1. 源頼家
日本大百科全書
鎌倉幕府第2代将軍。源頼朝よりともの長子。母は北条政子ほうじょうまさこ。幼名万寿まんじゅ、十万じゅうまん。1199年(正治1)父頼朝の死後家督を継ぎ、1202年
2. 源頼家
世界大百科事典
1182-1204(寿永1-元久1) 鎌倉幕府第2代将軍。源頼朝の長子。母は北条政子。1199年(正治1)父の死後17歳で家督を継ぎ,1202年(建仁2)征夷大
3. みなもと‐の‐よりいえ【源頼家】
日本国語大辞典
〔一〕平安時代の歌人。清和源氏。頼光の子。備中・越中・筑前守を歴任。従四位下。和歌六人党の一人。「後拾遺集」以下の勅撰集に九首入集。生没年未詳。〔二〕鎌倉幕府二
4. みなもとのよりいえ【源頼家】画像
国史大辞典
一一八二―一二〇四 鎌倉幕府の第二代将軍。一二〇二―〇三在職。源頼朝の長男。母は北条政子。寿永元年(一一八二)鎌倉の比企能員邸に生まれる。幼名は万寿(または十
5. 源頼家
日本史年表
1200年〈正治2 庚申②〉 5・12 源頼家 ,念仏を禁じ,念仏僧の袈裟を焼く(吾)。 1202年〈建仁2 壬戌⑩〉 7・23 源頼家 を征夷大将軍に補任(
6. みなもとのよりいえ【源頼家】
日本架空伝承人名事典
鎌倉幕府第二代将軍。源頼朝の長子。母は北条政子。一一九九年(正治一)父の死後一七歳で家督を継ぎ、一二〇二年(建仁二)征夷大将軍。北条氏のはからいで有力御家人一三
7. 源賴家建二建仁寺一 (見出し語:源賴家)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 621ページ
8. 源賴家爲二征夷大將軍一 (見出し語:源賴家)
古事類苑
官位部 洋巻 第2巻 657ページ
9. みなもとの-よりいえ【源頼家(1)】
日本人名大辞典
?−? 平安時代中期の官吏,歌人。源頼光の次男。和歌六人党のひとり。橘為仲が任地の奥州から,昔の歌人仲間で生きのこっているのは我々だけだと書をよせると,六人党の
10. みなもとの-よりいえ【源頼家(2)】
日本人名大辞典
1182−1204 鎌倉幕府2代将軍。在職1202-03。寿永元年8月12日生まれ。源頼朝の長男。母は北条政子。正治(しょうじ)元年(1199)家督をつぐが,北
11. 源頼家花押[図版]画像
国史大辞典
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12. 源頼家鞠始(著作ID:1745353)
新日本古典籍データベース
みなもとのよりいえまりはじめ 浄瑠璃
13. 源頼家にこたふる文(著作ID:4380388)
新日本古典籍データベース
みなもとよりいえにこたうるふみ 文覚(もんがく)
14. 平政子誡二源賴家一 (見出し語:平政子)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 170ページ
15. 文覺上二源賴家一書 (見出し語:文覺)
古事類苑
政治部 洋巻 第3巻 222ページ
16. 文覺上二源賴家一書 (見出し語:文覺)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 234ページ
17. 愛甲氏
世界大百科事典
季隆は弓の名人として重用された。季隆は射手として幕府の重要な儀式に参加するとともに,2代将軍源頼家幼少時代の弓の師でもあり,曾我兄弟の仇討があったことで知られる
18. あいざわはら【藍沢原】静岡県:駿東郡
日本歴史地名大系
。この後も藍沢原での狩は行われ、「吾妻鏡」によれば、正治二年(一二〇〇)閏二月八日、二代将軍源頼家が「伊豆国藍沢原」で狩猟を行い、嘉禎三年(一二三七)七月二五日
19. あい‐ながや[あひ‥]【相長屋】
日本国語大辞典
*俳諧・信徳十百韻〔1675〕「相長屋非番の武士の集りに 百ものがたりいさぎよかりき」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「ハテ夫(そ)れが相(あイ)
20. あお・つ[あふつ]【煽】
日本国語大辞典
起こすかのように、物がばたばたする。*雑俳・銀土器〔1716~36〕「風にゆらゆらあふつ暖簾」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕九「百間に余る高塀、屏
21. あか ぬ
日本国語大辞典
*浄瑠璃・役行者大峯桜〔1751〕二「愚図愚図と明かぬ事云ふ手間で、板お神酒でも出せ出せ」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕二「まだまだと明かぬ評定聞
22. あき【飽・厭】
日本国語大辞典
あまだれの、石を穿てることを思ひ出で」(2)十分みちたりること。また、興味を失うこと。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「長々お世話になった御近所の
23. あき‐じろ【空城・明城】
日本国語大辞典
31〕五「国府の台の合戦には、此城の者共、残らず、下総へ行て、明城にて置きければ」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕二「我々東国へ向ひし跡此坂本は明(
24. あきつ‐くに【秋津国】
日本国語大辞典
0頃〕三〇「島のほかも波をさまれるあきつくにに道ある君の恵みをぞ知る〈藤原為相〉」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕九「踏(ふみ)塊(かため)たる秋津
25. あき‐や【空家・空屋・明家】
日本国語大辞典
詫人に似合たる宿なれば」*俳諧・曠野〔1689〕二・初春「立臼に若草見たる明屋哉〈亀助〉」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕九「明家同然の坂本の城。責
26. あけ た 儘(まま)なる雑言(ぞうごん)
日本国語大辞典
言いたい放題の口をきくこと。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕九「四方を睨でつっ立たり。ヤア明た儘(ママ)なる佐々木が雑言(ザウゴン)。討とめて手柄に
27. 開けた儘なる雑言
故事俗信ことわざ大辞典
言いたい放題に口をきく。 浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記(1781)九「四方を睨でつっ立たり。ヤア明た儘(ママ)なる佐々木が雑言(ザウゴン)。討とめて手柄にせん
28. あさいなよしひで【朝比奈義秀】
国史大辞典
よくしたという。現在、鎌倉市と横浜市の境にある朝比奈切通は、義秀が一夜で切り開いたという伝説や将軍源頼家が相模国小坪の浜(逗子市)に遊んだとき、義秀は三匹の鮫を
29. 朝比奈義秀
世界大百科事典
。安房国朝夷(あさい)郡で育ち,朝比奈三郎と称す。膂力(りよりよく)無双で水泳にも長じ,将軍源頼家の前でサメ3尾を手捕りにしてみせたという。1213年(建保1)
30. あさひな-よしひで【朝比奈義秀】
日本人名大辞典
建暦(けんりゃく)3年(1213)の和田氏の乱で北条氏に敗れ,安房にのがれたという。水泳にすぐれ,将軍源頼家(よりいえ)の前で鎌倉の海にはいりサメ3匹を素手で捕
31. あさひなよしひで【朝比奈義秀】
日本架空伝承人名事典
。安房国朝夷(あさい)郡で育ち、朝比奈三郎と称す。膂力(りょりょく)無双で水泳にも長じ、将軍源頼家の前でサメ三尾を手捕りにしてみせたという。一二一三年(建保一)
32. あさりごう【浅利郷】山梨県:東八代郡/豊富村/浅利村
日本歴史地名大系
元年六月二九日条)などと記されるが、遠矢の名手として「平家物語」巻一一に登場、勇婦坂額を将軍源頼家から賜っている(「吾妻鏡」前掲条)。墓所は大鳥居の大福寺にあり
33. あさり-よいち【浅利与一】
日本人名大辞典
また城資盛(じょう-すけもり)を攻めたときにはその叔母で勇婦といわれた板額(はんがく)を捕らえ,のちに将軍源頼家の許しをえて妻とした。承久(じょうきゅう)3年死
34. あざ が 倒(こ)け込(こ)む
日本国語大辞典
めくりカルタで、思いがけなく強い有利な札のあざが自分の手にころげ込む。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕六「雑兵組の頭となし、物の具させよと土民が手柄
35. あざが倒け込む
故事俗信ことわざ大辞典
めくりカルタで、思いがけなく強い運、有利なことが自分にころげ込んでくる。 浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記(1781)六「雑兵組の頭となし、物の具させよと土民が手
36. あしかが‐よう[‥ヤウ]【足利様】
日本国語大辞典
一「かのこのむかばきくくりさげ、あしかがやうのそめたづな、むちに取そへくりかけし」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕二「素袍袴も足利様(アシカガヤウ)
37. あしわけ‐ぶね【葦分舟】
日本国語大辞典
・まつら長者〔1661〕四「あしわけ舟にさをさして、はらにはしほやの夕けふりたつ」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕五「直には行ぬ蘆分船(アシわけぶね
38. あすかいまさつね【飛鳥井雅経】
国史大辞典
で文治五年(一一八九)伊豆に配流され、兄宗長も解官されたが、雅経は鎌倉に在って、蹴鞠を好んだ源頼家のもとで厚遇され、大江広元の女を妻とした。建久八年(一一九七)
39. あすかい-まさつね【飛鳥井雅経】
日本人名大辞典
飛鳥井家の祖。蹴鞠(けまり)にすぐれる。父は源義経にくみし流罪となるが,雅経は蹴鞠をこのむ将軍源頼家(よりいえ)に厚遇された。のち後鳥羽天皇の近習となり,従三位
40. あだち-もりなが【安達盛長】
日本人名大辞典
頼朝の伊豆(いず)配流のときからの側近で,上野(こうずけ)奉行人,三河守護を歴任した。頼朝の死後出家するが,源頼家が将軍につき,重臣合議制ができると重臣のひとり
41. あと‐ぞなえ[‥ぞなへ]【後備】
日本国語大辞典
品・三「御出陣にをひては、御跡備(アトソナヘ)をくろめ申べき覚悟にて、所望申処に」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕二「佐々木高綱三浦の助御乗物の前後
42. あと の 月(つき)の富(とみ)の札(ふだ)を買(か)うよう
日本国語大辞典
(先月すでに当否の決まってしまった富くじを買うようなものの意)ばかばかしい、むだなことのたとえ。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「何ぼかはいがらし
43. 後の月の富の札を買うよう
故事俗信ことわざ大辞典
買うようだ。やっても手遅れでかいのないこと、無駄なこと、ばかばかしいことのたとえ。 浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記(1781)七「何ぼかはいがらしゃっても、首の
44. あと へ 寄(よ)る
日本国語大辞典
(腹の皮が後へ寄るの意から)空腹になる。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「水辛(みづから)や梅干で酒がいけるものかいの。そしてきつう跡へ寄った」
45. あの・あののしょう【阿野・阿野庄】静岡県:沼津市/旧駿東郡地区
日本歴史地名大系
に応じて東下、のち当地に住して阿野全成と名乗った。全成は建仁三年(一二〇三)謀反の嫌疑で将軍源頼家に討たれた。全成の子阿野冠者時元も同じく陰謀のかどで、建保七年
46. あのぜんじょう【阿野全成】
国史大辞典
北条時政の女を娶り、その間に時元をもうけた。建仁三年(一二〇三)五月謀叛の噂が鎌倉に聞え、将軍源頼家は武田信光に命じて捕えさせて常陸に流した。同六月二十三日八田
47. 阿野全成
日本史年表
1203年〈建仁3 癸亥〉 5・19 源頼家,源頼朝の弟 阿野全成 を謀反の疑いで捕える(吾)。 1203年〈建仁3 癸亥〉 5・25 頼家,阿野全成を常陸国
48. あぶら【油】[方言]
日本方言大辞典
(宮良当壮)1930(2)追従ついしょう。おべっか。 大阪※116浪花聞書 1820頃浄瑠璃源頼家源実朝鎌倉三代記七「口先でちょっぽ草津から取寄せましたと油半分
49. あぶら【油・脂・膏】
日本国語大辞典
だてること。おせじ。へつらい。追従(ついしょう)。→あぶらを言う・あぶらを掛ける。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「口先でちょっぽ草津から取寄まし
50. あぶら‐はんぶん【油半分】
日本国語大辞典
〔名〕(形動)うそ半分。口前うまく、おせじ半分に並べ立てること。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「やいのと念比(ねんごろ)ぶり口先でちょっぽ草津か