1. 平将門画像
日本大百科全書
平安中期の関東の武将。桓武かんむ平氏高望たかもちの孫。父は鎮守府将軍良持よしもちまたは良将よしまさとも伝え、母を犬養春枝いぬかいのはるえだの娘とするものもある。
2. 平将門
世界大百科事典
?-940(天慶3) 平安中期の武将。桓武平氏上総介平高望の孫。父は鎮守府将軍,良持あるいは良将と伝える。《尊卑分脈脱漏》によると,母は犬養春枝の娘。その行動は
3. たいら‐の‐まさかど【平将門】
日本国語大辞典
本拠として勢力をふるい、父の遺領問題などから承平五年(九三五)伯父国香らを殺し、天慶二年(九三九)「平将門の乱」を起こす。関八州の支配を企て、常陸・上野・下野の
4. たいらのまさかど[たひらのまさかど]【平将門】
日本国語大辞典
大正一四年(一九二五)発表。昭和二年(一九二七)東京本郷座初演。伯父国香、従弟貞盛らを殺したことによる平将門の苦悶(くもん)と、平家一門の策略、復讐(ふくしゅう
5. たいらのまさかど【平将門】
国史大辞典
天慶三年二月十四日条、福田豊彦『平将門の乱』(『岩波新書』黄一六八)、林陸朗『史実平将門』、同編『論集平将門研究』、北山茂夫『平将門』(『朝日評伝選』三)、赤城
6. たいらの-まさかど【平将門】
日本人名大辞典
?−940 平安時代中期の武将。平高望(たかもち)の孫。平良将(よしまさ)(良持とも)の子。下総(しもうさ)北部を本拠地として父の遺領争いなどから一族と抗争をく
7. たいらのまさかど【平将門】
日本架空伝承人名事典
→滝夜叉、→俵藤太[梶原 正昭]また天慶三年正月廿二日、横川において、坂東の賊の首(かしら)、平将門を調伏せむがために、二七日を限りて、大威徳法を修せり。将門弓
8. 平将門[文献目録]
日本人物文献目録
上横手雅敬『平将門』内山正居『平将門』田口卯吉『平将門』露伴道人『平将門が陣屋の遺跡と守本尊』古賀良造『平将門研究史』林陸朗『平将門号』-『平将門伝説と妙見信仰
9. 平将門(著作ID:273814)
新日本古典籍データベース
たいらのまさかど
10. 平將門住宅之礎 (見出し語:平將門)
古事類苑
居處部 洋巻 第1巻 966ページ
11. 平將門僭越 (見出し語:平將門)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 638ページ
12. 平將門叛逆 (見出し語:平將門)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1595ページ
13. 平將門驕慢 (見出し語:平將門)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 631ページ
14. 平将門の乱
世界大百科事典
10世紀に関東で起きた反乱事件。同時に西海で起こった藤原純友の反乱とともに〈承平・天慶の乱〉,あるいは〈天慶の乱〉ともいう。下総北部を地盤としていた将門は,93
15. たいらのまさかど‐の‐らん[たひらのまさかど‥]【平将門乱】
日本国語大辞典
平安中期、関東で起こった反乱。一族争いで伯父の国香を殺害した平将門は天慶二年(九三九)常陸、下野、上野などの国府を襲撃して朝廷に反抗するようになり、自ら新皇と称
16. たいらのまさかどのらん【平将門の乱】 : 承平・天慶の乱
国史大辞典
〔平将門の乱〕 関東地方では、九世紀中葉以降、国司として下向した中央貴族が、在地の郡司などの豪族と婚姻関係を結び、土着して勢力をふるう傾向が著しく、彼ら相互の
17. 平将門の乱
日本史年表
935年〈承平5 乙未〉 2・‐ 平将門、伯父の常陸大掾平国香・前大掾源護と対立.国香を殺害し、野本の戦いで護の子扶・隆・繁らを殺害、国香方の拠点を焼き打ちする
18. 平将門退治図会(著作ID:1067432)
新日本古典籍データベース
たいらのまさかどたいじずえ 将門退治図会 松亭金水(しょうていきんすい) 編 葛飾北斎一世(かつしかほくさい1せい) 柳川重信二世(やながわしげのぶ2せい) 歌
19. あおいじんじや【青渭神社】東京都:青梅市/沢井村地図
日本歴史地名大系
る説がある。「風土記稿」には「抑当社ハ延喜式神名帳ニ載ル所ニシテ祭神ハ大己貴尊ト云」とあり、平将門追討のため下向してきた源経基の前に藍色に変色した多摩川から現れ
20. あかぎ-むねのり【赤城宗徳】画像
日本人名大辞典
官房長官をつとめた。日ソ親善協会会長。平成5年11月11日死去。88歳。東京帝大卒。著作に「平将門」「わが百姓の記」など。【格言など】同胞相食(は)む始末になっ
21. あかはまむら【赤浜村】茨城県:真壁郡/明野町
日本歴史地名大系
われる。承和寺は承和元年(八三四)慈覚大師円仁によって創建されたが、承平五年(九三五)源護と平将門が衝突した際に焼失し、観応二年(一三五一)に河内郡黒子村(現関
22. あかぼっけむら【赤法花村】茨城県:北相馬郡/守谷町
日本歴史地名大系
[現]守谷町赤法花 小貝川南岸の平坦地に所在。南は奥山新田村。「北相馬郡志」に「平将門承平年間、森屋に城廓を築き城内より眺望するに唐土の赤壁を見るが如し、因て執
23. あきとみじんじゃ【飽富神社】千葉県:袖ケ浦市/飯富村地図
日本歴史地名大系
神とみえ、従五位上勲五等から正五位下に、さらに同八年七月一五日条では正五位上に昇叙している。平将門の乱では朱雀天皇の勅使が来て乱鎮定の祈願が行われ、太刀の献納が
24. あくみかんべ【飽海神戸】愛知県:豊橋市/飽海村
日本歴史地名大系
また建久已下古文書(神宮文庫蔵)に「新神戸二宮去天慶三年依勅願被奉寄」とあって、天慶三年(九四〇)に設定され、平将門追討の報賽にかかるものと思われる。この神戸の
25. あくみかんべしんめいしゃ【安久美神戸神明社】愛知県:豊橋市/吉田城下/神明小路
日本歴史地名大系
[現]豊橋市八町通三丁目 祭神天照大神ほか七柱。吉田神明宮とも称した。天慶三年(九四〇)平将門の乱平定に際し、朝廷は報賽のため飽海郷の一部を伊勢神宮に献じた。こ
26. 明野(茨城県)
日本大百科全書
。小貝こかい川と桜川に挟まれ、筑波つくば台地の北部に位置する。承平じょうへいの乱(935)で平将門まさかどと争った平国香くにかの居館跡がある。また、松島の瑞厳ず
27. あさくさしばざきちよう【浅草芝崎町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
往古は天台宗で了円により芝崎村に創建され、それより一〇〇余年後の承平の乱後所縁の者により同所に平将門の墳墓が築かれた。しかしその後墳墓は荒廃し、将門の亡霊が祟り
28. あざぶさんげんやちよう【麻布三軒家町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
橋名由来も目黒不動霊験譚らしい姫下坂につながる、白金・青山両長者の子息たちの邂逅説話(故郷帰の江戸噺)、平将門の乱に関する源経基通過伝説(「江戸砂子」「江戸鹿子
29. あしかがし【足利市】栃木県
日本歴史地名大系
て」贈っており、鎌倉中期より足利の染物は世に知られていた。市域には、行基の開山という浄因寺や平将門調伏を伝える鶏足寺などの古刹とともに、鑁阿寺をはじめとした足利
30. あしがらとうげ【足柄峠】静岡県:駿東郡/小山町/竹之下村
日本歴史地名大系
行する過所(手形)を必要とした(同年九月一九日「太政官符」類聚三代格)。「将門記」によると、平将門は足柄・碓氷の両関を防御して坂東に独立国をうちたてようとする構
31. 足柄関
世界大百科事典
稍絶〉と報告している。この関の通過には諸司諸国発行の過所(関所通行の許可書)が必要であった。平将門が“新皇”と称して坂東に君臨した際には,足柄・碓氷の二関が固め
32. あしがらのせき【足柄関】
国史大辞典
翌三年相模国の申請で過所によって通行を認めるように定めている。『将門記』には、天慶二年(九三九)平将門が坂東を守るには足柄・碓氷の二関を固めればよいといったこと
33. あしがらのせき【足柄関】神奈川県:南足柄市/矢倉沢村地図
日本歴史地名大系
により過所をもって通行を認めるよう定められた。「将門記」によれば天慶二年(九三九)に蜂起した平将門は坂東への朝廷軍の来攻に対して足柄・碓氷の二関の固守を命じたと
34. あしづむら【蘆津村】鳥取県:八頭郡/智頭町
日本歴史地名大系
置し、集落はおもに北岸に形成されている。葦津とも書き、枝村に倉谷・堂本などがある(因幡志)。平将門の乱後、将門に味方した大呂・綾木・寺谷・中内の四氏が落人となっ
35. あずさわむら【小豆沢村】東京都:板橋区地図
日本歴史地名大系
中山道が通る。当村の龍福寺薬師の縁起によると、かつて荒川の入江の傍らに七々子崎という湊があり、平将門が東国を押領していた頃に貢ぎ物の小豆を積んだ船がこの入江に沈
36. あずまひゃっかん【東百官】
国史大辞典
れたので、これらを令制の官名や百官名と区別して東百官と呼んだ。なお俗説に、東百官は平安時代に平将門が関東で自立を企てた時に制定したといわれ、相馬百官とも呼ばれた
37. あそじんじや【阿蘇神社】東京都:羽村市/羽村地図
日本歴史地名大系
ほかに九座の配祀がある。社記によると、推古天皇九年(六〇一)の創建と伝える。一説に承平年間(九三一―九三八)平将門が造営したとも、将門を討った藤原秀郷が再興した
38. あたごじんじゃ【愛宕神社】茨城県:北相馬郡/守谷町/守谷町
日本歴史地名大系
西林寺南方に鎮座。祭神軻遇突智命。配神奥津彦神・奥津彦姫命神。旧村社。天慶年間(九三八―九四七)平将門が創建したと伝えられる。三代守谷藩主土岐頼行が再建。毎年旧
39. あだちく【足立区】東京都地図
日本歴史地名大系
立遠元は、頼朝から足立郡郷支配を承認された(「吾妻鏡」同年一〇月八日条)。足立氏は一〇世紀の平将門の乱に登場する足立郡司武蔵武芝の後裔と推定され、古代末期から同
40. あだちぐん【足立郡】
国史大辞典
う記事である。『西角井系図』によると、西角井家は、大化改新以来代々足立郡の郡司の家であった。平将門の乱に活躍する「足立郡司判官代」の武芝は、不破麻呂の後裔である
41. あだちぐん【足立郡】埼玉県:武蔵国
日本歴史地名大系
」に記されていることも、武蔵宿禰一族が中央と深くかかわっていたことを裏付けている。一〇世紀に平将門と行動をともにする足立郡司武蔵武芝もこの一族につながり、武芝は
42. あなぼらむら【穴洞村】岐阜県:郡上郡/高鷲村
日本歴史地名大系
。明治八年正ヶ洞村など三ヵ村と合併して大鷲村となる。当地にあった白山神社は、下総国の平良忠が平将門の乱を逃れ、当地に居住して創建したという。
43. あねさきじんじゃ【姉崎神社】千葉県:市原市/姉崎村地図
日本歴史地名大系
正五位下を授けられた。同八年には正五位上となっている(同書同年七月一五日条)。天慶三年(九四〇)平将門の乱では将門降伏の祈願を修したため、朱雀天皇より剣一口が奉
44. 我孫子[市]
世界大百科事典
が急増している。台地に子の神山古墳群(60基)があり,湖北駅近くに将門の石井戸や将門神社など平将門に関する史跡が多い。明治~昭和初期には南に手賀沼を望むこの地を
45. あまぎゆがしまちょう【天城湯ヶ島町】静岡県:田方郡
日本歴史地名大系
伊豆国で造らせた船を枯野船といい、当町軽野神社付近で造られたと伝承される。天慶三年(九四〇)平将門の乱で功績のあった藤原為憲が駿河守に任じられ、狩野氏など子孫が
46. 荒俣宏
日本大百科全書
図鑑、読書日記……とありとあらゆるジャンルの研究成果が報告されている。 また帝都東京の大地霊平将門の怨霊を呼び覚ますことにより、東京に大崩壊をもたらそうとする魔
47. あわのくに【安房国】千葉県地図
日本歴史地名大系
紛争事件を引起すことが少なくなかったが、その最大のものは承平・天慶の乱を起こした下総国の住人平将門であろう。安房国とこの乱との関係は不明であるが、「将門記」によ
48. あんらくじ【安楽寺】茨城県:龍ケ崎市/河原代村
日本歴史地名大系
文で、四分の三は高割、残りは戸数割で河原代村全戸に割当てられている。なお当寺の近くの供養塔は平将門に敗れた平国香のものといわれる。
49. いいぶちむら【飯淵村】茨城県:西茨城郡/岩瀬町
日本歴史地名大系
その他一であった。香取前に旧村社香取神社があり、万治二年と享保一二年(一七二七)に社殿を再建。また堂の入に平将門の墓と伝える五輪塔がある。
50. いいやまむら【飯山村】栃木県:宇都宮市
日本歴史地名大系
市市)、東は篠井村、南は小池村と接する山村で、形は茄子に似て北は細く南が丸い。承平の乱に際し平将門が当地を兵糧所となしたため飯盛山と称し、これが村名となったと伝