NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 遺跡
  8. >
  9. 寺・神社・教会
  10. >
  11. 飛鳥寺

飛鳥寺

ジャパンナレッジで閲覧できる『飛鳥寺』の改訂新版・世界大百科事典のサンプルページ

飛鳥寺
あすかでら

奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。法興寺,本元興寺ともいう。蘇我馬子が創立した日本最初の本格的な寺院で,百済から招いた工人らが参画して,596年(推古4)ほぼ造営を終え,606年には仏師鞍作止利(くらつくりのとり)が作った本尊の丈六釈迦如来像が安置されている。古都飛鳥の地に〈大寺〉として偉容をほこり,寺の西の槻樹(つきのき)の下で供宴や蹴鞠(けまり)が行われた。644年(皇極3)中大兄皇子と中臣鎌足の出会いが有名である。また645年(大化1)の政変(乙巳(いつし)の変)で蘇我入鹿を殺害した中大兄皇子は当寺に立てこもり,672年(天武1)の壬申(じんしん)の乱でも近江朝廷軍が営所とするなど,7世紀の政治の舞台となった。662年(天智1)には唐より帰国した道昭が当寺の南東隅に禅院を建てて住んでいる。藤原京の時代は四大寺の一つに数えられているが,平城京遷都にともない,718年(養老2)金堂・塔など一部の建物を残して平城京へ移転した。この奈良の新寺を元興寺と称し,法興寺の由緒や資財はこの元興寺に継承されている。飛鳥にとどまった旧寺は一時衰えたが,9世紀初頭には再興され,837年(承和4)災異消除のために読経等の仏事を修せしめられた20ヵ寺の中に〈本元興寺〉の名が見え,これより元興寺と並称されるようになった。ところが1196年(建久7)雷火で焼失の後,急速に衰微し,現在では〈安居院〉と呼ぶ仮堂に本尊の〈飛鳥大仏〉を安置するのみである。
[中井 真孝]

遺構

1956,57年の奈良国立文化財研究所の発掘調査で,飛鳥大仏が旧中金堂の位置にあり,中金堂の南に塔,塔の東西に東西二つの金堂を配し,塔の南の中門から東西にのびる回廊が1塔3金堂の一郭をめぐり,回廊の北に講堂を配していることがわかった。中門の南に接した南門から寺域を画する築地塀が両側につらなり,西金堂の北西に西門,北辺中央に北門をもつ,南北300m×東西200mの寺地をもつ大伽藍であった。中金堂と塔の基壇は壇上積みであるが,東西金堂は下層にも礎石を配した重成基壇である。塔は1196年の罹災後再建されず,舎利などが掘り出されたが,一部は新しく作られた舎利容器に納めて塔の中心部の地下浅くに再納されていた。その下の心礎は現在の地表下3mにあり,中央に長方形の舎利孔をもっている1辺2.4mの花コウ岩製で,方形の浅い柱座がある。心礎上面の周辺から鎌倉時代に掘り残した埋納品が発見された。挂甲(けいこう),馬鈴,金環,勾玉,管玉,ガラス玉などの埋納品は古墳出土品と同じで,593年の塔心柱を建てた時代をよくあらわした遺物である。多数出土した瓦は百済の扶余で発見されるものと似ており,百済の瓦工が指導したことがよくわかるが,その製作に陶作部(すえつくりべ)の工人が動員されるなど,仏教伝来時の造寺の様子がよくわかる。寺の西門の西側は古代史の重要な舞台となった槻樹の広場で,南門前と同じように石敷きの広場となっていた。
→飛鳥美術
[坪井 清足]

[索引語]
法興寺 本元興寺 安居院 飛鳥大仏 槻樹の広場
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


飛鳥寺の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 326
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 飛鳥寺
日本大百科全書
本尊は606年(推古天皇14)止利仏師(とりぶっし)作といわれる。『玉林抄』によると、四方の門には、東門に飛鳥寺、西門に法興寺、南門に元興寺、北門に法満寺と、そ ...
2. 飛鳥寺[百科マルチメディア]
日本大百科全書
6世紀末に聖徳太子が蘇我馬子(そがのうまこ)の協力を得て建立した寺。本元興寺(もとがんごうじ)、安居院(あんごいん)ともいう。本尊の丈六釈迦如来坐像(じょうろく ...
3. 飛鳥寺
世界大百科事典
奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。法興寺,本元興寺ともいう。蘇我馬子が創立した日本最初の本格的な寺院で,百済から招いた工人らが参画して,596年(推古 ...
4. あすか‐でら【飛鳥寺】
デジタル大辞泉
明日香村にあり、元興寺・法興寺などと呼ばれた寺。推古天皇4年(596)蘇我馬子(そがのうまこ)の建立と伝えられる。平城遷都に伴い平城京に元興寺建立後は本元興寺と ...
5. あすか‐でら【飛鳥寺】
日本国語大辞典
奈良県高市郡明日香村飛鳥にある真言宗豊山派の寺。推古天皇四年(五九六)蘇我馬子が日本最初の本格的寺院として創建。法興寺ともいい、のち元興寺(がんごうじ)、本元興 ...
6. あすかでら【飛鳥寺】
国史大辞典
裟・金鉢や珍財を法興寺の仏前に奉った。天武天皇六年(六七七)八月飛鳥寺の一切経会に天皇は同寺南門で礼拝された。同九年四月飛鳥寺は官司の治めるたてまえではないが、 ...
7. あすかでら【飛鳥寺】奈良県:高市郡/明日香村/飛鳥村
日本歴史地名大系
度振れており、飛鳥寺の伽藍の軸線がほぼ真北にのっているのと異なっている。このことは石敷広場の造営時期と飛鳥寺のそれとが異なっていることを示唆する。あるいは石敷広 ...
8. 飛鳥寺
日本史年表
善信尼らを百済に派遣(紀)。 法興寺(飛鳥寺) を建て始める(紀)。 609年〈推古17 己巳〉 4・8 鞍作鳥、 丈六釈迦像 を完成. 元興寺(飛鳥寺) に安 ...
9. 飛鳥寺(あすかでら)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1333ページ ...
10. 飛鳥寺
デジタル大辞泉プラス
奈良県高市郡明日香村にある寺院。創建は596年。宗派は真言宗豊山派、本尊は釈迦如来。蘇我馬子の発願で創建した最古の寺院。法興寺、元興寺、安居院(あんごいん)とも ...
11. 伽藍配置復元図1[図版]
国史大辞典
山田寺 川原寺 飛鳥寺 四天王寺 法隆寺 薬師寺 興福寺 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
12. 飛鳥寺伽藍配置図[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
13. 飛鳥瓦窯址[図版]
国史大辞典
飛鳥寺発掘調査報告 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
14. 青不動[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2016
左右から見上げる形で矜迦羅(こんがら)、制叱迦(せいたか)の二童子を配しており、10世紀後半に活躍した絵仏師飛鳥寺玄朝(あすかでらげんちょう)の様式を伝えると言 ...
15. あさくちぐん【浅口郡】
国史大辞典
中国浅口郡犬養部鴈手、昔配〓飛鳥寺焼塩戸〓、誤入 ...
16. あさくちぐん【浅口郡】岡山県
日本歴史地名大系
備中国浅口郡犬養部雁手、昔配〓飛鳥寺焼塩戸〓、誤入 ...
17. 明日香(村)
日本大百科全書
天武(てんむ)天皇伝承地(飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや))、伝飛鳥板蓋(いたぶき)宮跡(史跡)や、飛鳥寺跡(史跡。安居(あんご)院)、岡寺、橘(たちばな)寺( ...
18. 飛鳥
世界大百科事典
中心に設定され,その中ッ道が東西直線道の山田道と飛鳥寺の北西地点で交差するので,その付近が飛鳥の中心であったと考えられる。また飛鳥の地には蘇我氏が建てた飛鳥寺を ...
19. あすか【飛鳥】
国史大辞典
範囲は明確ではないが、ほぼ現在の奈良県高市郡明日香村のうち、飛鳥川の流域に相当する。すなわち、飛鳥川の上流から飛鳥寺・雷丘へかけての地域であるが、これに耳成山・ ...
20. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
通じていえることは飛鳥寺跡・伝飛鳥板蓋宮跡などの存在する小盆地には、少なくとも飛鳥寺の建立以後ほぼ真北に軸線をもつ地割が存在し、それによって町割が行われたらしい ...
21. 飛鳥板蓋宮
世界大百科事典
,また,外郭の東柵列は内郭の東一本柱列から約108mのところで検出されている。内郭の中軸線は飛鳥寺伽藍中軸線の南延長線から約10m東にあり,南面中央に東西5間( ...
22. あすかおかもとのみや・のちのあすかおかもとのみや【飛鳥岡本宮・後飛鳥岡本宮】奈良県:高市郡/明日香村/小山村
日本歴史地名大系
飛鳥浄御原宮を岡本宮の南に造り移った。位置については、古くから大字岡付近に求める説があるが、飛鳥寺の北に求める考えもある。後者は、神護景雲元年(七六七)一二月一 ...
23. あすかがようし【飛鳥瓦窯址】
国史大辞典
奈良県高市郡明日香村の安居院(飛鳥寺址)の南東にある丘陵斜面をくり抜いてつくった地下式有階有段登窯で、飛鳥寺(法興寺)創建時(六世紀末)に屋瓦を焼成した窯とい ...
24. 飛鳥川
世界大百科事典
合わせる明日香村祝戸付近から流れは緩やかとなり,東岸には石舞台古墳,板蓋宮(いたぶきのみや)跡,飛鳥寺跡などの遺跡がみられる。雷(いかずち)丘と甘樫(あまかし) ...
25. あすかきょう【飛鳥京】
国史大辞典
下ツ道は飛鳥の西方、橿原市見瀬に至る。中ツ道は天香具山で中断されるが、その線を南へのばすと、飛鳥寺・川原寺・橘寺・飛鳥板蓋宮伝承地遺跡などが、延長線に面すること ...
26. 飛鳥浄御原宮
日本大百科全書
『日本書紀』には、この宮は舒明(じょめい)・斉明(さいめい)朝の岡本宮(おかもとのみや)の南に営まれ、飛鳥寺(あすかでら)と同じ真神原(まかみがはら)にあったと ...
27. 飛鳥浄御原宮
世界大百科事典
に至ってからとされている。 飛鳥浄御原宮の位置については,飛鳥岡本宮の南とする上記の記事と,飛鳥寺とともに真神原に造営されたとする資料(《万葉集》巻二,199) ...
28. あすかしりょうかん【飛鳥資料館】
国史大辞典
四点を含む。展示は宮殿、寺院、古墳、石造物、『万葉集』のジャンル別に並び、藤原宮、水落遺跡、飛鳥寺、山田寺、川原寺などの遺跡から出土した飛鳥時代を代表する遺物を ...
29. 飛鳥時代
世界大百科事典
多かったが,受容に積極的であった蘇我氏が朝廷で実権を握ると,その信仰は急速に普及し,蘇我氏の飛鳥寺(法興寺)や,聖徳太子の斑鳩寺(法隆寺)をはじめ多くの寺院が建 ...
30. あすかじだい【飛鳥時代】
国史大辞典
主として飛鳥を中心とする豪族のあいだにひろがった。その文化を飛鳥文化というが、中心は仏教で、六世紀末には飛鳥寺が建立され、七世紀にはいると、聖徳太子の保護もあっ ...
31. あすか‐だいぶつ【飛鳥大仏】
日本国語大辞典
奈良県高市郡明日香村の飛鳥寺跡の安居院(あんごいん)にある銅製の丈六釈迦如来坐像。「日本書紀」では、飛鳥寺の本尊として推古天皇一三年(六〇五)ないし一四年(「丈 ...
32. あすかだいぶつ【飛鳥大仏】
国史大辞典
飛鳥寺(あすかでら)  ...
33. あすかにいますじんじゃ【飛鳥坐神社】奈良県:高市郡/明日香村/飛鳥村
日本歴史地名大系
[現]明日香村大字飛鳥小字神奈備 飛鳥寺北東方、飛鳥の神名備山といわれる鳥形山に鎮座。事代主神・高皇産霊命・飛鳥三日比売命・大物主命を祀る。旧村社。「延喜式」出 ...
34. あすかのいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】
国史大辞典
岡本宮の造営となった。昭和三十五年(一九六〇)以来、奈良県が担当して調査をすすめて来たのは、飛鳥寺南方の耕地、飛鳥板蓋宮伝承地であるが、今日までの調査成果は次の ...
35. あすかのきぬぬいの-このは【飛鳥衣縫樹葉】
日本人名大辞典
造(とものみやつこ)で,飛鳥衣縫氏の祖。崇峻(すしゅん)天皇元年(588)蘇我馬子が法興寺(飛鳥寺)を造営する際,自身の宅地を寺地として提供した。 ...
36. 飛鳥の石造物
世界大百科事典
説に要約できる。とくに後者の須弥山石,石人像石の出土地は飛鳥寺の北西に隣接し,《日本書紀》斉明3年(657)7月条〈須弥山の像を飛鳥寺の西に作る。盂蘭瓫会(うら ...
37. あすかのまかみのはら【飛鳥真神原】
国史大辞典
明日香村野口の天武陵と解し、飛鳥寺から南方天武陵へかけての地を真神原とする説もあるが、天つ御門は天武天皇の皇居の飛鳥浄御原宮とする喜田貞吉の説が穏当であろう。し ...
38. 飛鳥美術
日本大百科全書
ことがわかる。先にあげた飛鳥寺の本尊釈迦如来(にょらい)像も銘はないが、文献から止利の作とされ、火災により原形は損なわれているが、止利様式の特徴がよく残っている ...
39. 飛鳥美術
世界大百科事典
法興寺の創建 翌588年百済は仏舎利,僧,寺工,瓦博士,画工(白加)を献じ,馬子は法興寺(飛鳥寺)建立を発願した。法興寺の造営は596年竣工まで9ヵ年を要して ...
40. あすかぶっきょう【飛鳥仏教】
国史大辞典
本拠の飛鳥に本格的な大伽藍の建立に着手し、八年後の推古天皇四年(五九六)に完成した。法興寺(飛鳥寺)である。仏法興隆は時の勢いとなり、各豪族も、自己の氏寺をもつ ...
41. あすかぶんか【飛鳥文化】
国史大辞典
蘇我氏らをおもなにない手として受容され、百済から貢上された技術者の力をかりて、七世紀初めにかけ飛鳥寺の造営が進められ、その後さらに寺院が各地に続々建立されたが、 ...
42. あすかぶんか【飛鳥文化】 : 飛鳥文化/〔飛鳥文化の主内容〕
国史大辞典
蘇我氏らをおもなにない手として受容され、百済から貢上された技術者の力をかりて、七世紀初めにかけ飛鳥寺の造営が進められ、その後さらに寺院が各地に続々建立されたが、 ...
43. あすかべぐん【安宿郡】大阪府:河内国
日本歴史地名大系
片山廃寺、東条廃寺の東方の尾平廃寺などが知られる。現羽曳野市の飛鳥を中心とする地域では、河内飛鳥寺跡がある。遺跡は未確認だが文献上にみえる寺には、上記の鋤田寺の ...
44. 飛鳥水落遺跡[百科マルチメディア]
日本大百科全書
飛鳥寺(あすかでら)の北西に位置する、日本初の漏刻(ろうこく)(水時計)を設置した建物跡。660年(斉明天皇4)、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智( ...
45. あすかむら【明日香村】奈良県:高市郡
日本歴史地名大系
なお近年の発掘により、嶋宮伝承地などの遺跡も確認されている。都が藤原京から平城京へ移るに伴い、飛鳥寺(元興寺)・大官大寺(大安寺)など主要寺院も移建、飛鳥地方は ...
46. あすかむら【飛鳥村】大阪府:羽曳野市地図
日本歴史地名大系
受けた古社である。百済系渡来氏族飛鳥戸氏の氏神で、竜王寺の北西にごり池付近は同氏の氏寺と考えられる河内飛鳥寺の跡と推定され、昭和二年(一九二七)にこの地より巨大 ...
47. あすかむら【飛鳥村】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
[現]明日香村大字飛鳥 甘樫丘東方、飛鳥川右岸に位置する。古代「飛鳥」の地。飛鳥神名火・飛鳥川上・飛鳥寺・飛鳥川原など、「飛鳥」の名を冠する地名はおおむねこの地 ...
48. 安居院
日本大百科全書
のみ残存している。堂内の丈六釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)により飛鳥(あすか)大仏また飛鳥寺ともよばれる。里道徳雄 ...
49. あんご‐いん【安居院】地図
デジタル大辞泉
奈良県高市郡明日香(あすか)村にある真言宗豊山派の寺。本元興寺(もとがんごうじ)の塔頭(たっちゅう)寺院。飛鳥寺(あすかでら)。  ...
50. あんご‐いん[‥ヰン]【安居院】
日本国語大辞典
奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。日本最古の寺院、元興寺(がんごうじ、俗に飛鳥寺)が移建後、その跡地に建てられた。本尊は鞍作止利(くらつくりのとり)作 ...
「飛鳥寺」の情報だけではなく、「飛鳥寺」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

飛鳥寺と同じ寺・神社・教会カテゴリの記事
興福寺(国史大辞典)
奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。大華厳寺・金光明四天王護国寺・総国分寺などの別称がある。南都七大寺・十三大寺・十五大寺の一つ。東大寺の寺号は平城京の東方にある大寺を意味し、『正倉院文書』の天平二十年(七四八)五月の「東大寺写経所解案」に初見するが
渭伊神社(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
厳島神社(改訂新版・世界大百科事典)
広島湾南西部に浮かぶ厳島(広島県廿日市市,旧宮島町)に鎮座。市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命をまつる。旧官幣中社。祭神〈伊都岐島神〉は,811年(弘仁2)名神に列し四時幣に預かり,神階は867年(貞観9)従四位上に昇叙。《延喜式》で名神大社に列し,のち安芸国の一宮となる。平安時代末
出雲大社(改訂新版・世界大百科事典)
島根県出雲市の旧大社町に鎮座。大国主神をまつる。《延喜式》では名神大社。旧官幣大社。杵築大社,杵築社,杵築宮ともいう。古代の出雲では熊野,杵築,佐太,能義の各社が〈大神〉とされていたが,中でも,出雲国造の本拠地である意宇平野の熊野大社と簸川平野の北西の杵築大社とが,厚い尊信をうけていた。
寺・神社・教会と同じカテゴリの記事をもっと見る


「飛鳥寺」は寺・神社・城に関連のある記事です。
その他の寺・神社・城に関連する記事
浜松城(国史大辞典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
静岡県浜松市元城町にあった城。平山城。三方原洪積台地の最東南端に徳川家康が築城し、浜松城と称え、この地を引馬から浜松に改称した。引馬旧城主飯尾連竜は今川氏真に謀殺され、その留守を預かる老臣間の内紛を平定した家康が、元亀元年(一五七〇)、遠江経営と武田
鶴岡八幡宮(国史大辞典・日本歴史地名大系)
神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座。旧国幣中社。源氏の氏神であり、鎌倉の町の中心として存在してきた社で、明治の神仏分離までは鶴岡八幡新宮若宮(いまみやわかみや)・鶴岡八幡宮寺とも称した。大分県の宇佐、京都府の石清水(いわしみず)両宮とともに全国の八幡宮を代表
恭仁京(世界大百科事典・日本大百科全)
奈良時代中ごろの都城。現在の京都府南部の木津川市に営まれた。740年(天平12),九州で藤原広嗣の乱が起こったのを契機に平城京を離れた聖武天皇は,伊勢,美濃,近江をめぐった後,12月15日山背国南端の久仁郷の地に至り恭仁京の造営に着手した。翌年11月
遷宮(国史大辞典・世界大百科事典)
神社で、一定の年数を定めて、新殿を造営し、旧殿の御神体をここに遷すこと。そしてこの新殿の造営を式年造営といい、また仮殿遷宮と対称して正遷宮とも称せられる。伊勢神宮の例が著明である。伊勢神宮に式年遷宮の制が立てられた年次については
橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり
寺・神社・城に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶