事件
世界大百科事典
主張する生糸売込問屋らとそれを阻止せんとする外国商館との間で生じた紛争。茂木惣兵衛,原善三郎,渋沢喜作ら横浜生糸売込問屋は,従来外国商館が現物を引き込んで検査,
9. しぶさわ-せいいちろう【渋沢成一郎】
日本人名大辞典
渋沢喜作(しぶさわ-きさく)
10. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 11ページ
東洋文庫
二度つとめ,その間兵庫開港事務取扱。維新後官位剥奪された。       まさつら 七兵衛 →花房端連 澁澤喜作 1838-1931幕臣。実業家。初名成一郎。武蔵
11. にほんしせききょうかいそうしょ【日本史籍協会叢書】
国史大辞典
州兵馬関に於て薩州商船撃沈事件(船越衛)・元治元年武田耕雲斎等西上の際越前方面へ出張の顛末(渋沢喜作)・鳥羽伏見開戦当時肥後藩挙止(小橋元雄)・水戸烈公蒙譴の事
12. ぬまじりこうざんあと【沼尻鉱山跡】福島県:耶麻郡/猪苗代町/白木城村
日本歴史地名大系
簡単な汲取りや袋炉の製錬法であったと考えられる(猪苗代町史)。明治二一年(一八八八)群馬県の渋沢喜作・細野次郎が鉱区を取得し、欧米式蒸気製錬法を用いて硫黄生産事
13. やまがたのうじょう【山県農場】栃木県:矢板市/上伊佐野村
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[現]矢板市上伊佐野・下伊佐野・平野 明治一三年(一八八〇)一月、小松彰・渋沢喜作・益田教・渋沢栄一の名で栃木県令鍋島幹に対し、一二ヵ村の入会慣行のあった上伊佐
14. 1912年〈明治45大正元(7・30) 壬子〉
日本史年表
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15. 特集 渋沢資本主義 株式会社を作っただけじゃない 経営者教育、危機管理で手腕=島田昌和
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た。なぜここまで世話焼きだったのだろうか。  彼のいとこで若き日に一緒に危ない橋を渡ってきた渋沢喜作という男がいた。彼は維新後、横浜で渋沢商店を経営し、生糸と米
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