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鹿島神宮

ジャパンナレッジで閲覧できる『鹿島神宮』の改訂新版・世界大百科事典のサンプルページ

鹿島神宮
かしまじんぐう

茨城県鹿嶋市に鎮座。常陸国の一宮。旧官幣大社。祭神は武甕槌(たけみかづち)神(建御雷神)。《常陸国風土記》には649年(大化5)に神郡がおかれ,そこにあった天の大神の社,坂戸の社,沼尾の社をあわせて〈香島の天の大神〉といい,〈豊香島の宮〉と名づけられ,また崇神天皇のとき大刀,鉾,鉄弓,鞍などの武具が奉られたと記されている。《常陸国風土記》には武甕槌神の名はみえないが,武具の奉納からこの神が武神として信仰されていたことが知られる。866年(貞観8)に陸奥国内に38社の苗裔(びようえい)神が存在したこと,また社殿が北面していることなどは,大和朝廷の蝦夷平定に武神としてここの神が関与していたことを示している。また《常陸国風土記》にこの神が中臣鹿島連の祖に命じて舟を造らせたとあるのは,朝廷の東北進出と関係するものであった。中央の藤原氏は武神である鹿島と香取の神を信仰し,平城京遷都のおり,春日野にこの2神を勧請し,765年(天平神護1)には鹿島の封戸から20戸を割いて春日社にあてた。藤原氏の氏神とされたことから,777年(宝亀8)に正三位,836年(承和3)に正二位,839年には従一位,850年(嘉祥3)には正一位と神階がすすめられた。《延喜式》では〈鹿島神宮〉と呼ばれ名神大社とされ,祈年,月次,新嘗の祭りには案上の幣帛が奉られ,神官として,宮司,禰宜,祝部各1名,物忌1名がおかれた。神職は奈良時代に中臣鹿島連,平安初期に大中臣氏,そののちふたたび中臣氏がつくようになったようで,その任免権は摂関家がもっていた。天平勝宝年中(749-757)に祝の中臣大宗(おおむね)と鹿島郡大領中臣千徳(ちとこ)が僧満願とともに神宮寺を建立したと伝えられ,神宮寺は837年(承和4)に定額寺に列した。本地仏は不空羂索観音であった。中世に入り源頼朝の武神である鹿島社への信仰はあつく社領を寄進し,土着の鹿島氏を惣大行事に任じている。鎌倉時代になると1月7日の青馬(白馬)祭,7月10,11日の祭りは武士の巡役で行われる体制となった。1266年(文永3)の記録によると,当時の神職として大宮司,大禰宜,大祝部,物忌(女官),物忌父,宮介,権禰宜,和田権祝,益田権祝,物申権祝,田所権祝,惣大行事,検非違使,惣追補使,押領使等がみえる。幕府の関与により鎌倉後期以降は藤原氏の神宮への影響力は消えていった。一方,武士は一切経・法華経・大般若経等を寄進し,また忍性(にんしよう)も法華経を読誦している。武士の当社への信仰は室町・戦国時代にも変わらなかったし,要石(かなめいし),息栖(いきす)神社(摂社)の男瓶・女瓶などの伝承も生まれ霊験縁起の原型が形成された。武神であるので武道の場となり塚原土佐守は天真正伝神道流を学び,その孫養子(養子ともいわれる)の塚原卜伝(ぼくでん)は鹿島新当流の祖となった。1595年(文禄4)豊臣秀吉は常陸の検地を実施し,神官,供僧分として405石を認めた。1602年(慶長7)徳川家康は検地を実施し,新たに1500石を寄進したので,社領は2000石となり,1605年には造営遷宮も幕府の手でなされ,鹿島神宮は近世の支配体制のうちに位置づけられた。
→鹿島信仰
[西垣 晴次]

[索引語]
武甕槌(たけみかづち)神 豊香島の宮 息栖(いきす)神社 塚原卜伝
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鹿島神宮の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 528
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検索コンテンツ
1. 鹿島神宮
日本大百科全書
茨城県鹿嶋市宮中に鎮座。武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祀(まつ)る。武甕槌大神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命令を受けて、経津主神(ふつぬしのか ...
2. 鹿島神宮[百科マルチメディア]
日本大百科全書
常陸国(ひたちのくに)一宮(いちのみや)。息栖神社(いきすじんじゃ)、香取神宮(かとりじんぐう)とともに東国三社の一つに数えられる。神武天皇(じんむてんのう)の ...
3. 鹿島神宮
世界大百科事典
二位,839年には従一位,850年(嘉祥3)には正一位と神階がすすめられた。《延喜式》では〈鹿島神宮〉と呼ばれ名神大社とされ,祈年,月次,新嘗の祭りには案上の幣 ...
4. かしま‐じんぐう【鹿島神宮】地図
デジタル大辞泉
茨城県鹿嶋市にある神社。旧官幣大社。主祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)。古くから武神として東国の武士に信仰された。社殿は重要文化財。常陸(ひたち)国一の宮。 ...
5. かしま‐じんぐう【鹿島神宮】
日本国語大辞典
茨城県鹿嶋市宮中にある神社。旧官幣大社。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)。古くから武神として崇拝された。延喜式内名神大社。常陸国一の宮。カシマジン ...
6. かしまじんぐう【鹿島神宮】
国史大辞典
・御船祭(十二年ごとの毎午年)が有名である。 [参考文献]岡泰雄編『鹿島神宮誌』、宮井義雄『鹿島香取の研究』、東実『鹿島神宮』、丸山二郎「中臣氏と鹿島香取の神」 ...
7. かしまじんぐう【鹿島神宮】茨城県:鹿島郡/鹿島町/宮中村
日本歴史地名大系
島田重次を総奉行に翌年六月に上遷宮が執行された(「神領割符写」鹿島神宮文書)。詳細は大宮司中臣則盛の鹿島神宮右大将家康公御建立之一巻(鹿島神宮文書)にみえる。元 ...
8. 鹿島神宮(かしまじんぐう)【篇】
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 539ページ ...
9. 鹿島神宮
デジタル大辞泉プラス
茨城県鹿嶋市にある神社。初代神武天皇の御代の創祀とされる。祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。水戸初代藩主、徳川頼房が奉納した本殿は国の重要文化財に指定 ...
10. 鹿島神宮氏人 (見出し語:鹿島神宮【篇】)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 662ページ ...
11. 鹿島神宮物忌卜定 (見出し語:鹿島神宮【篇】)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 1283ページ ...
12. 鹿島神宮神宮寺 (見出し語:鹿島神宮【篇】)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 1725ページ ...
13. 鹿島神宮神領 (見出し語:鹿島神宮【篇】)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 619ページ ...
14. 鹿島神宮神領訴訟文書 (見出し語:鹿島神宮【篇】)
古事類苑
法律部 洋巻 第1巻 1089ページ ...
15. 鹿島神宮 社領一覧1[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
16. 鹿島神宮 社領一覧2[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
17. 鹿島神宮 社領一覧3[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
18. かしまじんぐうじ【鹿島神宮寺】
国史大辞典
茨城県鹿島神宮に付属した仏寺で現在は廃寺。社伝によると修行僧満願が鹿島宮司や鹿島郡司とはかって建立したという。満願(万巻)は天平期仏教宣布に活躍したとの伝承を ...
19. 鹿島神宮拝殿[百科マルチメディア]
日本大百科全書
桁行(けたゆき)5間、梁間(はりま)3間、入母屋造(いりもやづくり)檜皮葺(ひわだぶ)きの拝殿(写真左)。奥の本殿とは石の間によって結ばれている。現在の社殿は1 ...
20. かしまじんぐうもんじょ【鹿島神宮文書】
国史大辞典
当禰宜東氏との相論関係の文書などからなる。『大禰宜文書』のうち『鹿島神宮文書』第一輯に収録された文書(三巻六十五点)の原本は現在所在不明。残りは鹿島神宮・枝家禰 ...
21. 鹿島神宮文書[文献解題]茨城県
日本歴史地名大系
原本および写本の伝存の状況を解説し、併せて鹿島神宮文書を活字化したものとしては「茨城県史料」中世編Iがある。なお「新編常陸国誌」にも鹿島神宮文書が収められている ...
22. 鹿島神宮遷宮 (見出し語:遷宮)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 541ページ ...
23. 鹿島神宮七不思議 (見出し語:七不思議)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 588ページ ...
24. 祀武甕槌命於鹿島神宮 (見出し語:武甕槌命)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 539ページ ...
25. あおうまのしんじ【白馬神事】
国史大辞典
正月七日、神社において行われる神事。平安時代以降、山城国の賀茂別雷神社、摂津国の住吉大社、常陸国の鹿島神宮、筑前国の宗像神社、同香椎宮などの著名な神社で行われた ...
26. 白馬節会
世界大百科事典
廃絶されるまで引きつづき行われた。一方,白馬神事として京都賀茂別雷神社,大阪住吉神社,茨城県鹿島神宮などでも行われた。山中 裕 青馬 ウマ(馬) ...
27. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
拝観したらしい。初春の華麗な行事として王朝びとに親しまれた。なお京都の賀茂別雷神社・大阪の住吉大社・茨城の鹿島神宮などでは白馬祭の神事として行われる。 [参考文 ...
28. あおうま の 祭(まつり)
日本国語大辞典
茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮の神事。正月七日の夜行なわれるもので、宮中の白馬(あおうま)の節会(せちえ)を移したものといわれる。神殿で神事を終えたのち、神馬を神門 ...
29. あおうむら【粟生村】茨城県:鹿島郡/鹿島町
日本歴史地名大系
五年三月一二日条)、当地に居住したといわれ、文永三年(一二六六)五月一一日の諸神官補任之記(鹿島神宮文書)には「治承年中源頼朝、鹿嶋三郎政幹於被補当社之神職(中 ...
30. あおぬまむら【青沼村】茨城県:行方郡/麻生町
日本歴史地名大系
[現]麻生町青沼 東は倉川村。中世は鹿島神宮領加納十二郷の一つ相賀郷に属し(新編常陸国誌)、文保二年(一三一八)一一月日の関白前左大臣家政所下文(鹿島神宮文書) ...
31. あおやぎむら【青柳村】茨城県:鹿島郡/鉾田町
日本歴史地名大系
)に「府郡内 橘郷四至 東限柳橋若舎人堺、南限入海、西限小河堺、北限東大道青柳堺」と記され、鹿島神宮の神領にあたる橘郷の北にあった。室町中期に武田氏の支配下に置 ...
32. あおや‐さま[あをや‥]【青屋様】
日本国語大辞典
〔名〕七月二一日に、青いススキの茎でうどんを食う行事。茨城県でいう。鹿島神宮では青屋箸(ばし)の神事といって、この日にススキの箸を祭神に供える。 ...
33. あおやじんじゃ【青屋神社】茨城県:石岡市/平村
日本歴史地名大系
草葺不合尊。社伝によれば、国司が毎年鹿島神宮へ奉幣祈願をする際に、風雨のため霞ヶ浦が荒れ、国府の港である高浜から出港できない場合、臨時の斎場を青草で造り、鹿島神 ...
34. あかごう【安賀郷】茨城県:常陸国/那賀郡
日本歴史地名大系
「和名抄」に「安賀」と記され、訓を欠く。久寿三年(一一五六)頃と思われる鹿島神宮神領目録(賜蘆文庫文書所収の鹿島文書)に「ありか 一石」とみえる。「新編常陸国誌 ...
35. あかさわむら【赤沢村】茨城県:東茨城郡/桂村
日本歴史地名大系
四方遠近の眺めがよい。久寿三年(一一五六)頃の鹿島神宮神領目録(賜蘆文庫文書所収の鹿島文書)に「那珂郡ノ内、アカサハ五斗」とあり、また鹿島神宮領田数注文案(鹿島 ...
36. あしぐろむら【足黒村】茨城県:東茨城郡/茨城町
日本歴史地名大系
[現]茨城町秋葉 寛政川の右岸に位置し、北は秋葉村。年不詳の鹿島神宮所領日記(鹿島神宮文書)に「あしくろ岡」が出る。中世は宍戸氏の支配下にあり、江戸時代は水戸藩 ...
37. あそうむら【麻生村】茨城県:行方郡/麻生町
日本歴史地名大系
臣家九条兼実政所下文(鹿島神宮文書)に麻生郷の名がある。中世は大掾氏の一族麻生氏の本拠であり、嘉元大田文また康永二年(一三四三)正月九日の鹿島神宮領田数注文案( ...
38. あてるい【阿弖流為】
日本架空伝承人名事典
像で、江戸時代に水戸光圀がこの像を修復した旨が、木像の首に記されている。一方、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮にも、悪路王の首級といわれているものが現存している。なお、悪 ...
39. あべたむら【阿部田村】茨城県:真壁郡/大和村
日本歴史地名大系
七月一九日の将軍藤原頼経袖判下文(真壁文書)、正和元年(一三一二)七月二三日の関東下知状写(鹿島神宮文書)に安部田郷の名がある。江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印 ...
40. あまべじんじゃ【海士部神社】茨城県:東茨城郡/茨城町/海老沢村
日本歴史地名大系
[現]茨城町海老沢 海士部 涸沼の西側にある。祭神は武甕槌命。旧村社。社伝によると天正五年(一五七七)鹿島神宮(現鹿島郡鹿島町)の分霊を鎮斎、初めは鹿島神社と称 ...
41. あんぼうじょうあと【安房城跡】茨城県:鹿島郡/鉾田町/安房村
日本歴史地名大系
田系図)、以来城郭を構え近隣を支配し、建武二年(一三三五)・永和三年(一三七七)に安房幹詮は鹿島神宮の大使役を勤仕している(「鹿島大使役記」安得虎子)。永享年間 ...
42. いいざさ-ちょういさい【飯篠長威斎】
日本人名大辞典
室町時代の武術家。下総(しもうさ)香取郡飯篠村(千葉県多古町)の人。香取神宮や常陸(ひたち)(茨城県)の鹿島神宮につたわる武芸から,天真正伝新当(神道)流を創始 ...
43. いおさき【庵崎】東京都:墨田区/旧本所区地区/須崎村
日本歴史地名大系
請地村秋葉権現の辺りなどともいわれる(江戸名所図会)。康元元年(一二五六)九月に藤原光俊は常陸鹿島神宮に詣でた時、隅田渡で「此のわたりのかみのかたに河のはたにつ ...
44. いきす‐じんじゃ【息栖神社】
日本国語大辞典
もと於岐栖(おきす)社といい、創立は鹿島、香取の二神宮と同じと伝え、東国三社といわれた。古くから鹿島神宮の摂社。 ...
45. いきすじんじゃ【息栖神社】茨城県:東茨城郡/小川町/山野村
日本歴史地名大系
[現]小川町山野 鎌田川の左岸の台地に位置する。祭神は岐神・天鳥船命。旧村社。由緒によると鹿島神宮に摂社の息栖神社(現鹿島郡神栖町)がある例に倣い、村民が総鎮守 ...
46. いきすじんじゃ【息栖神社】茨城県:鹿島郡/神栖町/息栖村
日本歴史地名大系
常陸利根川左岸の平地に鎮座する。祭神は岐神・天鳥船神・住吉三神。鹿島・香取両神宮とともに東国三社の一で、鹿島神宮の摂社でもある。旧県社。最初日川の地に鎮祭された ...
47. 息栖(いきす)神社
デジタル大辞泉プラス
代の創祀とされる。祭神は岐神(ふなどのかみ)、天鳥船神(あめのとりふねかみ)、住吉三神。同県鹿島神宮、千葉県にある香取神宮とあわせて「東国三社」と呼ばれる。 2 ...
48. いきすむら【息栖村】茨城県:鹿島郡/神栖町
日本歴史地名大系
東は高浜村。古くは「おきす」ともいい、元亨元年(一三二一)八月二八日のとらいぬ丸等連署起請文案(鹿島神宮文書)に「おきすのやしろの神馬以下のとくふんの事、わよ申 ...
49. いくさ‐がみ【軍神】
日本国語大辞典
〔名〕武運をつかさどる神。戦いに勝利をもたらす神。武甕槌神(たけみかずちのかみ=鹿島神宮の祭神)、経津主神(ふつぬしのかみ=香取神宮の祭神)の二神が古来もっとも ...
50. いくさがみ【軍神】
国史大辞典
戦勝と武人守護の神。古代から鹿島神宮の武甕槌(たけみかずち)神と香取神宮の経津主(ふつぬし)神は東北平定の神とされ、また武道の神となった。八幡神は源頼義・義家 ...
「鹿島神宮」の情報だけではなく、「鹿島神宮」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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