NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文化
  6. >
  7. 伝統芸能・芸能
  8. >
  9. 歌舞伎・狂言・落語
  10. >
  11. ややこ踊

ややこ踊

ジャパンナレッジで閲覧できる『ややこ踊』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
ややこ踊
ややこおどり
中世末から近世初頭にかけて行われた、ややこ(幼女)による踊りの芸能。『御湯殿上日記』天正九年(一五八一)九月九日条に、宮中に参内して踊ったと記録されたのが、文献上の初見である。歌舞伎舞踊という名称が現われる以前の同じ芸能の総称だった。その意味で歌舞伎舞踊の直接的な母胎ともいえる。記録によると、京近郊を中心に地方にも足跡を残すが、この名称で呼ばれた集団は一座だけだったという説もある。具体的な芸能はいま一つ明確でないが、小歌の組歌を歌いながら二人ないし数人で振りを揃えて踊る風流踊(ふりゅうおどり)の一種であり、これを鑑賞のための舞台芸能にして演じたところに、芸能史上画期的な意義がある。今日、民俗芸能として伝わる新潟県柏崎市女谷(おなだに)の綾子舞、香川県仲多度郡仲南町佐文の綾子踊、東京都西多摩郡旧小河内村の鹿島踊などに、近世初頭のややこ踊の面影が伝わっているとされている。また、徳川黎明会蔵『歌舞伎図巻』(通称『采女(うねめ)歌舞伎草子』、重要美術品)に描かれているいくつかの舞台姿と歌謡は、その総称が歌舞伎舞踊と変わって以後のものではあるが、かつてのややこ踊の芸態を伝えていると想像する。→歌舞伎舞踊(かぶきぶよう),→風流(ふりゅう)
[参考文献]
服部幸雄『歌舞伎成立の研究』、小笠原恭子『かぶきの誕生』
(服部 幸雄)


日本大百科全書
ややこ踊
ややこおどり

中世末期から近世初めにかけて行われたヤヤコ(幼女・少女)による小歌踊の芸能。出雲(いずも)の阿国(おくに)が歌舞伎(かぶき)踊を創始する前に演じていたことで知られる芸能である。『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』の天正(てんしょう)9年(1581)9月9日に記録されたものが、現在さかのぼりうるもっとも早い文献である。具体的な内容は資料がごく限られているためによくわからないが、少女たちによる舞台芸能であったのは間違いない。この名称でよばれた芸能には、次の3種のものがあったらしい。
(1)舞台芸能となる以前から巷間(こうかん)に行われていた群舞形式の盆踊りの一種。娘や子供が踊ったので、こうよんだ。
(2)「歌舞伎踊」の名称がつけられる以前、阿国らの演じていた芸能の総称。
(3)初期の歌舞伎踊のなかにあった一レパートリーの称。
歌舞伎成立の歴史を知るうえで、きわめて重要な芸能の一種である。
[服部幸雄]



改訂新版・世界大百科事典
ややこ踊
ややこおどり

出雲のお国が歌舞伎踊を創始する以前に演じていた芸能。1581年(天正9)ごろから文献に残されている。はじめは幼い少女2人の踊りであったので,その幼さを強調して〈ややこ〉(赤ん坊)踊と呼ばれたのが,やがてお国一座の芸能の通称となったものと思われる。実体は女たちの小歌踊であるが,〈ややこ〉という曲の歌詞も残っている。幼女の振りを伝える曲であったろう。
[小笠原 恭子]

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


ややこ踊の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 25
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. ややこ踊
日本大百科全書
中世末期から近世初めにかけて行われたヤヤコ(幼女・少女)による小歌踊の芸能。出雲(いずも)の阿国(おくに)が歌舞伎(かぶき)踊を創始する前に演じていたことで知ら ...
2. ややこ踊
世界大百科事典
出雲のお国が歌舞伎踊を創始する以前に演じていた芸能。1581年(天正9)ごろから文献に残されている。はじめは幼い少女2人の踊りであったので,その幼さを強調して〈 ...
3. ややこおどり【ややこ踊】
国史大辞典
綾子舞、香川県仲多度郡仲南町佐文の綾子踊、東京都西多摩郡旧小河内村の鹿島踊などに、近世初頭のややこ踊の面影が伝わっているとされている。また、徳川黎明会蔵『歌舞伎 ...
4. ややこ踊
日本史年表
1582年〈天正10 壬午〉 この年 京都・奈良で ややこ踊 の興行(多聞院日記)。  ...
5. ややこおどり【ややこ踊】
歌舞伎事典
出雲のお国が歌舞伎踊を創始する以前に演じていた芸能。天正九(1581)年ごろから文献に残されている。はじめは幼い少女二人の踊であったので、その幼さを強調して〈 ...
6. 綾子舞
世界大百科事典
これも女歌舞伎の座によると考えられる。こういった民俗芸能は各地に散在している。小笠原 恭子 ややこ踊 常陸(ひたち)踊 綾子踊 ...
7. あやこまい【綾子舞】
歌舞伎事典
うかがわせる。ことに京で北野神社を本拠地としていた出雲のお国が、歌舞伎踊以前に名のっていた〈ややこ踊〉との名称の相似も考え合わせると、女歌舞伎の踊歌に伝わる〈や ...
8. 出雲のお国
世界大百科事典
出るのは,1600年(慶長5)京都近衛殿において〈クニ〉と〈菊〉という2人が雲州(出雲国)のややこ踊を演じたとあるのが最初である(《時慶卿記》)。次に,03年4 ...
9. いずものおくに【出雲のお国】
日本架空伝承人名事典
出るのは、一六〇〇年(慶長五)京都近衛殿において「クニ」と「菊」という二人が雲州(出雲国)のややこ踊を演じたとあるのが最初である(『時慶卿記』)。次に、〇三年四 ...
10. いずものおくに【出雲のお国】
歌舞伎事典
出身地は不詳。おそらくは京もしくはその周辺の出身であろう。歌舞伎踊を創始する以前は、ややこ踊と呼ばれる芸能を演じていた。ややこ踊の名称は、天正九(1581)年ご ...
11. 出雲の阿国
日本大百科全書
大社修繕のための勧進(かんじん)と称して芸能を演じた。初めは北野天満宮境内や五条河原に小屋がけして、「ややこ踊」や「念仏踊」といった単純な踊りだったが、1603 ...
12. いずものおくに【出雲阿国】
国史大辞典
近衛氏のために「国」と「菊」という二人がややこ踊を演じた(『時慶卿記』)とあるのが、確実な史料の上における「国」の名の初見である。この「雲州のややこ踊」が、同八 ...
13. おどりうた【踊歌】
国史大辞典
て当代流行の小歌を伴奏にうたう風が興り、小原木踊・芭蕉躍・奈良躍・吉左右踊・兵庫踊・伊勢踊・ややこ踊などが各地に生まれ、江戸時代に入るやさらに岡崎踊・小町踊・大 ...
14. おどりうた【踊歌】 : 踊歌/(一)
国史大辞典
て当代流行の小歌を伴奏にうたう風が興り、小原木踊・芭蕉躍・奈良躍・吉左右踊・兵庫踊・伊勢踊・ややこ踊などが各地に生まれ、江戸時代に入るやさらに岡崎踊・小町踊・大 ...
15. おんなかぶき【女歌舞伎】
国史大辞典
直ちにこれを模倣する、さまざまな形態の女歌舞伎の座が生まれた。座の性格から見ると、女猿楽の座やややこ踊の芸団と同じように、移動遊里的な性格を兼ねて、各地で勧進興 ...
16. 歌舞伎
世界大百科事典
る。その最初は,出雲大社の巫女の出身と称し,出雲のお国と名のった女性芸能者が京都にのぼり,〈ややこ踊〉と呼ぶ芸能を演じたのに起こる。〈念仏踊〉〈小原木踊〉〈飛驒 ...
17. 興行
世界大百科事典
ひじり)か芸能者自身であった。近世初期,歌舞伎の始まりといわれる出雲のお国が京の四条河原で〈ややこ踊〉を演じたのは,すでに興行の形態をとっていたといわれる。女歌 ...
18. 稚児舞
日本大百科全書
なだに)の綾子(あやこ)舞は近世初頭の風流(ふりゅう)踊の系統で、初期の歌舞伎(かぶき)踊のややこ踊とも関係をもっており、少女の美しさと同時に宗教的意味も歴史的 ...
19. チャッキラコ
日本大百科全書
持って踊り、伊勢参宮の風俗を写したものと思われる。その他は扇踊形式。阿国歌舞伎(おくにかぶき)の前身ややこ踊との関連が考えられるが不詳。明治末ごろから白拍子(し ...
20. 東海道名所記 2 182ページ
東洋文庫
果した。大蔵流の鼓打葛野庄九郎は、ヤヤコ庄九郎といい、祖母はややこ踊を したという。『近代四座役者目録』の記事によれば、狂言とややこ踊との交流は推考できる。ま  ...
21. なかむら【中村】島根県:簸川郡/大社町
日本歴史地名大系
考案したという。慶長五年(一六〇〇)七月一日には、京都近衛殿において「クニ」と「菊」という二名が雲州のややこ踊(歌舞伎踊創始前の芸能)を演じている(「時慶卿記」 ...
22. 日本舞踊
世界大百科事典
意味した。念仏踊(踊念仏)はそのうちの主なるものだったが,出雲のお国はこの念仏踊に〈かか踊〉〈ややこ踊〉などを交えて舞台芸術化し,かぶき踊を創始した。以後,女歌 ...
23. 平家女護島(近松門左衛門集) 469ページ
日本古典文学全集
六波羅清盛館の場 〔七〕上臈の踊り 〓春風も.キン庭は踊りの.ハル秋の露、さつさ振れ〳〵.振るや小褄はいと下しえ.ハルえいえい〳〵えい〳〵キン縁にひかるゝウ柳の ...
24. 1582年〈天正10 壬午〉
日本史年表
催す(明智光秀張行百韻)。 6・15 安土城 焼失(兼見卿記)。 この年 京都・奈良で ややこ踊 の興行(多聞院日記)。 この年以降慶長三年頃の間 太田牛 ...
「ややこ踊」の情報だけではなく、「ややこ踊」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

ややこ踊と同じ歌舞伎・狂言・落語カテゴリの記事
歌舞伎(世界大百科事典)
歌舞伎は,舞楽,能,狂言,人形浄瑠璃などとともに日本の代表的な古典演劇であり,人形浄瑠璃と同じく江戸時代に庶民の芸能として誕生し,育てられて,現代もなお興行素材としての価値を持っている。明治以後,江戸時代に作られた作品は古典となり,演技・演出が
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い
江戸三座(新版 歌舞伎事典)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
歌舞伎・狂言・落語と同じカテゴリの記事をもっと見る


「ややこ踊」は文化に関連のある記事です。
その他の文化に関連する記事
雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
七世市川団十郎が制定した一八の演目をいう。七世団十郎は、天保三(1832)年三月海老蔵に八世団十郎を襲名させ、自身は海老蔵と改名した時に配った刷り物で、「歌舞妓狂言組十八番」と題して一八種の名目を掲げた。その後、天保一一年《勧進帳》の初演に際し
日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
邦舞ともよび、西洋舞踊(洋舞)と大別される。広義には、舞楽(ぶがく)、能(のう)、歌舞伎(かぶき)舞踊(古典舞踊)、新舞踊、創作舞踊、民俗舞踊(郷土舞踊)などをいう。狭義には、これらのうち一般的によく知られている歌舞伎舞踊をいうことが多い。「舞踊」と
歌舞伎舞踊(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
寿狂言(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
江戸の劇場の中村座・市村座・森田座に伝承された祝言儀礼的狂言のこと。家狂言ともいう。江戸時代の歌舞伎の興行権は、幕府が座元(太夫元)個人に与えた特権であった。江戸三座の座元は世襲であったので、その権威も特に大きく、各座では、由緒正しい家を誇り格式を
文化に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶