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  11. 鼠小僧次郎吉

鼠小僧次郎吉

ジャパンナレッジで閲覧できる『鼠小僧次郎吉』の世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典のサンプルページ

世界大百科事典

鼠小僧次郎吉
ねずみこぞうじろきち
1797?-1832(寛政9?-天保3)

江戸の著名な盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金3000両余を盗む。盗金は酒食や遊興,ばくちなどに費やした。32年8月獄門。36歳とも37歳ともいわれた。のち小説,講談,戯曲に義賊として仕立てられ,ますます著名となった。
[南 和男]

伝承と作品化

実録本《鼠小僧実記》は実在の稲葉小僧(1785年捕縛)と鼠小僧とをつきまぜて物語に仕上げている。この書によれば,神田豊島町の紀伊国屋藤左衛門の子に生まれ,貧に困って捨子となり,博徒鼠の吉兵衛に拾われ,幸蔵と名づけられて育つ。20歳のころ上方へ行き次郎吉と変名,博徒淀辰と畳屋三右衛門を頼り,義賊を志し,江戸へ帰って盗みを働き,やがて淀辰が捕らわれて詮議がきびしくなり,高崎へのがれるが大宮で召し捕られ,引回しのうえ小塚原で獄門に処せられるのが筋である。江戸末期の諸大名奥向きの放漫と庶民の困窮を描出し,義賊がぬけめなく立ち回る点に享受者の共感があった。2世松林(しようりん)伯円は〈泥棒伯円〉と呼ばれるほど白浪物(しらなみもの)講釈を得意とし,その演目の一つが《緑林(みどりがはやし)五漢録--鼠小僧》で,これをもとに河竹黙阿弥が脚色した歌舞伎が《鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)》である。その初演の年,同名題の合巻を紅英堂から出版(柳水亭種清編,2世歌川国貞画),市井の小盗賊を英雄視したところに幕末の時代相が反映されている。
[小池 章太郎]

[索引語]
稲葉小僧 松林(しようりん)伯円 鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)


国史大辞典

鼠小僧次郎吉
ねずみこぞうじろきち
一七九七 - 一八三二
江戸時代後期の大盗。次郎八、次郎太夫とも称した。寛政九年(一七九七)江戸日本橋の生まれというが諸説がある。堺町に居住し鳶人足であったが身をもちくずし、文政六年(一八二三)ごろから武家屋敷など三十二ヵ所に侵入し盗みを働いた。このため捕えられて入墨・追放となった。しかし、五尺(約一・五一メートル)足らずの小柄な身体を利用して、その後も悪事を重ね、武家屋敷での盗みが多かったことから義賊との評判が高かった。天保三年(一八三二)に松平宮内少輔の屋敷に忍び入り捕えられ、八月十九日江戸市中引廻しの上、小塚原で磔、獄門となった。三十六歳。墓は本所回向院(東京都墨田区両国二丁目)など諸所にある。義賊との評判が強かったため、芝居・講談・小説などで数多く取り上げられている。
[参考文献]
松浦静山『甲子夜話』
(吉原 健一郎)


新版 日本架空伝承人名事典

鼠小僧次郎吉
ねずみこぞうじろきち
1797?‐1832(寛政9?‐天保3)
 江戸の著名な盗賊。『視聴草』によれば、一八二三年(文政六)以来一〇年間に九九ヵ所の武家屋敷へ一二二度も忍びこみ、金三〇〇〇両余を盗む。盗金は酒食や遊興、ばくちなどに費やした。三二年八月獄門。三六歳とも三七歳ともいわれた。のち小説、講談、戯曲に義賊として仕立てられ、ますます著名となった。
[南 和男]
伝承と作品化
 実録本『鼠小僧実記』は実在の稲葉小僧(一七八五年捕縛)と鼠小僧とをつきまぜて物語に仕上げている。この書によれば、神田豊島町の紀伊国屋藤左衛門の子に生まれ、貧に困って捨子となり、博徒鼠の吉兵衛に拾われ、幸蔵と名づけられて育つ。二〇歳のころ上方へ行き次郎吉と変名、博徒淀辰と畳屋三右衛門を頼り、義賊を志し、江戸へ帰って盗みを働き、やがて淀辰が捕らわれて詮議がきびしくなり、高崎へのがれるが大宮で召し捕られ、引回しのうえ小塚原で獄門に処せられるのが筋である。江戸末期の諸大名奥向きの放漫と庶民の困窮を描出し、義賊がぬけめなく立ち回る点に享受者の共感があった。二世松林しょうりん伯円は「泥棒伯円」と呼ばれるほど白浪物しらなみもの講釈を得意とし、その演目の一つが『緑林みどりがはやし五漢録――鼠小僧』で、これをもとに河竹黙阿弥が脚色した歌舞伎が『鼠小紋東君新形ねずみこもんはるのしんがた』である。その初演の年、同名題の合巻を紅英堂から出版(柳水亭種清編、二世歌川国貞画)、市井の小盗賊を英雄視したところに幕末の時代相が反映されている。
[小池 章太郎]
(奉行)「貴様は大胆な奴ぢやなア、大名方へ盗みに行ツて、首尾よう免れたなどとは、実に珍しい曲者である」(次郎)「恐れながら申上げます、大名方と申しまするものは、表玄関から這入ります時は、その用心は極厳しい事でございますが、裏の庭口から忍び入ツて、御主人の御居室へ這入ります時は、その締方が手薄いものでございます、大名方が一番私は金が取りようございました」(奉行)「さてもさても悪い所へ目を注けたものである」と筒井伊賀守殿も非常に驚かれました、尚再三再四と御取調べに成りまして、大名方の御名前をお控へになると、その数は水戸殿始め一橋殿、田安殿、清水殿、尾張殿、紀伊殿、水野出羽守、(中略)細川長門守、小堀織部の八十九軒にございます、(中略)くて後奉行筒井伊賀守殿、次郎吉を御呼出しに相成りまして、その口書申渡しには
       異名鼠小僧事
           無宿入墨
             次郎吉
              ひつじ三十三歳
私儀十年以前年以来、処々武家屋敷二十八ケ所、度数三十二度、塀を乗り越え又は通用門より紛れ入り、長局奥向ながつぼねおくむきへ忍び入り、錠前をこぢ開け、或は土蔵の戸をのこぎりにて挽切り、金七百五十一両一分、銭七貫五百文程盗み取り使い捨て候後、武家屋敷へ這入り候得共、盗み得ず候処召捕られ、数ケ所にて盗み致し候儀は押包み、博奕ばくえき数度いたし候旨申立て、右とがに依り入墨の上、追放相成り候処、入墨を消し紛らせ、尚悪事相止まず、尚又武家屋敷七十一ケ所、度数九十度、右同様の手続にて、長局奥向へ忍び入り、金二千三百三十四両二分、銭三百七十二文、銀四匁三分盗み取り、右に付き御仕置に相成り候以後の盗みケ所都合つがふ九十九ケ所、度数百二十二度のうち、屋敷名前失念、又は覚えず、金銀盗み取らざるもこれあり、凡そ金高三千百二十一両二分、銭九貫二百六十文、銀四匁三分のうち、古金五両、銭七百文は取り捨て、其余は残らず酒食遊興、又は博奕を渡世同様に致し、在方ざいかた処々へも持参、残らず使ひ捨て候始末、重々不届至極の段恐れ入り奉り候以上
(奉行)「いま申し聞かした通り相違あるまいナ」(次郎)「恐れ入りましてございます」爪印を致させ、其儘伝馬町へ下げ置かれました、くて六十日経過いたしまして、伝馬町御牢内に於て、石出帯刀たてわきお立合ひの上、江戸市中引廻と定りました、其時の次郎吉の服装いでたちは、紺の縮布ちゞみ上衣うはぎ、下には白無垢を着まして、帯は黄糸八端、白足袋を穿き藤倉草履、下には天鵝絨びろうどの腹掛を致して居りました、紫房の念珠じゆずを持ち、顔には薄化粧を致して口臙脂くちべにをさし、裸馬に打乗り、今や市中を引廻さんと、同心、与力前後に附いて出でんと致す、其時ソラ鼠小僧の引廻、ヤレ次郎吉の御仕置よ、とワイ〓〓騒ぎ立てまする、此時馬上に在ツて次郎吉は「天の下ふるきためしは白浪の、身こそ鼠とあらはれにけれ」と口吟くちずさみましたが、泥棒にはチヨイト異ツた男でございます、さて引廻の後伝馬町御牢内に伴れ帰り、首を剄ねましたのは天保二年八月十二日の事でございまして、千住小塚ツ原へ三日の間露されました、その遺骸を葬りましたのは、の権現堂村の茂兵衛でございまする、且つ一基の石碑をば建てました、戒名は教学速善信士(後に居士と改む)とございます、彼の次郎吉の妾お花は、母親お虎が間もなくこの世を去りまして、独身となりましたに付き、諸方より縁談等も申込まれましたが、例令たとひ賊ながらも、一旦契りし夫なれば、二度の夫は持たぬと云ふ決心にて、次郎吉の跡を懇ろにとむらひ、例の裁縫たちぬひの業を以て、生涯を送りましたと云ふ事でありますが、母に似ぬ心得の好い女でございました、然るにこの次郎吉の石碑を欠いて持ツて行けば、勝負事に運が強いとか、無尽の取れるまじなひになるとか何とか色々な事を申して、誰が為す業か度々石碑を打欠ぶつかいては新しく調こさへ、三年と同じ石碑が立ツて居ないと云ふ位ゐで、只今ではその石碑の数が積りまして、積んで周囲まはりの塀と致してございますが、世に之れを回向院えかうゐんの鼠塚と申す、白浪のお話にございます。
講談鼠小僧四代目石川一口演
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1. 鼠小僧次郎吉
世界大百科事典
1797?-1832(寛政9?-天保3) 江戸の著名な盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金30
2. ねずみこぞうじろきち【鼠小僧次郎吉】
国史大辞典
一七九七―一八三二 江戸時代後期の大盗。次郎八、次郎太夫とも称した。寛政九年(一七九七)江戸日本橋の生まれというが諸説がある。堺町に居住し鳶人足であったが身を
3. 鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)
古事類苑
法律部 洋巻 第2巻 57ページ
4. ねずみこぞうじろきち【鼠小僧次郎吉】
日本架空伝承人名事典
江戸の著名な盗賊。『視聴草』によれば、一八二三年(文政六)以来一〇年間に九九ヵ所の武家屋敷へ一二二度も忍びこみ、金三〇〇〇両余を盗む。盗金は酒食や遊興、ばくちな
5. 鼠小僧次郎吉[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:2件 『歴史家のみた講談の主人公』時野谷勝『史上人物新評伝 鼠小僧の社会思想』丘陽之助『折獄叢譚 鼠小僧』霞外
6. 「鼠小僧次郎吉 道中の巻」[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2018
その才能を高く評価されながらも、28歳の若さで戦病死した山中貞雄監督が1933年に撮った無声映画で、3部作のうちの2作目。公開当時、映画評論誌などで絶賛された
7. いっ‐ぽん【一本】
日本国語大辞典
・九・一「腹の虫だからって、何時までも黙っては居ませんわね、一本遣っつけてやりましたの」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「『その時にゃ軽くて獄門、重く
8. いなばこぞう【稲葉小僧】
日本架空伝承人名事典
天明期(一七八一‐八九)の義賊。鼠小僧次郎吉とならび称されるのは、鼠小僧の出自である『鼠小僧実記』の記述に、稲葉小僧のものが多く転用されていることにもよる。因幡
9. うそさむ‐さ【薄寒─】
日本国語大辞典
《季・秋》*俳諧・鷹筑波集〔1638〕三「しぐれしはたがまことぞやうそ寒(サム)さ〈重和〉」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉一「涼しいとは感じられるにし
10. 回向院
世界大百科事典
国学者加藤千蔭,戯作者山東京伝,浄瑠璃語り竹本義太夫など有名人の墓も多く,なかでも義賊ともてはやされた盗賊鼠小僧次郎吉の墓は,勝負師などの縁起をかつぐ人たちに人
11. えこういん【回向院】画像
国史大辞典
れた。いまの国技館の大相撲の前身である。また境内は諸国の霊仏の出開帳に利用され、山東京伝や鼠小僧次郎吉の墓もある。 [参考文献]『江戸名所記』四、斎藤幸雄他編『
12. えこういん【回向院】東京都:墨田区/旧本所区地区/南本所元町地図
日本歴史地名大系
同後期の戯作者磐瀬京伝(山東京伝)、その弟で戯作者の磐瀬京山(山東京山)、天保二年(一八三一)に刑死した鼠小僧次郎吉の墓などがある。
13. 大河内伝次郎
世界大百科事典
その間のおもな作品には,前記のほか,内田吐夢監督《仇討選手》,山中貞雄監督《盤嶽の一生》《鼠小僧次郎吉》,稲垣浩監督《大菩薩峠》などがある。魁偉(かいい)な容貌
14. おこっ‐けい[ヲコッ‥]【烏骨鶏】
日本国語大辞典
〈略〉烏骨鶏はうこけい、一名をこっけい 筑前、をごっけい 讚州」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「『ひ、ひ、人殺し』と、烏骨鶏(ヲコッケイ)が時でもつ
15. おてもと‐きん【御手元金】
日本国語大辞典
*黒潮〔1902~05〕〈徳富蘆花〉一・一・一「既に畏き勅語と共に御手元金三十万円の下賜(かし)あり」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉一「懐の暖(あった
16. かさ の 台(だい)が飛(と)ぶ
日本国語大辞典
死刑になる。*浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)〔1780〕座摩社「お前此銀取ると笠の台が飛ぞへ」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「火つけや押込みまでさん
17. 笠(かさ)の台(だい)が飛(と)ぶ
故事俗信ことわざ大辞典
前此銀取ると笠の台が飛ぞへ」日本俚諺大全(1906~08)「笠(カサ)の台(ダイ)が飛ぶ」鼠小僧次郎吉(1920)〈芥川龍之介〉二「火つけや押込みまでさんざんし
18. かっ‐き[クヮッ‥]【火気】
日本国語大辞典
*坑夫〔1908〕〈夏目漱石〉「自分の魂が赤い炭の中へ抜出して、火気(クヮッキ)に煽られながら」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「飯の匂と汁の匂とが、
19. かれっ‐ぱ【枯葉】
日本国語大辞典
〔名〕「かれは(枯葉)」の変化した語。*改正増補和英語林集成〔1886〕「Kareppa カレッパ」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「何処の山だか知ら
20. 衣笠貞之助
日本大百科全書
1928)十字路(1928)女性の輝き(1930)黎明以前(1931)唐人お吉(1931)鼠小僧次郎吉(1932)生き残った新選組(1932)忠臣蔵 前篇 赤穂
21. きんぱく‐つき【金箔付】
日本国語大辞典
んだって言ってやった」(4)殺人、強盗などの悪事を働いたことがあること。旧悪があること。*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「三下野郎にゃむごくっても、金
22. くち を 干(ほ)す
日本国語大辞典
〔1895〕〈広津柳浪〉三「何の真似為(し)やがるんでい。大事の親の口を乾しやアがって」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「鼠小僧の御宿をしたのは、御前
23. ごくどう‐にん[ゴクダウ‥]【極道人】
日本国語大辞典
〔名〕「ごくどうもの(極道者)」に同じ。*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「隣に寝てゐる極道人(ゴクダウニン)は、夢の中でも鼻唄を唄ってゐるかも知ら無(
24. さいとう-はるひこ【斎藤晴彦】
日本人名大辞典
昭和15年7月30日生まれ。44年演劇センター68/69(現・黒テント)に参加,佐藤信の「鼠小僧次郎吉」などに出演,演出も手がける。60年テレビの「タモリの今夜
25. さとう-まこと【佐藤信】
日本人名大辞典
演劇センター68をへて,昭和45年から移動劇場黒色テントによるラジカルな演劇運動を展開。「鼠小僧次郎吉」で「新劇」岸田戯曲賞。平成2年鴎座を旗あげ。21年開館の
26. さむさ‐しのぎ【寒凌】
日本国語大辞典
ヘヱ…寒さ凌(シノ)ぎに…有り難う御座います。泥棒…泥棒に這入って御馳走になったのは始めてで」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「まづ一風呂暖まって、何
27. さんした‐やろう[‥ヤラウ]【三下野郎】
日本国語大辞典
〔名〕「さんした(三下)」に同じ。*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「三下野郎(さんシタヤラウ)にゃむごくっても、金箔つきの悪党にゃ向うから頭を下げやが
28. しみず-こうじ【清水紘治】
日本人名大辞典
昭和41年佐藤信,吉田日出子らと劇団自由劇場を結成。43年黒色テント劇団の創立にくわわる。「鼠小僧次郎吉」シリーズ,「秘密の花園」などにでる。映画出演では「曼陀
29. 新藤兼人
日本大百科全書
964)沙羅の門(1964)傷だらけの山河(1964)悪党(1965)清作の妻(1965)鼠小僧次郎吉(1965)刺青(1966)座頭市海を渡る(1966)けん
30. 前衛劇
世界大百科事典
演劇センター68/70〉としてトラックで移動する黒色テント公演に入るが,その中でも佐藤は《鼠小僧次郎吉》《喜劇阿部定--昭和の欲情》など多くの好戯曲を執筆・演出
31. そこ‐そこ
日本国語大辞典
々(ソコソコ)宿を出て、両国から汽車で一飛」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「番頭のやつはてれ隠しに、若え者を叱りながら、そこそこ帳場の格
32. そこ‐のけ【其処退】
日本国語大辞典
王楓江戸粧〔1804〕四立「韋駄天が早打ちそこのけに、引っ浚(さら)ってござりましたが」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「鼠小僧なんぞはそこのけの大泥
33. つ・む【積】
日本国語大辞典
智(しる)大用とする也」*日葡辞書〔1603~04〕「ゼンノ コウヲ tçumu (ツム)」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉一「どうせ盗みをするからにゃ
34. 盗賊
世界大百科事典
を盗もうとした藩士など,武士による盗犯の事例がまれではなかったことを伝えている。著名な盗賊鼠小僧次郎吉は,諸大名を中心に延べ100余軒の武家屋敷から計3000余
35. どうちゅう‐かせぎ[ダウチュウ‥]【道中稼】
日本国語大辞典
妲妃のお百)〔1867〕六幕「何の盗みをしたとって、高の知れた道中稼(ダウチウカセ)ぎ」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「下手な道中稼(ダウチウカセ)
36. 泣(な)く子(こ)も黙(だま)る
故事俗信ことわざ大辞典
泣く子もその名を聞いただけで思わず泣き止むほどである。圧倒的な勢威を持つもののたとえ。 鼠小僧次郎吉(1920)〈芥川龍之介〉二「横山宿の勘太と云っちゃ泣(ナ)
37. な‐のり【名乗・名告】
日本国語大辞典
「六尺の有髯男子が那様(そんな)尺八吹きの名号(ナノリ)なんぞ譲られたとて何になるか!」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「それでも三人の野郎たちは、勝
38. にょしん‐がた【如心形】
日本国語大辞典
〔名〕「じょしんがた(如心形)」に同じ。*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉一「親分と呼ばれた男は、如心形(ニョシンガタ)の煙管を啣(くは)へた儘、僅に苦笑
39. ねずみ‐こぞう【鼠小僧】
日本国語大辞典
義賊との評判が高かった。天保三年(一八三二)処刑された。小説・講談・歌舞伎などに多く取り上げられた。鼠小僧次郎吉。〔二〕歌舞伎脚本「鼠小紋東君新形(ねずみこもん
40. 鼠小紋東君新形
世界大百科事典
別名題《御誂鼠小紋》など。通称《鼠小僧》。河竹黙阿弥作。1857年(安政4)1月江戸市村座初演。配役は鼠小僧次郎吉こと稲葉幸蔵を4世市川小団次,幸蔵養母お熊・早
41. ねずみこもんはるのしんがた【鼠小紋東君新形】
日本国語大辞典
歌舞伎脚本。世話物。五幕。河竹黙阿彌作。安政四年(一八五七)江戸市村座初演。義賊鼠小僧次郎吉の講談より脚色。鼠小僧は、刀屋新助と芸者お元が金ゆえに心中しようとす
42. ねずみこもんはるのしんがた【鼠小紋東君新形】
歌舞伎事典
別名題《御誂鼠小紋》など。通称《鼠小僧》。河竹黙阿弥作。安政四(1857)年一月江戸・市村座初演。配役は鼠小僧次郎吉こと稲葉幸蔵=四世市川小団次、幸蔵養母お熊・
43. はげっ‐ちょろけ【禿─・剥─】
日本国語大辞典
〔名〕(「はげちょろけ」の変化した語)「はげちょろ(禿─)」に同じ。*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「洗ひざらした木綿縞に剥(ハゲ)っちょろけの小倉の
44. はやし-よいち【林与一】
日本人名大辞典
「七人若衆誕生」など時代劇映画に出演。39年テレビ「赤穂浪士」の堀田隼人役で人気をえる。その後映画「鼠小僧次郎吉」,テレビ「必殺仕掛人」,舞台「ぼんち」などに出
45. はら の 皮(かわ)が=捩(よじ)れる[=縒(よ)れる]
日本国語大辞典
おかしくて、腹の皮がよれるほど大笑いする。腹の皮をよる。腹の皮をよじる。*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉一「とんだ御茶番を見た事があっての、今でも思ひ出
46. ひっ‐つかま・える[‥つかまへる]【引掴・引捕】
日本国語大辞典
翁自伝〔1899〕〈福沢諭吉〉大阪修行「一日(あるひ)其今の男を引捕(ヒッツカ)まへた」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「あの野郎の手が胴巻の結び目を
47. ひってん
日本国語大辞典
色梅美婦禰〔1841~42頃〕二・一一回「よくよく貧窮(ヒッテン)な客と見たものだから」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉一「変ら無えのは私(わっち)ばか
48. ひと‐さま【人様】
日本国語大辞典
ひょんな事」*十三夜〔1895〕〈樋口一葉〉上「他人様(ヒトサマ)の処思(おもはく)が口惜しく」*鼠小僧次郎吉〔1920〕〈芥川龍之介〉二「人様(ヒトサマ)の物
49. 人(ひと)は見(み)かけに=よらぬもの〔=似(に)ぬもの〕
故事俗信ことわざ大辞典
一葉(1894~95)〈坪内逍遙〉四・二「まことに人は見かけに似ぬ者と、世の諺の争はれず」鼠小僧次郎吉(1920)〈芥川龍之介〉二「人は見かけにゃよら無えものだ
50. 貧(ひん)すれば鈍(どん)する
故事俗信ことわざ大辞典
貧すれば鈍するとやら云ふわけで、飛んだ不実な男の慰物にせられたのが、悔やしくて悔やしくてならないのだ」鼠小僧次郎吉(1920)〈芥川龍之介〉二「この秋女房に逃げ
「鼠小僧次郎吉」の情報だけではなく、「鼠小僧次郎吉」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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真田信之(真田信幸)(国史大辞典)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。初代松代藩主。幼名は源三郎。はじめ信幸、のち信之と改めた。号は一当斎。真田安房守昌幸の嫡男として永禄九年(一五六六)生まれた。母は菊亭(今出川)晴季の娘。幸村の兄。昌幸が徳川家康に属したため
本多正信(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた吏僚的武将。その側近にあり謀臣として著名。通称は弥八郎。諱ははじめ正保、正行。佐渡守。天文七年(一五三八)三河国に生まれる。父は本多弥八郎俊正。母は不詳であるが松平清康の侍女だったという。徳川家康に仕え
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ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
エジソン(世界大百科事典)
アメリカの発明家,電気技術者。二重電信機,スズ箔蓄音機,カーボンマイクロホン,白熱電球,映画,アルカリ蓄電池,謄写印刷機などを発明,または改良したことで非常に著名である。貧しい材木商兼穀物商の家に生まれ,小学校には数ヵ月しかいかずに母親から教育を受け
ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的
山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝え
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
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