1. 平賀源内画像
日本大百科全書
江戸時代の本草学者ほんぞうがくしゃ、戯作者げさくしゃ。讃岐さぬきの志度浦(香川県さぬき市)の生まれ。幼名を四万吉よもきち。伝次郎、嘉次郎といい、名は国倫くにとも
2. 平賀源内
世界大百科事典
1728-79(享保13-安永8) 江戸中期の博物学者,戯作者,浄瑠璃作者。名は国倫(くにとも),号は鳩渓,風来山人,福内鬼外(ふくうちきがい),天竺(てんじく
3. ひらが‐げんない【平賀源内】
日本国語大辞典
江戸中期の本草学者、戯作者、浄瑠璃作者。讚岐国(香川県)の人。本名国倫(くにとも)、字(あざな)は子彜(しい)、号は鳩渓(きゅうけい)、文名は風来山人・天竺浪人
4. ひらがげんない【平賀源内】
全文全訳古語辞典
[人名]江戸中期の本草学者、戯作作者。号は風来山人など。讃岐(香川県)の人。温度計やエレキテルなどを作って世人を驚かせた。滑稽本『風流志道軒伝』、浄瑠璃『神霊矢
5. ひらがげんない【平賀源内】
国史大辞典
[参考文献]入田整三編『平賀源内全集』、同編『平賀源内全集補遺』、中村幸彦校注『風来山人集』(『日本古典文学大系』五五)、水谷不倒『平賀源内』(『中公文庫』)、
6. ひらが-げんない【平賀源内】
日本人名大辞典
1728−1780* 江戸時代中期の本草家,戯作(げさく)者。享保(きょうほう)13年生まれ。讃岐(さぬき)高松藩の蔵番。江戸で田村藍水(らんすい)にまなび,藍
7. ひらがげんない【平賀源内】
日本架空伝承人名事典
江戸中期の博物学者、戯作者、浄瑠璃作者。名は国倫(くにとも)、号は鳩渓、風来山人、福内鬼外(ふくうちきがい)、天竺(てんじく)浪人など。高松藩の足軽の子。薬園掛
8. 平賀源内[文献目録]
日本人物文献目録
内』佐々木基一『平賀源内』中村吉蔵『平賀源内』林鶴一『平賀源内』本田康雄『平賀源内遺聞』刈谷新三郎『平賀源内翁ノ遺書』-『平賀源内研究』森銑三『平賀源内序論』沢
9. 平賀源内[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
『肖像集』 写本国立国会図書館所蔵
10. 平賀源内
二沙糖培養法
一 (見出し語:平賀源内)古事類苑
飮食部 洋巻 第1巻 888ページ
11. 平賀源内製二火浣布一 (見出し語:平賀源内)
古事類苑
産業部 洋巻 第2巻 154ページ
12. 平賀鳩溪犯罪 (見出し語:平賀源内)
古事類苑
法律部 洋巻 第3巻 323ページ
13. 平賀鳩溪自二負其才氣一 (見出し語:平賀源内)
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 1116ページ
14. ひらがげんないきゅうたく【平賀源内旧宅】香川県:大川郡/志度町/志度村
日本歴史地名大系
墓は東京都台東区総泉寺にあるが、分骨が志度に持帰られ、志度寺塔頭自性院に納められた。現在旧宅は「平賀源内先生遺品館」として公開され、エレキテル、源内焼、薬箪笥、
15. あかまつ-みつのぶ【赤松光信】
日本人名大辞典
1738−1821 江戸時代中期-後期の陶工。元文3年生まれ。宝暦5年讃岐(さぬき)(香川県)志度で平賀源内に交趾(コーチ)焼をまなび,大坂,長崎などで製品を販
16. 秋田(県)画像
日本大百科全書
置いたため、学問や芸術の面で特色が現れた。1773年(安永2)に阿仁銅山の検分・指導のために招かれた平賀源内ひらがげんないが、角館給人かくのだてきゅうにん、小田
17. あきた‐は【秋田派】
日本国語大辞典
〔名〕秋田地方で生まれた洋風画派。安永二年(一七七三)秋田藩主、佐竹義敦(曙山)に招かれた平賀源内が、秋田藩士小田野直武に洋画技法を伝えたことに始まる。中国の写
18. あきたは【秋田派】
国史大辞典
洋風画の一派。安永二年(一七七三)、秋田藩は財政の窮乏を打開するため阿仁銅山の検分に江戸から平賀源内を招いた。このとき源内はまず秋田藩の支城があった角館で小田野
19. 秋田蘭画
日本大百科全書
つまり洋風画を意味する。秋田派、秋田系洋風画ともいう。1773年(安永2)秋田藩は物産学者の平賀源内を江戸から招いて、領内の鉱山の技術改良と産額増大を図った。源
20. 秋田蘭画
世界大百科事典
れた洋風画派。蘭画はオランダ絵,つまり洋風画を意味する。1773年(安永2)に秋田藩を訪れた平賀源内の指導により発足し,同藩主佐竹義敦(曙山),一族の佐竹義躬,
21. あくたかき抄書(著作ID:81141)
新日本古典籍データベース
あくたがきしょうしょ 平賀源内(ひらがげんない) 評判記
22. 芥川賞
日本大百科全書
寒川光太郎「密猟者」第11回(1940年度上期) 該当者なし第12回(1940年度下期) 桜田常久「平賀源内」第13回(1941年度上期) 多田裕計「長江デルタ
23. あさくさ【浅草】
国史大辞典
羽橋)・靴(浅草六丁目)などの問屋街で知られる。江戸時代の浅草は寺院街でもあった。伊能忠敬・平賀源内・葛飾北斎ら著名人の墓碑も多い。 [参考文献]『御府内備考』
24. アスベスト
世界大百科事典
白水 晴雄 アスベストは繊維でありながら不燃性で,古くローマ時代には珍重され織布が作られていた。平賀源内が作った火浣布(かかんふ)もこのアスベスト布である。現在
25. アスベスト
日本国語大辞典
*舎密開宗〔1837~47〕内八・一五四「亜斯別斯多(アスベスト)〈石絨類〉」平賀源内「火浣布説」「火浣布略説」にラテン語「あすべすとす」の語形で見えるのが早い
26. あないち【穴一】
国史大辞典
また楽あそび・こまとり・羽根つきとともに歌われた。その他にも明和期には「穴市に助言して行く医者の供」とか、平賀源内の『風流志道軒伝』には「正月といへば童までが宝
27. あぶらえ【油絵】
国史大辞典
来日外人の作か舶載品かであろうといわれている。そして確実に日本人が描いた油絵の最古の遺品は、平賀源内が明和七年(一七七〇)に長崎に遊学中に作ったと推定される「西
28. 阿部将翁
日本大百科全書
『採薬使記』ほかの著書がある。高弟の田村藍水らんすい、遠藤元理(生没年不詳)が師の遺業を発展させた。異才平賀源内は田村藍水の弟子である。根本曽代子
29. あまぎゆがしまちょう【天城湯ヶ島町】静岡県:田方郡
日本歴史地名大系
。徳川家康の側室お万の方(のち養珠院)ゆかりの吉奈温泉があり、船原温泉には芒硝の採取のために平賀源内が訪れている。幕府御館山である天城山の狩野口といわれ、湯ヶ島
30. あまくさぐん【天草郡】熊本県
日本歴史地名大系
殖産面では西目筋(天草灘側)一帯における元禄期からの陶石採掘と宝暦一三年(一七六三)の高浜焼開窯があり、平賀源内も「陶器工夫書」で天草の陶土を激賞し、「天下無双
31. あま‐よそい[‥よそひ]【尼装】
日本国語大辞典
〔名〕男が女の装いをすること。女装。*奇想凡想〔1920〕〈宮武外骨〉男色を好みし平賀源内「其変りたる尼装(アマヨソ)ひの美貌が殊の外際立ちて映じたる様子なれば
32. あめふりばな【雨降花】[方言]
日本方言大辞典
秋田県平鹿郡130秋田方言(秋田県学務部学務課)1929《あめふり》 仙台※018物類品隲(平賀源内)1763 野州※035和訓栞(谷川士清)1830~62刊
33. あらいしょうじゅうろう【荒井庄十郎】
国史大辞典
明和八年(一七七一)ごろには稽古通詞の職にあった。やがて本姓荒井に復し、安永七(一七七八)、八年ごろ江戸に出て平賀源内のもとに寄食。かたわら杉田玄白の塾でオラン
34. あらい-しょうじゅうろう【荒井庄十郎】
日本人名大辞典
江戸時代中期の蘭学者。吉雄耕牛(よしお-こうぎゅう)の甥(おい)。安永7年(1778)ごろ江戸にでて平賀源内のもとに寄食し,杉田玄白の塾でオランダ語をおしえた。
35. 荒御霊新田神徳(著作ID:86760)
新日本古典籍データベース
あらみたまにったのしんとく 平賀源内(ひらがげんない) 森羅万象一世(しんらばんしょう1せい) 二一天作(にいちてんさく) 浄瑠璃/義太夫 安永八初演
36. 飯島耕一
日本大百科全書
1990年代後半以降、長編三部作『暗殺百美人』(1996)、『六波羅カプリチョス』(1999)、『小説平賀源内』(2002)を著した。『暗殺百美人』は、第6回ド
37. いけだむら【池田村】香川県:小豆郡/池田町
日本歴史地名大系
同寺には阿波藩士で宋紫石(楠本雪渓)の門人であった画家三木文柳が描いた両界曼荼羅がある。三木は師とともに平賀源内著「物類品隲」の挿絵を描いており、寛政一一年(一
38. いしずみ【石炭】[方言]
日本方言大辞典
石炭。 丹後※035和訓栞(谷川士清)1830~62刊 筑前※018物類品隲(平賀源内)1763 山口県791防長方言調査表(防長史談会)1933 玖珂郡800
39. いしゃころし【医者殺】[方言]
日本方言大辞典
《いしゃだおし》 紀伊※110紀伊続風土記(仁井田好古)1839 肥後上益城郡※018物類品隲(平賀源内)1763(5)しこくふうろ(四国風露)。《いしゃだおし
40. いずのくに【伊豆国】静岡県
日本歴史地名大系
享保九年三島に私塾仰止館を開き、伊豆・駿河の文人に大きな影響を与えた。前述の秋山富南もその門人である。平賀源内は宝暦一三年刊行の「物類品隲」のなかで鎮惣七の知識
41. いそまつ【磯松】[方言]
日本方言大辞典
鹿児島県奄美大島965鹿児島県植物方名集(内藤喬)1955~56(4)藻みる(水松)。 相模※018物類品隲(平賀源内)1763
42. いちのせきじょうあと【一関城跡】岩手県:一関市/一関城下
日本歴史地名大系
となった建部清庵は宝暦の大飢饉の折、民衆の惨状を救うため「民間備荒録」「備荒草木図」を著し、平賀源内や杉田玄白との交遊を通じて書簡「和蘭医事問答」をまとめた。清
43. いわい‐ぐし[いはゐ‥]【岩井櫛】
日本国語大辞典
〔名〕(1)背を銀で飾った伽羅(きゃら)の櫛。平賀源内が考案してつくりだした。源内櫛。(2)江戸時代、明和(一七六四~七二)の頃、女形の名優四世岩井半四郎の当た
44. いわまつ【岩松】[方言]
日本方言大辞典
)。 伊勢※020物類称呼(越谷吾山)1775 紀伊※018物類品隲(平賀源内)1763 讚岐※018物類品隲(平賀源内)1763 久留米※127はまおき(野崎
45. ウナギ画像
日本大百科全書
「むなぎ」とよばれて、古くから滋養豊富な食物とされてきた。土用の丑の日にウナギを食べるのは、平賀源内と蜀山人しょくさんじんの創案ともいわれるが、虚空蔵菩薩こくう
46. 鰻(うなぎ) 【12か月のきまりごと歳時記】画像
生活便利帳
奈良時代からの滋養食品。夏の「土用の丑の日」に食べられるようになったのは、江戸時代に平賀源内がなじみの鰻屋をはやらせようと宣伝用に看板を出したのが始まりとされる
47. うみかんざし【海簪】[方言]
日本方言大辞典
動物うみやなぎ(海柳)。 肥後※018物類品隲(平賀源内)1763
48. うみまつ【海松】[方言]
日本方言大辞典
(1)珊瑚さんご。 相模※018物類品隲(平賀源内)1763 新潟県佐渡352佐渡方言辞典(広田貞吉)1974 山口県見島797見島聞書(瀬川清子)1938 香
49. 江戸小咄集 1 172ページ
東洋文庫
国広小路の見世物に、霧降咲男という屍の芸術を聞かせるものが、安永三年四月に出て評判となった。平賀源内が『放屁論』という書物をかいた程である会)曲屍の紹介・口上・
50. 江戸時代画像
日本大百科全書
百花斉放とよべるような思想・学問・文芸の開花期を迎えた。本居宣長もとおりのりなが、安藤昌益あんどうしょうえき、平賀源内ひらがげんないらの多彩な才能が輩出した。同