1. 源実朝画像
日本大百科全書
鎌倉幕府第3代将軍。源頼朝よりともの二男。母は北条政子ほうじょうまさこ。幼名千幡せんまん。1203年(建仁3)北条時政ときまさが2代将軍頼家よりいえを倒したとき
2. 源実朝
世界大百科事典
1192-1219(建久3-承久1) 鎌倉幕府第3代将軍。歌人。1192年8月9日源頼朝と北条時政女政子の次男として鎌倉に生まれた。幼名を千幡(万)(せんまん)
3. みなもと‐の‐さねとも【源実朝】
日本国語大辞典
鎌倉幕府三代将軍。頼朝の二男。母は北条政子。幼名千幡。一二歳のとき頼家が追放されたあとを継いで将軍となったが、実権は北条氏が握っていたので、官位の昇進だけをのぞ
4. みなもとのさねとも【源実朝】
全文全訳古語辞典
[人名]鎌倉幕府の第三代将軍。一一九二年(建久三)~一二一九年(建保七)。父は頼朝、母は政子。十二歳で将軍となり、後には右大臣となったが、甥の公暁のために鎌倉の
5. みなもとのさねとも【源実朝】画像
国史大辞典
八六)、川田順『源実朝』、斎藤茂吉『源実朝』(『斎藤茂吉全集』三三)、竜粛『鎌倉時代』上、中野孝次『実朝考』、小林秀雄『無常といふ事』(『小林秀雄全集』八)、鎌
6. 源実朝
日本史年表
り, 源実朝 を征夷大将軍に補任(猪隈関白記)。 1218年〈建保6 戊寅〉 12・2 源実朝 を右大臣に任じる(公卿補任)。 1219年〈承久元(4・12)
7. みなもとの-さねとも【源実朝】
日本人名大辞典
1192−1219 鎌倉幕府3代将軍。在職1203-19。建久3年8月9日生まれ。源頼朝の子。母は北条政子。北条氏に擁立されて建仁(けんにん)3年将軍となるが,
8. 源実朝[文献目録]
日本人物文献目録
井晃義『源実朝』上田英夫『源実朝』上田英夫『源実朝 1‐2』上田三四二『源実朝』岡本潤『源実朝』鶴陰居士『源実朝』片野四郎『源実朝』斎藤茂吉『源実朝』藤川忠治『
9. 源實朝爲二征夷大將軍一 (見出し語:源實朝)
古事類苑
官位部 洋巻 第2巻 658ページ
10. 源實朝遭レ害 (見出し語:源實朝)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 517ページ
11. 中世和歌集
日本古典文学全集
藤原定家や京極派の歌人などの、中世を代表する和歌をおさめる。収録する和歌集(部分収録)は、鎌倉3代将軍源実朝の私家集『金槐和歌集』、勅撰集の『千載和歌集』(7番
12. 源実朝花押[図版]画像
国史大辞典
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13. 小倉百人一首(93) 歌人/源実朝(鎌倉右大臣)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
ぎさこぐ あまのをぶねのつなでかなしも定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/よのなかは源実朝みなもとのさねとも(鎌倉右大臣かまくらのうだいじん)菱川師宣ひ
14. あいくおうじ【阿育王寺】
国史大辞典
育王禅寺と改め禅宗五山の第五とした。『平家物語』に平重盛が育王山(いおうさん)に黄金を寄進したことがみえ、源実朝も参詣を企て、重源が木材を送って舎利殿を建立する
15. あい‐ながや[あひ‥]【相長屋】
日本国語大辞典
*俳諧・信徳十百韻〔1675〕「相長屋非番の武士の集りに 百ものがたりいさぎよかりき」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「ハテ夫(そ)れが相(あイ)
16. あお・つ[あふつ]【煽】
日本国語大辞典
物がばたばたする。*雑俳・銀土器〔1716~36〕「風にゆらゆらあふつ暖簾」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕九「百間に余る高塀、屏風をたたむがごとく
17. あか ぬ
日本国語大辞典
*浄瑠璃・役行者大峯桜〔1751〕二「愚図愚図と明かぬ事云ふ手間で、板お神酒でも出せ出せ」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕二「まだまだと明かぬ評定聞
18. あき【飽・厭】
日本国語大辞典
あまだれの、石を穿てることを思ひ出で」(2)十分みちたりること。また、興味を失うこと。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「長々お世話になった御近所の
19. あき‐じろ【空城・明城】
日本国語大辞典
五「国府の台の合戦には、此城の者共、残らず、下総へ行て、明城にて置きければ」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕二「我々東国へ向ひし跡此坂本は明(あキ)
20. あきつ‐くに【秋津国】
日本国語大辞典
三〇「島のほかも波をさまれるあきつくにに道ある君の恵みをぞ知る〈藤原為相〉」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕九「踏(ふみ)塊(かため)たる秋津(アキ
21. あき‐や【空家・空屋・明家】
日本国語大辞典
詫人に似合たる宿なれば」*俳諧・曠野〔1689〕二・初春「立臼に若草見たる明屋哉〈亀助〉」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕九「明家同然の坂本の城。責
22. あけ た 儘(まま)なる雑言(ぞうごん)
日本国語大辞典
言いたい放題の口をきくこと。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕九「四方を睨でつっ立たり。ヤア明た儘(ママ)なる佐々木が雑言(ザウゴン)。討とめて手柄に
23. 開けた儘なる雑言
故事俗信ことわざ大辞典
言いたい放題に口をきく。 浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記(1781)九「四方を睨でつっ立たり。ヤア明た儘(ママ)なる佐々木が雑言(ザウゴン)。討とめて手柄にせん
24. あけ‐はな・れる【明離】
日本国語大辞典
*新勅撰和歌集〔1235〕冬・四二三「山たかみあけはなれゆくよこ雲のたえまにみゆる峰の白雪〈源実朝〉」*徒然草〔1331頃〕一〇四「このたびは鳥も花やかなる声に
25. あざ が 倒(こ)け込(こ)む
日本国語大辞典
めくりカルタで、思いがけなく強い有利な札のあざが自分の手にころげ込む。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕六「雑兵組の頭となし、物の具させよと土民が手柄
26. あざが倒け込む
故事俗信ことわざ大辞典
めくりカルタで、思いがけなく強い運、有利なことが自分にころげ込んでくる。 浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記(1781)六「雑兵組の頭となし、物の具させよと土民が手
27. あしかが‐よう[‥ヤウ]【足利様】
日本国語大辞典
のこのむかばきくくりさげ、あしかがやうのそめたづな、むちに取そへくりかけし」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕二「素袍袴も足利様(アシカガヤウ)の、烏
28. あしかがよしうじ【足利義氏】画像
国史大辞典
追善のために高野山金剛三昧院内に大仏殿を建立し、一丈八尺五寸(約五・六メートル)の大日如来像を安置して、源実朝および政子の遺骨を納め、美作大原保を寄進した。また
29. あしかがよしうじ【足利義氏】 : 足利義氏/(一)
国史大辞典
追善のために高野山金剛三昧院内に大仏殿を建立し、一丈八尺五寸(約五・六メートル)の大日如来像を安置して、源実朝および政子の遺骨を納め、美作大原保を寄進した。また
30. あしのこ【芦ノ湖】神奈川県:足柄下郡/箱根町地図
日本歴史地名大系
十町なり、にしのかたなるみづうみにて、雨ふれど水まさず、日てれども水ひずふしぎなり」と記す。源実朝は「金槐集」に玉くしげ箱根の海はけゝれあれやふた山にかけて何か
31. あしわけ‐ぶね【葦分舟】
日本国語大辞典
ら長者〔1661〕四「あしわけ舟にさをさして、はらにはしほやの夕けふりたつ」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕五「直には行ぬ蘆分船(アシわけぶね)、櫓
32. あずまかがみ【吾妻鏡】
国史大辞典
六十年の長歳月の日記の記事から、わずか十数年分を披見したとしか思われない。これは、記主定家と将軍源実朝との歌道の師弟関係・交友関係から、この時期に限って採訪した
33. あたみし【熱海市】静岡県
日本歴史地名大系
それ以後将軍の二所詣は慣例となり、それに伊豆国一宮の三嶋社(三嶋大社)も加えられた。三代将軍源実朝は「走湯山」参詣の時に「わたつ海のなかにむかひていつるゆのいつ
34. 安達景盛
世界大百科事典
れ,1218年(建保6)出羽介となり秋田城を支配して秋田城介(じようのすけ)と称される。将軍源実朝の死(1219)により出家し高野山へ入る。法名大
35. あだち-かげもり【安達景盛】
日本人名大辞典
父とともに源頼朝につかえ,建保(けんぽ)6年出羽介(でわのすけ)となり秋田城を支配するが,翌年将軍源実朝(さねとも)の死をいたんで出家し,高野山にはいる。娘松下
36. あだちやすもり【安達泰盛】画像
国史大辞典
泰盛の政治以外の活動も注目されるが、特に高野山および京都との接触において著しい。前者としては、景盛が将軍源実朝の菩提のために高野に入って大蓮房覚智と称したのに端
37. あづま-すけみつ【吾妻助光】
日本人名大辞典
建永2年(1207)夏鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の放生会(ほうじょうえ)に参ずる将軍源実朝(さねとも)の警護に故なく不参したため出仕をとめられた。同年
38. あと‐ぞなえ[‥ぞなへ]【後備】
日本国語大辞典
「御出陣にをひては、御跡備(アトソナヘ)をくろめ申べき覚悟にて、所望申処に」*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕二「佐々木高綱三浦の助御乗物の前後を囲(
39. あと の 月(つき)の富(とみ)の札(ふだ)を買(か)うよう
日本国語大辞典
(先月すでに当否の決まってしまった富くじを買うようなものの意)ばかばかしい、むだなことのたとえ。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「何ぼかはいがらし
40. 後の月の富の札を買うよう
故事俗信ことわざ大辞典
買うようだ。やっても手遅れでかいのないこと、無駄なこと、ばかばかしいことのたとえ。 浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記(1781)七「何ぼかはいがらしゃっても、首の
41. あと へ 寄(よ)る
日本国語大辞典
(腹の皮が後へ寄るの意から)空腹になる。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「水辛(みづから)や梅干で酒がいけるものかいの。そしてきつう跡へ寄った」
42. 阿野全成
世界大百科事典
1180年(治承4)頼朝の挙兵にあたり京都から下向して参加し,駿河国阿野に住した。北条時政の女阿波局(源実朝の乳母)を妻としていたが,1203年謀反の疑いありと
43. あのときもと【阿野時元】
国史大辞典
十一日に多勢を率いて深山に城郭を築き宣旨を賜わって東国を管領しようと企てていると報じた。将軍源実朝が公暁に殺された日の十数日後のことである。尼将軍北条政子は執権
44. あの-ときもと【阿野時元】
日本人名大辞典
−1219 鎌倉時代の武将。源義朝の孫。阿野全成(ぜんじょう)の子。母は阿波局(あわのつぼね)。将軍源実朝が暗殺された直後の建保(けんぽ)7年,宣旨をうけて関東
45. あぶら【油】[方言]
日本方言大辞典
当壮)1930(2)追従ついしょう。おべっか。 大阪※116浪花聞書 1820頃浄瑠璃源頼家源実朝鎌倉三代記七「口先でちょっぽ草津から取寄せましたと油半分」(3
46. あぶら【油・脂・膏】
日本国語大辞典
こと。おせじ。へつらい。追従(ついしょう)。→あぶらを言う・あぶらを掛ける。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「口先でちょっぽ草津から取寄ましたと油
47. あぶら‐はんぶん【油半分】
日本国語大辞典
〔名〕(形動)うそ半分。口前うまく、おせじ半分に並べ立てること。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕七「やいのと念比(ねんごろ)ぶり口先でちょっぽ草津か
48. あぶれ‐むしゃ【溢武者】
日本国語大辞典
〔名〕「あぶれつわもの(溢兵)」に同じ。*浄瑠璃・源頼家源実朝鎌倉三代記〔1781〕四「唯一人(いちにん)のあぶれ武者臆すなかかれと声々に」
49. あべ-ちかもと【安倍親職】
日本人名大辞典
?−1240 鎌倉時代の陰陽師(おんようじ)。建暦(けんりゃく)元年幕府の祈祷師として将軍源実朝の無病息災,延命長寿をいのる天曹地府(てんそうちふ)祭をおこなっ
50. あまごい【雨乞】
国史大辞典
竜王もその類であるが、伝えられている「ときにより過ぐれば民の歎きなり八大竜王雨止めたまへ」の源実朝の止雨祈願の歌は世に知られている。民間に伝わる雨乞のうたには「