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  11. 弁内侍日記

弁内侍日記

ジャパンナレッジで閲覧できる『弁内侍日記』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集のサンプルページ

国史大辞典
弁内侍日記
べんのないしにっき
鎌倉時代の女房日記。弁内侍著。二巻。成立年は未詳であるが、おそらく正元元年(一二五九)十一月二十六日の後深草天皇の譲位後さほど隔たらないころにまとめられたか。現存本は寛元四年(一二四六)正月二十九日後嵯峨天皇の譲りを受けて、後深草天皇が富小路殿で践祚した記事に始まり、建長四年(一二五二)十月十三日の記事までを伝えるが、後の方は本文の欠脱がはなはだしい。『井蛙抄』雑談の記述によって、これ以後も記事の存したことはほぼ確かである。おそらく後深草天皇の譲位までの記事が存したのであろう。『後深草院弁内侍家集』と称する伝本があることからも知られるように、著者弁内侍と妹後深草院少将内侍の和歌がきわめて多く、歌集的性格を備えた日記といえる。建長元年正月十五日、粥杖で藤原実雄の尻を打とうとして果たせなかった件りなど、明るい筆致で鎌倉時代の宮廷生活を描いている。『群書類従』日記部、玉井幸助『弁内侍日記新注』所収。複製に岩佐美代子編『彰考館蔵弁内侍日記』(『和泉影印叢刊』五〇)がある。
[参考文献]
今関敏子『中世女流日記文学論考』、『群書解題』一一
(久保田 淳)


日本大百科全書
弁内侍日記
べんのないしにっき

鎌倉時代の日記文学。二巻。1252年(建長4)までの記事がある。作者後深草院(ごふかくさいん)弁内侍は似絵(にせえ)(肖像画)の大家藤原信実(のぶざね)の女(むすめ)(生没年未詳)。姉妹の藻壁(そうへき)門院少将、少将内侍とともに優れた歌人であった。内容は後嵯峨(ごさが)天皇譲位の1246年(寛元4)に起筆、ついで後深草天皇即位以後断続的に52年まで7年間のことがあるが、現在伝わる日記は末尾が散逸しており、作者はさらに7年後の1259年(正元1)後深草譲位まで奉仕していたことが知られるから、本来はこのころまで書き継がれたものと思われる。天皇の行動や宮廷行事に関するもので公的性格が強く、めでたいこと、おもしろいことなど明るい記事の羅列であるが、機知とユーモアに富んだ天真爛漫(らんまん)な作者の個性もよく出ている。歌が304首、連句が六句あるので、「弁内侍家集」とも称される。
[松本寧至]



改訂新版・世界大百科事典
弁内侍日記
べんのないしにっき

鎌倉時代の日記。《後深草院弁内侍家集》ともいう。著者は中務大輔藤原信実の娘(実名不詳)で,肖像画の名手藤原隆信の孫に当たる。後深草天皇に皇太子時代から仕えた。日記の期間は1246年(寛元4)の後深草天皇即位から52年(建長4)ころまで,内容は200首に及ぶ著者の歌を中心に,宮廷生活における行事や見聞を記す。ただし,現存本は巻末に相当量の脱落があると推定される。
[今西 祐一郎]

[索引語]
後深草院弁内侍家集 藤原信実女 後深草天皇


新編 日本古典文学全集
弁内侍日記(中世日記紀行集)
べんのないしにっき(ちゅうせいにっききこうしゅう)
【閲覧画面サンプル】
弁内侍日記(中世日記紀行集) 全体

【上記の拡大画像】
弁内侍日記(中世日記紀行集) 拡大

【現代語訳】
〔一〕 
寛元四年正月二十九日、富小路殿で、御譲位が行われた。その間の儀式は、事多くて、とても書ききれない。本当におめでたいことだと思われて、弁内侍、

今日よりは……(さあ今日からは、いよいよ我が君のご治世だと晴れて唱えながら、月日を空に仰ぎ見ない日はないのだよ)

〔二〕 
三月十一日、太政官庁で御即位式。春の日の光も特に晴れやかだったうえ、色々の儀式の様子は言いようもなくすばらしい。中国風の装束を着けた人々の姿が、珍しく面白く見えたので、弁内侍、

たまゆらに……(大礼の日ゆえ特別に玉飾りや中国風の錦を身につけている人々の姿を見ると、千年に一度の盛儀はまさに今日だと、いよいよ珍しく胸が躍ることだ)

〔三〕 
四月一日、平野神社の祭である。上卿は土御門大納言顕定、弁は経俊。車役はすけつぐ、公役は時つら。私の車の出衣は若楓である。「御手水を差し上げよ」と言うので、どうするのかと思ったら、紙を濡らして長い串の先に挟んで、もったいぶって車の中へ差し入れて来たので、とてもおかしかった。松の木陰に風が涼しく吹いて、辺りの趣が風情深く見えたので、弁内侍、

万世と……(万年までもお栄えになるよう、君の御代を祈るよ。平野神社の松を古いもののたとえに引いて)

【目次】
弁内侍日記(扉)
梗概
〔一〕御譲位
〔二〕御即位
〔三〕平野の祭
〔四〕寛元四年松尾の使
〔五〕内侍所へ使
〔六〕かつみの歌
〔七〕御連歌
〔八〕乞巧奠
〔九〕心づくしの月影
〔一〇〕御垣が原
〔一一〕菊の着せ綿
〔一二〕陣の公事
〔一三〕河原の御祓
〔一四〕月・雪のながめ
〔一五〕吉田の使
〔一六〕御髪削ぎ
〔一七〕悠紀方の女工所
〔一八〕主基方の女工所
〔一九〕中宮の行啓
〔二〇〕官庁へ行幸
〔二一〕打垂れ髪
〔二二〕宮の淵酔
〔二三〕御随身は従うべきにや
〔二四〕清暑堂の御神楽
〔二五〕高御座
〔二六〕有明の月
〔二七〕還立
〔二八〕内侍所の御神楽
〔二九〕節分の御方違
〔三〇〕久我太政大臣の節会
〔三一〕薬師の御修法
〔三二〕拝礼
〔三三〕白馬の節会
〔三四〕摂政かわる
〔三五〕日記の御草子
〔三六〕御拝の御供
〔三七〕宝治の改元
〔三八〕御灯の御神事
〔三九〕五節のまね
〔四〇〕たのめし花
〔四一〕問籍の声
〔四二〕季の御読経
〔四三〕花山院宰相中将の嘆き
〔四四〕宣仁門院御出家
〔四五〕新吉野川
〔四六〕北山のほととぎす
〔四七〕記録所の行幸
〔四八〕宝治元年の最勝講
〔四九〕花山院宰相中将へ哀傷
〔五〇〕五壇の御修法
〔五一〕顕親出家
〔五二〕顕親を思う
〔五三〕清涼殿の月
〔五四〕除目
〔五五〕中宮の御薫物
〔五六〕萩の戸の萩
〔五七〕釈奠
〔五八〕院の御歌会
〔五九〕駒引
〔六〇〕万世の影
〔六一〕起きていの時
〔六二〕古枝の萩
〔六三〕勾当内侍の琵琶
〔六四〕雲居の月
〔六五〕河を隔てたる恋
〔六六〕秋の夜長
〔六七〕見えぬ心
〔六八〕かしらけづらず
〔六九〕御壺の菊
〔七〇〕五節
〔七一〕節会
〔七二〕九十くも
〔七三〕嬉しや水
〔七四〕記録所行幸
〔七五〕母の忌
〔七六〕御仏名
〔七七〕四方拝
〔七八〕粥の杖
〔七九〕疾く咲く紅梅
〔八〇〕薄様の小草子
〔八一〕閑院殿炎上
〔八二〕富小路の内裏
〔八三〕馴れ来し梅
〔八四〕唐橋大納言
〔八五〕鳥合せ
〔八六〕石清水臨時祭
〔八七〕鞠はいしいものかな
〔八八〕建長の改元
〔八九〕建長元年松尾の使
〔九〇〕御方違の行幸
〔九一〕警護の召仰
〔九二〕月待つ程
〔九三〕富小路殿の最勝講
〔九四〕台盤所の御倚子
〔九五〕ことなる御祈
〔九六〕弦打の調子
〔九七〕御連歌
〔九八〕雲の上臥
〔九九〕大納言殿の三位
〔一〇〇〕常盤井殿の月
〔一〇一〕秋の夜の月
〔一〇二〕冷泉殿の五節
〔一〇三〕城の崎より
〔一〇四〕鬼の間の人音
〔一〇五〕冴ゆる霜夜
〔一〇六〕殿上淵酔
〔一〇七〕春日使
〔一〇八〕仏法僧鳥
〔一〇九〕京極面の大柳
〔一一〇〕七瀬の御祓
〔一一一〕千代のあまり
〔一一二〕灌仏会
〔一一三〕祭の女使
〔一一四〕神今食
〔一一五〕黒戸の番
〔一一六〕閑院殿事始
〔一一七〕阿弥陀仏連歌
〔一一八〕駒引
〔一一九〕てれてれひのこ
〔一二〇〕おめたる鬼
〔一二一〕物のまね
〔一二二〕朝覲の行幸
〔一二三〕御壺の紅葉
〔一二四〕五節のしつらい
〔一二五〕御前の召
〔一二六〕賀茂臨時祭
〔一二七〕除目
〔一二八〕荷前の使
〔一二九〕法勝寺修正
〔一三〇〕為氏尻打ち
〔一三一〕囲碁の譜
〔一三二〕馴れける宮の花
〔一三三〕鷲尾の花
〔一三四〕皇后宮院号
〔一三五〕薬玉
〔一三六〕桂女
〔一三七〕夜半の水鶏
〔一三八〕閑院殿遷幸
〔一三九〕御所のしつらい
〔一四〇〕露台の月
〔一四一〕資保が笛
〔一四二〕萩の戸の管絃
〔一四三〕宮内卿典侍
〔一四四〕伊勢の例幣
〔一四五〕塩焼く煙
〔一四六〕からおぎの歌
〔一四七〕五節の頃
〔一四八〕女踏歌
〔一四九〕富小路殿の梅
〔一五〇〕北山殿の梅
〔一五一〕顕方の宰相
〔一五二〕四つの緒の調べ
〔一五三〕御手鞠の絵
〔一五四〕名のりすてたる時鳥
〔一五五〕組入の数
〔一五六〕台所盤の棚
〔一五七〕菖蒲の兜
〔一五八〕最勝講のまね
〔一五九〕壁の穴
〔一六〇〕夕餉にぞなりにける
〔一六一〕塩の小路と申し候
〔一六二〕夜の鶴
〔一六三〕神泉苑の蓮
〔一六四〕夏の夜の月
〔一六五〕時鳥の声
〔一六六〕庭の朝露
〔一六七〕連歌一折
〔一六八〕まさる月影
〔一六九〕いとおしという事
〔一七〇〕歌好む人
〔一七一〕古き御山
〔一七二〕八入の色
〔一七三〕雨夜の御連歌
〔一七四〕峰の小松
〔一七五〕院の御所より
校訂付記

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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
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日本国語大辞典
*唐物語〔12C中〕下「なをつみてゐざりありくを、ゆゆしげなるもののすがたかなとみるほどに」*弁内侍日記〔1278頃〕寛元四年一一月二二日「むかし女房のやうにい ...
35. いし・い【美】
日本国語大辞典
破戒無慙なる事のみあれども、人の甚だ信仰して威徳ある事あり。其をいしき事と思ふべからず」*弁内侍日記〔1278頃〕建長元年「鞠はいしいものかな。あれほど左衛門督 ...
36. いし‐ざか
日本国語大辞典
〔名〕「いしとさか(石鶏冠)」に同じ。*寛元記本弁内侍日記〔1278頃〕宝治三年三月三日「万里の小路の大納言のまゐらせられたるあかとりの、いしさかなるが、毛色も ...
37. いし‐とさか【石鶏冠】
日本国語大辞典
〔名〕鶏などのとさかの、石のように堅いもの。いしざか。*弁内侍日記〔1278頃〕宝治三年三月三日「万里の小路の大納言の参らせられたる、あかとりのいしとさかあるが ...
38. いしばい の 間(ま)
日本国語大辞典
御拝〓云々」*弁内侍日記〔1278頃〕寛元四年一二月一二日「日ごろ降る雪さえとほりたるに、いしばひの間にかへりたち、 ...
39. いし‐ばし【石階】
日本国語大辞典
石橋〓二三足」*弁内侍日記〔1278頃〕寛元四年一一月「たかきいしはしにはかまのふみどころたどられて扇もさされず、いと ...
40. いそ‐め・く【急─】
日本国語大辞典
〔自カ四〕(「めく」は接尾語)忙しそうに行動する。いそいそと行なう。*弁内侍日記〔1278頃〕宝治三年二月一日「権大納言、万里の小路、冷泉の大納言など、そのまぎ ...
41. いたいけ‐・す【幼気】
日本国語大辞典
*平家物語〔13C前〕六・小督「門をほそめにあけ、いたひけしたる小女房、顔ばかりさしいだいて」*弁内侍日記〔1278頃〕寛元五年「かしらけづらずといふ木の、小さ ...
42. いだし‐うた【出歌】
日本国語大辞典
〔名〕五節(ごせち)の乱舞にそえて歌う歌。*弁内侍日記〔1278頃〕建長二年「いたしうたも乱舞も、手をつくし侍るべし」 ...
43. いだし‐ぎぬ【出衣】
日本国語大辞典
置いて飾りとするが、童女の車は実際に乗って童女装束の汗衫(かざみ)や袴の裾を出す。→出車(いだしぐるま)。*弁内侍日記〔1278頃〕寛元四年四月一日「平野の祭な ...
44. いだし‐づま【出褄】
日本国語大辞典
〔名〕「いだしぎぬ(出衣)(1)」に同じ。*弁内侍日記〔1278頃〕寛元四年一一月二二日「殿上の櫛形ある間には、徳大寺の大将〈さねとも〉を始めて、上達部のいだし ...
45. いち の 対(たい)
日本国語大辞典
*宇津保物語〔970〜999頃〕蔵開下「左大将おりかかりて、東の一のたいのかたへおはしぬ」*弁内侍日記〔1278頃〕寛元四年八月一六日「二条の后、後涼殿に候ひ給 ...
46. いち‐ろう[‥ラフ]【一臈】
日本国語大辞典
*平家物語〔13C前〕八・征夷将軍院宣「大宮のさぶらひたつし工藤一臈(いちらう)祐経是をひく」*弁内侍日記〔1278頃〕寛弘五年一一月「なかやす一臈になりたるよ ...
47. いでい の 殿上人(てんじょうびと)
日本国語大辞典
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48. いと しも なし
日本国語大辞典
今鏡〔1170〕七・新枕「いとしもなき歌詠みなどし侍らんには、遙かにまさりて聞こえけれ」*弁内侍日記〔1278頃〕建長二年一一月一六日「ある人、いとしもなき先祖 ...
49. いや‐めずら[‥めづら]【彌珍】
日本国語大辞典
〔形動〕一段とすばらしい。*色葉字類抄〔1177〜81〕「長今 イヤメヅラナリ」*弁内侍日記〔1278頃〕寛元四年三月一一日「玉ゆらに錦をよそふ姿こそ千とせは今 ...
50. いる‐かた【入方】
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕末摘花「もろともに大内山は出でつれどいるかた見せぬいさよひの月」*弁内侍日記〔1278頃〕宝治三年一二月一八日「やといひて引きやと ...
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蜻蛉日記(日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安中期の歌人藤原道綱母の書いた回想録的な日記。道綱母の20歳ごろの954年(天暦8)、時の右大臣藤原師輔の三男兼家と結婚してから、974年(天延2)に兼家の通うのが絶えるまでの、20年間の記事をもつ。上中下の3巻からなり、上巻末尾に「あるかなきかの心地するかげろふの日記といふ
和泉式部日記(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
【現代語訳】〔一〕夢よりもはかない人の世、亡き宮様とのことを、嘆きわずらいながら、夜を明かし日を暮しているうちに、四月十日すぎにもなったので、木々の葉陰の闇がしだいに濃くなってゆく。築地の上の草が青々としているのも、他人はことさら目もくれないけれど
成尋阿闍梨母集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代中期の家集。二巻。作者の出自・生没などは不明の点が多いが、源俊賢女として永延二年(九八八)ごろ生まれ、藤原実方の男と結婚して男二人を生み、間もなく夫に死別しわが子の成長を唯一の頼みに五十余年の寡婦生活を続けた。八十歳を超えた延久二年(一〇七〇)
讃岐典侍日記(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
〔一〕五月の空も、わたしの心に似て、雲に閉ざされ、雨が降り続いて、田植えに濡れた農夫の着物の裾も、わたしの衣の袖のように、干すことができずに困っているであろうが、それももっともなことと思われ、ただでさえうっとうしい折しも、何かと気を遣うことのない自宅
更級日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
仮名日記文学。菅原孝標女の著。一巻。康平二年(一〇五九)ごろ成立。父の任国上総に伴われた作者が、ひそかに胸に抱いた『源氏物語』への憧憬の気持ちを日記の冒頭に記し、まず寛仁四年(一〇二〇)、十三歳の九月、上総介の任果てて上京する孝標一行の東海道旅の記を綴る。三ヵ月の旅は
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野白内証鑑(日本古典文学全集)
野白内証鑑一之巻目録自分の行状の弁解をした野郎の話秘密の色遊びはばれたが、始めより末に至って情勢が好転した野郎の大臣。その相手は羽ぶりのよい撞木町の女郎。悪性をささやいてすすめる耳塚の駕籠屋。客に肌を見せない白人の話 外面は菩薩のようだが内情は
豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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