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小野小町

ジャパンナレッジで閲覧できる『小野小町』の日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

新版 日本架空伝承人名事典

小野小町
おののこまち
 平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。たかむらの孫、美材よしき好古よしふるらの従妹とされる。系図については諸説があるが、確かなことは不明。小町の名についても、宮中の局町に住んだことによるという説をはじめ諸説がある。王朝女流歌人の先駆者で、文屋康秀、凡河内躬恒、在原業平、安倍清行、小野貞樹、僧正遍昭らと歌の贈答をし、和歌の宮廷文学としての復興に参加した。その歌は恋の歌が多く、情熱的で奔放な中にも、現実を回避した夢幻的な性格をもち、哀調を帯びている。紀貫之が「あはれなるやうにて強からず、いはばよき女の悩めるところあるに似たり」(『古今集』序)と評したのは、よくその特徴をとらえている。作品は、『古今集』一八首、『後撰集』四首以下、勅撰集に六十数首が収められており、ほかに『小町集』の一一〇余首があるが、その中には他人の歌や後人の偽作もあり、勅撰集の歌を基本とすべきであろう。「うたたねにこひしき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき」(『古今集』巻十二)。
 小町の経歴は不明なことが多いが、美貌の歌人として広く知られ、業平と好一対をなす女性として、多くの説話が語られ、さまざまな伝説が生まれた。東国の荒野を旅する業平が、風の中に歌をよむ声を聞き、声の主を探して草むらにどくろを見いだす。実はそこは小町の終焉の地であったという説話が、『古事談』などに見えている。小町のどくろの話はそれより早く『江家次第ごうけしだい』に見えるが、同じ平安時代後期の作と考えられる『玉造小町壮衰書』は、美女の栄枯盛衰の生涯を小町に託した長編の漢詩で、後世の小町伝説に大きな影響を与えた。小町の名は、『古今著聞集』『平家物語』『徒然草』をはじめ数々の古典にあらわれる。『八雲御抄やくもみしょう』には、順徳院が夢にあらわれた小町を、歌の神のように賛仰したことが記されているが、美女歌人の説話は、種々の歌徳説話、恋愛説話へ発展し、老後に乞食になり発狂したといった落魄の物語を生んだ。こうした伝説を集大成し、明確な文学的形象を与えたのは謡曲である。『草子洗小町』は、歌人としての名を傷つけられた小町が、大伴(友)黒主が書き入れをした草子を洗ってその奸計を暴露し、自分の名誉を守るとともに黒主に対しても寛仁の態度をとったという筋で、小町をたたえたもの。『かよい小町』は、小町に恋した深草少将が、一〇〇夜通えば望みをかなえてやるという小町のことばを信じて、通いつめた九九夜目にはかなくなったという話で、美女の薄情・驕慢な性格を描いている。『卒塔婆小町』は、朽ちた卒塔婆に腰かけた乞食の老女が仏道に入る話であるが、その老女は深草少将の霊にとりつかれた小町のなれの果てであったという筋。また『関寺小町』は、関寺の僧が寺の近くに住む老残の小町から歌の道を聞くという物語であり、『鸚鵡小町』も、新大納言行家が関寺近くに老いた小町を訪ねるという筋になっている。この五曲に『雨乞小町』『清水小町』を加えて七小町といい、江戸時代には七小町が歌舞伎の題材、浮世絵の画題などにしばしばとりあげられた。そのほかでは御伽草子の『小町草子』が、業平と小町を観音の化身とし、歌道と仏道を結びつけて中世の小町伝説を集成している。小町の誕生と墓は全国にあり、「瘡の歌」などの伝説は和泉式部伝説と重なるところも少なくないところから、小町の生涯を語り歩く唱導の女たちがいたことが考えられる。また小町伝説の流布には、全国にひろがる神官の小野氏の存在も無視できない。ともあれ、小町は美女の代名詞となり、才色兼備の女性としてたたえられる反面、冷酷高慢な性格をもたされ、その哀れな末路によって人間の無常をあらわし、美女に対する日本人の考え方を示す典型にもなっている。後には、最も美しい女性であった小町が、実は性的な不具者であったという伝説も生まれた。
[大隅 和雄]

亡 者 歌
小野小町
秋風の打ふくごとにあなめ〓〓をのとはいはじ薄生ひけり
人夢ニ野途に目より薄生ひたる人有。称〓小野〓。此歌詠。夢覚て尋見、有〓一髑髏〓。目より薄生出たり。取〓其髑髏〓閑所置〓之云々。知〓小野屍〓云々。
袋草紙上巻
さま〓〓に品かはりたる恋をして    兆
 浮世の果は皆小町なり        蕉
猿蓑

小町 八百万の御神を誓ひにかけ、真偽を糺すは、幸ひ、さうぢや。
〓小町は流石、名も惜しく、和歌の浦葉の藻汐草、水に向うて心に念じ、既に草紙を取りければ。
黒主 イヤ、その草紙洗ふに及ばぬ。人は知らじと思ふは浅墓、正しく古歌に相違ない。
小町 それぢやに依つて。
黒主 ホヽ、その疑ひも兼ねてより、心を通はす麿が恋。叶はすならば、汝が歌と、奏聞なさん。
小町 ヤア、穢らはしい。人もあらうに叛逆人棟梁に、なんと枕が交されう。
黒主 ヤア、奇怪なり。叛逆人とは、何を証拠に。
小町 鏡山、いざ立奇つての詠み歌は、調伏の歌なりと、訴人あつて疾に奏聞。なんとこれでもあらがふか。
黒主 サア、それは。
小町 なんと相違は、あるまいがな。
黒主 ムウ。
皆々 叛逆人、そこ動くな。
黒主 何を小癪な。
〓手爾波詞も、嵐と共に、ちんりちりちり花吹雪。
〓晴れて雲井に詠めさへ。
〓姿を六つの歌合せ。
〓感せぬ者こそなかりけり〓〓
六歌仙容彩

関兵 そんならあなたが、小町さまでござりましたか。これは〓〓、少将さまにも、さ?お喜びでござりませう。これからは打寛うちくつろいで、その馴染めの恋話し、お聞かせなされて下さりませぬか。
小町 イヤモウ、この身になつて、今さら語るも面伏せ。
宗貞 さはいへ迷ひの雲霧を、懺悔に晴らすも悟り道。
小町 そんなら恋の世語りを
関兵 早う聞きたい。所望だ〓〓
〓その初恋は去年の秋、大内山の月の宴、その折柄に垣間見て、思ひに堪えかね一筆と、書き初めしより明暮れに、文玉章たまづさの数々は、なんと覚えがあらうがの。
〓その水茎にこま〓〓と、偽はりならぬ真実を、聞く嬉しさも押包み、恋ひ焦れても母さんは、一旦誓ひを立てし身の、色に心は引かれじと、思ひ返していなせをも、云はぬは云ふに増す穂の薄。
〓小野とは云はじ恋草に、百夜通うて誠を見せて、忍び車のしヾに行く、やつし姿の夜の道、いつか思ひは山城の木幡の里に馬はあれども。
〓さつても実ぢや真実ぢや、一里あまりをわくせきと、そんなら駕籠にも乗らずにか。
〓君を思へば歩行はだし。
〓月にも行き〓闇にも行き。
〓さて雨の夜に行く思ひ、きり〓〓すは我が恋を、思ひ切れとの辻占も、祝ひ直して行く夜の数も九十九夜、今は一夜ぞ嬉しやと、待つ日になれば先帝の、崩御と聞くに身の上の、恋も無常と立かはる、君の菩提を弔らはんと、位を辞していそのかみ、布留ふるの御寺に夜もすがら、御経読誦の折も折。
〓わたしもその時母上の、後の世祈る志し、一夜籠りに思はずも、お顔を見るよりぞつとして身にこたへ、後生菩提もどこへやら、捨てゝ二人が一つ夜着、枕並べて寐たれども、アヽいや〓〓〓〓、立てし誓ひは破られずと、つい其まゝの憂き別れ、思へば果敢ない縁ぞと、喞つ涙の流れては、関の清水やまさるらん。
積恋雪関扉
おしい事よしざねげくわにかける所
編者/評者:似実軒ら(編)
出典:『末摘花』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):2‐10
刊行/開き:1776~1801年(安永5~享和1)(刊)
「よしざね」は小町の父、出羽の郡司小野良真。小町は穴無し(鎖陰)だったとの俗説による。
百夜目は何をかくさう穴がなし
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):38‐16
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
深草の少将が百夜ももよ通うよう要求され、九十九夜目で凍死した物語『通小町かよいこまち』のキョクリ。
洗ったで万葉集へ穴が明き
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):66‐17
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
『草子洗小町』で、黒主の書き入れた『万葉集』の入れ筆の墨も落ちたであろうが、草紙にも穴があいてしまったことだろう、穴無し小町のくせに、といううがち。
さりとては又といふ時かきくもり
編者/評者:編者未詳
出典:『柳多留拾遺』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):2‐12
刊行/開き:1796~97(寛政8~9)(刊)
神泉苑での小町の雨乞いの歌は「ことわりや日の本ならば照りもせめさりとては又あめが下とは」であったと訛伝するが、この歌は慶長(一五九六‐一六一五)ころに成立した狂歌。古川柳ではこの狂歌を前提として作句。下の句のあたりで黒雲が出現、歌の威徳でたちまちに大雨車軸。
せき寺の美女おがまれたつらでなし
編者/評者:初世川柳(評)
出典:『川柳評万句合勝句刷』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):仁‐5
刊行/開き:1771年(明和8)(開き)
小町が年老いて関寺辺に住んでいたところを、七夕に関寺の僧が訪れて物語を聞いたという『関寺小町』。
手いらずのばゝあそとわにこしを懸
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):17‐37
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
乞食となった老婆の小町が、卒都婆に腰かけて休んでいたところへ高野山の僧が通りかかり、問答ののち教化される『卒都婆小町』。「手入らず」は処女。
関寺で勅使を見ると犬がほへ
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):初‐11
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
新大納言行家が勅命によって関寺の辺りに住む小町を訪れ、「雲の上はありし昔に変らねど見し玉だれの内やゆかしき」と陽成院の憐れみの歌を賜わったところ「……内ぞゆかしき」と一字違えて返歌した。『鸚鵡小町』により、乞食然とした小町は美々しい勅使一行を怪しむことはなかったが、犬は見なれぬ勅使に吠えかかったというおかしみ。
野晒しで見れば小町も穴だらけ
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):77‐22
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
謡曲『通小町』に、八瀬の里の庵室へ供養に通う女があり、何者かと問うと市原野に住む姥とのみ答えて消え、市原野のススキ(薄)の陰から「秋風の吹くにつけてもあなめ〓〓小野とはいはじ薄生ひけり」という小町作の歌が聞こえると聞き、菩提をとむらうため、僧がおもむく。『百人一首一夕話』では、業平が尋ねてゆき、小町の髑髏が作った上の句に対し、業平が下の句を付けたという説話になっており、髑髏の目の穴からはススキが生えていた、その野を玉造の小野と称したという。これを『玉造小町』と称する。


日本大百科全書(ニッポニカ)

小野小町
おののこまち

平安前期の歌人。生没年・伝未詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。小野氏の出であるが、父母も身分もつまびらかでない。小野氏系図や中世歌書には、良真 (よしざね)(当澄 (まさずみ)・常澄とも)の女 (むすめ)とするが、いずれも後世の付会らしく、また近代以後、篁 (たかむら)の女、篁の孫女、小野滝雄の女、藤原常嗣 (つねつぐ)の女説なども現れたが根拠に乏しい。身分も『古今和歌集』目録の「出羽 (いでは)国郡司女」などから采女 (うねめ)説があり、「町」名から仁明 (にんみょう)、文徳 (もんとく)朝の更衣 (こうい)説、また采女説が歴史的に成り立たないところから近年氏女 (うじめ)説も現れ、中﨟 (ちゅうろう)女房説もある。『古今集』目録に「母衣通姫 (そとおりひめ)」とするのは、『古今集』仮名序に女歌 (おんなうた)の系譜を述べた「小野小町は衣通姫の流れなり」の訛伝 (かでん)。『小町集』は大別して2系統あるが、いずれも後代の撰 (せん)で、『古今集』『後撰 (ごせん)集』の小町歌を核に増益されたらしく、もっとも信頼できるのは『古今集』の18首である。それによれば、同族の小野貞樹や安倍清行 (あべのきよゆき)、六歌仙の文屋康秀 (ふんやのやすひで)らと交渉があり、文徳・清和 (せいわ)・陽成 (ようぜい)朝(850~884)あたりを活躍期とするようである。彼らとの贈答歌には、愛のうつろいを怨 (うら)んだり、ことばじりをとらえて誠意の足りなさを責めたり、無抵抗になびいたりなど千変万化の媚態 (びたい)がみられる一方、「題しらず」歌には、人生のむなしさや衰えを嘆き、現世でかなわぬ恋をはかない夢に賭 (か)けるなど、純粋で情熱的な女人像がうかがわれ、これらの歌から生まれる印象が、色好みな女や遊女、零落した老女、貴人王族との悲恋など、さまざまな小町伝説を生む核となっていった。勅撰入集 (にっしゅう)歌64首。『古今集』仮名序はその歌風を、「よき女のなやめる所あるに似たり」と評する。

[後藤祥子]

 花の色はうつりにけりないたづらに我身 (わがみ)よにふるながめせしまに



小倉百人一首(9) 歌人/小野小町[百科マルチメディア]
小倉百人一首(9) 歌人/小野小町[百科マルチメディア]

〈上の句〉花の色は うつりにけりな いたづらに 〈下の句〉我身よにふる ながめせしまに   
はなのいろはうつりにけりないたづらに わがみよにふるながめせしまに
定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/はなの

小野小町(おののこまち)
菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8)国立国会図書館所蔵


世界大百科事典

小野小町
おののこまち

平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙,三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。篁(たかむら)の孫,美材(よしき),好古(よしふる)らの従妹とされる。系図については諸説があるが,確かなことは不明。小町の名についても,宮中の局町に住んだことによるという説をはじめ諸説がある。王朝女流歌人の先駆者で,文屋康秀,凡河内躬恒,在原業平,安倍清行,小野貞樹,僧正遍昭らと歌の贈答をし,和歌の宮廷文学としての復興に参加した。その歌は恋の歌が多く,情熱的で奔放な中にも,現実を回避した夢幻的な性格をもち,哀調を帯びている。紀貫之が〈あはれなるやうにて強からず,いはばよき女の悩めるところあるに似たり〉(《古今集》序)と評したのは,よくその特徴をとらえている。作品は,《古今集》18首,《後撰集》4首以下,勅撰集に六十数首が収められており,ほかに《小町集》の110余首があるが,その中には他人の歌や後人の偽作もあり,勅撰集の歌を基本とすべきであろう。〈うたたねにこひしき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき〉(《古今集》巻十二)。

 小町の経歴は不明なことが多いが,美貌の歌人として広く知られ,業平と好一対をなす女性として,多くの説話が語られ,さまざまな伝説が生まれた。東国の荒野を旅する業平が,風の中に歌をよむ声を聞き,声の主を探して草むらにどくろを見いだす。実はそこは小町の終焉の地であったという説話が,《古事談》などに見えている。小町のどくろの話はそれより早く《江家次第(ごうけしだい)》に見えるが,同じ平安時代後期の作と考えられる《玉造小町壮衰書》は,美女の栄枯盛衰の生涯を小町に託した長編の漢詩で,後世の小町伝説に大きな影響を与えた。小町の名は,《古今著聞集》《平家物語》《徒然草》をはじめ数々の古典にあらわれる。《八雲御抄(やくもみしよう)》には,順徳院が夢にあらわれた小町を,歌の神のように賛仰したことが記されているが,美女歌人の説話は,種々の歌徳説話,恋愛説話へ発展し,老後に乞食になり発狂したといった落魄の物語を生んだ。こうした伝説を集大成し,明確な文学的形象を与えたのは謡曲である。《草子洗小町》は,歌人としての名を傷つけられた小町が,大伴(友)黒主が書き入れをした草子を洗ってその奸計を暴露し,自分の名誉を守るとともに黒主に対しても寛仁の態度をとったという筋で,小町をたたえたもの。《通(かよい)小町》は,小町に恋した深草少将が,100夜通えば望みをかなえてやるという小町のことばを信じて,通いつめた99夜目にはかなくなったという話で,美女の薄情・驕慢な性格を描いている。《卒都婆小町》は,朽ちた卒都婆に腰かけた乞食の老女が仏道に入る話であるが,その老女は深草少将の霊にとりつかれた小町のなれの果てであったという筋。また《関寺小町》は,関寺の僧が寺の近くに住む老残の小町から歌の道を聞くという物語であり,《鸚鵡小町》も,新大納言行家が関寺近くに老いた小町を訪ねるという筋になっている。この5曲に《雨乞小町》《清水小町》を加えて七小町といい,江戸時代には七小町が歌舞伎の題材,浮世絵の画題などにしばしばとりあげられた。そのほかでは御伽草子の《小町草紙》が,業平と小町を観音の化身とし,歌道と仏道を結びつけて中世の小町伝説を集成している。小町の生地と墓は全国にあり,〈瘡の歌〉などの伝説は和泉式部伝説と重なるところも少なくないところから,小町の生涯を語り歩く唱導の女たちがいたことが考えられる。また小町伝説の流布には,全国にひろがる神官の小野氏の存在も無視できない。ともあれ,小町は美女の代名詞となり,才色兼備の女性としてたたえられる反面,冷酷高慢な性格をもたされ,その哀れな末路によって人間の無常をあらわし,美女に対する日本人の考え方を示す典型にもなっている。後には,最も美しい女性であった小町が,実は性的な不具者であったという伝説も生まれた。
[大隅 和雄]

[索引語]
在原業平 小町集 玉造小町壮衰書 小町伝説 草子洗小町 大友黒主 通(かよい)小町 深草少将 卒都婆小町 関寺小町 鸚鵡小町 雨乞小町 清水小町 七小町 小町草紙
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1. 小野小町画像
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『古今集』目録に「母衣通姫そとおりひめ」とするのは、『古今集』仮名序に女歌おんなうたの系譜を述べた「小野小町は衣通姫の流れなり」の訛伝かでん。『小町集』は大別し
2. 小野小町
世界大百科事典
平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙,三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。篁(たかむら)の孫,美材(よしき),好古(よしふる)らの従妹とされる。系図に
3. おの‐の‐こまち【小野小町】
日本国語大辞典
なる。生没年未詳。天正・易林【小野小町】天正・易林
4. おの‐の‐こまち[をの‥]【小野小町】
日本国語大辞典
「おの(小野)」の子見出し。【二】〔名〕小野小町に仮託した貴種流離譚。小町が晩年におちぶれ、尼もしくは乞食となり、流浪して路傍に死んだ話が流布し
5. おののこまち【小野小町】[頭見出し]
故事俗信ことわざ大辞典
小野小町(おののこまち)で穴(あな)がない
6. おののこまち【小野小町】
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なした意義は大きい。 [参考文献]本居内遠『小野小町の考』(『本居内遠全集』)、黒岩涙香『小野小町論』、前田善子『小野小町』(『国文学評伝叢書』)、横田幸哉『小
7. 小野小町(おののこまち)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 32ページ
8. おのの-こまち【小野小町】
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?−? 平安時代前期の歌人。六歌仙,三十六歌仙のひとり。父母,経歴などに諸説があり,たしかなことは不明。絶世の美女としてかたりつがれ,歌舞伎,義太夫,謡曲などの
9. おののこまち【小野小町】
日本架空伝承人名事典
最も美しい女性であった小町が、実は性的な不具者であったという伝説も生まれた。[大隅 和雄]亡 者 歌小野小町秋風の打ふくごとにあなめ〓〓をのとはいはじ薄生ひけり人
10. 小野小町[文献目録]
日本人物文献目録
語る』田所哲太郎『小野小町』折口信夫『小野小町』安彦好重『王朝文学の女性像』塩田良平『小野小町』清田正喜『小野小町』桜井秀『小野小町』星野鎮子『小野小町』松尾楽
11. をののこまち【小野小町】
全文全訳古語辞典
[人名]平安前期の女流歌人。六歌仙の一人。歌は、紀貫之が「あはれなるやうにて、強からず」〈古今・仮名序〉と評しているように、優雅な中に哀感をたたえた恋の歌が多い
12. 小野小町歌 (見出し語:小野小町)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 880ページ
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16. おののこまちでんせつ【小野小町伝説】
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おののこまちのこう 本居内遠(もとおりうちとお) 伝記 弘化二
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33. 秋田(県)画像
日本大百科全書
所持していないためにとがめられて処刑された。その愛犬を祀まつる老犬神社がある。六歌仙ろっかせんの一人、小野小町が晩年を送ったという地が雪深い湯沢市雄勝町にある。
34. あさ‐みどり【浅緑】
日本国語大辞典
今和歌集〔1205〕哀傷・七五八「あはれなりわが身のはてやあさ緑つひには野べの霞とおもへば〈小野小町〉」【三】催馬楽、呂(りょ)の歌の曲名。「楽家録‐六・催馬楽
35. 排蘆小船(近世随想集) 253ページ
日本古典文学全集
ぬれぬひぞなき、とうたひて、よどまでぞつきにける」。なお「心から」は『後撰和歌集』恋三所収の小野小町の歌。『古今和歌集』羇旅、読人知らず「ほのぼのとあかしの浦の
36. 排蘆小船(近世随想集) 367ページ
日本古典文学全集
三一歳。当時はいわゆる六歌仙の時代に重なる。六歌仙とは僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主。『古今和歌集』真名序「俗人争ひて栄利を事とし、
37. あし を 休(やす)める
日本国語大辞典
*古今和歌集〔905~914〕恋三・六五八「夢路にはあしも休めず通へどもうつつに一目見しごとはあらず〈小野小町〉」*いさなとり〔1891〕〈幸田露伴〉五「愛敬館
38. あな‐なし【穴無】
日本国語大辞典
〔名〕女性の性器の障害。また、その人。特に、小野小町が性的な障害者であったという俗説から、その異称。*雑俳・川柳評万句合‐明和二〔1765〕礼六「穴なしといふわ
39. あな‐め
日本国語大辞典
【一】〔連語〕(小野小町の髑髏(どくろ)の目に薄(すすき)が生え、「あなめあなめ」と言ったという伝説から)ああ目が痛い。また、ああたえがたい。あやにくだ。*小町
40. あねは‐の‐まつ【姉歯松】
日本国語大辞典
宮城県北部、金成(かんなり)町姉歯にあった松。小野小町の姉あるいは松浦佐用姫(まつらさよひめ)の姉の墓上に植えた五葉松といわれる。歌枕。*塗籠本伊勢物語〔10C
41. あまごい‐こまち[あまごひ‥]【雨乞小町】
日本国語大辞典
小野小町が勅命を受けて雨乞いの和歌を詠み、その徳で雨が降ったという伝説。これに基づいた長唄、浄瑠璃、歌舞伎などの作品がある。
42. 在原業平
世界大百科事典
名になり,単に東下りといえば,業平の東国への旅をさすほどになった。さらに,業平が奥州八十島で小野小町のどくろに会う話も種種の説話集に見え,一条兼良の《伊勢物語愚
43. ありわらのなりひら【在原業平】
日本架空伝承人名事典
名になり、単に東下りといえば、業平の東国への旅をさすほどになった。さらに、業平が奥州八十島で小野小町のどくろに会う話も種々の説話集に見え、一条兼良の『伊勢物語愚
44. 在原業平[文献目録]
日本人物文献目録
木村鷹太郎『在原業平・小野小町』折口信夫『短歌講座 7』吉井勇『日本文学講座 7』安江不空『古今集序に於ける業平の批評と業平の作品との関係』久松潜一『在原業平・
45. いかがむら【五十河村】京都府:中郡/大宮町
日本歴史地名大系
る。曹洞宗妙性寺があり、天和二年(一六八二)の丹後国寺社帳に名がみえる。小野小町開基との伝承があり、小字ハザコの小野小町塚石塔に「小野妙性大姉」の法名を刻し、妙
46. いか‐さま【如何様】
日本国語大辞典
りあつまり)、舟に乗りて」*雑俳・川柳評万句合‐安永三〔1774〕仁二「いかさまのぐゎんそは小野小町なり」*黄表紙・文武二道万石通〔1788〕上「重忠がはかりご
47. 十六夜日記(中世日記紀行集) 270ページ
日本古典文学全集
る。生没年未詳。六歌仙の一。三河に下る時、小野小町を誘った故事。「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」(古今・雑下 小野小町)。「東の方
48. 和泉式部
世界大百科事典
とばを,たくみに詠みこんださまざまな秀歌を作ったという話など,歌にまつわるものが多く,中には小野小町や西行の伝説と同じ内容のものもある。また,佐賀県には,式部が
49. いずみしきぶ【和泉式部】
日本架空伝承人名事典
とばを、たくみに詠みこんださまざまな秀歌を作ったという話など、歌にまつわるものが多く、中には小野小町や西行の伝説と同じ内容のものもある。また、佐賀県には、式部が
50. いずみしきぶでんせつ【和泉式部伝説】
国史大辞典
所もある。おそらくこの人の伝記を語って歩く遊行の女性が中世に全国を旅して廻ったためであろう。小野小町や静御前なども同じ理由から諸方に名をとどめている。和泉式部に
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