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増鏡

ジャパンナレッジで閲覧できる『増鏡』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
増鏡
ますかがみ
歴史物語。作者未詳。十七巻。十四世紀後半の成立。『益鏡』『真寸鏡』とも書き、『源起記』と題した写本もある。治承四年(一一八〇)後鳥羽天皇の誕生から筆を起し、元弘三年(一三三三)後醍醐天皇が配所の隠岐から帰京するまでの歴史を、貴族社会を中心にして仮名書き雅文体で述べた書物。中間に欠けている年代もある。作中の筆者が京の嵯峨清凉寺に参詣した際に、高齢の尼が見聞したという百五十年間の出来事を語り聞かせる形式で書き出す点で、『大鏡』以下の「鏡物」といわれる文学作品と同じ趣向であるが、書き出しに対応して、高齢の尼が再び登場して物語を結ぶ最後の部分が書かれていない。記事は、『弁内侍日記』や『とはずがたり』など、宮廷の女性の回想記をはじめ、その他の現存の史料の利用が確認できるため、これらのほかにも、今日散逸してしまったため確認できない数々の史料を利用して記したと推定され、場面や視野は限られているが、この時代の史料として使用することができる。作者の意図は歴史を正確に記することではなく、優雅な貴族社会を、年次を逐って描くことにあったと考えられる。作者は二条良基とする説が有力であるが、四条隆資・二条為明などとする説もある。十七巻のそれぞれには、本文中の和歌から採った題がついている。後人がこの十七巻中に記されなかった歳月の出来事や、簡略にしか記されていない部分を補い、十九巻(二十巻)に仕立て直した。「内野の雪」「烟の末々」「山のもみぢ葉」「北野の雪」の巻やそのなかの一部分がそれである。この結果、鎌倉時代の歴史としては一貫することになった(尊経閣文庫所蔵後崇光院自筆本(重要文化財)・古活字本・製版本など)。そこで、十七巻本を草稿、十九巻本を成稿とする説が生まれ、諸書に紹介されることが多いが、すでに池田亀鑑『古典の批判的処置に関する研究』第二部(昭和十六年(一九四一)、岩波書店)の中で論破されているように、十九巻本は後人の加筆改編にすぎない。翻刻には、『岩波文庫』、『(新訂増補)国史大系』二一下(主な増補部分を補う)、『日本古典文学大系』八七、『講談社学術文庫』、和田英松『重修増鏡詳解』(増補本系)などがある。
[参考文献]
松村博司『歴史物語(改訂版)』(『塙選書』一六)
(益田 宗)


日本大百科全書
増鏡
ますかがみ

南北朝時代の歴史物語。3巻。作者は二条良基(よしもと)が最有力視されている。成立年代については諸説があり、上限を1338年(延元3・暦応1)、下限を1376年(天授2・永和2)とするなど幅は広い。記載年代は後鳥羽(ごとば)天皇誕生の1180年(治承4)7月から1333年(元弘3・正慶2)6月後醍醐(ごだいご)天皇が隠岐(おき)から京都に還幸され、建武(けんむ)新政が樹立するまでのほぼ150年間を編年体で記す。形式は作者が嵯峨(さが)清凉寺に詣(もう)でた際に100歳を超える老尼が語った歴史を筆録したというもの。内容は承久(じょうきゅう)の乱と元弘(げんこう)の変を両極にして、その間の後鳥羽院の隠岐(おき)配流をはじめ、順徳(じゅんとく)上皇(佐渡)、土御門(つちみかど)上皇(土佐、阿波(あわ))の遠島配流のようすや南北両朝迭立(てつりつ)に揺れ動く公武社会のようす、蒙古(もうこ)の襲来等を描く。とくに宮廷における行事や公家(くげ)の文化的生活についての記事は詳しい。鎌倉時代の歴史的な大事件にはほとんど触れているが、その史実の選択と視座に偏りがみられる。それは朝廷中心に描かれており、公家の目で世の中をみているところに特徴がある。公家社会から武家社会へと推移していく歴史の必然性に背を向け、幕府の独裁政治下にあって貴族社会時代の甘美な夢をみたとする説や、艶(えん)とあわれに満ちた文化的な生活が鎌倉時代の宮廷に一貫して存在し続けたことを立証しようとした気持ちが作者にあったとする説などがある。文章は『源氏物語』の影響を受けて優艶(ゆうえん)である。各巻名は「藤衣(ふじごろも)」「草枕(くさまくら)」「むら時雨(しぐれ)」など優雅な名がつけられている。
[祐野隆三]



改訂新版・世界大百科事典
増鏡
ますかがみ

南北朝時代の歴史物語。17巻本と20巻本がある。著者は二条良基が有力視されるが,確証はない。《大鏡》《今鏡》《水鏡》とならぶ〈四鏡〉最後の作品。《今鏡》のあとをうけて,後鳥羽院誕生の1180年(治承4)から,隠岐に流されていた後醍醐天皇が京都に帰還する1333年(元弘3)までの150年間を編年体で記す。第1巻〈おどろの下〉~第4巻〈三神山〉では,後鳥羽院の治政と承久の変による院の隠岐への配流,第5巻〈内野の雪〉~第10巻〈老のなみ〉では,後嵯峨・後深草・亀山天皇の時代を扱い,その宮廷風俗や,この時期に外戚として勢力を持つに至った西園寺家のありさまを述べる。第11巻〈さしぐし〉~第17巻〈月草の花〉は,後醍醐天皇の倒幕の動きとその失敗,隠岐への配流を語り,最後に鎌倉幕府の滅亡と後醍醐天皇の上洛を述べて筆を置く。内容は皇位の継承を軸にした宮廷社会のできごとを主とし,後深草・亀山両帝の後宮における男女関係の秘話にまで言及するが,他方,武士,すなわち鎌倉幕府についての記述はきわめて少ない。文章は,《源氏物語》《栄華物語》など平安朝物語に倣った擬古文で,なかでも《源氏物語》の影響は文章のみにとどまらず,後鳥羽院,後醍醐天皇の隠岐配流を,いずれも光源氏の須磨のわび住いになぞらえて語っている。
[今西 祐一郎]

[索引語]
二条良基 四鏡
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1. 『増鏡』
日本史年表
1376年〈【北朝】永和2・【南朝】天授2 丙辰⑦〉 4・15 これより以前, 『増鏡』 成る。  ...
2. 増鏡
日本大百科全書
南北朝時代の歴史物語。3巻。作者は二条良基(よしもと)が最有力視されている。成立年代については諸説があり、上限を1338年(延元3・暦応1)、下限を1376年( ...
3. 増鏡
世界大百科事典
南北朝時代の歴史物語。17巻本と20巻本がある。著者は二条良基が有力視されるが,確証はない。《大鏡》《今鏡》《水鏡》とならぶ〈四鏡〉最後の作品。《今鏡》のあとを ...
4. ますかがみ【増鏡】
日本国語大辞典
南北朝時代の歴史物語。一七巻。また、一九巻・二〇巻の増補本がある。著者は二条良基説が有力。応安年間(一三六八〜七五)から永和二年(一三七六)頃の成立という。治承 ...
5. ますかがみ【増鏡】
全文全訳古語辞典
[書名]南北朝時代の歴史物語。十七巻だが、十九巻・二十巻の増補本もある。作者未詳。十四世紀中頃の成立。「大鏡」などを模して、嵯峨(=京都市右京区)の清涼寺で老尼 ...
6. ますかがみ【増鏡】
国史大辞典
系』二一下(主な増補部分を補う)、『日本古典文学大系』八七、『講談社学術文庫』、和田英松『重修増鏡詳解』(増補本系)などがある。 [参考文献]松村博司『歴史物語 ...
7. あい‐かわ[あゐかは]【藍革】
日本国語大辞典
無文藍革青簾、浅木末濃下簾〓」*増鏡〔1368〜76頃〕一〇・老のなみ「藤大納言為氏無文のふすべ革、其外色々の錦皮、あゐかは、藍白地 ...
8. あい‐ぐ・す[あひ‥]【相具】
日本国語大辞典
*今昔物語集〔1120頃か〕三一・九「我を倡(いざなひ)て相具て、何(いづ)くとも不思(おぼえ)ぬ所に行しに」*増鏡〔1368〜76頃〕一五・むら時雨「かしこへ ...
9. あい‐しらじ[あゐしらヂ]【藍白地】
日本国語大辞典
*春のみやまぢ〔1280〕五月一四日「けふの御まりにまいらむと思に、あゐしらぢをよういしたるが」*増鏡〔1368〜76頃〕一〇・老のなみ「其外色々の錦皮、藍皮、 ...
10. あい‐ぜん【愛染】
日本国語大辞典
きむすめの年かくしゐるは、よくよくあいぜんににくまれけるぞかし」(3)「あいぜんほう(愛染法)」の略。*増鏡〔1368〜76頃〕一二・うら千鳥「さまざまの御修法 ...
11. あい‐ぜん【愛染】
仏教語大辞典
中・五ノ四 「是故大論偈云、自法愛染故、毀訾他人法」 3 「 あいぜんほう【愛染法】 」の略。 増鏡 下・一二 「五壇・薬師・愛染、色 ...
12. あいぜん‐おう[‥ワウ]【愛染王】
日本国語大辞典
あいぜんおうほう(愛染王法)」の略。*阿娑縛抄〔1242〜81頃〕一一五「愛染王 極秘法也」*増鏡〔1368〜76頃〕一五・むら時雨「一字金輪(きんりん)は浄経 ...
13. あいぜん‐おう【愛染王】
仏教語大辞典
あいぜんみょうおう【愛染明王】 」の略。 塵添壒囊鈔 一九・一〇 「仍上人自彼御門御等身、愛染王像を造」 増鏡 上・五 「愛染王の座さまさぬ秘法」 2 「 あい ...
14. あいだち‐な・し
日本国語大辞典
いと思ひの外なるものにこそと、世を思ひ給へ乱るることなんまさりにたる』とあいだちなくぞうれへ給ふ」*増鏡〔1368〜76頃〕二・新島守「頼朝うちほほゑみ、『橋本 ...
15. あえ‐か
日本国語大辞典
〔1028〜92頃〕根合「上は小一条院の姫宮におはします。あてにあえかにめでたくおはします」*増鏡〔1368〜76頃〕九・草枕「いと心憂しと思せど、あへかに消え ...
16. あお‐いとげ[あを‥]【青糸毛】
日本国語大辞典
院之青糸毛〓云々」*増補本増鏡〔1368〜76頃〕五・内野の雪「宮は御輿、御子はあおいとけの御車」 ...
17. あお‐すじ[あをすぢ]【青筋】
日本国語大辞典
〔名〕(1)青色の筋。*増鏡〔1368〜76頃〕一〇・老のなみ「院の御かた、葡萄染めに白筋、樺(かば)桜のあをすぢ、〈略〉さまざまに目もあやなる清らをつくされた ...
18. あお‐もみじ[あをもみぢ]【青紅葉】
日本国語大辞典
門院右京大夫集〔13C前〕「三位中将維盛のうへのもとより、紅葉につけて、あをもみぢの薄様に」*増鏡〔1368〜76頃〕八・あすか川「大宮女院は白菊の御衣、東二条 ...
19. あか‐いろ【赤色】
日本国語大辞典
八二・狩衣は「狩衣(かりぎぬ)は 香染の薄き。白き。ふくさ。あかいろ。松の葉色。青葉」*増補本増鏡〔1368〜76頃〕六・烟の末々「前の兵衛の佐朝経、赤色の狩衣 ...
20. あか で
日本国語大辞典
*古今和歌集〔905〜914〕離別・四〇四「むすぶ手のしづくに濁る山の井のあかでも人に別れぬるかな〈紀貫之〉」*増鏡〔1368〜76頃〕二・新島守「中院は、あか ...
21. あか‐はし【赤橋】
日本国語大辞典
〔名〕神社の前などにある赤い反り橋。*増鏡〔1368〜76頃〕一一・さしぐし「あかはしといふ所に、将軍御車とどめて降りたまふ」 ...
22. あかれ【散・別】
日本国語大辞典
女御殿の五つ、明石の御あかれの三つ、目もあやに飾りたる装束(さうぞく)、ありさま、いへば更なり」*増鏡〔1368〜76頃〕一〇・老のなみ「御かたがたの女房、色々 ...
23. あかれ‐あかれ【別別】
日本国語大辞典
三・為光「御男子七人、女君五人おはしき。〈略〉男君達の御母、みなあかれあかれにおはしましき」*増鏡〔1368〜76頃〕八・あすか川「あかれあかれにわかちつかはす ...
24. あきら‐け・し【明─】
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕若菜上「かく末の世のあきらけき君として、来し方の御面をもおこし給ふほいのこと」*増鏡〔1368〜76頃〕一・おどろの下「よろづの道 ...
25. あきれ‐いた・し【呆痛】
日本国語大辞典
夜の寝覚〔1045〜68頃〕一「よにしらず乱り心地あきれいたきになにごとも思ひ給へわかれず」*増鏡〔1368〜76頃〕一五・むら時雨「よろづうきうきと、我も人も ...
26. あけ‐くれ【明暮】
日本国語大辞典
〜14頃〕須磨「ひめ君の、あけくれにそへてはおもひなげき給へるさまの心くるしうあはれなるを」*増鏡〔1368〜76頃〕春の別れ「あけくれねん比(ごろ)に孝(けう ...
27. あけ‐ん‐とし【明─年】
日本国語大辞典
99頃〕嵯峨院「御年のたり給ふに、あけんとし六十になり給ふ年なるを、つかうまつらんとおぼす」*増鏡〔1368〜76頃〕八・あすか川「あけむとし、一院、五十(いそ ...
28. あげ‐まさり【上優】
日本国語大辞典
なほ『いづくにいかなりし人ぞ』と、胸うちさわぎて」*苔の衣〔1271頃〕一「御あげまさりはよのつねならず」*増鏡〔1368〜76頃〕一〇・老のなみ「御門、春宮、 ...
29. あげ‐まり【上鞠】
日本国語大辞典
然人勤仕すべき也。〈略〉或は普代の人。或は堪能の人。又はやんごとなき上臈」*増鏡〔1368〜76頃〕六・おりゐる雲「御門も御鞠(まり)に立たせ給へり。二条関白良 ...
30. あさ‐あけ【朝明】
日本国語大辞典
〔1312〕秋上・五二一「月残り露まだきえぬ朝あけの秋の籬(まがき)の花のいろいろ〈実承〉」*増鏡〔1368〜76頃〕七・北野の雪「雪いみじう降りたる朝あけに、 ...
31. あさぎ‐べり【浅葱縁】
日本国語大辞典
〔名〕座席の畳の両辺を包みとじた布が、あさぎ色のもの。*増鏡〔1368〜76頃〕一一・さしぐし「あさぎべりの御座に、うへの御衣(おんぞ)黒き、うへの御袴、裏は柑 ...
32. あさまし・い【浅】
日本国語大辞典
*海人刈藻物語〔1271頃〕二「御心もなきやうにておはしましけるが、夜に入りて、あさましくなり給ひぬ」*増鏡〔1368〜76頃〕三・藤衣「院の御悩み重くならせ給 ...
33. あざ‐やか【鮮─】
日本国語大辞典
5〜68頃〕三「内外いとさわがしければ、あざやかにもてなし、よろづ細かにおきてもてない給て」*増鏡〔1368〜76頃〕一・おどろの下「御心ばへは、新院よりも少し ...
34. あし‐すだれ【葦簾】
日本国語大辞典
蘆簾〓〈以鈍色細布為端冒額〉」*増鏡〔1368〜76頃〕一三・秋のみ山「内の上、御服(ぶく)奉る。天下ひとつに染めわたして、あしすだれとか ...
35. あじろ‐ごし【網代輿】
日本国語大辞典
摂家(せっけ)、清華家(せいがけ)では常用とし、他の諸家も盛儀用として用いた。あじろのこし。*増鏡〔1368〜76頃〕一五・むら時雨「鳳輦(ほうれん)にはあらぬ ...
36. あじろびさし‐の‐くるま【網代庇車・網代廂車】
日本国語大辞典
上皇も内々のときに用いた。網代庇。庇車。雨眉車(あままゆのくるま)。→網代車(あじろぐるま)。*増鏡〔1368〜76頃〕九・草枕「おなじ十日、やがてきくのあじろ ...
37. あずま‐くだり[あづま‥]【東下】
日本国語大辞典
〔名〕京都から、関東地方へ行くこと。鎌倉時代はもっぱら鎌倉へ行くこと。海道下り。*増鏡〔1368〜76頃〕一二・浦千鳥「かの大納言あづまくだりののち、院に参り給 ...
38. あずま の 主(あるじ)
日本国語大辞典
鎌倉幕府の将軍。*増鏡〔1368〜76頃〕五・内野の雪「ただ御子(みこ)にて、あづまのあるじになしきこえてんと思して」 ...
39. あずま の 代官(だいかん)
日本国語大辞典
鎌倉幕府から派遣された京都守護。*増鏡〔1368〜76頃〕二・新島守「あづまの代官にて、伊賀判官光季といふ者あり」 ...
40. あそび の 具(ぐ)
日本国語大辞典
めのとご六人、おなじほどにてたけ五尺なるもを、ゆひこめにきせ給て、御あそびのぐにて候はせ給」*増鏡〔1368〜76頃〕一〇・老のなみ「庇に上達部つきて、御遊の具 ...
41. あたら〓し【惜】
日本国語大辞典
「あたらし」は対象を客観的にすばらしいと見て感嘆する気持が主となっている。(3)中世以降は和歌に若干例と「増鏡」に九例ある程度で、雅語としてだけ用いられるように ...
42. あたらし‐さ【惜─】
日本国語大辞典
C前〕三・伊尹「御年、五十にだに足らでうせさせ給へるあたらしさは、父おとどにも劣らせ給はず」*増鏡〔1368〜76頃〕一六・久米のさら山「所につけては、ましてや ...
43. あたり‐まど・う[‥まどふ]【当惑】
日本国語大辞典
葵「今はさりともと思したゆみたりつる程に、あさましければ、殿の内の人も、物にぞあたりまどふ」*増鏡〔1368〜76頃〕二・新島守「いはんかたなくあきれて、上下、 ...
44. あつか・う[あつかふ]【扱・〓・刷】
日本国語大辞典
ひ給ふ」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「年ごろの御病をだに、はづるる事なくあつかひ参らせて」*増鏡〔1368〜76頃〕八・あすか川「院も添ひおはしまして、あつか ...
45. あつ‐づま【厚褄】
日本国語大辞典
ず」*とはずがたり〔14C前〕二「又公卿あつつまにて、殿上人六位かたぬき、北のちんをわたる」*増鏡〔1368〜76頃〕八・あすか川「上達部みな五節のまねをして、 ...
46. あつまり‐つど・う[‥つどふ]【集集】
日本国語大辞典
〔自ハ四〕寄り集まる。*増鏡〔1368〜76頃〕一六・久米のさら山「世に怨みある物など、ここかしこに隠ろへばみてをる限りは、あつまりつどひけり」 ...
47. あと【後】
日本国語大辞典
山家集〔12C後〕中・詞書「はかなくなりにける人のあとに、五十日のうちに一品経供養しけるに」*増鏡〔1368〜76頃〕一四・老のなみ「亡き人の重ねし罪も消えねと ...
48. あとまくら も =知(し)らず[=覚(おぼ)えず]
日本国語大辞典
・三「病まざらんすら命もつぎがたきに、ましてあとまくらもおぼえねば、命も絶えぬべくこそ侍る」*増鏡〔1368〜76頃〕一三・秋のみ山「かの頼基(よりもと)入道も ...
49. あな‐ぐ・る【探・索】
日本国語大辞典
アナグル」*源平盛衰記〔14C前〕四一・義経関東下向「在所をあなぐられて、遂に搦め捕られけり」*増鏡〔1368〜76頃〕九・草枕「国々のありさま、人の愁(うれ) ...
50. あなとうと[あなたふと]【安名尊】
日本国語大辞典
呂(りょ)の歌の曲名。「楽家録‐巻之六・催馬楽歌字」所収の「あなたふと、けふのたふとさや」で歌い出されるもの。*増鏡〔1368〜76頃〕一三・秋のみ山「左の大臣 ...
「増鏡」の情報だけではなく、「増鏡」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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うつほ物語(宇津保物語)(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の物語。題名は首巻の「俊蔭」の巻で、主人公の仲忠が母と杉の洞穴で生活したことによる。従来「宇津保」と書かれていたが、変体仮名の原漢字を用いたもので、題意からは「うつほ(ウツオ)」がよい。成立時代は円融朝(969~984)~
落窪物語(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
〔一〕今は昔のこと、中納言である人で、姫君を大勢持っていらっしゃった方がおられた。長女や次女の君には婿を迎えて、それぞれ西の対、東の対に派手に住まわせ申しあげなさって、「三女、四女の君には裳着の式をして差し上げよう」と、大事にお世話なさる
唐物語(国史大辞典・世界大百科事典)
中国説話二十七篇を歌物語風に翻訳した物語。一冊。前田綱紀の手記『桑華書志』所収の『古蹟歌書目録』は『漢物語』として作者を藤原成範と伝える。これが『唐物語』を指す蓋然性は高く、院政期の成立と見てよい。各話は王朝物語にもしばしば引用される著名な人物が配される。
とりかへばや物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代末期の物語。運命のいたずらで女装、男装を余儀なくされた異腹の兄妹の物語。作者未詳。三巻三冊または四巻四冊。『とりかへばや』には古本と今本とがあり、古本は散佚、古本を改作した「今とりかへばや」が『とりかへばや』『とりかへばや物語』の名で現存する。
今鏡(世界大百科事典)
平安末期の歴史物語。10巻。《小鏡》《続世継》とも呼ばれる。1170年(嘉応2)成立。著者には中山忠親,源通親などが擬せられるが,未詳。《大鏡》の後を継ぐ書として,《大鏡》の記事が終わる後一条天皇の万寿2年(1025)から高倉天皇の嘉応2年までの13
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