司、中宮の女蔵人、内蔵人、中宮の命婦、左右の衛門・兵衛・近衛各二人、斎長官御輿駕輿丁前後二十人、御輿の長(おさ)左右各五人、女孺(はしりわらわ)各十人、執物十人、腰輿、供膳の唐櫃三荷、雑器の物二荷、膳部六人、陰陽寮漏刻、騎女十二人、童女四人、院司二人、唐櫃十荷(神宝)、蔵人所陪従六人、御車、内侍車、女別当車、宣旨車、女房車、馬寮車の順であった。下社では宣命の奏上、奉幣、ついで東遊・走馬が行われる。上社も同様である。翌日は還立(かえりだち)の儀がある。祭は応仁の乱により文亀二年(一五〇二)から中絶し、元禄七年(一六九四)再興され、明治三年(一八七〇)以降は旧儀が保たれなくなったが、同十七年ようやく再興され、祭日は五月十五日に改められた。現在の行列は平安時代の服装を再現し、検非違使志・同尉・山城使・御幣櫃三合・内蔵寮史生二人・御馬寮使・舞人六人・勅使・陪従七人・内蔵使などの順で参加する。葵祭の名称は葵楓(あおいかずら)の蔓を勅使・斎王はじめ祭に参加するものが身につけ、その他の飾りにも用いたところからきたのである。なお祭に先立ち四月の中午日に上賀茂社で行われるのが御阿礼神事、下賀茂社で行われるのが御蔭祭である。→賀茂臨時祭(かものりんじさい),→御阿礼神事(みあれのしんじ),→御蔭祭(みかげまつり)
之〉」 ...
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