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御頭祭
おんとうさい
長野県諏訪大社上社の四月十五日(例祭)の神事。古くは年中七十二度の神事中最も重んじられ、正月の頭郷御占・御符渡・境注連などの神事を経て四月に至るものであった。頭郷といって諏訪郡内十六ヵ村が定められており、輪番で少年一人を出させこれを神使とし、例祭前三十日間潔斎させた。当日は本宮から前宮十間廊に渡御あり、おびただしい神饌を列ね(中に鹿頭を加える例であった)、「御杖柱の幣」と称する特別の幣束を奉ることをした。なお以前は神使が烏帽子水干姿で流鏑馬式を行い、のち数日にわたり神領村々を巡った。これとやや似た例に、茨城県の鹿島神宮の祭頭(さいとう)祭があり、ここでは旧神領の村々が神籤によって頭(とう)を指され、その村からは大将または新発意と呼ばれる児童を出し、この者は当日には甲冑姿で肩車に乗って社参する。頭(ふつうお頭と呼ばれる)とは、文献上では平安時代中期から大寺・大社の記録に見出され、頭役・頭人、さらに中世後期からは頭屋(当屋・祷屋とも書く)と呼ばれ、祭礼行事を輪番で執行する氏子内の慣行のことであり、宮座組織・氏子組織とともに展開したものである。現在は近畿・北陸から中国・四国にかけて濃密な分布を示し、各地の郷村において盛んな頭人祭り、頭屋神事の類が行われている。もっとも明治以後神社制度の執行により、一般祭式に地歩を譲り背後に退いた観があるが、なお中世以来の慣行を守って重要神事のうちに頭屋制を加えている地方大社もあり、上に述べた諏訪・鹿島の場合はその代表的な例ということができる。→頭屋(とうや)
[参考文献]
肥後和男『宮座の研究』、和歌森太郎『中世協同体の研究』、辻本好孝『和州祭礼記』、萩原竜夫『中世祭祀組織の研究増補版』、原田敏明「当屋に於ける氏神奉斎」(『帝国学士院紀事』一ノ一)
(萩原 竜夫)
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