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  11. 井伊直親

井伊直親

ジャパンナレッジで閲覧できる『井伊直親』の日本人名大辞典のサンプルページ

井伊直親
いい-なおちか
1536−1563*
戦国時代の武将。
天文(てんぶん)5年生まれ。井伊直満の子。井伊直政の父。今川氏につかえ,桶狭間(おけはざま)の戦いで戦死した従兄(いとこ)井伊直盛の跡をつぎ,遠江(とおとうみ)(静岡県)井伊谷(いいのや)城主となる。謀反の風説がたったため,今川氏真(うじざね)に弁明におもむく途中,永禄(えいろく)5年12月14日掛川で氏真の重臣朝比奈泰朝(あさひな-やすとも)に討たれた。27歳。
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1. いい-なおちか【井伊直親】
日本人名大辞典
1536−1563* 戦国時代の武将。天文(てんぶん)5年生まれ。井伊直満の子。井伊直政の父。今川氏につかえ,桶狭間(おけはざま)の戦いで戦死した従兄(いとこ) ...
2. いいごう・いいほ・いいのしょう【井伊郷・井伊保・井伊庄】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
尊経閣古文書纂所収飯尾文書)。同一〇年の三岳城落城後は今川氏に従ったが、永禄五年(一五六二)井伊直親が今川氏への反乱を企てたとして朝比奈泰朝に討たれ、井伊氏の領 ...
3. いい-なおまさ【井伊直政】
日本人名大辞典
1561−1602 織豊-江戸時代前期の武将,大名。永禄(えいろく)4年2月19日生まれ。井伊直親(なおちか)の子。天正(てんしょう)3年徳川家康の小姓となり, ...
4. いいのやむら【井伊谷村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
今川義元の尾張桶狭間合戦での敗死後、反今川の動きをみせたという理由で、永禄五年(一五六二)三月二日に井伊谷城主井伊直親が今川家臣朝比奈泰朝に討たれた(異本塔寺長 ...
5. いなさちょう【引佐町】静岡県:引佐郡
日本歴史地名大系
永禄三年(一五六〇)の尾張桶狭間合戦で今川義元が敗死してからは再び反今川の動きをみせたとして、同五年に井伊直親が今川家臣朝比奈泰朝に討たれた。同一一年一二月に徳 ...
6. おくやまむら【奥山村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
寄進している(「大福寺不動堂建立記」大福寺文書)。永正一〇年(一五一三)三月には斯波義達を擁した井伊直親が今川氏親と三岳城で戦い、敗れた斯波・井伊軍は「奥の山」 ...
7. けがのしょう・けが【気賀庄・気賀】静岡県:引佐郡/細江町/気賀村
日本歴史地名大系
なお前掲伊達忠宗軍忠状によると、永正九年四月二三日に今川氏親との合戦の最中にあった斯波義達・井伊直親軍が「下気賀」を攻め、麦の刈取や苗代荒らしなどの行為に及んで ...
8. とおとうみのくに【遠江国】静岡県
日本歴史地名大系
から今川勢力を駆逐した。同六年遠江でも今川一門の見付城主堀越氏延、国人衆の天野景泰・同元景、井伊直親、重臣の引間城主飯尾連竜らが義元の子氏真に反旗を翻し、引間を ...
9. のともむら【野友村】高知県:安芸郡/北川村
日本歴史地名大系
くられたが、村内前田家は南北朝頃に京都より、井津家は遠州井伊谷(現静岡県引佐郡引佐町)の城主井伊直親の一族が大坂冬の陣に敗れて来住したと伝える。当地は長宗我部地 ...
「井伊直親」の情報だけではなく、「井伊直親」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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