ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 日本史
  8. >
  9. キリシタン
  10. >
  11. 伴天連追放令

伴天連追放令

ジャパンナレッジで閲覧できる『伴天連追放令』の世界大百科事典のサンプルページ

世界大百科事典

伴天連追放令
バテレンついほうれい

キリシタン宣教師の国外追放を規定した法令のこと。(1)1587年(天正15)豊臣秀吉が九州平定後,筑前筥崎(はこざき)で発令した6月19日付け〈定〉5ヵ条。要旨は,日本は神国・仏教国であり,邪法キリスト教が説かれることは不適当であるから,宣教師は20日間以内に国外退去せよとしている。発令因については諸説がある。この追放令によって宣教師はいったん平戸に集結したが,再び各地に分散・潜伏したため,実際には空文化した。平戸市の松浦史料博物館に写しが所蔵される。(2)以心崇伝が1613年(慶長18)徳川家康の命により作成した排キリシタン令。通常伴天連追放文と呼び(1)と区別する。将軍徳川秀忠の名で公布され,江戸時代を通じて幕府のキリシタン禁制の基本法となった。要旨は,日本が神・儒・仏三教の国であり,キリスト教が日本の正宗を惑わし政体を改め善悪をそこなう邪教であるゆえに,同教を掃攘するとしている。同令によって翌年には高山右近を含め多数の宣教師がマカオとマニラに追放された。《異国日記》所収。
[清水 紘一]

[索引語]
伴天連追放文
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


伴天連追放令の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 67
検索コンテンツ
1. 伴天連追放令
世界大百科事典
キリシタン宣教師の国外追放を規定した法令のこと。(1)1587年(天正15)豊臣秀吉が九州平定後,筑前筥崎(はこざき)で発令した6月19日付け〈定〉5ヵ条。要旨
2. バテレンついほうれい【伴天連追放令】
国史大辞典
キリシタン宣教師に対する国外追放令。とりわけ、豊臣秀吉が天正十五年(一五八七)六月十九日付で発布した五ヵ条の禁制をさす。今日その写が『松浦文書』に伝存する。九
3. あかしし【明石市】兵庫県
日本歴史地名大系
河口西岸の湿地帯に船上城を築城、政治・軍事・経済の拠点とした。しかし同一五年夏に発せられた伴天連追放令により領地を没収され追放となった。その後明石は豊臣氏の直轄
4. おおむら‐すみただ【大村純忠】
日本国語大辞典
戦国大名。日本最初のキリシタン大名。領内にキリシタン改宗を強制し、豊臣秀吉の伴天連追放令の一因をなす。長崎を開港して南蛮貿易を行ない、大友氏、有馬氏とともにロー
5. おおむらすみただ【大村純忠】画像
国史大辞典
大規模に破壊するとともに、領民を半ば強制的にキリシタンに改宗せしめ、数年後、豊臣秀吉による「伴天連追放令」の誘因を惹起した。同八年全日本のキリシタン十五万人中、
6. 大村藩
世界大百科事典
87年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵され,近世大名に取り立てられたが,それと同時に発布された伴天連追放令と長崎の収公によって,貿易利潤に終止符が打
7. おおむらはん【大村藩】
国史大辞典
、豊臣秀吉の九州征伐後、本領を安堵され、近世大名に取り立てられたが、それと同時に発布された伴天連追放令と長崎の収公によって、貿易利潤に終止符が打たれ、藩財政は成
8. おぎのやちむら【荻谷村】石川県:羽咋郡/志雄町
日本歴史地名大系
休甫)の屋敷があったと伝える。如安は丹波八木城(現京都府八木町)城主であったが、天正一五年伴天連追放令で没落、キリシタン大名小西行長に仕えた。関ヶ原の合戦後、加
9. オルガンティーノ(Gnecchi Soldo Organtino)
世界大百科事典
ヨ)と教館Casaを建てた。83年豊臣秀吉から大坂城下に教会建設用地を付与された。87年の伴天連追放令施行後は小西行長の領内に隠れ,91年バリニャーノとともに秀
10. オルガンティーノ(Organtino, Gnecchi-Soldo)
世界人名大辞典
与えられ,その3階をセミナリオに充てた[80].教区長として,豊臣秀吉から大坂に教会用地を入手[83].伴天連追放令により小西行長所領の小豆島に避難・潜伏し,の
11. きよはらのマリア【清原マリア】
国史大辞典
夫人をも感化し、みずから天正十五年(一五八七)セスペデスより受洗。ついでパードレの許しを得て伴天連追放令下にもかかわらず夫人に授洗、夫人はガラシヤと称するに至っ
12. キリシタン【吉利支丹】
国史大辞典
第一期は、天文十八年(一五四九)のフランシスコ=ザビエルの渡来から天正十五年(一五八七)豊臣秀吉の伴天連追放令発布に至るまでの時期である。この間、イエズス会士に
13. キリシタンがっこうせいど【キリシタン学校制度】
国史大辞典
修得した司牧者の養成というバリニァーノの方針に基づくものであった。しかるに天正十五年の豊臣秀吉の伴天連追放令によりバリニァーノの最初の遠大な計画案は実現不可能と
14. キリシタン禁教令[宗教]
情報・知識 imidas
1587年(天正15)、天下人豊臣秀吉(とよとみひでよし 1537?~98)は伴天連追放令(ばてれんついほうれい)を出し、宣教師の国外退去を命じた。さらに97
15. キリシタンきんせい【キリシタン禁制】
国史大辞典
(ごぼうのけいじ),→宗門改役(しゅうもんあらためやく),→南蛮誓詞(なんばんせいし),→伴天連追放令(バテレンついほうれい),→踏絵(ふみえ) [参考文献]姉
16. キリシタンじ【切支丹寺】
国史大辞典
信長は村井貞勝に命じ種々の便宜と保護を与えたことも評判を高からしめたことであろう。が、天正十五年豊臣秀吉の伴天連追放令に伴い、関西・肥前各地の五十三ヵ寺とともに
17. キリシタンの誕生[宗教]
情報・知識 imidas
15)、信長に代わって天下を治めた豊臣秀吉(とよとみひでよし 1537?~1598)による伴天連追放令(ばてれんついほうれい)が出され、キリシタンは迫害の時代を
18. きんせい【近世】 : 法
国史大辞典
同十年の甲信両州法度・関東制法十五箇条など、後者には同十三年・十四年の奉公人条令、同十五年の伴天連追放令、同十六年の刀狩令、同十九年の身分法令、文禄三年(一五九
19. 近世の日本・日本近世史 275ページ
東洋文庫
。第十章徳川氏のフィリッピン及墨西哥(メキシコ)交通、参照。「黒船の義は」云々というのは、伴天連追放令の第四条がそれで、その文は「黒船之儀は商買之事(に)候間、
20. 近世法
世界大百科事典
信長による法としては越前国掟(1573),安土城下楽市令,豊臣秀吉によるものとして百姓統制令(1586),伴天連追放令,刀狩令,人掃令,身分統制令,検地条目,大
21. クエリョ(Gaspar Coelho)
世界大百科事典
長に任命された。86年大坂城に豊臣秀吉を訪ね,翌年彼の九州征伐の凱旋を祝って博多に赴いたが伴天連追放令を突きつけられ,平戸で善後策協議のため宣教師会議を開いた。
22. コエリゥ【Gaspar Coelho】
国史大辞典
与えられて、その年の終り、あるいは十五年の初めごろ長崎に帰った。十五年秀吉は九州征伐の直後、突然伴天連追放令を発したので、早速善後策を協議して迫害を最小限にとど
23. コエーリョ(Coelho, Gaspar(Gaspard))
世界人名大辞典
ズス会施設を視察[86].秀吉の九州征討に際し箱崎で出迎えたが,宣教活動について詰問され,伴天連追放令を申し渡された[87].イエズス会士を平戸に集めて協議し,
24. こにしゆきなが【小西行長】画像
国史大辞典
ったキリストとマリアの画像を押し戴きこれに祈ったと伝えられる。これによっても、天正十五年に伴天連追放令が発せられた直後、一時キリシタン信仰に冷淡になりはしたが、
25. コレジヨ【Collegio】
国史大辞典
、西九州各地に転々と移動した。すなわち同年島津義久の豊後侵入により山口、同十五年豊臣秀吉の伴天連追放令により生月の山田、同年末から長崎、翌十六年千々石と有家、翌
26. 鎖国
世界大百科事典
豊臣政権も当初同じ態度を継承していたかにみえたが,1587年6月九州平定後5ヵ条からなるキリシタン禁令(伴天連追放令)を発し,宣教師が国郡の人民を信徒にして神社
27. サンタマリヤのおんくみ【さんたまりやの御組】
国史大辞典
キリシタンの信心講の一つ。豊臣秀吉の伴天連追放令発布により、今後予想される禁圧強化への対策として、バリニァーノが天正十八年(一五九〇)加津佐(長崎県南高来郡加
28. しょくほうせいけん【織豊政権】
国史大辞典
おいたポルトガルが仲介貿易をほぼ独占していた。秀吉は九州平定のとき長崎がイエズス会に寄進されているのを見て伴天連追放令を発し、長崎を直轄下に置き、貿易を認める一
29. すんぷせいけん【駿府政権】
国史大辞典
認めさせることに成功した。一方、慶長十七年三月岡本大八事件を契機にキリシタン布教を禁じ、翌年暮には伴天連追放令を秀忠の名をもって発布せしめた。大坂冬・夏の陣から
30. 聖フランシスコ・ザビエル全書簡 3 256ページ
東洋文庫
をラテン語で述べたもので、舶載印刷機を早速使用して印刷された。 使節はマカオに到着、日本で伴天連追放令が発せられたことを知り、二年間近く同地での滞在を余儀なくさ
31. セスペデス(Céspedes, Gregorio de)
世界人名大辞典
9]堺,高槻,大坂で司牧に当たる.G.コエーリョに同行して大坂城で豊臣秀吉に謁見[85].伴天連追放令によって平戸に避難.文禄の役には小西行長の招きにより朝鮮に
32. セミナリヨ【Seminario】
国史大辞典
天正十五年の豊臣秀吉の伴天連追放令により浦上・有馬へ移動した。(二)安土のセミナリヨも日本風の三階の建物で、天正十年の本能寺の変により高槻・大坂を経て、秀吉の伴
33. たいがいかんけいとこっかいしき【対外関係と国家意識】 : 織豊政権
国史大辞典
おいたポルトガルが仲介貿易をほぼ独占していた。秀吉は九州平定のとき長崎がイエズス会に寄進されているのを見て伴天連追放令を発し、長崎を直轄下に置き、貿易を認める一
34. たかくぐん【高来郡】長崎県:肥前国
日本歴史地名大系
半島南端部の口之津は大村湊より良港としてポルトガル船が入港、また唐人町も形成された。一五八七年の伴天連追放令に伴いイエズス会士はいったん平戸に結集したあと各地に
35. 高山右近
日本大百科全書
黒田孝高くろだよしたか父子などキリシタン大名の過半は、直接間接彼が信仰に導いたものである。 1587年7月、伴天連追放令に伴い、キリシタンの代表的人物として除封
36. 高山右近
世界大百科事典
の改宗に尽くし,小西行長,黒田孝高,蒲生氏郷など有力武将をキリスト教に導いた。87年秀吉の伴天連追放令発布のさい,信仰ゆえに除封され,加賀前田利家の下に身を寄せ
37. トルレス【Balthazar de Torres】
国史大辞典
院)、同十二年に大坂、つづいて六年間、金沢のレジデンシヤに居た。同十八年のキリシタン禁令と伴天連追放令の際、堺に隠れ、元和元年(一六一五)の大坂夏の陣のとき大坂
38. 内藤如安
世界大百科事典
如安は洗礼名ジョアンJoãoに由来する。丹波国八木の城主であったが,1587年(天正15)伴天連追放令のさい信仰を守って所領を捨て,キリシタン大名小西行長に仕え
39. ながさきまち【長崎町】長崎県:長崎市
日本歴史地名大系
ア、トードス・オス・サントス教会などが置かれていた。長崎町を直轄領とした家康は、慶長一八年伴天連追放令を発し、翌年には宣教師の追放と、教会施設の破却を主とする弾
40. 南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子 40ページ
東洋文庫
戦って来た秀吉は、彼の政権樹立後しばらくは信長の政策を  踏襲したが一五八七(天正十五)年に至って伴天連追放令を出した。その原因には種々の要  素が含まれている
41. 南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子 67ページ
東洋文庫
ついで弘安二(一二七九)  年元将萢文虎の使者を斬り、弘安の役となったことを指す。豊 秀吉の伴天連追放令に「伴天連儀日本之地にはおかせられ間敷候間、今日より廿
42. 南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子 97ページ
東洋文庫
結論的には確かにそういうことになり、熱心なキリ  シタン大名らは、その領内の寺社を破却した。それが秀吉の伴天連追放令に見るように、禁  制の一要因をなしたことも
43. 南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子 115ページ
東洋文庫
姉崎博士が宛てられたようにそのころ雲居とも称していたらしい。が、その署名は見当たらない。 その間、秀吉の伴天連追放令の発令(一五八七年)などもあったが、無事卒業
44. 南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子 177ページ
東洋文庫
解は問題である。  = 本地垂迹思想により作られた後代の伝説。  三 天正十五(一五八七)年の秀吉の伴天連追放令に見るように、「日本は神国たるところ」とや   
45. 南蛮貿易
世界大百科事典
ル人の長崎貿易は1638年(寛永15)までしか続かなかった。その間,1587年6月,博多で伴天連追放令を発令した豊臣秀吉は,貿易独占を意図して当時イエズス会の所
46. ニコラオ(Nicolao, Giovanni)
世界人名大辞典
に〈画家(pintor)〉の記載がある.有馬の修院で聖画像を描き,大坂に赴任[86].翌年伴天連追放令により西下し,有馬のコレジオに滞在[89].志岐の画学舎開
47. 日本史 5 キリシタン伝来のころ 41ページ
東洋文庫
歴の旅に随伴して下五畿内, 都の主要地点を訪れ,年内に 長崎に戻る 119(1587)秀吉の伴天連追放令発令 によりCoelhoと共に平戸か ら一時加津佐に退く
48. ノビシヤド【Noviciado】
国史大辞典
修練長に任命した。天正十四年の末、薩摩軍の豊後侵入のため修練者は山口へ避難し、天正十五年の伴天連追放令の際、生月島の山田(長崎県北松浦郡生月町山田免)へ移された
49. バリニャーノ(Alessandro Valignano)
世界大百科事典
た。82年彼の計画した天正遣欧使節とともに長崎出港。90年使節とともに再来日し,豊臣秀吉の伴天連追放令に対処するため第2回協議会を開催,使節の舶載した活字印刷機
50. パシオ【Francisco Pasio】
国史大辞典
本へ派遣され、七月二十五日に長崎に到着、その後、堺のレジデンシヤに属していた。天正十五年の伴天連追放令につき一応平戸へ赴き、同十六、七年にモレーラ神父と日本人修
「伴天連追放令」の情報だけではなく、「伴天連追放令」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

伴天連追放令と同じキリシタンカテゴリの記事
潜伏キリシタン(国史大辞典)
江戸幕府がキリスト教禁止令を出した慶長十八年(一六一三)から信仰を表明して復活した慶応元年(一八六五)までの約二百五十年間にわたり禁圧・迫害のため潜伏を余儀なくされたキリスト教信徒。宣教師の国外追放後も日本に残留潜伏した一部パードレ、イルマン
日本二十六聖人(日本大百科全書(ニッポニカ))
1597年2月5日(慶長元年12月19日)に長崎で豊臣秀吉の命令によって処刑されたカトリックの司祭、修道士、信徒。秀吉は1587年(天正15)に宣教師の国外追放を命じたが、イエズス会員は秀吉の感情を害さぬように慎重に行動したので、事態は穏便に経過していた。
シャビエル(フランシスコ・ザビエル)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五〇六-五二。スペイン人イエズス会士。キリスト教(ローマ=カトリック)を日本に最初に伝えた。古記録には「しびえる」(寛永ころの日繰、祝日表)、「ジャヒエル」(『契利斯督(キリスト)記』)、「サベイリウス」(『西洋紀聞』)と表記され
イエズス会(世界大百科事典・国史大辞典・日本大百科全書・集英社世界文学大事典)
カトリック教会内の司祭修道会の一つ。16世紀イグナティウス・デ・ロヨラによって創立された。耶蘇会とも書かれ,同会士はジェスイットJesuitとも呼ばれる。イグナティウスはマンレサの神体験後,パリ大学で出会った6人の同志P.ファーブル,ザビエル,D.ライネス,N.ボバディリャ
バテレン 【伴天連・破天連・頗姪連】(日本国語大辞典)
キリスト教が日本に伝来した当時の宣教師・神父に対する呼称。パーテレ。日本に伝来したキリスト教の俗称。また、その宗徒。バテレン宗。*俳諧・信徳十百韻〔1675〕「百姓等国の悪党数千人 伴天連吟味ありぬへら也」*放浪記〔1928〜29〕
キリシタンと同じカテゴリの記事をもっと見る


「伴天連追放令」は宗教に関連のある記事です。
その他の宗教に関連する記事
信教の自由(日本大百科全書・世界大百科事典)
宗教を信仰し、宗教上の行為を行う自由。宗教の自由ともいう。信教の自由は、宗教的権威から人間精神を解放することにより、近代の精神的自由の確立に大きな役割を果たした。また、信教の自由は、人間の魂の救済にかかわる自由として、精神的自由の源をなし、近代以来の
三宝絵詞(東洋文庫・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
平安中期,出家した尊子内親王に源為憲が献じた仏教入門書。表題には「絵」とあるが,絵は失われて詞書だけがのこる。本生譚,経典の功徳,仏教・年中行事などを内容とする。1990年01月刊
渓嵐拾葉集(国史大辞典・世界大百科事典)
叡山の光宗が応長元年(一三一一)から貞和四年(一三四八)にかけて叡山天台の行事・作法や口伝法門などを集録したもの。もと三百巻あったと伝えるが、現在は百十三巻。顕部・密部・戒部・記録部・医療部・雑記部の六部からなり、当時の天台の顕・密・禅・戒に関する
清水寺縁起(国史大辞典・日本大百科全書)
京都の清水寺の縁起で、同名の書が二種ある。その一は藤原明衡の作で一巻、康平七年(一〇六四)以後の成立と推定されるもの。宝亀九年(七七八)延鎮が山城国愛宕郡八坂郷東山の麓で観音を念ずる修行者行叡に逢って霊異を感得し、坂上田村麻呂と協力して延暦十七年
神道(国史大辞典・世界大百科事典)
神道とは、日本民族の神観念にもとづいてわが国に発生し、主として日本人の間に展開した伝統的な宗教的実践と、これを支えている生活態度および理念をいう。神道は、二、三の教派を別にすれば、教祖を持たない自然発生的宗教であり、主として日本人の間で行われている
宗教に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶