鬼若五つにては、世の人十二三程に見えける。六歳の時疱瘡といふものをして、いとゞ色も黒く、髪は生まれたるまゝなれば、肩より下へ生ひ下り、髪の風情も男になして叶ふまじ、法師になさんとて

と切りつけ、馬より落つるところは長刀の先にて首を刎ね落し、脊にて叩きおろしなどして狂う程に、一人に斬り立てられて、面を向くる者ぞなき。鎧に矢の立つ事数を知らず。折り掛け
したりければ、簑を逆様に著たる様にぞありける。黒羽、白羽、染羽、色々の矢ども風に吹かれて見えければ、武蔵野の尾花の秋風に吹きなびかるゝに異ならず。八方を走り廻りて狂ひけるを、寄手の者ども申しけるは、「敵も味方も討死すれども、弁慶ばかり如何に狂へ共、死なぬは不思議なり。音に聞えしにも勝りたり。我等が手にこそかけずとも、鎮守大明神立寄りて蹴殺し給へ」と呪ひけるこそ痴がましけれ。武蔵は敵を打払ひて、長刀を逆様に杖に突きて、二王立に立ちにけり。ひとへに
控へたり。され共倒れたるまゝにて動かず。その時我も
と寄りけるこそ痴がましく見えたりけれ。立ちながらすくみたる事は、君の御自害の程、人を寄せじとて守護の為かと覚えて、人々いよ
感じけり。弁慶 もういくら程、今の山伏は行つたらうな。
出羽 大方三里も行つたであらう。
弁慶 そんなら、もう好い加減だわい。
出羽 好い加減とは、なんの事だ。
弁慶 好い加減とは、後から行く事だ。
出羽 そんならわりやア。
弁慶 武蔵坊弁慶だワ。
皆々 イヤア。
弁慶 我が君を落し参らせ、後から追ツかくる忠義の一つ。そこ押ツ開いて通すまいか。
出羽 弁慶と聞いちやア通されぬ。ソレ、やるな。
皆々 やらぬワ。
弁慶 いで物見せん。
皆々 どつこい。
トこれより太鼓の合ひ方になり、弁慶、気味のよきタテあつて、トヾ残らず首を抜き、天水桶の中へ打込む。これを出羽、
山皆 出来た

。弁慶 やかましい。
ト弁慶、金剛杖を二本取つて、首を芋のやうに、天水桶に立てゝ洗ふと、片シヤギリにて、幕引く。
元より勧進帳のあらばこそ、笈の内より往来の巻物一巻取出だし、勧進帳と名附けつゝ、高らかにこそ読み上げけれ。(弁慶)「それ、つらつらおもん見れば大恩教主の秋の月は、涅槃の雲に隠れ、生死長夜の永き夢、驚かすべき人もなし。
天も響けと読み上げたり(富樫)「勧進帳聴聞の上は、疑ひはあるべからず。さりながら、事のついでに問ひ申さん。世に仏徒の姿、さまざまあり、中に山伏は、いかめしき姿にて、仏門修行は訝かしゝ、これにも謂れあるや如何に」(弁慶)「おゝ、その来由いと易し。それ修験の法といつぱ、胎蔵、金剛の両部を旨とし、嶮山悪所を踏み開き、世に害をなす、悪獣毒蛇を退治して、現世愛民の慈愍を垂れ、或ひは難行苦行の功を積み、悪霊亡魂を成仏得脱させ、日月清明、天下泰平の祈祷を修す。かるが故に、内には慈悲の徳を納め、表に降魔の相を顕はし、悪鬼外道を威服せり。これ神仏の両部にして、百八の珠数に仏道の利益を顕はす」(中略)(富樫)「かゝる尊き客僧を、暫しも疑ひ申せしは眼あつて無きが如き我が不念、今よりそれがし勧進の施主につかん。番卒ども、布施物持て」(番卒三人)「はあ」
士卒が運ぶ広台に、白綾袴一重ね、加賀絹あまた取揃へ、御前へこそは直しけれ。(富樫)「近頃些少には候へども、南都東大寺の勧進、即ち布施物、御受納下さらば、それがしが功徳、偏へに願ひ奉る」(弁慶)「あら、有難の大檀那。現当二世安楽ぞ。なんの疑ひかあるべからず重ねて申すことの候。猶我々は近国を勧進し、卯月半ばに上るべし。それまでは、嵩高の品々、お預け申す。さらばいづれも御通り候へ」(四人)「心得て候」(弁慶)「いで
、急ぎ申すべし」(四人)「心得申して候」
こは嬉しやと山伏も、しづ
立つて歩まれけり。(富樫)「如何にそれなる強力、止まれとこそ」
すはや我が君怪しむるは、一期の浮沈爰なりと、各々後へ立帰る。(弁慶)「慌てゝ事を仕損ずな。こな強力め、何とて通り居らぬぞ」(富樫)「それは此方より留め申した」(弁慶)「それは何ゆゑお留め候ぞ」(富樫)「その強力が、ちと人に似たりと申す者の候ほどに、さてこそ只今留めたり」(弁慶)「何、人が人に似たりとは珍らしからぬ仰せにこそ、さて、誰に似て候ぞ」(富樫)「判官どのに、似たりと申す者の候ほどに、落居の間留め申す」(弁慶)「なに、判官どのに似たる強力めは、一期の思ひ出な、腹立ちや、日高くば、能登の国まで、越さうずらうと思ひをるに、僅かの笈一つ背負うて後に下がればこそ、人も怪しむれ、総じてこの程より、やゝもすれば、判官どのよと怪しめらるゝは、おのれが業の拙きゆゑなり、思へば憎し、憎し
、いで物見せん。
金剛杖をおつ取つて、さん
に打擲す。通れ」
通れとこそは罵りぬ。(富樫)「如何やうに陳ずるとも、通すこと」(番卒三人)「まかりならぬ」(弁慶)「やあ、笈に目をかけ給ふは、盗人ざふな。これ」
方々は何ゆゑに、かほど賤しき強力に、太刀かたなを抜き給ふは、目だれ顔の振舞、臆病の至りかと、皆山伏は打刀を抜きかけて、勇みかゝれる有様は、如何なる天魔鬼神も、恐れつべうぞ見えにける。(弁慶)「まだこの上にも御疑ひの候はゞ、あの強力め、荷物の布施物諸共、お預け申す。如何やうにも糺明あれ。但し、これにて打ち殺し見せ申さんや」(富樫)「こは先達の荒けなし」(弁慶)「然らば、只今疑ひありしは如何に」(富樫)「士卒の者が我れへの訴へ」(弁慶)「御疑念晴らし、打ち殺し見せ申さん」(富樫)「早まり給ふな、番卒どものよしなき僻目より、判官どのにもなき人を、疑へばこそ、斯く折檻も仕給ふなれ。今は疑ひ晴れ申した。とく
誘ひ通られよ」(弁慶)「大檀那の仰せなくんば、打ち殺いて捨てんずもの、命冥加に叶ひし奴、以後をきつと、慎み居らう」(富樫)「我れはこれより、猶も厳しく警固の役、方々来れ」(番卒三人)「はあゝ」
士卒を引き連れ関守は、門の内へぞ入りにける。(義経)「如何に弁慶、さても今日の気転、更に凡慮の及ぶ所にあらず、兎角の是非を争はずして、たゞ下人の如くさん
に、我れを打つて助けしは、正に、天の加護、弓矢正八幡の神慮と思へば、忝く思ふぞよ」(常陸)「この常陸坊を初めとして、随ふ者ども関守に呼びとめられしその時は、ここぞ君の御大事と思ひしに」(駿河)「誠に正八幡の我君を、守らせ給ふ御しるし、陸奥下向は速かなるべし」(片岡)「これ全く武蔵坊が智謀にあらずんば、免がれ難し」(亀井)「なかなか以て我々が及ぶべき所にあらず」(常陸)「ほほ、驚き」(皆々)「入つて候」(弁慶)「それ、世は末世に及ぶといへども、日月いまだ地に落ち給はぬ御高運、はゝ有難し、有難し。計略とは申しながら、正しき主君を打擲、天罰そら恐ろしく、千鈞を上ぐるそれがし、腕も痺るゝ如く覚え候。あら、勿体なや
」
つひに泣かぬ弁慶も、一期の涙ぞ殊勝なる。
三条通京極西
古此所ニ有
律寺
。(中略)号
京極寺
。弁慶石在
此寺
。和漢合運曰。享徳三年奥州弁慶石。入
洛京極律寺
。云云伝云此石弁慶愛セシ石也。慶ガ死後奥州高舘ノ辺ニアリ。発
声鳴動シ。三条京極ニユカントイフ。然シテ其在所熱病ヲナスコト太シ。土人為
恐怖
此所ニ送リ来ルト。
山階
イワ