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  11. 大伴金村

ジャパンナレッジで閲覧できる『大伴金村』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典

国史大辞典

大伴金村
おおとものかなむら
五世紀末から六世紀前半へかけての大和朝廷の有力者。武烈・継体・安閑・宣化朝の大連。大伴談(かたり)の子。磐・咋・狭手彦の父。仁賢天皇の死後、権勢強大な平群氏を滅ぼし、武烈天皇を即位させた。武烈の死後、あとをつぐ皇族がないため、金村は群臣とはかって、仲哀天皇の五世の孫倭彦王を丹波より迎えようとしたが失敗し、応神天皇の五世の孫男大迹(おおど)王を越前より迎え、河内の樟葉で即位させた。継体天皇である。しかし、継体がこれより二十年目にようやく大和にはいり、磐余玉穂に都をしたという伝えなどからすると、金村が最初から継体の擁立につとめたかどうかは疑わしいとする説もある。継体天皇二十一年、筑紫国造磐井の反乱がおこり、国内の動揺はつづいたが、『古事記』によれば金村は大連物部麁鹿火(あらかひ)とともに戦って乱を平定した。国外では、五世紀末以来高句麗におされて南へ勢力をうつしつつあった百済が、継体天皇六年に任那の上〓〓(おこしたり)・下〓〓(あるしたり)・娑陀・牟婁の四県の割譲を望み、金村はそれを認めた。朝鮮での日本の威信はこれ以来低下したといわれる。安閑朝には、皇后や妃のために屯倉を設け、摂津の三島県主や大河内直に天皇のための屯倉を献上させた。屯倉の増設に功があったと思われる。しかし、欽明天皇元年、物部尾輿らにさきの四県割譲の失敗を糾弾されて失脚し、住吉の宅に引退した。安閑・宣化対欽明の対立に際し、前者を支持したことが勢力を失う原因とする説がある。大伴氏はこれより衰えた。
[参考文献]
林屋辰三郎「継体・欽明朝内乱の史的分析」(『古代国家の解体』所収)、直木孝次郎「継体朝の動乱と神武伝説」(『日本古代国家の構造』所収)、同「大伴金村」(『古代史の人びと』所収)、八木充「大伴金村の失脚」(『日本書紀研究』一)
(直木 孝次郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)

大伴金村
おおとものかなむら

生没年不詳。5世紀末から6世紀前半にかけての豪族。武烈 (ぶれつ)・継体 (けいたい)・安閑 (あんかん)・宣化 (せんか)朝の大連 (おおむらじ)。大伴談 (かたり)の子。仁賢 (にんけん)天皇の死後、平群 (へぐり)氏を滅ぼし、武烈天皇を即位させた。武烈の死後、皇位継承者がなかったため、金村は群臣と諮って、応神 (おうじん)天皇5世孫という継体天皇を越前 (えちぜん)より迎えた。512年(継体天皇6)百済 (くだら)が任那 (みまな)の4県の割譲を望んだのを認め、527年の筑紫国造 (つくしのくにのみやつこ)磐井 (いわい)の反乱に際しては、大連物部麤鹿火 (もののべのあらかい)とともに戦って平定した。その後、安閑期には屯倉 (みやけ)の増設に尽力したが、540年(欽明天皇1)欽明 (きんめい)天皇の難波 (なにわ)行幸に従ったとき、物部尾輿 (おこし)らに先の任那4県割譲の責任を糾弾されて失脚し、住吉 (すみのえ)の宅に引退した。大伴氏はこれ以降しだいに衰退した。

[鈴木靖民]



世界大百科事典

大伴金村
おおとものかなむら

5世紀末~6世紀前半ころの大和朝廷の豪族。生没年不詳。室屋の孫,談(かたり)の子で磐(いわ),咋(くい),狭手彦(さでひこ)の父。《日本書紀》によると,武烈・継体・安閑・宣化4朝の大連(おおむらじ)をつとめた。仁賢天皇の死後,大臣の平群(へぐり)氏を滅ぼして武烈を即位させたとされるが,《古事記》では平群氏はこれより前,清寧天皇の死後,意祁(仁賢)・袁祁(顕宗)両皇子によって討たれたことになっている。武烈の死後,金村は群臣とはかり,応神天皇5世の孫の男大迹(おほど)王を越前から迎えて継体天皇とした。6世紀初めの継体朝には,朝鮮南部の任那(加羅)諸国への百済,新羅の進出をめぐって外交が複雑な動きを示し,金村は百済の要請に応じて任那4県--上哆唎(おこしたり),下哆唎(あるしたり),娑陀(さた),牟婁(むろ)の百済による領有を承認した。また九州の豪族が新羅と結んでおこした磐井(いわい)の乱には,大連物部麁鹿火(あらかび)が将軍となって赴き鎮定したが,《古事記》では金村も鎮定に遣わされたとしている。次の安閑朝では,《日本書紀》では屯倉(みやけ)が多く設定されたとされ,金村も,天皇に奏請して皇后・妃のための屯倉を置き,また摂津の三島県主や大河内直に屯倉や钁丁(くわよぼろ)を献上させるなどの活動をしている。金村の活動は宣化朝まで続くが,欽明朝に入ると蘇我氏の台頭などのために勢力を失い,物部尾輿らに任那4県割譲の非を指弾されて失脚し,住吉の宅に引退したとされている。
[笹山 晴生]

[索引語]
継体天皇
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検索コンテンツ
1. 大伴金村
日本大百科全書
生没年不詳。5世紀末から6世紀前半にかけての豪族。武烈ぶれつ・継体けいたい・安閑あんかん・宣化せんか朝の大連おおむらじ。大伴談かたりの子。仁賢にんけん天皇の死後
2. 大伴金村
世界大百科事典
5世紀末~6世紀前半ころの大和朝廷の豪族。生没年不詳。室屋の孫,談(かたり)の子で磐(いわ),咋(くい),狭手彦(さでひこ)の父。《日本書紀》によると,武烈・継
3. おおとも‐の‐かなむら【大伴金村】
日本国語大辞典
大和時代の豪族。武烈天皇以下五朝の大連(おおむらじ)。談(かたり)の子。室屋の孫。皇位を左右する勢力を誇ったが、のち朝鮮半島の経営に失敗して失脚。生没年不詳。
4. おおとものかなむら【大伴金村】
国史大辞典
直木孝次郎「継体朝の動乱と神武伝説」(『日本古代国家の構造』所収)、同「大伴金村」(『古代史の人びと』所収)、八木充「大伴金村の失脚」(『日本書紀研究』一) (
5. 大伴金村
日本史年表
507年〈継体元 丁亥〉 1・6 大伴金村 ら、応神天皇五世孫と伝える男大迹王を越前の三国より迎える(紀)。
6. おおともの-かなむら【大伴金村】
日本人名大辞典
?−? 5世紀末-6世紀前半の豪族。大伴談(かたり)の子。武烈天皇・継体天皇の即位実現に功があり,宣化(せんか)天皇にいたる4朝の大連(おおむらじ)となり,政権
7. 大伴金村[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:1件 【逐次刊行物】:2件 『大伴金村の失脚』八木充『墳墓考 金村大連』八木隆〓大伴金村論』笹川種郎
8. あおみのおおとじの-まがりこ【青海夫人勾子】
日本人名大辞典
)(大阪市)に行幸のおり,諸臣から外交上の失敗を指摘され摂津住吉(大阪市)の家にひきこもった大伴金村を,天皇の命令で慰問した。
9. 飛鳥時代画像
日本大百科全書
この間に葛城かずらき、平群へぐりという二つの大臣おおおみ家が滅亡し、継体擁立に功のあった大連おおむらじの大伴金村おおとものかなむらが全盛期を迎えた。しかし、それ
10. 飛鳥時代
世界大百科事典
応させる区分法が美術史などの分野で行われている。 政治過程 欽明朝に任那(みまな)が滅亡し,大伴金村が失脚して,伴造(とものみやつこ)の雄族大伴氏が没落し,やは
11. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
〔特記〕以外は『日本書紀』『続日本紀』による507(継体1)大伴金村、男大迹王を越前より迎立し、継体天皇とする512(継体6)大伴金村、任那四県を百済に割譲51
12. ありしと【阿利斯等】
日本人名大辞典
継体天皇23年(529)天皇の朝鮮政策に反発して新羅(しらぎ)(朝鮮)の王女と結婚。のち新羅と対立し,大伴金村に救援をもとめた。任那(みまな)(朝鮮)駐在の近江
13. 逸文(風土記) 526ページ
日本古典文学全集
一段は約七九四平方。半町は約四千平方となる。「狭手彦」(甲類)、「佐提比古郎子」(万葉集)とある。大伴金村の三男で、『宣化紀』二年条に新羅に攻められた任那を鎮圧
14. 磐井の乱画像
日本大百科全書
『古事記』では、継体天皇の御世、筑紫君石井いわいが天皇の命に従わなかったので、物部荒甲あらかい大連と大伴金村おおとものかなむら連の2人を遣わしてこれを殺した、と
15. 磐井の乱
世界大百科事典
〈此の御世に筑紫君石井,天皇の命に従はずして礼なきこと多し。故,物部荒甲(あらかひ)の大連,大伴金村の連二人を遣わして,石井を殺したまひき〉と記す。《日本書紀》
16. いわいのらん【磐井の乱】
国史大辞典
事件の核心は伝えているが、潤色が多い。『古事記』には、竺紫君石井が天皇の命に従わず、礼なきこと多く、物部荒甲と大伴金村の二人を遣わし、これを殺させたとあるのみで
17. うどづかこふん【烏土塚古墳】奈良県:生駒郡/平群町/西ノ宮村
日本歴史地名大系
平群氏との関連を想定したいが、記紀の記載による限り、平群氏は平群真鳥、その子鮪が西暦四九八年に大伴金村に滅ぼされて以後は勢力を失い、烏土塚が築造された六世紀中葉
18. えちぜんのくに【越前国】福井県
日本歴史地名大系
)。「坂中井」は坂井郡の坂井で、「三国」は三国湊(現坂井郡三国町)であり、ここで育った天皇が大伴金村によって擁立されて即位するのである。この間の経緯もそのままに
19. 大伴氏
世界大百科事典
改めて朝臣(あそん)姓を賜ったが,以後公卿となる者はいなかった。笹山 晴生 伴氏 大伴室屋 大伴金村 大伴馬来田 大伴吹負(ふけい) 伴善男
20. おおともうじ【大伴氏】画像
国史大辞典
雄略朝に大伴氏は紀氏と同国近隣であるとして、大伴談の墓が和泉の田身輪邑(淡輪)に作られ、欽明朝に大伴金村が摂津の住吉に引退したという伝えがあり、摂津・和泉地方の
21. おおとものいわ【大伴磐】
国史大辞典
六世紀前半ごろの豪族。大連大伴金村の子。『日本書紀』によると、宣化天皇二年十月新羅が任那を攻めたので、天皇は金村に詔して、その子の磐と狭手彦を遣わして、任那を
22. おおともの-いわ【大伴磐】
日本人名大辞典
?−? 6世紀前半の豪族。大伴金村(かなむら)の子。「日本書紀」によれば,宣化(せんか)天皇2年(537)朝鮮で新羅(しらぎ)が任那(みまな)を侵攻した際,天皇
23. おおともの-かたり【大伴談】
日本人名大辞典
?−? 5世紀後半の武人。大伴室屋の子。大伴金村(かなむら)の父。雄略天皇の命をうけ,紀小弓(きの-おゆみ)らと新羅(しらぎ)(朝鮮)征討軍をひきいる。激戦のす
24. おおとものくい【大伴咋】
国史大辞典
六世紀から七世紀初めの豪族、武将。名は咋子・囓とも書く。『大伴系図』に大連大伴金村の子で、磐・狭手彦の兄弟と伝えるが、六世紀前半に活動した金村の子にしては年代
25. おおともの-くい【大伴咋】
日本人名大辞典
?−? 飛鳥(あすか)時代の豪族。大伴金村(かなむら)の子。用明天皇2年(587)物部守屋(もののべの-もりや)の征討に参加。崇峻(すしゅん)天皇4年大将軍のひ
26. 大伴狭手彦
日本大百科全書
生没年不詳。6世紀中葉の豪族、武将。大伴金村かなむらの子。537年(宣化天皇2)、新羅しらぎに侵略された任那みまなを救援するため朝鮮に渡り、任那を鎮め、百済くだ
27. おおとものさてひこ【大伴狭手彦】
国史大辞典
六世紀中葉の豪族、武将。大連大伴金村の子。『日本書紀』によれば、宣化天皇二年新羅が任那を侵したので、天皇は金村に詔して、その子の磐と狭手彦とに任那を助けさせた
28. おおともの-さてひこ【大伴狭手彦】
日本人名大辞典
?−? 6世紀中ごろの豪族。大伴金村(かなむら)の3男。大伴磐(いわ)の弟。宣化天皇2年(537)新羅(しらぎ)(朝鮮)に攻められた任那(みまな)(朝鮮)をたす
29. 大伴狭手彦
世界大百科事典
6世紀の豪族。生没年不詳。金村の男。《日本書紀》によると,宣化2年,天皇は大連大伴金村に,その子磐(いわ)と狭手彦とを遣わし,新羅の進攻に対して任那を救援すべき
30. 大伴狭手彦
日本史年表
537年〈宣化2(欽明6) 丁巳⑧〉 10・1 大伴金村の子磐・狭手彦に 任那救援 を命じる. 狭手彦 、任那を鎮め、百済を救う(紀)。 562年〈欽明23 
31. おおとものたびと【大伴旅人】
国史大辞典
家持・書持(ふみもち)はその子。大伴氏は代々武将の家柄で、武烈朝から欽明朝に至る四代に仕えた大伴金村のころ繁栄を誇ったが、その後次第に物部氏・蘇我氏や藤原氏に力
32. おおとものみつ【大伴の御津】大阪府:大阪市/難波津
日本歴史地名大系
しかし、この港を「万葉集」巻三の一首に「住吉の得名津」とみえる得名津(榎津)にあてる説もある。また大伴金村の宅が住吉にあったところから、大伴の御津を住吉の御津と
33. おおどもむら【大友村】大阪府:大阪市/生野区地図
日本歴史地名大系
・同四丁目 東成郡に属し、中川村の東にある。村名は往古大友皇子がこの地にいたことによるとも、大伴金村の所領であったことによるともいう(東成郡誌)。慶長一〇年(一
34. 大連
世界大百科事典
《日本書紀》雄略即位前紀に平群真鳥(へぐりのまとり)を大臣,大伴室屋,物部目を大連に任じたといい,以後大伴金村,物部麁鹿火(あらかひ)・尾輿(おこし)・守屋がつ
35. おおむらじ【大連】
国史大辞典
この両氏が大連に任じられたのは、当時の対内的、対外的な政治情勢とかかわっているようである。六世紀中葉大連大伴金村の失脚によって大連は物部氏の独占するところとなっ
36. おともごう【雄惟郷】大阪府:摂津国/西成郡
日本歴史地名大系
なったかが問題になる。「日本書紀」欽明天皇元年九月条に、物部尾輿らに外交上の失政を批判された大伴金村が「住吉宅」に引きこもったとある。また和泉国の海岸である高師
37. かがみやま【鏡山】佐賀県:唐津市/鏡村
日本歴史地名大系
〓墓治置。其墓見在」と述べている。大伴金村の子、磐と狭手彦が任那に遣わされたことは「日本書紀」宣化天皇二年の条にみえる。風土記では弟日姫子であるが
38. かなむらじんじゃ【金村神社】奈良県:北葛城郡/新庄町/大屋村
日本歴史地名大系
[現]新庄町大字大屋 高田川左岸崖上に鎮座。付近を金村と称し、「延喜式」神名帳の葛下郡「金村神社」に比定される。大伴金村連を祀る。旧村社。式内金村神社は天安三年
39. かみくめだむら【上久米田村】福井県:坂井郡/丸岡町
日本歴史地名大系
、「越前国名勝志」にも「一書ノ古記ニ云ク、延喜式ニ有ル久米田ノ神社是ナリ。足羽ノ宮ノ棟梁ノ臣大伴金村大連ノ社ナリ。山ヲ陵山ト云フ」と記す。両書にいう神社は神名帳
40. 欽明天皇
世界大百科事典
妃として用明,推古両天皇,その同母妹の小姉君(おあねぎみ)を妃として崇峻天皇を生んだという。治世の初めは大伴金村と物部尾輿(おこし)が大連,蘇我稲目が大臣だった
41. きんめいてんのう【欽明天皇】
国史大辞典
帝)両天皇ら、堅塩媛の同母妹の小姉君(おあねぎみ)を妃として崇峻天皇らを生んだという。はじめ大伴金村と物部尾輿(おこし)が大連、蘇我稲目が大臣だったが、天皇の治
42. くすはのみやあと【樟葉宮跡】大阪府:枚方市/楠葉村
日本歴史地名大系
男子がなかったため、応神天皇五世の孫にあたる男大迹王が越前国坂井郡三国から迎えられ、樟葉宮に至って大伴金村大連から鏡・剣・璽符をうけて即位した。現在、楠葉の交野
43. くわたぐん【桑田郡】京都府:丹波国
日本歴史地名大系
宮人桑田玖賀媛を以て、近く習へまつる舎人等に示せたまひて」とある。郡名は同書継体天皇即位前紀に「大伴金村大連議りて曰はく、「方に今絶えて継嗣無し。天下、何の所に
44. けいたい・きんめいちょうのないらん【継体・欽明朝の内乱】
国史大辞典
林屋辰三郎の提唱により、特に継体死後の乱だけの意味に用いることが多い。継体の即位は、『日本書紀』によれば大伴金村らの推戴により平和裏に行われたようにみえるが、(
45. 継体天皇
日本大百科全書
築いた天皇として有名。『日本書紀』によれば、武烈ぶれつ(小泊瀬おはつせ)天皇に継嗣あとつぎがなかったので、大伴金村大連おおとものかなむらのおおむらじが中心となっ
46. 継体天皇
世界大百科事典
。その後,《日本書紀》によれば天皇57歳のとき,武烈天皇が死んで後継者がなかったので,大連の大伴金村が主唱して天皇を越前から迎えて皇位に即け,仁賢天皇の女の手白
47. けいたい‐てんのう[‥テンワウ]【継体天皇】
日本国語大辞典
母は振媛(ふるひめ)。名は男大迹尊(おほどのみこと)、彦太尊(ひこふとのみこと)。五〇七年、大伴金村らに迎えられて河内で即位。のち山城の筒城(つつき)、さらに大
48. けいたいてんのう【継体天皇】
国史大辞典
彦主人王の死後、振媛は越前に帰って天皇を養った。天皇が五十七歳のとき、武烈天皇が死に、継嗣がないので、大伴金村が中心となり、物部麁鹿火らとともに天皇を越前から迎
49. けいたいてんのう【継体天皇】
日本人名大辞典
「日本書紀」によると,応神天皇の5世の孫。武烈天皇に子がなく,その死後越前(えちぜん)三国から大伴金村らにむかえられて即位するが,大和入りにその後20年かかった
50. 広益俗説弁 262ページ
東洋文庫
門庭の下にいたり、 庁 前に出て進み、退き跪拝ていはく、檜隈宮御寓  天皇〔宣化天皇〕の世に、我君大伴金村大連、国家のために海の表につかはせし、芦北国造刑部靱部
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