NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文化
  6. >
  7. >
  8. 五節供
  9. >
  10. 上巳

上巳

ジャパンナレッジで閲覧できる『上巳』の日本国語大辞典のサンプルページ

日本国語大辞典

じょう‐し[ジャウ‥] 【上巳】

解説・用例

〔名〕

五節供の一つ。三月三日の称。古く中国で、はじめ三月の初めの巳(み)の日を上巳とよび、魏晉以後は三月三日を上巳として、みそぎをして不祥を払う行事が行なわれたのにならって、日本でも朝廷・貴族の行事として三月三日に川辺に出て、はらえを行ない、宴を張る(曲水の宴)ならわしであった。また、民間では古くから婦女子の祝い日として草餠・桃酒・白酒などを食したが、のちこの日にひな祭をするようになった。桃の節供。重三(ちょうさん)。じょうみ。《季・春》

*懐風藻〔751〕「背奈王行文。二首。〈略〉五言。上巳禊飲、応詔。一首」

*万葉集〔8C後〕一七・晩春三日遊覧詩序文「上巳名辰暮春麗景 桃花昭〓瞼以分〓紅〈大伴池主〉」

*明衡往来〔11C中か〕上本「来三日相〓当上巳〓、聊会〓知己〓〓〓佳時〓云々」

*運歩色葉集〔1548〕「上巳 じゃうシ 始作〓三月三日之遊〓時日適当〓上巳〓故至〓今呼〓此辰〓〓上巳〓也」

*木因宛芭蕉書簡‐天和二年〔1682〕三月二〇日「上巳 袖よごすらん田螺の蜑の隙をなみ」

*諸国風俗問状答〔19C前〕紀伊国和歌山風俗問状答・三月・四四「雛をまつるには、二月末より上巳迄に祭る」

*周礼注‐春官・女巫「(祓除釁浴)歳時祓除、如〓今三月上巳、如〓水上〓之類〓

*後漢書‐礼儀志上「是月上巳、官民皆〓〓於東流水上〓曰洗濯祓除、去宿垢〓、為大〓

発音

ジョーシ

〓[ジョ]〓[0]

辞書

下学・文明・伊京・天正・饅頭・黒本・言海

正式名称と詳細

表記

上巳下学文明伊京天正饅頭黒本言海


上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


上巳の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 507
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. じゃう-し【上巳】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕「五節句」の一つ。陰暦三月初めの巳の日。平安時代の貴族達は禊祓をして不吉なものを祓い、「曲水の宴」を行った。後世は陰暦三月三日の称となり、民間では女子の
2. じゃう-み【上巳】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕⇒じゃうし
3. じょう‐し[ジャウ‥]【上巳】
日本国語大辞典
〔名〕五節供の一つ。三月三日の称。古く中国で、はじめ三月の初めの巳(み)の日を上巳とよび、魏晉以後は三月三日を上巳として、みそぎをして不祥を払う行事が行なわれた
4. じょうし【上巳】
国史大辞典
『源氏物語』須磨でも、上巳の祓を須磨の海岸で源氏が行い、人形を海に流している。また、幼女の遊びとしての小さな人形とこの上巳の祓の人形とが結合して、のちの雛祭の雛
5. 上巳(じょうし)
古事類苑
歳時部 洋巻 第1巻 1077ページ
6. じょう‐み[ジャウ‥]【上巳】
日本国語大辞典
外侮防禦も六ケ敷或は上巳(ジャウミ)上元等の種々の禍変も生ずれば」*風俗画報‐一五七号〔1898〕三月「上巳(ジャウミ)とは本と上の巳の日なり。夫(それ)を三月
7. 【上巳】じょう(じゃう)し
新選漢和辞典Web版
陰暦三月の最初の巳(み)の日の節句。俗に「じょうみ」という。桃の節句。のち、三月三日になった。
8. 上巳(著作ID:4373816)
新日本古典籍データベース
じょうし 俳諧 
9. 上巳(著作ID:4373817)
新日本古典籍データベース
じょうし 俳諧 正徳五
10. 上巳(著作ID:1083085)
新日本古典籍データベース
じょうみ 謡曲 
11. じょうし【上巳】[標準語索引]
日本方言大辞典
/ さがさにち / さがさんち / さんがさんにち / さんがつぃさんにち結婚後最初のじょうし:上巳の節句の宴よめぜっく / よめばつ
12. 上巳の節句(じょうしのせっく) 【12か月のきまりごと歳時記】
生活便利帳
3月3日の桃の節句のこと。3が重なることから重三(ちょうさん)とも言われる。古代中国では旧暦3月の最初の巳の日を上巳といい、この日に川で穢れを浄め、邪気を祓う風
13. じょうし の 節(せつ)
日本国語大辞典
「じょうし(上巳)」に同じ。*空華日用工夫略集‐康暦元年〔1379〕三月四日「蓋三島暦以〓是日
14. じょうし の 祓(はらえ)
日本国語大辞典
。じょうみの祓。*紫明抄〔1267~94〕九「三月上巳祓事〈略〉又祓事其義説如何、上巳祓也」*看聞御記‐応永二六年〔1419〕三月一二日「上巳祓、撫
15. 上巳禊(じょうしみさぎ)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 693ページ
16. じょうみ の 祓(はらえ)
日本国語大辞典
「じょうし(上巳)の祓」に同じ。
17. 上巳恠騒記(著作ID:1246453)
新日本古典籍データベース
じょうしかいそうき 雑史 
18. 上巳紅雪(著作ID:4389420)
新日本古典籍データベース
じょうしこうせつ 記録 
19. 上巳桜田ちょぼくれ(著作ID:444031)
新日本古典籍データベース
じょうしさくらだちょぼくれ 新板/上巳桜田ちょぼくれ 歌謡 
20. 上巳雪降之記(著作ID:4362676)
新日本古典籍データベース
じょうしゆきふりのき 峯嶠(ほうきょう) 漢文 
21. 上巳六題(著作ID:2987237)
新日本古典籍データベース
じょうしろくだい 雑記 
22. 享保六年上巳以来院御着到百首草(著作ID:4375977)
新日本古典籍データベース
きょうほうろくねんじょうしいらいいんごちゃくとうひゃくしゅそう 和歌 
23. 庚申上巳風聞(著作ID:4372099)
新日本古典籍データベース
こうしんじょうしふうぶん 記録 安政七
24. 万延元申上巳珍変記(著作ID:251127)
新日本古典籍データベース
まんえんがんさるじょうしちんぺんき 雑記 
25. 桜田の淡雪(著作ID:440700)
新日本古典籍データベース
さくらだのあわゆき 安政七つの申上巳の節句桜田淡雪風説 記録 
26. 神社上巳 (見出し語:神社)
古事類苑
歳時部 洋巻 第1巻 1090ページ
27. 朝廷上巳 (見出し語:朝廷)
古事類苑
歳時部 洋巻 第1巻 1079ページ
28. 天制水録集(著作ID:4383396)
新日本古典籍データベース
てんせいすいろくしゅう 安政七庚申上巳/天制水録集 天制風説 
29. 幕府上巳 (見出し語:幕府)
古事類苑
歳時部 洋巻 第1巻 1083ページ
30. あいぎ【間着】
国史大辞典
赤色の綸子・縮緬の類を用いる。上巳は間白(あいしろ)で、白縮緬の紅裏(もみうら)一領をつける。四月からは打掛をつけず、白重ねの袷で付帯とする。五月から単(ひとえ
31. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 103ページ
東洋文庫
年三月三日死日本海軍成臨丸水夫讃岐国源之助」と刻された碑が建ってるる。(三月二日の死であ  るが翌日は我上巳の節句に当るので殊更其日を命日としたといふ。)之は桑
32. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 106ページ
東洋文庫
此地に上陸して私たちの先づ第一に耳を撃つた事は、威臨丸がメア・アイランドに廻航した日、即ち三月三日上巳の節句に当り、大老井伊掃部頭が雪中桜田門外に兇徒の為めに暗
33. 秋山記行・夜職草 224ページ
東洋文庫
三五節五節句、毎年五度の節句。正月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)をいう。てじゃうじゆん六手鎖又ハ牢者手鎖は
34. 秋山記行・夜職草 258ページ
東洋文庫
こいへすぐとほり〔よ〕(注一五)じゃうし(注宍)かしこは小房と直通こそ、じゅさいが必ずあるものなり。しかしながら上巳の礎よりは裏町などは轟く略し候なり。ゆたかな
35. 秋山記行・夜職草 286ページ
東洋文庫
客の来往が盛であった。〔よ〕一五じゅさい「じょさい」の方言。うっかりすること。油断。じゃうし宍上巳の礼「じょうし」また「じょうみ」。五節句の一。旧暦三月初の巳(
36. アサツキ画像
日本大百科全書
酢の物にする。また、なまのまま刻んで薬味にもする。鱗茎はラッキョウと同様、甘酢に漬ける。古来、上巳じょうしの節句(陰暦3月3日)には、アサツキをアサリのむきみな
37. いっ‐ぽう【一峰】
日本国語大辞典
前秀而麗、云是長命古仏龕」*陳後主‐上巳宴麗暉殿詩「一峰逢落〓日、数花飛映
38. いつつ の 節(せち)
日本国語大辞典
一年五度の節供。人日(じんじつ=正月七日)、上巳(じょうし=三月三日)、端午(たんご=五月五日)、七夕(しちせき=七月七日)、重陽(ちょうよう=九月九日)をいう
39. 妹背山婦女庭訓(浄瑠璃集) 389ページ
日本古典文学全集
「亭チン 呼ブ所唐音◯本朝ノ俗ニ楼ヲ謂テ亭ト為ス。又云鈎殿」(書言字考節用集)。三月三日に行われる上巳の節句。「およそ五節供の内、今月婦女これを重んず」(日次記
40. いわながむら【岩永村】山口県:美祢郡/秋芳町
日本歴史地名大系
をした。さらに同書は「山中辺鄙に付風俗も他に異なり」とし、大田・秋吉隣村の真似を仕、正月雑煮・上巳の菱餅・端午の笹巻・七夕餅・中元の赤飯・八朔の祝ひなど凡之真似
41. 浮世親仁形気(浮世草子集) 547ページ
日本古典文学全集
いっている。見積り。計算。→五二〇ページ注一三。季節の変り目などに祝いをする日。人日(一月七日)・上巳(三月三日)・端午(五月五日)・七夕(七月七日)・重陽(九
42. 絵合(源氏物語) 379ページ
日本古典文学全集
ぽく続けられる。絵巻物の芯にする木などの軸。絵巻物の表紙。巻物を巻いてしばる紐。弥生(三月)は、上巳の祓(月初めの巳の日)、石清水臨時祭(中の午の日)があるくら
43. 栄花物語 377ページ
日本古典文学全集
競う遊戯。中国から伝わり、早くは『日本書紀』雄略紀にみえる。平安時代に入って盛んになり、やがて三月三日上巳の節句の行事として定着した。ここの花山院の鶏合に関
44. 江戸近郊道しるべ 171ページ
東洋文庫
今日は間べき人もなく、日もたけたれば空しく帰る、いとのこり惜 谷古田峯村八幡宮路程方位略 文政上巳卯九月廿五日正靖図(二〇九、一=○頁) 頭書 一 靖重て或人の
45. 江戸小咄集 1 73ページ
東洋文庫
月(一)「石部金吉かな兜」とて固い一方、笑いを忘れた人の擬名 (二)一月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)をい
46. 江戸繁昌記 1 236ページ
東洋文庫
打って、通報する。男客は一つ、女客は二つ打つ (天)五節 年五度の節句。正月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)
47. 江戸繁昌記 2 51ページ
東洋文庫
第一冊、二一六頁、注一参照(茜)五節銭五節句に徴収した祝銭。五節句は、一月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)を
48. 江戸繁昌記 3 223ページ
東洋文庫
「大将酔へり、官酔へり。江辺に散歩し興を拾は父則ち箇ならん」と。遂に財主を擁籏して梯を下る。恰も好し、三月上巳、洲崎の瀕潮退くこと殊に遠し。遊客陸続、人影路に載
49. 榎本弥左衛門覚書 近世初期商人の記録 90ページ
東洋文庫
古上下・古着物・羽二重井絹紬、大小亦可為巨持、新敷 服・劔刀・金銀ヲ用儀一切停止二存之事。  但シ、年始・謡初・上巳・端午・七夕・八朔・重陽・玄猪之刻者依為別祝
50. 榎本弥左衛門覚書 近世初期商人の記録 95ページ
東洋文庫
五 上巳 五節句の一。陰暦三月初めの巳の日、のちに三月三日。主に女児の祝う節句で、雛祭 をする。六 端午 端は初めの意。もともと中国で月の初めの午の日。のち午と
「上巳」の情報だけではなく、「上巳」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

上巳と同じ五節供カテゴリの記事
七夕(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
7月7日あるいはその前夜の行事。本来は陰暦で行っていたが、現在は陽暦の7月7日に行う所が多い。東北地方などでは月遅れの8月7日に行っている。七夕は織女祭、星祭などともいい、中国伝来の行事と、日本古来の伝承、さらに盆行事の一環としての行事など、さまざまな要素が入り混じって今日に伝承されている
七草(世界大百科事典・日本国語大辞典・日本大百科全書・国史大辞典)
七種とも書き,春の七草と秋の七草がある。春の七草〈せり,なずな,ごぎょう,はこべら,ほとけのざ,すずな,すずしろ,これや七草〉とうたわれたように,これらを春の七草と称し,この,ごぎょうはハハコグサ,はこべらはハコベ,ほとけのざはタビラコ,すずなはカブ,すずしろは大根とされる
重陽(世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
9月9日の節供。陽数(奇数)の極である9が月と日に重なることからいい,重九(ちようきゆう)ともいう。中国行事の渡来したもので,邪気を避け,寒さに向かっての無病息災,防寒の意味もあった。菊花宴ともいい,685年(天武14)を起源とするが,嵯峨天皇のときには,神泉苑に文人を召して詩を作り,宴が行われていることが見え
端午(改訂新版・世界大百科事典)
中国にはじまり,朝鮮,日本でも行われる旧暦5月5日の節供。中国 蒲節,端節,浴蘭節などともいう。〈端〉は〈初〉の意味で,元来は月の最初の午の日をいった。十二支の寅を正月とする夏暦では,5月は午の月にあたり,〈午〉が〈五〉に通じることや陽数の重なりを重んじたことなどから,3世紀,魏・晋以後
節供(句)(改訂新版・世界大百科事典)
年中行事を構成する日。年に何回かある重要な折りめのことで,基本的には神祭をする日である。迎えた神に神饌を供して侍座し,あとで神人共食することによってその霊力を身につけようとするもので,氏神祭や正月,盆も重要な節供といえよう。小豆粥を食べる正月15日を粥節供,あとで神人共食することによって
五節供と同じカテゴリの記事をもっと見る


「上巳」は文化に関連のある記事です。
その他の文化に関連する記事
雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
七世市川団十郎が制定した一八の演目をいう。七世団十郎は、天保三(1832)年三月海老蔵に八世団十郎を襲名させ、自身は海老蔵と改名した時に配った刷り物で、「歌舞妓狂言組十八番」と題して一八種の名目を掲げた。その後、天保一一年《勧進帳》の初演に際し
日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
邦舞ともよび、西洋舞踊(洋舞)と大別される。広義には、舞楽(ぶがく)、能(のう)、歌舞伎(かぶき)舞踊(古典舞踊)、新舞踊、創作舞踊、民俗舞踊(郷土舞踊)などをいう。狭義には、これらのうち一般的によく知られている歌舞伎舞踊をいうことが多い。「舞踊」と
歌舞伎舞踊(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
寿狂言(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
江戸の劇場の中村座・市村座・森田座に伝承された祝言儀礼的狂言のこと。家狂言ともいう。江戸時代の歌舞伎の興行権は、幕府が座元(太夫元)個人に与えた特権であった。江戸三座の座元は世襲であったので、その権威も特に大きく、各座では、由緒正しい家を誇り格式を
文化に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶