1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 社会
  6. >
  7. 政治
  8. >
  9. 戦争
  10. >
  11. 長州征伐
日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

日本大百科全書
長州征伐
ちょうしゅうせいばつ

1864年(元治1)、1865~66年(慶応1~2)にかけて行われた幕府による征長出兵。長州藩では第二次征長を四境(しきょう)戦争とよぶ。
[吉本一雄]

第一次

1864年7月の蛤御門(はまぐりごもん)の変(禁門の変)によって長州藩追討の名目を得た幕府は、尊攘(そんじょう)派に打撃を与える意図もあって、征長を表明し出軍した。征長総督には尾張(おわり)藩主徳川慶勝(とくがわよしかつ)、副将に越前(えちぜん)藩主松平茂昭(まつだいらもちあき)があたり、西郷隆盛(さいごうたかもり)が参謀として、長州藩に謝罪降伏せしめるべく画策した。
 長州藩では、禁門の変に敗退し、また四か国連合艦隊の下関(しものせき)砲撃にも敗れたことから、尊攘派にかわって保守俗論派が政権を握り、幕府に恭順の意を示した。その証(あかし)として、まず禁門の変の責任者として福原越後(えちご)、益田右衛門介(ますだうえもんのすけ)、国司信濃(くにししなの)の3家老と4参謀の処刑、藩主毛利敬親(もうりたかちか)父子の謝罪、山口城の破却、八月十八日の政変(1863)後に長州藩に身を寄せていた三条実美(さんじょうさねとみ)以下5卿(きょう)の引き渡しなどの要求に応じた。これによって幕府は、出軍の目的を達したとして、同年12月に撤兵令を発した。
[吉本一雄]

第二次

翌1865年(慶応1)になると、長州藩では保守俗論派に対して、高杉晋作(たかすぎしんさく)が下関で挙兵し、諸隊の力を得て美祢(みね)郡大田・絵堂の内訌(ないこう)戦を戦い、俗論派にかわって正義派が政権を握り、藩論を武備恭順へと転換した。この方針に従って、大村益次郎(おおむらますじろう)を登用して軍制改革を実行し、特別資金であった撫育方(ぶいくかた)の貯蓄金を放出して銃器や艦船を購入し、装備の洋式化を図り、幕府の再征に備えた。
 一方幕府は、こうした長州藩の態度を詰問して、将軍家茂(いえもち)自ら江戸城を発して上洛(じょうらく)の途につき、1866年5月には10万石削封ほかを内容とする長州藩の処分を打ち出したが、長州藩は応ぜず、6月7日の大島口での戦闘を手始めに、6月14日には芸州口、16日には石州口、17日には小倉口(こくらぐち)と、いわゆる四境で幕府軍と長州軍の戦闘が開始された。結果は幕府軍の敗走に終わり、7月に家茂が大坂城で死去したことを契機に撤兵した。以降、幕府はその権威を失墜し大政奉還へと向かった。
[吉本一雄]



改訂新版・世界大百科事典
長州征伐
ちょうしゅうせいばつ

幕末期,江戸幕府が長州藩攻撃のために起こした戦争で,第1次は未発,第2次は倒幕運動の拠点長州との全面的な軍事対決となった。第1次征長,第2次征長ともいい,この第2次征長戦を長州側では四境戦争と呼ぶ。

第1次

1864年(元治1)7月18日の禁門の変(蛤御門の変ともいう)による長州軍の皇居内への発砲は,7月23日の長州追討の朝命となり,翌日,幕府は中国・四国・九州の21藩に出兵を命じ,また,その他の諸藩には京畿守備を命じた。そして,幕府は征長総督徳川慶勝(前尾州藩主)の指揮のもとに諸大名の部署を決め,征長軍を進めようとした。しかし,その足並みは必ずしもそろわなかった。一方,長州藩内では幕府への恭順を唱える保守派が台頭し,また,4国連合艦隊による下関砲撃などがなされ,この内憂外患のなかで藩内事情は複雑な様相を呈していた。この情況をみて征長軍の参謀・薩摩藩士西郷隆盛は,長州を死地に追い込むことを避け,長州藩の本・支藩の離間策や藩内の分裂化をすすめることによって,手を下さずして制圧することを主張した。西郷は一面では尊攘派の拠点長州をたたき,他面では幕府の権威回復を妨げようと意図していたのである。対する長州藩内の保守派は,支族吉川(きつかわ)経幹の周旋で,福原越後,益田右衛門介,国司(くにし)信濃の3家老と4参謀(宍戸左馬之介,佐久間佐兵衛,竹内正兵衛,中村九郎)を斬って幕府へ恭順の意を表した。そこで,幕府軍は戦わずして12月27日,撤兵令を下した。

第2次

長州藩が在長州の三条実美ら5卿を幕府側へ引き渡すことは征長軍撤兵の一要件であったが,それは実行されなかった。加えるに長州藩内では,1864年(元治1)末から翌65年(慶応1)初めにかけて高杉晋作らが馬関(下関)に決起し,藩の主導権を奪い,奇兵隊以下諸隊軍事力を背景に藩論を幕府との軍事対決の方向に定めた(1865年3月)。これをみた幕府は,長州藩が容易ならざる企てをし,外国商人との取引をしているなどの理由で長州再征を上奏し,65年9月勅許を得た。しかし,朝廷および諸藩には再征反対の空気が強く,とくに薩摩藩は出兵を拒否した。時あたかもイギリス,アメリカ,フランス,オランダの4国は,連合艦隊を兵庫沖に来航させ,兵庫の先期開港・条約勅許を要求した(10月,条約は勅許,兵庫先期開港は不許可)。66年6月,幕府軍と長州軍との戦闘は開始された。長州藩は,このときすでに薩長同盟を結んでいた(1866年1月)。また,藩内では高杉や木戸孝允らによって挙藩軍事体制が固められ,諸隊や農商兵を活用し,密輸入した近代兵器によって幕府軍に対処しようとしていた。芸州口での戦闘は一進一退であったが,石州口や小倉口方面では長州軍が幕府軍を圧倒した。しかも,幕府軍はその背後を大坂,江戸の打ちこわしや百姓一揆に脅かされていた。物価騰貴と民衆の負担の増大は開港以来の傾向であったが,第2次征長戦はそれに拍車をかけ,社会的矛盾をさらに激化させたのである。幕府の敗北は決定づけられた。そこで幕府は,第14代将軍徳川家茂の大坂城での病没を機として,66年8月,休戦の朝議を得て,9月2日,長州藩と休戦協定を結んだ。同年12月の孝明天皇の急死を機会に解兵の沙汰書を得て,天下に布告した。この第2次征長の失敗は幕府の権威失墜の決定的要因となり,以後,幕府支配の崩壊は時間の問題となった。
[田中 彰]

[索引語]
第1次征長 第2次征長 四境戦争 徳川慶勝 西郷隆盛
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のオンライン辞書・事典サービスです。国史大辞典、日本国語大辞典、日本大百科全書、日本古典文学全集、日本歴史地名大系などを利用することが出来ます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る
長州征伐の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 364
検索コンテンツ
1. 長州征伐
日本大百科全書
1864年(元治1)、1865~66年(慶応1~2)にかけて行われた幕府による征長出兵。長州藩では第二次征長を四境(しきょう)戦争とよぶ。吉本一雄第一次1864 ...
2. 長州征伐
世界大百科事典
幕末期,江戸幕府が長州藩攻撃のために起こした戦争で,第1次は未発,第2次は倒幕運動の拠点長州との全面的な軍事対決となった。第1次征長,第2次征長ともいい,この第 ...
3. ちょうしゅう‐せいばつ[チャウシウ‥]【長州征伐】
日本国語大辞典
幕末、江戸幕府が長州藩に対して行なった制裁と武力攻撃。元治元年(一八六四)尊攘派に打撃を与えるため、禁門の変での長州軍の皇居への発砲を理由に出兵。これに対し、四 ...
4. 青木周蔵自伝 23ページ
東洋文庫
実行して欧洲の四国と戦ひ〔四国連合艦隊下関砲撃事件〕、又幕府と干戈を  交へし時〔第一次・二次長州征伐〕の如きは、武士の階級は勿論、僧侶も農民も皆戦闘に従事せり ...
5. 青木周蔵自伝 35ページ
東洋文庫
思惟し、書を贈りて提携を謝絶し、一意専心学業に従事せり。 注  一 長州藩厚狭郡出身。第二次長州征伐の際、彊義隊隊長として活躍。のち山口兵学校で蘭学を学     ...
6. 青木周蔵自伝 358ページ
東洋文庫
青木周弼死去春、藩校明倫館好生堂に入学十一月十五日、青木研蔵の養子となり周蔵と改名・五月、第二次長州征伐十二月十三日、周蔵の青木家養子藩許・四月七日、幕府、海外 ...
7. あかしはん【明石藩】
国史大辞典
なかでも舞子砲台は勝海舟の設計によるもので、文久三年(一八六三)には十四代将軍徳川家茂が見学している。長州征伐に明石藩は出兵したが、明治維新には朝廷に従った。廃 ...
8. 安芸国
世界大百科事典
紀初頭安芸国内の諸宗寺院総数602ヵ寺中,真宗寺は351を数えたほどである。幕末広島は再度の長州征伐で征討軍の基地となるが,藩はむしろ中立を持し,幕末の政局では ...
9. あきのくに【安芸国】広島県
日本歴史地名大系
春水の子が頼山陽である。〔征長の役と広島〕元治元年八月、尾張藩徳川慶勝を征長総督とする第一回の長州征伐が始まった。幕府は中国・四国・九州など三五藩に出兵を命じ、 ...
10. あきのくにひろしまはんりょうけいおうさんねんいっき【安芸国広島藩領慶応三年一揆】
国史大辞典
安芸国賀茂郡と竹原下市と山間部の備後国恵蘇郡に起った一揆・打ちこわし。広島藩は前年の凶作と第二次長州征伐が影響して米価が高騰、慶応三年正月十六日賀茂郡の港町竹原 ...
11. あさがわうら【朝川浦】愛媛県:北宇和郡/吉田町
日本歴史地名大系
って組頭と横目が各一名置かれている。慶応三年(一八六七)組頭の公金流用の問題が再燃した。藩が長州征伐の費用に公金を使用せず、農民の献金でまかなおうとした結果、農 ...
12. 浅野長勲[文献目録]
日本人物文献目録
(編)『浅野従一侯を弔ふ』横山雅男『浅野長勲氏の誤謬』田中貢太郎『維新当時の芸備』浅野長勲『長州征伐と芸藩』前田三遊 ...
13. 浅野長訓
世界大百科事典
り,翌年,茂長(もちなが)と改名。辻将曹らを年寄に登用して藩政改革を推進するとともに,両度の長州征伐や王政復古の際も調停役として功があった。68年長訓と改名した ...
14. あさのながみち【浅野長訓】
国史大辞典
ため、辻将曹らを年寄に登用し、洋式兵制による軍備の充実を中心とする藩政改革を推進した。両度の長州征伐では、広島が征長軍の集結地となり、長訓は辻らの献策に従い、第 ...
15. あさひちょう【旭町】岡山県:久米郡
日本歴史地名大系
相模小田原藩領、出羽上山藩領、播磨龍野藩預などに属し、幕末から明治初年にかけて石見浜田藩領となり、長州征伐で敗北した浜田藩士が一部土着した。小田原藩領のとき西川 ...
16. あまがさきはん【尼崎藩】
国史大辞典
卵専売制をしき、家別月二個(のち三個)の卵上納を命じその代銭納も認めた。幕末には、海岸防備や長州征伐で西国への公用人馬が激増し、尼崎・神崎などの宿駅をもつ藩内の ...
17. アメリカ彦蔵自伝 2 44ページ
東洋文庫
十九日に支払うと約束した賠償金を支払わなかった、とのことである。                長州征伐を}令 十一月二十五日。今朝の新聞によれば、下関海峡付近 ...
18. アメリカ彦蔵自伝 2 118ページ
東洋文庫
将軍に提出されたというのだ」(サトウ『一外交官の見た明治維新』下、第二二章。岩波文庫)。 江戸幕府は長州征伐を強行して失敗し、その間に(一八六六年八月)将軍家茂 ...
19. あらおしげあきら【荒尾成章】
国史大辞典
百石)。嘉永四年(一八五一)家老となり、安政の改革で学校惣督、のちに勝手方根取となる。第一次長州征伐の際、名代として大坂の軍議に参加。慶応元年(一八六五)京都詰 ...
20. アーネスト・サトウ伝 60ページ
東洋文庫
藩邸を大君側の兵に略奪され、ヴィクトリア女王の誕生祝賀祭が終わると直ちに約六万の幕府側軍団が長州征伐のために江戸を発進した。 こうした内乱の中にあって天皇〔孝明 ...
21. アーネスト・サトウ伝 178ページ
東洋文庫
をはかった。なお本書著作時一九三三年は幕末の日英合同演習実施時の六十九年後に当たる。(n) 長州征伐 下関海峡で外国商船を砲撃していた過激尊皇攘夷派の長州藩とこ ...
22. 伊方[町]
世界大百科事典
山地が占める。伊予灘に面した三机(みつくえ)が中心集落で,三机港は帆船時代に良港として栄え,幕末には長州征伐の一拠点となった。かつては三崎牛飼育の本場で,町域西 ...
23. 伊木三猿斎
日本大百科全書
半裸体の美人画を茶掛けにし、猪鍋(ししなべ)を出して西洋流の茶事を行った話は有名。幕府による長州征伐の不可を藩主に説いて調停を勧め、坂本龍馬(りょうま)、中岡慎 ...
24. いぎさんえんさい【伊木三猿斎】
国史大辞典
その輔導に努めた。翌月茂政に従って上京、藩論を勤王に向かわせることに尽力し、元治元年(一八六四)第一回長州征伐に長州藩を寛典に処することを茂政に勧め、十一月みず ...
25. いけだもちまさ【池田茂政】
国史大辞典
堅持し、八月十八日の政変後、前記三藩主と攘夷監察の勅使を幕府に派遣することを朝廷に上書した。幕府の長州征伐には終始反対して寛典論を唱え、再征には出兵を拒否し、慶 ...
26. いけべきちじゅうろう【池辺吉十郎】
国史大辞典
幕末・維新期の肥後国熊本藩士。士族反乱の指導者。天保九年(一八三八)生まる。世禄二百石。第二次長州征伐に従軍、明治元年(一八六八)玉名郡代、同二年熊本藩少参事、 ...
27. いずみのくにてんりょうほかけいおうにねんうちこわし【和泉国天領他慶応二年打毀】
国史大辞典
八十匁、五月には九百匁、六月には一貫二百匁に達し、その他の諸物価も著しく値上がりした。第二次長州征伐による米穀流通の混乱が米の端境期と重なって米価の高騰を招き、 ...
28. いたくらかつきよ【板倉勝静】
国史大辞典
開始し、池田長発の一行をヨーロッパに差遣した。元治元年(一八六四)六月老中を罷めて帰藩し、十一月長州征伐に藩兵を率いて出陣した。慶応元年(一八六五)十月老中に再 ...
29. いでぐちむら【出口村】大分県:日田郡/天瀬町
日本歴史地名大系
は肥後から当地に一泊して日田郡の測量を開始している(伊能忠敬測量日記)。慶応二年(一八六六)長州征伐で敗れた肥後藩士は筑前小倉より日田に逃れて肥後に帰ったが、そ ...
30. 伊藤博文画像
日本大百科全書
計画を知って急ぎ帰国、藩主らに開国への転換を説いたが、いれられなかった。同年幕府による第一次長州征伐に対する藩首脳らの処置に憤激して高杉らと挙兵、この藩内戦に勝 ...
31. 伊藤博文
世界大百科事典
たが,4国連合艦隊の長州藩攻撃計画を知って帰国,藩論の転換をはかったが失敗した。幕府の第1次長州征伐に対する藩首脳の処置に反対して高杉らと挙兵,藩内戦に勝利して ...
32. 井上馨
世界大百科事典
へ密航したが,翌64年(元治1),四国連合艦隊の下関攻撃計画を知り,急きょ伊藤と帰国,幕府の長州征伐と連合艦隊攻撃のはざまにあった長州藩のために講和を周旋した。 ...
33. いのうえかおる【井上馨】
国史大辞典
謀なことを悟った藩政府により、高杉・伊藤とともに講和の使者に起用され、講和に成功した。第一次長州征伐にあたっては、藩内のいわゆる正義派を代表して武備恭順を主張し ...
34. いのうえせいぞう【井上省三】
国史大辞典
として生まれ、のち厚狭毛利氏の家臣井上半右衛門の養子となる。慶応二年(一八六六)六月、幕府の長州征伐には、彊義隊の指揮者として善戦。翌慶応三年藩立山口兵学校(明 ...
35. いまばりし【今治市】愛媛県
日本歴史地名大系
鈍川村(現越智郡玉川町)へ移す計画をたてている。幕末の動乱期には家老久松長世を京に派遣して情勢を探らせた。長州征伐では出動はしたものの積極的ではなかった。戊辰の ...
36. いよのくに【伊予国】愛媛県
日本歴史地名大系
すこぶる消極的であった。安政三年(一八五六)に藩主となった松平勝成は幕命を受けて二回にわたる長州征伐の主力となって出征して敗れ、慶応三年(一八六七)そのあとを継 ...
37. いわくにちぢみ【岩国縮】
国史大辞典
代表するようにもなった。岩国藩ではその「改め方」を特設して出荷品を検査し、運上銀を徴収してきたが、幕末期には長州征伐の戦場となって頓挫し、明治初年になってようや ...
38. いわくにはん【岩国藩】
国史大辞典
京都から帰国の途中を岩国に立ち寄って末家昇格のことを経幹に約束した。経幹もこれを徳とし、第一次長州征伐のときは毛利の家名存続を願って宗藩の恭順派を支持したが、慶 ...
39. いわくらともみ【岩倉具視】
国史大辞典
身となった。この間、政局は文久三年八月十八日の政変、翌元治元年(一八六四)の禁門の変についで長州征伐へと情勢が急転した。岩倉村には非蔵人松尾相永をはじめ香川敬三 ...
40. うちこわし【打毀し】画像
国史大辞典
帯びつつ慶応の大闘争期を迎えるに至った。幕藩体制崩壊直前の慶応二年(一八六六)は幕長戦争(第二次長州征伐)による政治的、経済的危機を生み出し、全人民諸階級・諸階 ...
41. 宇都宮黙霖
世界大百科事典
遊歴して勤王の志士と交わり,安政の大獄で一時捕らえられた。吉田松陰の討幕思想にも影響を与えたといわれる。第1次長州征伐の際に広島に潜入,再度捕らえられた。のち還 ...
42. うつのみやもくりん【宇都宮黙霖】
国史大辞典
えられたが、僧のために釈された。その後長州藩士と討幕のために働き、元治元年(一八六四)第一回長州征伐に広島に潜入して再び投獄された。明治二年(一八六九)赦されて ...
43. ええじゃないか
世界大百科事典
が降下してくるとする伝統的な意識のほかに,幕末の危機的な政治情勢による民衆への圧迫感,第2次長州征伐の中止に伴う米価をはじめとする物価の下落による生活の安定など ...
44. ええじゃないか
国史大辞典
討幕派諸藩の拠点だった西南日本と親幕派諸藩の多い東北日本には発生していない。慶応二年は幕長戦争(第二次長州征伐)という政治的危機により百姓一揆・都市打ちこわしの ...
45. えぎがくすい【江木鰐水】
国史大辞典
藩校、安政元年(一八五四)には福山に誠之館が成り、子弟の教育にあたった。元治元年(一八六四)長州征伐には、広島に、慶応元年(一八六五)の長州再征には石州口に出陣 ...
46. えた
国史大辞典
このころには百姓一揆に参加する者もあらわれる。幕末になると支配者もえた・非人の動向を無視できなくなり、長州征伐に関連して幕府も長州藩もえたを懐柔しようとした。こ ...
47. えたかわのうちむら【江田川之内村】広島県:三次市
日本歴史地名大系
肥シ草貰受」と記す。幕末の庄屋の記録「年代記」(駒沢家文書)によると、慶応二年(一八六六)の長州征伐に際し、当村から計二六人が軍夫として動員されている。また同記 ...
48. えどけいおうにねんうちこわし・そうどう【江戸慶応二年打毀・騒動】
国史大辞典
生した打ちこわし、また九月の事件はお粥騒動とも呼ばれる下層困窮民の屯集事件。幕長戦争(第二次長州征伐)前夜の政治的、経済的危機は諸物資欠乏・諸物価高騰を惹起し、 ...
49. 江戸時代
世界大百科事典
弾圧したが,尊攘派は薩英戦争,馬関戦争の教訓から開国・討幕へと転向して薩長同盟を結び,第2次長州征伐に勝利した。67年15代将軍慶喜は山内容堂の意見を入れて,大 ...
50. 江戸幕府
世界大百科事典
はじめとする諸隊によって領内諸階層の軍事的再編に成功した長州藩のそれと対照的であり,その差が第2次長州征伐の敗北から大政奉還へと結果したのである。→江戸時代高木 ...
「長州征伐」の情報だけではなく、「長州征伐」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る

長州征伐と同じ戦争カテゴリの記事
太平洋戦争(日本大百科全書(ニッポニカ))
1941年(昭和16)12月8日、真珠湾攻撃、日本のアメリカ、イギリスへの宣戦布告で始まり、1945年9月2日、日本の降伏文書調印によって終わった戦争。日本の指導者層は大東亜戦争と呼称した。1931年(昭和6)の満州事変に始まる日中十五年戦争の発展であり、日中戦争を重要な一部として含む。
日米交渉(国史大辞典)
日米戦争の回避または延引を目的とした、真珠湾攻撃前約一年間にわたる非公式外交工作および開戦外交交渉。その背景にはヨーロッパからアジア・太平洋地域に伸展した第二次世界大戦に対する日米双方の政・戦略的駆引きが窺われる。なお日本側ではこの日米国交調整工作・交渉をN工作または日米交渉と称し
ナチス(日本大百科全書(ニッポニカ))
国民社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiの通称。略称はNSDAP。ナチNazi(単数および形容詞)またはナチス(複数)は、ドイツの政敵や欧米の反ヒトラー派がこの党に与えた卑称である。日本では公式の略称としては単数、複数を問わずナチスとよんでいた。
第一次世界大戦(日本大百科全書(ニッポニカ))
第一次世界大戦(以下、大戦と略記する)は、1914年から1918年まで、計25か国が参加してヨーロッパを主戦場として戦われた戦争である。主要な強国のほとんどすべてを巻き込んでおよそ4年半の長期間に及び、しかも複雑多岐にわたる問題を当初からはらんで行われた戦争の性格を考えて、本項では、以下の構成をとった。
第二次世界大戦(日本大百科全書(ニッポニカ))
第二次世界大戦とは、一般には、1939年9月の英独戦争に始まり、1941年6月の独ソ戦争、同年12月の太平洋戦争を経て、1945年5月ドイツの、同年8月日本の降伏で終わる戦争をいう。この戦争に先だつ第一次世界大戦は、ヨーロッパを舞台とし、1914年8月、ヨーロッパ諸国がイギリス・フランス・ロシアの
戦争と同じカテゴリの記事をもっと見る


「長州征伐」は戦争に関連のある記事です。
その他の戦争に関連する記事
長州征伐(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
1864年(元治1)、1865~66年(慶応1~2)にかけて行われた幕府による征長出兵。長州藩では第二次征長を四境戦争とよぶ。[吉本一雄]第一次 1864年7月の蛤御門の変(禁門の変)によって長州藩追討の名目を得た幕府は、尊攘派に打撃を与える意図もあって、征長を表明し出軍した。
方広寺鐘銘事件(国史大辞典)
豊臣秀頼による方広寺大仏殿再興に際しひき起され、大坂冬の陣の原因の一つとなった事件。豊臣秀頼は、亡父秀吉追善供養のため、慶長七年(一六〇二)、方広寺大仏殿(東山大仏堂)の再建に着手したが、年末の失火で頓挫、あらためて片桐且元を奉行に七年後に事業を再開、同十五年六月
関ヶ原の戦い(日本大百科全書(ニッポニカ))
1600年(慶長5)9月、徳川家康の率いる東軍と、石田三成を中心とする西軍によって、美濃国関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)で行われた「天下分け目」の戦い。 [岡本良一]三成挙兵 1598年(慶長3)豊臣秀吉が死ぬと、豊臣政権はたちまち内部分裂の兆しをみせ始めた。秀吉は生前から、家康の
島原の乱(島原・天草一揆)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
江戸時代初期、松倉勝家領の肥前国島原と同国唐津寺沢堅高領の肥後国天草の領民が連帯し、少年益田(天草)四郎時貞を盟主に蜂起し、島原の原城にたてこもって幕府・諸藩兵と戦い、全員誅殺された大農民一揆。天草一揆ともいう。この一揆に対する
生田万の乱(国史大辞典・日本大百科全書)
天保八年(一八三七)六月一日の明け方、平田篤胤の元塾頭生田万らが桑名藩領柏崎陣屋(新潟県柏崎市)に乱入した事件。柏崎騒動ともいう。柏崎陣屋は桑名藩の越後領四郡六万石の総支配所で、大役所・預役所・刈羽会所の三役所があり、郡代以下五十数名で領政を担当していた。
戦争に関連する記事をもっと見る
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のオンライン辞書・事典サービスです。国史大辞典、日本国語大辞典、日本大百科全書、日本古典文学全集、日本歴史地名大系などを利用することが出来ます。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る