最後の将軍徳川慶喜は,毀誉褒貶にかこまれてその実体が捉えがたい。本書は私家版として25部だけひそかに刷られ,以後公刊されることのなかった稀覯本。読書人垂涎の書である。
1966年10月刊
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【目次】
表紙
(扉)
徳川慶喜公伝自序
第一
半弓と弓術との事
井上甚三郎〓直の事
烈公の御教訓の事
烈公の攘夷論の事
井伊直弼御詰責の事
三條實美・姉小路公知両卿東下の時の事
攘夷の勅を奉じて帰府し給いし事
老中等昭徳公の参内を恐れたる事
鷹司関白と御談話の事
生麦償金支払いの事
蛤門の変の事
条約勅許御奏請の事
将軍職を襲ぎ給いし事
政権御奉還の事
二条城を出でて下坂し給いし事
鳥羽・伏見の変の事
東帰御恭順の事
第二
ペリー渡来の時の御建白の事
ハリス出府の時の御建白の事
三老中と御激論の事
養君御辞退の事
大老・老中御詰責の事
大久保忠寛の政権奉還説の事
横浜鎖港御請振につき御激論の事
京都守護職更迭の事
禁裏御守衛総督御就任の事
仏国公使再挙を勧め申せし事
肥後藩士再挙を勧め申せし事
老中の動作の事
雪中若菜の御歌の事
第三
烈公御直諫の事
一橋邸にて御謹慎の事
国の為民の為とての歌の事
第四
御名と御別号との事
一橋家御相続の事
尾水と連合御建白の事
安政の断獄の事
島津久光の幕政改革意見書の事
後見職辞退を思い止まり給いし事
大久保忠寛外転の事
井伊直弼等処罰の事
加因備三藩と長藩との関係の事
初度の長藩追討に昭徳公の上洛を促し給いし事
征長総督更迭の事
小笠原長行の勅勘赦免の事
阿部正外・本庄宗秀上京の事
第五
条約勅許御奏請の事
烈公御直諫の事
一橋邸にて御謹慎の事
初度の長藩追討に昭徳公の上洛を促し給いし事
四国公使三十日間を期して条約の勅許を迫りし事
参勤交代復旧の事
常陸宮ならびに正親町三條實愛等二十三人勅譴の事
公卿・堂上の小策の事
将軍職御請の事
長藩の処分につき勝義邦を長潘に遣わし、かつ薩肥越宇の四藩を召し給いし事
四藩が長藩の処分と兵庫の開港とを並び行わしめんとせし事
薩長連合の事
松平慶永・伊達宗城等が将軍職御請に反対せしという事
宗家相続を諾して将軍職を諾し給わざりし事
御相続の時御帰府の議ありしや否やの事
同時大奥を改革せんとし給いしという事
同時京都御永住に決したりという事
清水昭武卿渡仏の時ロッシュ同行の議ありし事
勅許を待たずして兵庫の開港を許さんとし給いしという事
英人伏見通行の事
板倉勝靜・永井尚志等が公を摂政たらしめんとせし事
備中松山藩における政権奉還の善後策の事
鳥羽伏見の変に軍令状を授け給いしという事
討薩の表の事
鳥羽・伏見の変に先ず発砲せし者は薩藩なる事
同時津藩の反応の事
二条城御引き上げの時松平容保・松平定敬を召し連れ給いし事
薩長と会桑との兵力の事
鳥羽・伏見の変に始終大坂城を出で給わざりし事
島津久光に屏風の揮毫を嘱し給いし事
日記を焚き捨て給いし事
薩長連合と山内豐信との事
長州処分と鍋島齊正との事
陪臣参内の事
孝明天皇に御拝謁の時の事
孝明天皇より御拝領の御衣・御剣の事
御拝領の品々伝達の役人の事
孝明天皇昭徳公に庶政を御委任ありし事
第六
初度の長藩追討に昭徳公の上洛を促し給いし事
昭徳公の上洛せられざりし事
武田耕雲齋等御処置の事
日下部伊三次に賜わりしという御歌の事
薩肥人および外人の言語の解し難きに困じ給いし事
駿府へ御退去後御再出を勧め申せし者ありしや否やの事
御手植えの事
烈公御創意の御百姓の事
第七
後見職・政事総裁職の権限の事
御側御用御取次の事
御側御用御取次大久保忠寛の事
文久二年の幕政改革の発端の事
幕府の改革振に御不満なりしという事
参勤交代廃止の趣旨の事
毛利定廣参勤交代の廃止を建白せしという事
大原重徳東下の時九條関白より幕府へ内諭ありしという事
同時時勢において行われ難きことは遵奉仕り難しと奏し給いし事
攘夷に種類ある事
永井尚志新選組を率いて長州に下りし事
烈公薨去の事
大橋順藏公を謀主として兵を挙げんとせし事
将軍の敬称の事
慎徳公を西丸に入るるの意ありしという伝説の事
第八
一橋邸にて御謹慎の事
生麦事件の事
初度の御上京に一旦御辞退ありて遂に御請し給いし事
勅使の待遇改正に反対し給いしという事
三條實美・姉小路公知を清水邸に招待し給いし時の事
破約攘夷の議に同意し給いし事
幕府が島津久光を京都守護職とするの勅諚を遵奉せし事
御相談相手の事
昭徳公官位一等辞退につき御相談の事
清水昭武卿仏国へ渡航の事
仏国留学中の昭武卿へ御親書を贈り給いし事
ロッシュの態度一変せし事
澁澤榮一の水戸に行くを止め給いし事
武田耕雲齋等御処置の事
第九
大赦の勅諚遵奉に反対し給いし事
大赦の範囲の事
攘夷の勅を奉じて帰府し給いし事
八幡行幸の時山下より供奉を辞し給いし事
同時御親兵と御供方との騒擾を制し給いし事
同時昭徳公が供奉を辞せられし事
攘夷の勅を奉じて帰府し給える時武田耕雲齋を召し連れ給いし事
松平慶永無断帰国の事
山田方谷板倉勝靜に辞職を勧告せし事
朝旨に表裏あるに困じ給いし事
孝明天皇幕府を信頼し給いし事
孝明天皇の攘夷につきての真の叡慮の事
鷹司関白と御談話の事
生麦償金支払いの後小笠原長行に代りて上京せんとし給いし事
再度の御上京の事
同時途中に日数を費し給いし事
小栗政寧の帰府と再度の御上京との事
小笠原長行が率兵上京の際姉小路公知と内約ありしという事
蛤門の変以前京都における長藩追討の幕議の事
御名代御出陣の事
第十
浪人処分の事
池内大學遭害の事
京都守護職の権限の事
初度御上京の時召し連れ給える人数の事
松平餘九麿君を一橋家に引き取り給いし事
熱田より出されしという御辞表の事
武田猛の越前より脱走せし事
原忠成遭害の事
阿部正外・本庄宗秀上京の事
武田耕雲齋等御処置の事
本国寺詰水戸潘士を庇護し給いし事
水戸の朋党御処置につき水戸慶篤卿を営中に抑留し給いし事
弘道館より宝台院へ御移徙の事
第十一
御親兵設置の御建白の事
御親兵を出せし藩々の事
御親兵中外様・譜代の軋轢の事
長藩に討幕の計画あるを察知し給いし時期の事
加茂行幸の時公へ勅諚を賜いしや否やの事
昭徳公八幡行幸供奉を辞せられし事
昭徳公が初度の上洛に初めは滞京日数を延べんことを請い、後急に帰府せんことを請われし事
昭徳公参内の時における公等の御座席の事
孝明天皇幕府を信頼し給いし事
朝旨に表裏あるに困じ給いし事
孝明天皇の攘夷につきての真の叡慮の事
鷹司関白等が生麦償金の支払いを黙認せし事
大場一眞齋が攘夷の勅を奉じて帰府し給うに反対せし事
中川宮の雪冤の事
元勸修寺宮の還俗の事
方今の時勢に処するには創業の方針をもってせざるべからずと宣いし事
初事の長藩追討の幕令の事
昭徳公進発二条城にて会議の時の長藩御処分論の事
同時昭徳公参内の時の勅諚の事
同時大坂城における幕議の事
同時阿部正外等の違算の事
小笠原長行の老中格再任の事
御名代御出陣の事
昭徳公との御間柄の事
昭徳公の人となりの事
昭徳公将軍職を公に譲らんとせられし事
第十二
禁裏御守衛総督御就任と同時に後見職を辞し給いし事
横浜鎖港御請振につき朝廷より御詰問の事ならびに同時御簾前にて御激論ありしという事
薩藩の議に従いて開国の方針に一変せんことを酒井忠績・水野忠精に迫り給いし事
中川宮に矯飾・壅蔽の御行動ありしという事
二條摂政に辞職を迫り給いしという事
兵庫開港御奏請の事
薩藩が兵庫開港と長藩処分とをならび行わしめんとせし事
松平昭武君清水家相続の事
政権御奉還の時小松帶刀・後藤象二郎等を引見し給いし事
政権奉還後大坂にて後藤象二郎を引見し給いしという事
同時尾張慶勝・松平慶永下坂の事
第十三
有栖川帥宮を再び攘夷別勅使とするの朝議ありし事
蛤門の変の時輒く長兵を討つことを許し給わざりし事
同時薩藩の態度に御懸念ありしという事
同時東寺を本営とせんとし給いしという事
井上義斐が兵庫の先期開港問題につきて四国公使と談判せし事
昭徳公将軍職を公に譲らんとせられし事
二條関白等が幕府の奏請せる長藩処分案に反対せしという事
岩倉具視が全国合同策を川村惠十郎に示して公に説かしめしという事
本庄宗秀が参勤交代の復旧を止むる勅諚を奉じて帰府せし事
昭徳公進発二条城にて会議の時の長藩御処分論の事
平山敬忠等を朝鮮に派遣せんとし給いし事
対州藩の征韓計画の事
政権御奉還後の徳川家御処置の事
御名代出陣中止の御奏聞の事
官服御拝領という事
清水昭武卿を仏国に遣わされし御趣意の事
将軍の敬称について向山一履と英国外務大臣との談判の事
将軍の敬称の事
パークスとロッシュとの争論の事
朝幕〓離の端緒の事
幕末有司の盛時追懐の事
大猷公の時における禁裏取締りの事
有徳公の都鳥献上の事
第十四
長藩御処分案の事
御参内夜を徹せし事
宮中の燈火の事
宮中における御居間の事
政権御奉還後の御処置の事
政権御奉還後旧幕府にて外交事務を取り扱いし事
政権御奉還後在京の兵を撒せんとし給いし事
大坂城御引上げの時の事
御東帰途中の事
御東帰の後松平定敬策を進めし事ならびに勝義邦進止を取りし事
松平容保・松平定敬江戸退去の事
仏国公使再挙を勧め申せし事
上野へ御退去の時近藤勇の警衛の事
水戸へ御退去の期日延期の事
水戸へ御供の兵隊の事
第十五
毛利慶親父子と御書通ありしという事
井上義斐が兵庫の先期開港につきて四国公使と談判せし事ならびに松平康直の兵庫に使せし事
一橋家領地加増の議ありし事
王政復古令の発布を予期し給いし事
六国公使御引見の事
除奸の御上表の事
坂兵の配置の事
賀陽宮の陰謀に関与し給いしという事
第十六
御誕生日の事
生麦償金支払いの事
栗本鯤を御信任ありしという事
箱館御出陣の議ありしという事
静岡御謹慎中車駕御送迎ありしや否やの事
静岡にて御謹慎の事
夫人を東京に置き給いし事
御別号の事
静岡御謹慎後の御家職および御相談相手の事
静岡御残留の事ならびに東京御移住の事
公爵以前の御族籍の事
御遊猟の時の事
小日向邸へ御移徙の年月の事
御家憲を御伝記に掲載すべきや否やの事
第十七
愼徳公の寵遇の事
孝明天皇より御製および簫御拝領の事
測量法・製図法および電信機等につき御下問ありしという事
仏語御習学の事
二条城御引上げの時の事
油絵御習得の事
第十八
幕政改革仰せ出されの日より御登城なかりし事
三條實美等公の御旅館に臨みて攘夷期限の決定を迫りし事
昭徳公八幡行幸供奉を辞せられし事
八幡行幸に供奉し給いし事
昭徳公常に短刀を懐にせられしという事
第十九
熱田より出されしという御辞表の事
第二十
板倉勝靜・小笠原長行開鎖の決定を請いし事
勅使御送迎の事
勅使を清水邸に招待し給いし事
島津久光を京都守護職とするに同意し給いし事
第二十一
酒井忠績上京の事
横浜鎖港談判の事
松平直克の政事総裁職に任ぜられし事
再度の御上京の事
第二十二
昭徳公の御遺命の事
宗家相続御辞退の事
宗家相続には見込みの人ありと仰せられし事
相続を諾して将軍職を辞し給いし事
原忠成が諸大名をして公を将軍に推薦せしめんとせし事
大藩中其人を選びて将軍に任ぜられたしと奏聞し給いし事
紀州藩の家老将軍職御請を勧め申せし事
御名代御出陣の事
第二十三
幕政改革の復旧と水戸の紛擾との事
貞芳院太夫人を文明夫人と称せし事
第二十四
王政復古後の御献金の事
六国公使御引見の事
薩邸焼討の事
開陽艦にて御東帰の事
第二十五
条約勅許御奏請の事
はじめての御登城に奥女中を叱責し給いしという事
子規を打ち留め給いしという事
第二十六
烈公の御教養の事
御幼時の課業と御気質との事
追鳥狩御参加の事
はじめての御登城の事
五十三間の観菊の事
愼徳公の寵遇の事
御鹿狩御随従の事
安政の地震の事
蛤門の変の事
解説
年表
人名略伝
裏表紙