1. 藤原秀衡
日本大百科全書
古代末期東北の武将。清衡きよひらの孫、基衡もとひらの子。鎮守府将軍。陸奥守むつのかみに任ぜられて、平泉ひらいずみ政権を北方の独立王国の地位に高めるとともに、平氏
2. 藤原秀衡
世界大百科事典
1122-87(保安3-文治3) 平安末期の東北地方の武将。父は藤原基衡。1170年(嘉応2)5月25日鎮守府将軍,従五位下となり,81年(養和1)8月25日陸
3. ふじわら‐の‐ひでひら【藤原秀衡】
日本国語大辞典
平安末期の陸奥の豪族。出羽押領使基衡の子。平泉に館を構え、白河関以北を支配、鎮守府将軍となる。平氏滅亡後も頼朝に従わず、義経を庇護して屈せず、子泰衡に義経擁護を
4. ふじわらのひでひら【藤原秀衡】
国史大辞典
?―一一八七 平安・鎌倉時代前期の武士。奥州平泉藤原氏の三代目当主。保元二年(一一五七)、父基衡死去のあとをうけて、奥六郡の主となり、出羽・陸奥の押領使として
5. 藤原秀衡
日本史年表
1170年〈嘉応2 庚寅④〉 5・25 藤原秀衡 ,鎮守府将軍となる(兵範記)。 1187年〈文治3 丁未〉 10・29 没。
6. ふじわらの-ひでひら【藤原秀衡】
日本人名大辞典
1122−1187 平安時代後期の豪族。保安(ほうあん)3年生まれ。藤原基衡(もとひら)の子。母は安倍宗任(むねとう)の娘。奥州藤原氏の3代。鎮守府将軍となり,
7. 藤原秀衡[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:4件 【逐次刊行物】:4件 『平泉情史藤原秀衡』藤原相之助『奥州藤原氏四代』高橋富雄『中尊寺と藤原三代』板橋源『藤原秀衡』高橋崇『玉葉に見える藤原秀衡
8. 藤原秀衡(ふじわらひでひら)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1148ページ
9. あいかわむら【相川村】岩手県:一関市
日本歴史地名大系
牧野新内の家中一軒があり、道場に中地氏の家中屋敷があった。原沢の菅原神社は嘉応二年(一一七〇)藤原秀衡が袖野に勧請したという天神社で、弘治元年(一五五五)に木戸
10. あおそじんじゃ【青麻神社】宮城県:仙台市/旧宮城郡地区/岩切村
日本歴史地名大系
各地青麻神社の総本社ともいわれ、古来中風退除・海上安全の守神として崇敬を集めた。仁寿以来とされる鉄鏡一面、藤原秀衡時代の作とされる随身像二体を伝える。
11. あかいむら【赤井村】宮城県:桃生郡/矢本町
日本歴史地名大系
源頼義の東征の折治暦年中(一〇六五―六九)の勧請と伝える。弘安二年(一二七九)銘の板碑がある。また藤原秀衡の家臣照井太郎の勧請と伝える祇園社(現須賀神社)がある
12. あかつごむら【赤児村】宮城県:栗原郡/金成町
日本歴史地名大系
南東は藤渡戸村、西は普賢堂村と接する。上街道が南の畑村より村を縦断し一関(現岩手県一関市)に至る。村名は、藤原秀衡が当村に歌舞を命じたところ、春風という子供が容
13. あさひたてあと【朝日館跡】宮城県:本吉郡/志津川町/志津川村
日本歴史地名大系
水尻川沿いの標高約七〇メートルの高台に所在。「志津川村安永風土記」によると南北二五〇間・東西一五〇間。藤原秀衡支配時代には四男元良四郎高衡の居館であったが、同氏
14. 朝日長者
日本大百科全書
埋めたため、そこから金鶏きんけいの鳴き声が聞こえるという金鶏山、金鶏塚の伝説(たとえば岩手県平泉町の藤原秀衡ひでひらが埋めたと伝える金鶏山)も長者伝説と重なるも
15. あたか【安宅】
国史大辞典
がある。源義経(子方)は頼朝と不和になり、弁慶(シテ)その他の郎等(ツレ)を連れて奥州平泉の藤原秀衡のもとへ下ろうとする。一行は東大寺再建の勧進聖をよそおう作り
16. あとろいむら【安土呂井村】岩手県:水沢市
日本歴史地名大系
塁と空堀によって館が二分されていたことが注目される。岩淵氏系図に、文治年中(一一八五―九〇)藤原秀衡の臣照井太郎高直が築城して安土呂井城と称し、泰衡敗北ののち百
17. あらまきむら【荒巻村】宮城県:仙台市/旧宮城郡地区
日本歴史地名大系
占めた(仙台鹿の子)。それに伴い当村民は現在の荒巻に移されている。龍川院(現新寺二丁目)は平泉藤原秀衡の創建と伝え、仙台の地名由来ともいわれる千体仏を安置してい
18. あらやむら【荒谷村】宮城県:古川市
日本歴史地名大系
「吾妻鏡」建暦元年(一二一一)四月二日条によれば、宮沢村にあると考えられている小林新熊野社を建立した藤原秀衡は、元暦二年(一一八五)長岡郡内の荒野三〇町を寄進し
19. あんなかし【安中市】群馬県
日本歴史地名大系
人伊勢三郎義盛の屋敷跡などの伝承地がある。承安四年(一一七四)義経が京の鞍馬寺を脱出、奥州の藤原秀衡を頼って東下の途中、板鼻の義盛の家に投宿、主従の約を結んだと
20. いしのまきむら【石巻村】宮城県:石巻市
日本歴史地名大系
同袋谷地に曹洞宗袋谷山長林寺(本尊聖観音)がある。羽黒山山頂の村鎮守鳥屋神社は「勧請 鎮守府将軍藤原秀衡朝臣文治年中(中略)御神体ハ鳥形之自然石」と伝えるが(安
21. いずみ-ただひら【泉忠衡】
日本人名大辞典
1167−1189 鎌倉時代の武将。仁安(にんあん)2年生まれ。藤原秀衡(ひでひら)の3男。陸奥(むつ)平泉(岩手県)の泉屋にすむ。父の遺志をつぎ源義経を庇護。
22. いたいだむら【板井田村】秋田県:平鹿郡/大森町
日本歴史地名大系
(秋田風土記)、文政七年(一八二四)八三戸(雪の出羽路)。枝郷百目木村は古称を千苅田といい、藤原秀衡の伝説を残す神明社がある(雪の出羽路)。近辺の水田地は縄文土
23. いっ-すい【一睡】
全文全訳古語辞典
見れば)一睡の夢のような短いもので、総門の跡は一里ほど手前にある(ほど大きな構えであった)。藤原秀衡(の館)の跡は田畑や野原になって、(庭の築山にあたる)金鶏山
24. いとしろたいしどう【石徹白大師堂】岐阜県:郡上郡/白鳥町/中石徹白村
日本歴史地名大系
本堂は観音堂と称するが、本尊の銅造虚空蔵菩薩像を、聖観音菩薩像と誤解したことからの名という。なお本尊は藤原秀衡寄進と伝え、中尊寺の一字金輪仏と兄弟仏とされる。平
25. いわいがわ【磐井川】岩手県:一関市
日本歴史地名大系
証歌はない。厳美渓に代表されるように下流部は河床が低く、取水が難しかったため、明応二年(一四九三)藤原秀衡の旧臣の子孫と称する照井太郎らが当川の北岸の五串と南岸
26. 岩手(県)画像
日本大百科全書
物では坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ、安倍貞任あべのさだとう、源義家みなもとのよしいえ、藤原秀衡ふじわらのひでひら、それに義経や弁慶らに関するものが多く、地
27. 院政画像
日本大百科全書
菊池高直きくちたかなお追討の宣旨を下すにあたり、院庁から使者を派遣したこと、その翌々年奥州の藤原秀衡ふじわらのひでひらに源頼朝みなもとのよりとも追討の院庁下文を
28. いんのちょう【院庁】
国史大辞典
院庁より使者を大宰府管内に遣わして下知させ、また寿永二年(一一八三)には源義仲に平家追討の、藤原秀衡に源頼朝追討の院庁下文を発するなど(『吉記』)、活発な動きが
29. うすぎぬじょうあと【薄衣城跡】岩手県:東磐井郡/川崎村/薄衣村
日本歴史地名大系
大手門・搦手門の跡が残る。築城の時期は不明。城主は「仙台領古城書上」には千葉中務とある。初め藤原秀衡の家臣で帰化人の崑一禎の後裔(米倉氏)が当所に城を築き、薄衣
30. うすぎぬむら【薄衣村】岩手県:東磐井郡/川崎村
日本歴史地名大系
紀年のあるものでは寛永一七年のものが最も古い。柏木の旧気仙沼街道沿いにある笠マツは県指定天然記念物。古くは藤原秀衡の衣懸の松とよばれ、伊達政宗がこの松を仙台城内
31. うたつむら【歌津村】宮城県:本吉郡/歌津町
日本歴史地名大系
谷村(現志津川町)、南は清水浜(現志津川町)に接する。気仙道が南北に縦断する。村名の由来は、藤原秀衡の頃田束山に堂社が建立され、その卯辰の方向にあたるため村名と
32. 江の島
世界大百科事典
1182年(寿永1)4月僧文覚(もんがく)は江の島に大弁財天を勧請し供養を行った。源頼朝監臨のもとに藤原秀衡調伏を密々に祈願したものである。以後旱魃祈雨(かんば
33. えのしま【江の島】神奈川県:藤沢市/片瀬村地図
日本歴史地名大系
境川の土砂によって片瀬海岸とつながった陸繋島。「吾妻鏡」寿永元年(一一八二)四月五日条に、源頼朝が藤原秀衡調伏祈願のため、文覚が「江嶋」に弁才天を勧請したとあり
34. 奥州征伐
世界大百科事典
平泉の藤原泰衡を攻撃し,これを滅亡させた戦い。奥州藤原氏と源頼朝は早くから対立的であったが,藤原秀衡が源義経をかくまうに及んで,それは決定的なものとなった。泰衡
35. おうしゅうせいばつ【奥州征伐】
国史大辞典
頼朝は、自分に敵対するようになった弟義経を追跡して、かれが平泉にかくまわれていることをつきとめた。藤原秀衡が存命中は、頼朝もこれに強い圧力をかけることができなか
36. 奥州総奉行
世界大百科事典
陸奥国留守職に任命した。戦後処理がおさまった95年(建久6)頼朝は再び葛西・伊沢両氏に対して,故藤原秀衡の後家の庇護を命じたが,《吾妻鏡》はこれを〈両人は奥州惣
37. 奥州藤原氏
世界大百科事典
統率する地位にあった。その武家政権成立史上の意義も無視できない。→平泉文化大石 直正 藤原清衡 藤原秀衡 中尊寺 平泉町
38. おおかごむら【大籠村】岩手県:東磐井郡/藤沢町
日本歴史地名大系
地名は大野東人が東北遠征の折、神明社に三度祈って当地の賊加漢丸を破ったという神の加護によるとも、藤原秀衡が平泉より大駕籠に乗って当地に来たことにちなむとも伝える
39. おおとりじょうあと【大鳥城跡】福島県:福島市/旧飯坂町地区/上飯坂村
日本歴史地名大系
その東麓の舌状台地上に立地。築城年代・築城者などは不詳であるが、一説には保元二年(一一五七)藤原秀衡が同族の佐藤基治に命じて築城させたと伝え、大鳥の名は築城時に
40. おおみねむら【大嶺村】宮城県:遠田郡/田尻町
日本歴史地名大系
同郡佐沼(現登米郡迫町)に至る道が通る。当地南の大嶺山は「観蹟聞老志」に秀翠峯と記される。村名は藤原秀衡が大和国の大峰山に対して同山に奥羽の修験霊場を開いたこと
41. おざきじんじゃ【尾崎神社】岩手県:大船渡市/赤崎村
日本歴史地名大系
当村尾崎明神の三社をさすとある。いずれも海上での守護神として信仰されている。縁起によれば、養和元年(一一八一)藤原秀衡が二〇〇石を社領として寄進、以来葛西氏も天
42. 伽婢子 2 294ページ
東洋文庫
(二歳)、将来出 家を条件に助けられて鞍馬寺に預けられ、長ずる に及んで自ら元服し奥州平泉の藤原秀衡を頼って 下った(一六歳)。治承四年(=八〇)の頼朝 挙兵の
43. 伽婢子 2 312ページ
東洋文庫
中心であった。榎の島(十ノ6) 相模国鎌倉郡(神奈川県藤沢市 江の島)にある江の島。源頼朝の藤原秀衡調伏祈 願のため、文覚がこの地に弁財天を勧請したとあ り(『
44. 御守
世界大百科事典
のものがある。筒状の箱を錦でくるみ,さらに飾金具がつけられている。これに紐をつけ胸にかけた。藤原秀衡のミイラにも懸守がかけられていて,また《春日権現験記絵巻》の
45. おんぞうししまわたり【御曹子島わたり】
国史大辞典
子に収められているほか「島渡り」と題する絵巻物としても存する。内容は御曹子源義経が奥州平泉の藤原秀衡のもとにいるころ、千島という鬼のいる島の喜見城かねひら大王の
46. 御曹子島渡
世界大百科事典
御伽草子。渋川版の一つ。作者,成立年不詳。奥州藤原秀衡(ひでひら)のもとにいた御曹子義経は,蝦夷(えぞ)の千島喜見城に鬼の大王が大日の法という兵法書を所持してい
47. かくがんじむら【覚岸寺村】山形県:鶴岡市/青竜寺川・内川流域地区
日本歴史地名大系
鶴ヶ岡から酒田へ向かう道の西側にあたる。学岸寺村とも記される。伝承によれば、文治元年(一一八五)奥州平泉の藤原秀衡により当地に般若寺が建立され、付近の地三千貫文
48. かけばんむら【懸盤村】徳島県:那賀郡/木沢村
日本歴史地名大系
牛一四。「阿波志」によれば家数三九・人数一二〇、加州・府殿野・伏木・瀬津・日浦の五里があり、藤原秀衡の後裔と称する岩佐磯丞が居住していたという。文政七年(一八二
49. かさしまむら【笠島村】宮城県:名取市
日本歴史地名大系
道祖神社は明治七年(一八七四)佐倍乃神社と改称。「観蹟聞老志」によれば川内沢川の路傍に矢立杉という巨木があり、藤原秀衡上京のとき杉に矢を射て首途を祝ったという。
50. かすがむら【春日村】宮城県:宮城郡/利府町
日本歴史地名大系
多賀城の北の上野原にこれを祀ったと伝えている(のち小野田に移転、小野田を春日と改称と伝える)。その後、藤原秀衡が新たに社殿を造営し、伊沢家景が陸奥留守職として下