1. 喜多川歌麿画像
日本大百科全書
江戸後期の浮世絵師。北川氏。通称勇助あるいは市太郎、画名は初め北川豊章とよあき、天明てんめい年間(1781~1789)初め歌麿(哥麿、歌麻呂)と改め、画姓も喜多
2. 喜多川歌麿
世界大百科事典
1753?-1806(宝暦3?-文化3) 江戸時代の浮世絵師。伝記的に不明な部分が多く,宝暦3年出生は通説。出生地も江戸,川越,京都などの各説あるが,近時は江戸
3. きたがわ‐うたまろ【喜多川歌麿】
日本国語大辞典
江戸中期の浮世絵師。姓は北川。名は信美。初号、豊章。狂歌名、筆の綾丸。鳥山石燕(せきえん)の門に学び、細判の役者絵や絵本を制作する。のち大首絵を創案し、優麗繊細
4. きたがわうたまろ【喜多川歌麿】
国史大辞典
岱斎・紫屋・筆の綾丸などの別号があり、蔦の本の哥麿・忍岡歌麿・喜田川哥麿・歌麻呂・うた麿・喜多川歌麿とも記した。彼の処女作は「四十八手恋諸訳」(富本浄瑠璃正本)
5. 喜多川歌麿
日本史年表
1804年〈文化元(2・11) 甲子〉 5・16 幕府、 喜多川歌麿 を 『太閤五妻洛東遊観図』 の挿絵により50日の手鎖に処する(名人忌辰録)。 1806年
6. 喜多川歌麿(きたがわうたまろ)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 855ページ
7. きたがわうたまろ【喜多川歌麿】
日本架空伝承人名事典
江戸中・後期の浮世絵師。本姓は北川。生国には諸説がある。幼名は市太郎、のち勇助(勇記とも)。江戸に出て、狩野派の絵師である鳥山石燕に師事し、のちに浮世絵の第一人
8. きたがわ-うたまろ【喜多川歌麿(初代)】
日本人名大辞典
1753−1806 江戸時代中期-後期の浮世絵師。宝暦3年生まれ。鳥山石燕(せきえん)にまなぶ。版元蔦屋(つたや)重三郎にみいだされ,狂歌絵本で頭角をあらわす。
9. 喜多川歌麿(初世)[文献目録]
日本人物文献目録
寺内稲村『喜多川歌麿』近藤市太郎『喜多川歌麿』志筑生『喜多川歌麿 1‐2』野口米次郎『喜多川歌麿画「狂月望」解』楢崎宗重『喜多川歌麿画「潮干のつと」や「浮む瀬」
10. 喜多川歌麿(二世)[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:3件 『歌麿初代二代の区別』井上和雄『二世歌麿に就て』紙屋魚平『二代歌麿の秘画』吉田暎二
11. 喜多川歌麿『あやめ二美人』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国立国会図書館所蔵
12. 喜多川歌麿『お染久松 濡乙鳥塒傘』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国立国会図書館所蔵
13. 喜多川歌麿『松葉屋内粧ひ』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
寛政年間(1789~1801)ごろ国立国会図書館所蔵
14. 葛飾北斎喜多川歌麿画帖(著作ID:807410)
新日本古典籍データベース
かつしかほくさいきたがわうたまろがじょう 絵画
15. ああききらきんけい【嗚呼奇々羅金鶏】
日本国語大辞典
黄表紙。二巻。二冊。山東京伝作・喜多川歌麿画。寛政元年(一七八九)刊。実在した狂歌師畑秀龍(号金鶏)を主人公とし、淀屋辰五郎の持ち物であった金鶏の霊に助けられて
16. あさくさきたまつやまちよう【浅草北松山町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
その後馬喰町(現中央区)に移り、明暦の大火の際に類焼したため浅草新寺町に移転した。境内は拝領地。喜多川歌麿の墓があった。大正一五年(一九二六)北多摩郡千歳村烏山
17. 浮世絵画像
日本大百科全書
三枚続の大画面に、安定感のある群像として構成されるようになる。寛政年間(1789~1801)には喜多川歌麿うたまろが、評判の遊女や町娘、あるいは身分、性状を特定
18. 浮世絵
世界大百科事典
放的な野外風景の中で,群像として知的に構成される。ついで寛政年間(1789-1801)には喜多川歌麿が,現実の遊女や町娘,あるいは身分,性状を特定された女性を半
19. うきよ‐え[‥ヱ]【浮世絵】
日本国語大辞典
肉筆画と木版画がある。特に版画は菱川師宣に始まり一色刷りから錦絵に発展。鈴木春信、鳥居清長、勝川春章、喜多川歌麿、葛飾北斎、安藤広重などが代表的作家。明治時代以
20. うきよえ【浮世絵】
国史大辞典
果たした。寛政十二年(一八〇〇)ごろまでが風俗錦絵の黄金時代で、鈴木春信・勝川春章・鳥居清長・喜多川歌麿・鳥文斎栄之・東洲斎写楽・歌川豊春・歌川豊国・北尾重政は
21. うきよ-ゑ【浮世絵】
全文全訳古語辞典
多色刷りもある。十七世紀後半、菱川師宣の活躍以降、十八世紀半ばに鈴木春信により完成され、以後、喜多川歌麿・葛飾北斎らが輩出して最盛期を迎え、明治に至って衰微した
22. うそしっかりがんとりちょう[うそしっかりガンとりチャウ]【啌多雁取帳】
日本国語大辞典
黄表紙。三巻。奈蒔野馬乎人(なまけのばかひと=志水燕十)作・喜多川歌麿画。角書「右通慥而(みぎのとおりたしかに)」。天明三年(一七八三)刊。もと質屋の番頭金十郎
23. 歌川豊国
世界大百科事典
束話親玉(つがもないはなしのおやだま)》。美人画では初め師風にならったが,のちに鳥居清長,喜多川歌麿の影響を受け,また役者絵では勝川春英の作風を採り入れた画風を
24. うたがわとよくに【歌川豊国】
国史大辞典
まれた。同町住の歌川豊春に学んで、天明六年(一七八六)十八歳ごろから作画を発表、鳥居清長・喜多川歌麿らの長所をとり、寛政中期にかけて美人風俗画に一家の風を形成し
25. うたがわとよくに【歌川豊国】
歌舞伎事典
束話親玉(つがもないはなしのおやだま)》。美人画では初め師風にならったが、のちに鳥居清長、喜多川歌麿の影響を受け、また役者絵では勝川春英の作風を採り入れた画風を
26. 歌川派画像
世界大百科事典
紀後半の画壇は,北尾派が美人画,勝川派が役者絵の分野ですでに勢力を占め,つづいて鳥居清長,喜多川歌麿が一世を風靡(ふうび)するというはなやかな状況であった。こう
28. うたまろ【歌麿】
日本国語大辞典
(江戸中期の浮世絵師)
きたがわうたまろ(
喜多川歌麿)
29. うたまろ【歌麿】
国史大辞典
⇒喜多川歌麿(きたがわうたまろ)
30. うたまろ【歌麿】
日本架空伝承人名事典
→喜多川歌麿
31. 歌麿 305ページ
東洋文庫
自慢する大画家なのにである。 その意味で、美術史上はじめて「存在する」ことになった日本の画家は喜多川歌麿である。その存在意義検証のモノグラフィーを著したのは、日
32. 歌麿 313ページ
東洋文庫
図47『扇屋花扇と雷電』ブリュッセル王立美術歴史博物館所蔵* 本書の図版は、すべて千葉市美術館の「喜多川歌麿」展カタログ(1995年)より転載した。
33. うたまろ‐は【歌麿派】
日本国語大辞典
〔名〕江戸中期の浮世絵師、
喜多川歌麿を祖とする浮世絵の一派。→喜多川派。
[0]
34. えいしょうさいちょうき【栄松斎長喜】
国史大辞典
生没年不詳 江戸時代後期の浮世絵師。狩野派の画家で街絵師の師匠となった鳥山石燕は、恋川春町・喜多川歌麿・歌川豊春などの名家を門下から出した。長喜もまたその一人で
35. えいしょうさい-ちょうき【栄松斎長喜】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代中期-後期の浮世絵師。鳥山石燕(せきえん)門下で,喜多川歌麿と同門。寛政(1789-1801)のころ錦絵をつくり,美人画を得意とした。役者絵や黄
36. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
十返舎一九『東海道中膝栗毛』初編刊1804(文化1)諸国豊作。幕府、絵草紙に対し禁令を出し、喜多川歌麿、処罰される1805(文化2)9月 女浄瑠璃を禁止。このこ
37. 江戸時代美術画像
世界大百科事典
版画の芸術性は高まり,江戸浮世絵界は天明から寛政(1781-1801)にかけて,鳥居清長,喜多川歌麿,東洲斎写楽らを輩出して黄金時代を迎えた。 寛政から文化・文
38. えどっこ【江戸ッ子】
国史大辞典
独自な行動文化を開発した。かくして江戸ッ子は山東京伝・十返舎一九・滝沢馬琴・鶴屋南北をはじめ、喜多川歌麿・葛飾北斎・歌川広重・歌川国芳などの作品や寄席の落語・大
39. えほん【絵本】
国史大辞典
もったものもふくまれる。啓蒙的性格が強いところから通俗化の傾向をもつ。菱川師宣・西川祐信・喜多川歌麿・葛飾北斎らは浮世絵派の中でも優作をのこした。他に橘守国・大
40. 『絵本四季花』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
下巻 「雪に炬燵こたつ」 喜多川歌麿きたがわうたまろ画 1801年(寛政13)国立国会図書館所蔵
41. えほんむしえらみ[ヱホンむしえらみ]【画本虫撰】
日本国語大辞典
江戸中期の狂歌絵本。二巻二冊。喜多川歌麿画。宿屋飯盛(石川雅望)編。天明八年(一七八八)刊。虫を題によんだ狂歌合わせの形式をとり、その虫類に季節の草花を添えて描
42. 『画本虫撰』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
彩色摺さいしきずり狂歌絵本。宿屋飯盛やどやのめしもり(石川雅望まさもち)撰 喜多川歌麿きたがわうたまろ画 1788年(天明8)刊国立国会図書館所蔵
43. 大首絵画像
日本大百科全書
洲斎写楽とうしゅうさいしゃらく、歌川豊国とよくに、歌川国政くにまさなどが知られ、美人画では喜多川歌麿うたまろ、細田栄之えいし、栄松斎長喜えいしょうさいちょうきな
44. おおくびえ【大首絵】
国史大辞典
人間を社会風俗としてとらえた浮世絵では、全身像・群像の構図が通常描かれている。寛政期に入って喜多川歌麿や東洲斎写楽は、美人や役者を胸部から上だけの大うつしにした
45. かさもりおせん【笠森お仙】
国史大辞典
せん」その他、お仙の絵だけで十四枚伝わっているという。このほか一筆斎文調の「笠森おせん」、喜多川歌麿の「おひさと鍵屋お仙」などが伝わっている。お仙は明和七年鍵屋
46. 化政文化画像
日本大百科全書
画、それも浮世絵、錦絵にしきえが誕生した。春信の優美な美人画のあと鳥居清長とりいきよなが、喜多川歌麿きたがわうたまろ、歌川国貞うたがわくにさだ、渓斎英泉けいさい
47. かつかわ-しゅんどう【勝川春洞】
日本人名大辞典
江戸時代後期の浮世絵師。勝川春英の門人。寛政-文化(1789-1818)のころに細判の役者絵や喜多川歌麿風の美人画をえがく。通称は政蔵。本業が大工だったため,大
48. からすやまむら【烏山村】東京都:世田谷区地図
日本歴史地名大系
妙善寺には江戸時代後期の人情本作者為永春水の墓、昭和三年(一九二八)移転の専光寺には浮世絵師喜多川歌麿の墓がある。
49. きくかわ-えいざん【菊川英山】
日本人名大辞典
江戸時代後期の浮世絵師。天明7年生まれ。鈴木南嶺(なんれい)に四条派をまなぶ。葛飾(かつしか)北斎,喜多川歌麿(うたまろ)らの影響もうけ,菊川派を形成。美人画を
50. きくもと-おはん【菊本おはん】
日本人名大辞典
江戸時代中期-後期の女性。江戸芝神明前の水茶屋の娘。高島屋おひさ,難波屋おきたとともに寛政の三美人といわれ,喜多川歌麿の浮世絵にもえがかれた。