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  11. 大山綱良(大山格之助)

大山綱良(大山格之助)

ジャパンナレッジで閲覧できる『大山綱良(大山格之助)』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
大山綱良
おおやまつなよし
一八二五 - 七七
幕末・維新期の薩摩国鹿児島藩士。初代鹿児島県令。通称は格之助、角右衛門ともいう。文政八年(一八二五)十一月六日、鹿児島藩士樺山善之進の次子として鹿児島に生まれ、のち大山四郎助の養子となった。家禄百三十六石。若いころ薩藩下級武士子弟の内職である城の茶坊主となり正円と称した。文久二年(一八六二)、島津久光の率兵公武周旋に随従、四月二十三日、伏見寺田屋に屯集して久光の公武合体方針に反抗した有馬新七ら薩藩尊攘派首脳を、久光の命をうけ奈良原繁らと斬った。その功により、五月二十日、供目付となり藩政の一線に進出した。慶応年間(一八六五―六八)薩藩が倒幕路線に傾斜すると、西郷隆盛の指揮下に活躍、慶応二年には筑前太宰府にいた三条実美ら五卿の警護や帰京斡旋にあたり、翌三年九月には倒幕挙兵の協定のため大久保利通と長州藩に使した。十月、藩軍先遣隊を率いて藩地を発ち、王政復古に参加した。明治元年(一八六八)戊辰戦争がはじまると、正月六日、征討大将軍嘉彰親王の軍事参謀、ついで二月二十九日には奥羽鎮撫総督九条道孝の参謀となって奥羽地方を転戦、特に秋田藩を新政府側につけるのに功があった。賞典禄八百石。帰藩後、同二年二月二十五日に監察総裁、翌三年六月に権大参事心得となり藩政に参与した。廃藩置県後、四年八月二十三日に鹿児島県大参事、十一月十四日に県参事、六年四月十九日に県権令、翌七年十月五日に県令となったが、地元出身者が県政責任者となるのは異例のことであり、鹿児島県の特殊性を示している。かれは士族に有利な税制・禄制を施行、内務省の県政改革要求を拒否、地方民会開催に反対し、政府に対し半独立的立場をとった。同八年、西郷隆盛の私学校関係者を区・戸長、学校長、警部などに多数任命し、鹿児島県を西郷派士族の支配下においた。十年二月、西南戦争が勃発すると西郷軍を積極的に支援し、県の公金十五万円を軍資金に提供した。そのため、三月十七日に官位を剥奪され、九月三十日、長崎で斬罪に処せられた。五十三歳。
[参考文献]
内閣修史局編『百官履歴』上(『日本史籍協会叢書』)、黒竜会編『西南記伝』下二、小寺鉄之助編『西南の役薩軍口供書』、『鹿児島県史』三
(毛利 敏彦)


日本大百科全書
大山綱良
おおやまつなよし
[1825―1877]

幕末の志士、明治前期の官僚。文政(ぶんせい)8年11月6日薩摩(さつま)国(鹿児島県)に生まれる。通称は格之助、角右衛門など。示現流(じげんりゅう)剣術の達人で、1862年(文久2)の寺田屋事件の際に島津久光(しまづひさみつ)の命を受けて尊攘(そんじょう)派の有馬新七(ありましんしち)らを上意討ちした。その後、薩摩藩の倒幕運動で活躍。1868年(慶応4)の戊辰(ぼしん)戦争には征討大将軍嘉彰(よしあき)親王の軍事参謀、ついで奥羽鎮撫(おううちんぶ)総督府参謀として功績をあげ、賞典禄(ろく)800石を賜った。1871年(明治4)鹿児島県参事。1873年県権令。1874年県令に昇進。1877年の西南戦争に際して西郷軍を支援し、県の公金15万円を提供した。そのため同年(明治10)9月30日長崎において斬罪(ざんざい)に処せられた。
[毛利敏彦]



改訂新版・世界大百科事典
大山綱良
おおやまつなよし
1825-77(文政8-明治10)

幕末維新期の薩摩藩士,鹿児島県初代県令。薩摩藩士横山善助の次男で大山家を継ぐ。格之助と称した。1859年(安政6),誠忠組のメンバーが藩主島津忠義に血誓の請書を出した署名48人の一人で,寺田屋事件では,島津久光の命で志士の鎮圧にあたり,また,倒幕運動で活躍した。戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府参謀となる。69年(明治2)の藩政改革では監察局総裁,ついで鹿児島県大参事,権令を経て74年県令。75年の地方官会議では民会の設置を批判し,金禄公債発行に際しては鹿児島士族への特別措置を認めさせた。専断で県費を私学校費に流用し,私学校幹部を県官に任用,77年の西南戦争では西郷軍側に立った。西郷軍敗北後,官位剝奪,長崎で処刑された。
[田中 彰]

[索引語]
大山格之助 島津忠義 金禄公債
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検索ヒット数 56
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検索コンテンツ
1. 大山綱良
日本大百科全書
幕末の志士、明治前期の官僚。文政(ぶんせい)8年11月6日薩摩(さつま)国(鹿児島県)に生まれる。通称は格之助、角右衛門など。示現流(じげんりゅう)剣術の達人で ...
2. 大山綱良
世界大百科事典
1825-77(文政8-明治10) 幕末維新期の薩摩藩士,鹿児島県初代県令。薩摩藩士横山善助の次男で大山家を継ぐ。格之助と称した。1859年(安政6),誠忠組の ...
3. おおやまつなよし【大山綱良】
国史大辞典
一八二五―七七 幕末・維新期の薩摩国鹿児島藩士。初代鹿児島県令。通称は格之助、角右衛門ともいう。文政八年(一八二五)十一月六日、鹿児島藩士樺山善之進の次子とし ...
4. おおやま-つなよし【大山綱良】
日本人名大辞典
明治10年9月30日長崎で処刑された。53歳。本姓は樺山。通称は熊次郎,正円,角右衛門,格之助。著作に「大山綱良日誌」。 ...
5. 大山綱良[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:2件 『大山格之助の手紙』工藤裕司『大山県令とウイリス』鮫島近二 ...
6. いけだむら【池田村】鹿児島県:指宿市
日本歴史地名大系
柴竹七束が列挙されており、人数二七(男一六・女一一)、牛五・馬一一。明治五年(一八七二)県令大山綱良が幕末の事業を引継ぐ形で湖北岸の新田開発を行い、約八〇町歩・ ...
7. 奥羽越列藩同盟
日本大百科全書
と全国平定を開始、2月には九条道孝(みちたか)を奥羽鎮撫(ちんぶ)総督に、薩摩(さつま)藩士大山綱良(つなよし)、長州藩士世良修蔵(せらしゅうぞう)を参謀に任命 ...
8. 奥羽越列藩同盟
世界大百科事典
戊辰戦争に際し,東北・北陸諸藩が結んだ反薩長同盟。1868年(明治1)3月下旬,奥羽鎮撫総督九条道孝は,参謀大山綱良(つなよし),世良修蔵らとともに仙台に入り, ...
9. 鹿児島(県)
日本大百科全書
1879年沖縄県が置かれた。鹿児島県では廃藩置県後、従前の鹿児島藩権大参事(ごんだいさんじ)大山綱良(つなよし)が新制による県参事に任ぜられ、権令、県令に進み、 ...
10. かごしまけん【鹿児島県】
国史大辞典
太平洋戦争後は米軍軍政下に置かれ、昭和二十八年(一九五三)十二月ようやく本県に帰った。廃藩置県後の県政は大山綱良(明治四年八月県権参事、同十一月県参事、同六年四 ...
11. かごしますいどう【鹿児島水道】
国史大辞典
のらしい。天保年間(一八三〇―四四)以来数回の改修を行なっている。明治五年(一八七二)県参事大山綱良が補修して水源池を官有にした。市制施行の翌年の同二十三年市に ...
12. 桂太郎自伝 77ページ
東洋文庫
安政五年(一八五八)三月には日米修好通商条約調印の勅 許案の修正を求めた廷臣八十八人の列参に参加。(14) 大山綱良、一八二五~七七。薩摩藩士、薩摩藩誠忠組のひ ...
13. 加波山事件 民権派激挙の記録 101ページ
東洋文庫
その労想うべく、その勇愛すべし。しかれども、三島また尋常男児にあらず。かの有名なるところの桐野利秋・大山綱良とともに南州門下の俊秀にして、薩州の三人男と称せらる ...
14. 加波山事件 民権派激挙の記録 103ページ
東洋文庫
悩まし善戦したが、九月一日城山で戦死する。時、午前七時。激しい雷雨がにわかにこの地を見舞ったとい5。大山綱良 一八二五-一八七七。若くして尊撰運動に加わり、維新 ...
15. さいごうたかもり【西郷隆盛】
国史大辞典
説明する史料は欠けている。十年一月西郷が薫陶した私学校生徒が鹿児島の陸軍省火薬庫を襲うや、西郷は二月県令大山綱良に、政府へ尋問のため上京するとの届け出をし、士族 ...
16. 薩摩反乱記 68ページ
東洋文庫
維持に用いたり。この社は、多少兵学校の性質を帯び、専らこれを扶助する巨魁のうち、篠原国幹、 桐野利秋、大山綱良筆の徒あり。これらの人名は、この後なおしばしば看る ...
17. 薩摩反乱記 91ページ
東洋文庫
以上の事情あるによれり。西郷の将校 西郷の最も有力なる羽翼(支持者)は、篠原国幹、 桐野利秋、大山綱良にして、皆薩摩の中等の士族なり。篠原は、維新の戦に大いにそ ...
18. 薩摩反乱記 96ページ
東洋文庫
州各地で奮戦、九月二十四日城山で戦死。十年二月二十五日官位を奪われたが、大正五年贈正五位。 大山綱良(一八二五~一八七七)、旧鹿児島藩士、格之助と称す。戊辰戦争 ...
19. 薩摩反乱記 104ページ
東洋文庫
ことにこの一事とにつき、警慎(慎重)公平の文字を用いざりしは、はなはだ歎ずべし。 鹿児島の権令〔大山綱良〕が川村海軍中将に告げたる言は虚妄(偽り)たる事、更に疑 ...
20. 薩摩反乱記 111ページ
東洋文庫
同 少将 篠原国幹 印県令 大山綱良殿(『西南記伝』中巻一)注五大山県令の布告は次の通り。 今般、当県官員へ、専使申付け候通知之事件、左に申進候。近日、 ...
21. 薩摩反乱記 112ページ
東洋文庫
(口供は、これを略す) 明治十年二月十二日 鹿児島県令 大山綱良...
22. 薩摩反乱記 123ページ
東洋文庫
神戸港を発し、途中風波のため清輝艦を下関に留め、春日艦のみ予定に遅れ同十九日鹿児島港に入り、大山綱良に書を寄せた。しかしすでに西郷らが進発した後であり、時機を失 ...
23. 薩摩反乱記 186ページ
東洋文庫
反乱の初めに鹿児島県権令たりし大山綱良あり。その処断は、人皆最も至当とせり。その裁決文、左のごとし。 鹿児島県士 ...
24. 薩摩反乱記 190ページ
東洋文庫
元鹿児島県令大山綱良らが国事犯として審理され、明治十年九月三十日、判決が申渡された。(『日本政治裁判史録』明治・前、『鹿児島県史』第三巻「西南戦争叛徒処分」の項 ...
25. 薩摩反乱記 256ページ
東洋文庫
海路鹿児島着。船中で島津忠義に勅書を授ける。柳原勅使、大山綱良・中原尚雄らと共に鹿児島出港(長崎港を経て翌日神戸港着)西郷軍に加担した鹿児島県令大山綱良の官位を ...
26. 薩摩反乱記 258ページ
東洋文庫
ら戦死(西南戦争の終結)。征討総督、鹿児島に入る(二十八日鹿児島港を発し凱旋)。前鹿児島県令大山綱良を斬に処す。西南戦争の費用補填のため、予備紙幣二七〇〇万円を ...
27. 薩摩反乱記 260ページ
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昭四三)中の「西南戦争叛徒処分」(田中時彦)は、国立公文書館蔵の公文録のうち「征討総督府之部」に基づいて大山綱良ら斬罪六名への「申渡」を収載している。 『鹿児島 ...
28. 私学校
日本大百科全書
旧陸軍教導団生徒を収容)も私学校に含めて考えられる。西郷派の政治結社的性格も強く、鹿児島県令大山綱良(つなよし)の積極的な支持のもと、県内の区長・戸長・警察幹部 ...
29. 私学校
世界大百科事典
派士族の政治的・社会的結社の様相を帯び,外城の郷校も城下の私学校と連絡をとるに至り,また県令大山綱良の積極的な援助で私学校派のメンバーが県政にも力をもち,西南戦 ...
30. しがっこう【私学校】
国史大辞典
分校は公立の学校である郷校を夜間使用したので、昼間の公学校に対して私学校の名が起った。鹿児島県令大山綱良は西郷に協力し、私学校の経費を県庁の金から支出し、八年地 ...
31. しがっこうあと【私学校跡】鹿児島県:鹿児島市/鹿児島城下
日本歴史地名大系
また西郷も禁止には反対であることの旨が伝わり、私学校は動揺した(前掲回顧録)。私学校の経費は県令大山綱良により県費が流用された。同一〇年の西南戦争には私学校徒が ...
32. しぞくはんらん【士族反乱】
国史大辞典
るという建白書をつきつけて地租改正に反対し、また九年十一月には金禄公債証書発行に反対し、県令大山綱良に、政府に対して家禄保持の請願を行わせた。 〔士族反乱の特徴 ...
33. しぞくはんんらんのほんかくてきてんかい【士族反乱の本格的展開】 : 士族反乱
国史大辞典
るという建白書をつきつけて地租改正に反対し、また九年十一月には金禄公債証書発行に反対し、県令大山綱良に、政府に対して家禄保持の請願を行わせた。  ...
34. 西南戦争
日本大百科全書
篠原国幹(しのはらくにもと)、村田新八(むらたしんぱち)らが私学校を組織し、士族の教育、共済にあたった。県令大山綱良(つなよし)(旧薩摩(さつま)藩士)は、私学 ...
35. 西南戦争
世界大百科事典
秋や篠原国幹らも相ついで辞職・帰県し,私学校などを中心に,鹿児島士族は一大勢力をなした。県令大山綱良もこれを支持して,内務省(卿は大久保利通)の督促にもかかわら ...
36. せいなんせんそう【西南戦争】
国史大辞典
鹿児島県下では、西郷に従って下野した桐野利秋・篠原国幹らが私学校を組織し強大な勢力を築いたので、県令大山綱良は、私学校派士族とむすび、政府の集権政策に抗して独自 ...
37. 台湾出兵
日本大百科全書
東岸に漂着、うち54名が牡丹社(ぼたんしゃ)原住民に殺害され、琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良(つなよし)は政府に責任追及の出兵を建議した。73年には備中 ...
38. たばた-つねあき【田畑常秋】
日本人名大辞典
文政11年8月生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。維新後鹿児島県大書記官となる。西南戦争の際,県令大山綱良(つなよし)が逮捕されると県令代理となり,西郷軍に食糧, ...
39. たまのせいり【玉乃世履】
国史大辞典
た。この間、司法省臨時裁判所裁判長として山科生幹事件裁判(九年)、汽船衝突事件裁判(同年)、大山綱良ら西南戦争関係者の裁判(明治十年)、大久保利通暗殺事件裁判( ...
40. 寺田屋事件
世界大百科事典
計画を立てた。この動きを察知した久光は激派志士たちが寺田屋で会合中をねらい,同藩士奈良原繁,大山綱良ら9人を鎮圧のために派遣。このため両者は乱闘となり,有馬ら6 ...
41. てらだやそうどう【寺田屋騒動】
国史大辞典
たらないとの立場を固持した。ここにおいて久光は激派の鎮圧を決意し、四月二十三日夜、奈良原繁・大山綱良・森岡昌純・江夏栄方・山口直秀・道島正邦・鈴木重高・鈴木重流 ...
42. でしまる-りゅうすけ【弟子丸竜助】
日本人名大辞典
うい)派。文久2年4月23日の寺田屋事件の際,島津久光の命をうけた鎮撫使(ちんぶし)のひとり大山綱良(つなよし)に殺された。25歳。本姓は高城。名は方行。 ...
43. 徳川慶喜公伝 4 254ページ
東洋文庫
四月十二日総督の本営を岩沼に移せしかば、陸奥守も已むことを得ず、其翌日白石城に出馬して自ら諸軍を指揮す(大山綱良筆記。七年史。明治史要。仙台藩記)◎会藩は藩主肥 ...
44. 南嶋探験 2 琉球漫遊記 306ページ
東洋文庫
明治八年、鹿児嶋県大嶋郡ノ貨幣流用無フシテ、物品交換ノ不 幸ヲ傷ミ、県令大山綱良ハ貨幣六万円ヲ下附シテ毎戸二分配セシメショリ、金銭流通始 メ ...
45. のしろ-でんきち【能代伝吉】
日本人名大辞典
1820−1884 幕末の海運業者。文政3年4月8日生まれ。北国廻りの海運に従事。慶応4年奥羽征討軍参謀大山綱良(つなよし)にたのまれ,軍の食糧を出羽(でわ)能 ...
46. はいけい【背景】 : 西南戦争
国史大辞典
鹿児島県下では、西郷に従って下野した桐野利秋・篠原国幹らが私学校を組織し強大な勢力を築いたので、県令大山綱良は、私学校派士族とむすび、政府の集権政策に抗して独自 ...
47. みやーく【宮古】沖縄県:宮古諸島
日本歴史地名大系
い琉球王国は鹿児島県の管轄するところとなっていたが、鹿児島藩主に代わって鹿児島県参事になった大山綱良の使者として琉球に来ていた伊地知壮之丞・奈良原幸五郎によって ...
48. ヤング・ジャパン 3 横浜と江戸 294ページ
東洋文庫
島津家が連座していないという多くの証言が、柳原に提出された、と伝えられている。 大山綱良の逮捕と罷免 鹿児島県令大山綱良の忠誠に関して、柳原の心に疑惑が生じた。 ...
49. ヤング・ジャパン 3 横浜と江戸 310ページ
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いところだ。 西郷の死後、反軍は極めて寛大にあっかわれた。死刑をいい渡され、実行されたのは、大山綱良に対してだけだった。彼の逮捕についてはすでに述べた。反乱に加 ...
50. ヤング・ジャパン 3 横浜と江戸 2ページ
東洋文庫
皿44,73大原重徳 180,246大村益次郎 皿104大山綱良 皿294小笠原図書頭1179,182,233 ...
「大山綱良(大山格之助)」の情報だけではなく、「大山綱良(大山格之助)」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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