NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文化
  6. >
  7. 伝統芸能・芸能
  8. >
  9. 歌舞伎・狂言・落語
  10. >
  11. 女歌舞伎

女歌舞伎

ジャパンナレッジで閲覧できる『女歌舞伎』の新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典
女歌舞伎
おんなかぶき
出雲のお国が創始した歌舞伎踊をまねた、遊女や女芸人の歌舞伎をいう。お国自身の歌舞伎も女歌舞伎であるが、一般には区別している。慶長八(1603)年お国が歌舞伎踊で評判をとるとすぐに、歌舞伎を称する女芸人の座が多く生まれ、諸国へも下った。中で、遊女屋が経営する歌舞伎の座を遊女歌舞伎と呼ぶ。京では六条三筋みすじ町の遊女屋が四条河原で、江戸では吉原の開設当初は吉原の中に、のちには中橋でそれぞれ舞台を設け、男装したスター級の遊女である太夫(和尚とも呼んだ)の歌や踊を中心に競って歌舞伎を興行した。お国歌舞伎との第一の違いは、当時最新の楽器である三味線をスターが弾いていることで、五、六〇人もの遊女を舞台へ登場させ、虎や豹の毛皮を使うなど、いっそう豪奢な舞台ぶりに、数万人もの見物を集めたという。佐渡嶋、又市、道喜とうきなどの遊女歌舞伎の座、また、幾島丹後守、村山左近などのスターが知られていた。元和一‐寛永六(1615‐1629)年ごろが最盛期であった。これらの女たちは歌舞伎女とも呼ばれ、大名たちが買いとって領国で興行させたり、座を組んで巡業したりしていたが、女たちをめぐっての喧嘩などが絶えなかったため、しばしば禁じられている。寛永六年に女芸人のすべてに対する禁令が出されてから次第に姿を消した。
お国歌舞伎
[小笠原 恭子]


国史大辞典
女歌舞伎
おんなかぶき
初期歌舞伎の一称呼。広義には、慶長八年(一六〇三)以降寛永六年(一六二九)まで、女性が主役であった時期の歌舞伎の総体を指し、その規定が正しいと考えられるが、従来は何となく阿国歌舞伎を含めず、いわゆる遊女歌舞伎(傾城歌舞伎ともいう)に限ってその別称とすることが多かった。阿国歌舞伎が京都で成功すると、直ちにこれを模倣する、さまざまな形態の女歌舞伎の座が生まれた。座の性格から見ると、女猿楽の座やややこ踊の芸団と同じように、移動遊里的な性格を兼ねて、各地で勧進興行を行うものと、佐渡島歌舞伎の座のように、特定の固定遊里がバックにあって、遊女に張見世式の歌舞を演じさせたものとの二種類がある。江戸をはじめ地方の新興都市にも、この二種類の女歌舞伎が存在した。「六条の傾城町より佐渡島といふもの四条川原に舞台をたて、けいせい数多出して舞をどらせけり」(『東海道名所記』)とあるのが、後者である。佐渡島正吉・村山左近・岡本織部・出来島長門守・幾島丹後守などが、歌舞伎踊で名を得た遊女として知られている。女猿楽や女曲舞などから転じたものもあったと思われ、興行の規模にもちがいがあったから、その芸態も種々だったようである。ただ、遊女歌舞伎には伴奏として三味線が加わったから、いっそうはなやかなレビュー的傾向が推し進められたことは間違いない。女歌舞伎といっても、座員の構成は男女混交で、狂言師や猿若の即興的物真似の芸も行われた。女歌舞伎は、ほとんど全国的に各都市で盛んに行われたが、寛永六年十月、風俗紊乱を理由として、幕府はこれを含む女性芸能のいっさいを禁止した。→阿国歌舞伎(おくにかぶき),→歌舞伎(かぶき)
[参考文献]
伊原敏郎『日本演劇史』、河竹繁俊『日本演劇全史』、原田亨一『近世日本演劇の源流』、郡司正勝『かぶき―様式と伝承―』、林屋辰三郎『かぶきの成立』、同『中世文化の基調』、同『歌舞伎以前』(『岩波新書』青一八四)、小笠原恭子『かぶきの誕生』、服部幸雄『歌舞伎成立の研究』、郡司正勝「歌舞伎」(『(岩波講座)日本文学史』八所収)、服部幸雄編「歌舞伎成立史研究文献目録」(『芸能史研究』三三)、森末義彰「女かぶき発展の史的考察」(『思想』一七五)、盛田嘉徳「女かぶきに関するノート」(『大阪学芸大学紀要』A人文科学九―一一)、同「女かぶきの禁制について」(『学大国文』八)
(服部 幸雄)


日本国語大辞典
おんな‐かぶき[をんな‥] 【女歌舞伎】

解説・用例

〔名〕

(1)慶長年間(一五九六〜一六一五)、京都に発生した、女性を主とする歌舞伎。寛永六年(一六二九)風紀を乱したことにより禁止され、若衆歌舞伎がこれに代わった。阿国歌舞伎、遊女歌舞伎はこの一つ。女狂言。

*慶長見聞集〔1614〕二「江戸に名を得し女歌舞妓多しといへども、中にも葛城太夫は世に越え、みめかたちやさしく、やうがん美麗なりければ、此歌舞妓をこそ見めと老若貴賤群集し見物す」

*仮名草子・東海道名所記〔1659〜61頃〕六「これにぞ、歴々様たち、名をかへ、品をかへて、御通なされし故に、女哥舞妓はとどめられぬ」

*評判記・色道大鏡〔1678〕一「元和(げんわ)年中(ねんぢう)より、女哥舞妓(ヲンナカブキ)はじまり、其後傾城(けいせい)の能をも催せり」

(2)「おんなしばい(女芝居)(2)」に同じ。

*明治世相百話〔1936〕〈山本笑月〉晩年の粂八「終に劇界の一名物たる女歌舞伎も明治の末年で華やかな幕を閉ぢた」

発音

〓[カ]〓[カ]


上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


女歌舞伎の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 198
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 女歌舞伎
日本大百科全書
招き、芸を演じさせた記録がある。近世初頭のキリシタン関係の史料にも女歌舞伎の太夫を酒席にはべらせた記事が散見される。女歌舞伎の小屋の構造、観客の身分、男女風俗、 ...
2. 女歌舞伎
世界大百科事典
出雲のお国が創始した歌舞伎踊をまねた,遊女や女芸人の歌舞伎をいう。お国自身の歌舞伎も女歌舞伎であるが,一般には区別している。1603年(慶長8)お国が歌舞伎踊で ...
3. おんな‐かぶき[をんな‥]【女歌舞伎】
日本国語大辞典
寛永六年(一六二九)風紀を乱したことにより禁止され、若衆歌舞伎がこれに代わった。阿国歌舞伎、遊女歌舞伎はこの一つ。女狂言。*慶長見聞集〔1614〕二「江戸に名を ...
4. おんなかぶき【女歌舞伎】
国史大辞典
舞伎を含めず、いわゆる遊女歌舞伎(傾城歌舞伎ともいう)に限ってその別称とすることが多かった。阿国歌舞伎が京都で成功すると、直ちにこれを模倣する、さまざまな形態の ...
5. 女歌舞伎
日本史年表
1629年〈寛永6 己巳②〉 10・23 幕府、 女舞 ・ 女歌舞伎 を禁止(歌舞伎年表)。  ...
6. 女歌舞伎(おんなかぶき)
古事類苑
樂舞部 洋巻 第2巻 7ページ ...
7. おんなかぶき【女歌舞伎】
歌舞伎事典
出雲のお国が創始した歌舞伎踊をまねた、遊女や女芸人の歌舞伎をいう。お国自身の歌舞伎も女歌舞伎であるが、一般には区別している。慶長八(1603)年お国が歌舞伎踊 ...
8. をんな-かぶき【女歌舞伎】
全文全訳古語辞典
世渡りに習へり。女歌舞伎にはあらず」〈西鶴・好色一代女・1・2〉特に風流な舞の曲を工夫して人々に教えたところ、これを世渡りの種にしようとして多くの娘達が習いに来 ...
9. 鉢巻の図[図版]
国史大辞典
に鉢巻 烏帽子に鉢巻 歩兵の鉢巻 梨打烏帽子に鉢巻 鉢巻とその結び方 半鉢巻(上)と単鉢巻 女歌舞伎の鉢巻 蒙古襲来絵巻 十戒図 大塔宮出陣図 足利義尚出陣影  ...
10. いちかわしょうじょかぶき【市川少女歌舞伎】
歌舞伎事典
愛知県豊川市で日本舞踊を習っていた少女たちが、市川升十郎の指導で歌舞伎を演じ、昭和二三(1948)年四月に劇団を結成、第一回公演をもったところ、可憐さと達者な ...
11. 遊女歌舞伎
世界大百科事典
女歌舞伎 ...
12. ゆうじょ‐かぶき[イウヂョ‥]【遊女歌舞伎】
日本国語大辞典
〔名〕江戸初期、歌舞伎の発生時代に、阿国歌舞伎(おくにかぶき)の盛行を学んで、遊女によって演じられた歌舞伎。寛永六年(一六二九)に禁止されるまで流行した。ユー ...
13. うねめかぶきそうし【〓女歌舞伎草子】
国史大辞典
⇒歌舞伎草子(かぶきそうし)  ...
14. 遊女歌舞伎
日本大百科全書
女歌舞伎 ...
15. ゆうじょかぶき【遊女歌舞伎】
国史大辞典
女歌舞伎(おんなかぶき)  ...
16. ゆうじょかぶき【遊女歌舞伎】
歌舞伎事典
女歌舞伎 ...
17. 綾子舞
世界大百科事典
の相似も考え合わせると,女歌舞伎の踊歌に伝わる〈ややこ〉と同じ歌詞の曲を〈常陸(ひたち)踊〉として伝承していることなどからも,この芸能がお国もしくはその模倣者の ...
18. あやこまい【綾子舞】
歌舞伎事典
の相似も考え合わせると、女歌舞伎の踊歌に伝わる〈ややこ〉と同じ歌詞の曲を〈常陸(ひたち)踊〉として伝承していることなどからも、この芸能がお国もしくはその模倣者の ...
19. いくしま-たんごのかみ【幾島丹後守】
日本人名大辞典
?−? 織豊-江戸時代前期の女役者。女歌舞伎の太夫で,慶長年間(1596-1615)に京都から江戸にうつって興行した。美貌(びぼう)と男装で人気を博したという。 ...
20. いざ さら
日本国語大辞典
(「いざさらば」の助詞を略した形)さあそれでは。*歌謡・おどり(女歌舞伎踊歌)〔1630頃〕塩汲「ここは何処ぞよ、堺の浜よ、いざさら出でて浜ならそ、今日は沖が長 ...
21. いずもの-おくに【出雲阿国】
日本人名大辞典
うたいおどるかぶき踊り(阿国歌舞伎)を演じる。京都北野神社,四条河原などで興行して人気を得,女歌舞伎発展のもととなった。 ...
22. いちかわじゅえん【市川寿猿】[付録]
歌舞伎事典
2世 澤瀉屋 三ツ澤瀉 泉井能世 昭和5。東京都 昭和11・5女歌舞伎坂東勝治一座に子役として入門。昭和12・10小石川小劇場の《千本桜》の安徳帝で坂東小鶴を名 ...
23. いなばおどり【因幡踊】
国史大辞典
初期女歌舞伎踊の一種。小原木踊や忍び踊と同様、中世末期から近世初期にかけて流行した風流(ふりゅう)踊の一つであったと思われる。采女という名の女歌舞伎の舞台図と ...
24. 浮世物語(仮名草子集) 116ページ
日本古典文学全集
ことこそ 操り人形を使って語る浄瑠璃。女形の出る歌舞伎、つまり野郎歌舞伎。本書成立時には、女歌舞伎、若衆歌舞伎はすでに禁止されていた。芝居小屋・見世物小屋など ...
25. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
二条城の襖絵を描く1627(寛永4)吉田光由『塵劫記』。土居水也『清良記』。江戸に女歌舞伎流行1629(寛永6)10月 女舞・女歌舞伎禁止。柿右衛門、染付白磁始 ...
26. えのもととらひこ【榎本虎彦】
歌舞伎事典
近松の書替狂言《安宅関》(明治三七年)から絶筆《新曲安達原》(大正五年)まで《名工柿右衛門》《南都炎上》《女歌舞伎》などを含む六〇篇を数えるが、創作は少なく、翻 ...
27. えんげき【演劇】
国史大辞典
る風流(ふりゅう)おどりの一種だった、出雲阿国を代表とする女芸人の歌舞からおこった。やがて遊女歌舞伎・若衆歌舞伎を経て、十七世紀後半から男性芸人の「物真似狂言」 ...
28. えんげき【演劇】 : 演劇/〔人形浄瑠璃・歌舞伎の生成発展時代(十七世紀初めから幕末維新まで)〕
国史大辞典
る風流(ふりゅう)おどりの一種だった、出雲阿国を代表とする女芸人の歌舞からおこった。やがて遊女歌舞伎・若衆歌舞伎を経て、十七世紀後半から男性芸人の「物真似狂言」 ...
29. えんげきおんがく【演劇・音楽】 : 近世
国史大辞典
能的なものであったから、三筋町の名ある遊女たちはこの阿国に倣って女歌舞伎を演じ、当時の四条河原はたちまち遊女歌舞伎とも女歌舞伎とも呼ばれた色香あふれる官能的芝居 ...
30. おくにかぶき【阿国歌舞伎】
国史大辞典
ロザリオ(数珠)を首にかけることもあった。阿国歌舞伎の芸能をもとにして創作した読み物(絵入)に、京大本『国女歌舞伎絵詞』や梅玉本『かふき草紙』が残っていて、舞台 ...
31. お‐しょう[ヲシャウ]【和尚・和上】
日本国語大辞典
てより俗人好みて仏家の語を用ひしが、今に残れる事いと多し」(ロ)江戸時代初期の高級な遊女。遊女歌舞伎を演じた遊女をさすことが多い。*慶長見聞集〔1614〕五「お ...
32. おとこ‐しばい[をとこしばゐ]【男芝居】
日本国語大辞典
〔名〕女歌舞伎の行なわれた江戸初期に、男の役者だけで興行した演劇。〓女芝居。*古今役者大全〔1750〕四・三ケ津若女形の評「段助といふ男 ...
33. おとこまい‐かぶき[をとこまひ‥]【男舞歌舞伎】
日本国語大辞典
〔名〕近世初期、遊女歌舞伎の遊女が男舞(1)を模して演じた芸能。→遊女歌舞伎。*慶長見聞集〔1614〕五「此遊女男舞かふきと名付てかみをみじかふきりおり、わげに ...
34. おはらぎおどり【小原木踊】
国史大辞典
初期女歌舞伎踊の一種。小原女が、京に出て薪を売り歩いた風俗を歌った詞章を持つ。室町時代末期から江戸時代初期にかけて流行した風流踊の一つで、天正二年(一五七四) ...
35. おはらぎ‐おどり[をはらぎをどり]【小原木踊】
日本国語大辞典
〔名〕舞の一つ。天正二年(一五七四)大友家で催し、慶長年間(一五九六〜一六一五)の女歌舞伎でも踊った。狂言の小舞を発展させたものと考えられる。*歌舞伎・好色伝受 ...
36. おんな‐がた[をんな‥]【女形・女方】
日本国語大辞典
〔名〕演劇で、女の役を演じる男の役者。江戸初期に、女歌舞伎が禁止されてから現われたもの。新派劇や初期の映画、外国演劇にもみられる。おやま。 ...
37. 女方
日本大百科全書
を使うことが多いが、語源的には「女方」が正しい。元来歌舞伎は女優を主役にする踊りの芸能だった女歌舞伎として出発したが、1629年(寛永6)に禁止され、以後女性は ...
38. おんな‐きょうげん[をんなキャウゲン]【女狂言】
日本国語大辞典
鷺流の女事に相当。現在は、聟(むこ)狂言と共に、聟女狂言と呼ぶ場合が多い。(2)「おんなかぶき(女歌舞伎)」に同じ。*戯場楽屋図会〔1800〕上「寛永年中、〈略 ...
39. 女芝居
世界大百科事典
合同劇も行われ,女優の出現する以前の過渡的な役割をも果たした。1948年に結成された〈市川少女歌舞伎〉は,歴史的背景から芸質・履歴にいたるまで,いわゆる女役者と ...
40. おんなじょうるり【女浄瑠璃】
国史大辞典
どの幸若舞からとった作品を語って評判となり、女浄瑠璃の祖とされている。寛永六年(一六二九)の女歌舞伎の禁令の際、女浄瑠璃も禁止されたが、あとを絶たず、万治の禁令 ...
41. 女舞
日本史年表
1629年〈寛永6 己巳②〉 10・23 幕府、 女舞 ・ 女歌舞伎 を禁止(歌舞伎年表)。  ...
42. 女役者
日本大百科全書
男優の小芝居に混じって活躍し、人気もあった。第二次世界大戦後、愛知県出身の少女たちによる「市川少女歌舞伎」という一座が生まれたが、とくに「女役者」の系統としてと ...
43. かえな‐づけ[かへな‥]【替名付】
日本国語大辞典
〔名〕芝居の劇中で演ずる役割を示すこと。また、その配役表。*浮世草子・傾城色三味線〔1701〕湊・三「女歌舞伎女郎役人替名付」 ...
44. かずら【鬘】
国史大辞典
風流の鬘巻(かずらまき)と称して花やかな布帛を畳んで鉢巻として結び垂らすことが流行し、その面影を女歌舞伎の鬘帯(かずらおび)に伝えた。また布帛を畳まずに頭髪全部 ...
45. かずら【鬘】 : 鬘/(一)
国史大辞典
風流の鬘巻(かずらまき)と称して花やかな布帛を畳んで鉢巻として結び垂らすことが流行し、その面影を女歌舞伎の鬘帯(かずらおび)に伝えた。また布帛を畳まずに頭髪全部 ...
46. 鬘
世界大百科事典
慶長年間(1596-1615)に行われた能をまねた鬘帯をつけて,中古の女性の風俗を模したが,のち女歌舞伎,若衆歌舞伎が禁止されてからは,前髪を剃り落とした野郎頭 ...
47. かつら【鬘】
歌舞伎事典
武将・公達・神体=黒垂・白垂などが使用されてきた。近世初頭、成立期の女歌舞伎では、能狂言の扮装を模倣してびなんかづらを用いた。以後、女歌舞伎、若衆歌舞伎の禁止に ...
48. かばやきちょうすじ【蒲焼町筋】愛知県:名古屋市/中区
日本歴史地名大系
遊女を置き、芝居小屋を建てた。元和三年(一六一七)説教操り人形を興行、寛永年間(一六二四―四四)女歌舞伎を上演したのもこの地という(小治田之真清水)。長者町筋の ...
49. 歌舞伎(演劇)
日本大百科全書
遊里の女たちもこれに追随して、類似の歌舞団が輩出し、女歌舞伎は全国に広まった。 しかし、この「女歌舞伎」は官能本位で遊女も兼ねていたため、「遊女歌舞伎」とも称さ ...
50. 歌舞伎
世界大百科事典
展開し,これを〈遊女歌舞伎〉と呼んだ。このころになると伴奏に新渡来楽器である三味線も加わった。彼女らは芸団を組んで続々と地方に下って巡業した。一方,地方都市にも ...
「女歌舞伎」の情報だけではなく、「女歌舞伎」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

女歌舞伎と同じ歌舞伎・狂言・落語カテゴリの記事
歌舞伎(世界大百科事典)
歌舞伎は,舞楽,能,狂言,人形浄瑠璃などとともに日本の代表的な古典演劇であり,人形浄瑠璃と同じく江戸時代に庶民の芸能として誕生し,育てられて,現代もなお興行素材としての価値を持っている。明治以後,江戸時代に作られた作品は古典となり,演技・演出が
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い
江戸三座(新版 歌舞伎事典)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
歌舞伎・狂言・落語と同じカテゴリの記事をもっと見る


「女歌舞伎」は文化に関連のある記事です。
その他の文化に関連する記事
雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
七世市川団十郎が制定した一八の演目をいう。七世団十郎は、天保三(1832)年三月海老蔵に八世団十郎を襲名させ、自身は海老蔵と改名した時に配った刷り物で、「歌舞妓狂言組十八番」と題して一八種の名目を掲げた。その後、天保一一年《勧進帳》の初演に際し
日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
邦舞ともよび、西洋舞踊(洋舞)と大別される。広義には、舞楽(ぶがく)、能(のう)、歌舞伎(かぶき)舞踊(古典舞踊)、新舞踊、創作舞踊、民俗舞踊(郷土舞踊)などをいう。狭義には、これらのうち一般的によく知られている歌舞伎舞踊をいうことが多い。「舞踊」と
歌舞伎舞踊(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
寿狂言(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
江戸の劇場の中村座・市村座・森田座に伝承された祝言儀礼的狂言のこと。家狂言ともいう。江戸時代の歌舞伎の興行権は、幕府が座元(太夫元)個人に与えた特権であった。江戸三座の座元は世襲であったので、その権威も特に大きく、各座では、由緒正しい家を誇り格式を
文化に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶